まちを語る

その47 吉川 和夫(作曲家)

その47 吉川 和夫(作曲家)

仙台中央音楽センター(仙台市青葉区中央)/荒井・荒浜
仙台ゆかりの文化人が、その地にまつわるエピソードを紹介するシリーズ「まちを語る」。今回は作曲家・吉川和夫さんが「被災地にピアノをとどける会」の活動を振り返りつつ、仙台駅前から荒浜方面へ向かいます。
 宮城・仙台で約30年にわたり、音楽教育に携わっている作曲家の吉川和夫さん。 “音楽の力” をよく知る吉川さんだからこそ、音楽を通じた被災地復興支援にも取り組んできた。なかでも2011年6月から10年続いたのが、副委員長を務めたボランティア団体「被災地にピアノをとどける会」。その活動拠点となっていた場所が、仙台朝市のほど近くに位置する「仙台中央音楽センター」だ。「現在は建て替えられたのですが、旧センターの事務室で『とどける会』の打ち合わせ会議を開いていました」と、当時を振り返る吉川さん。「主に集まっていたメンバーが、実行委員長の庄司美知子先生(ピアニスト、仙台中央音楽センター主宰)と私を含めて6名でした。それぞれの仕事が終わってから集まるので、だいたい18時頃から21時頃まで。最も忙しかった時期には、週1〜2回集まったこともあります」。
サロンホールやレンタルスタジオを有する「仙台中央音楽センター」に到着。「『とどける会』の活動が終了してからも、自分の作曲やレッスンのために、時々スタジオをお借りしています」と吉川さん。
▲サロンホールやレンタルスタジオを有する「仙台中央音楽センター」に到着。「『とどける会』の活動が終了してからも、自分の作曲やレッスンのために、時々スタジオをお借りしています」と吉川さん。
仙台中央音楽センターの代表・庄司美知子さんは、「被災地にピアノをとどける会」の発案者かつ実行委員長。津波でピアノを失った女の子と庄司さんの出会いが、会発足のきっかけとなった。
▲仙台中央音楽センターの代表・庄司美知子さんは、「被災地にピアノをとどける会」の発案者かつ実行委員長。津波でピアノを失った女の子と庄司さんの出会いが、会発足のきっかけとなった。
 ピアノをどこへ届けるか、誰から寄贈してもらうか、どうやって運んだらいいか。吉川さんたちはここで幾度も会議を重ね、活動体制を整えていった。全国各地から寄贈されたピアノは調律師がチェックし、できるだけ新品同様に使えるようメンテナンスしてから支援先へ。保育園や学校をはじめ、文化施設や公民館、音楽を専門に学ぶ個人など、送り届けたピアノは10年間で520台にものぼる。「被災地のことを思いやって寄付してくださる方もたくさんいましたし、ピアノの修理や配送などを支援してくださった方々のおかげもあって、実現できたことだと思います」と、吉川さんは回顧する。「ピアノを受け取る側だけでなく、寄贈してくださる側にとっても、ピアノにまつわるドラマがありました。今は亡きおばあさんが買ってくれたピアノ、成人して独立した娘さんがかつて使っていたピアノ…。大切なピアノを送り出す時に、『お嫁に行かせるような気持ちになった』とお手紙に書いてくださった方もいましたね」。
 「とどける会」は2021年3月に活動終了を迎えたものの、支援でつながった思いやピアノは、今も音楽の輪を広げている。その1台が、地下鉄東西線荒井駅に直結する「せんだい3.11メモリアル交流館」にある。
2012年7月に「被災地にピアノをとどける会」から仙台市のフリースクールに寄贈されたピアノ。スクール閉所に伴い、2019年8月にメモリアル交流館へ移された。
▲2012年7月に「被災地にピアノをとどける会」から仙台市のフリースクールに寄贈されたピアノ。スクール閉所に伴い、2019年8月にメモリアル交流館へ移された。
「ピアノが移されたことで、このメモリアル交流館とご縁ができました」と吉川さん。2020年2月にはこのピアノを使って、「とどける会」のメンバーと復興支援のミニコンサートも行った。吉川さんにもピアノを弾いていただくと、優しい音色が響き渡った。
▲「ピアノが移されたことで、このメモリアル交流館とご縁ができました」と吉川さん。2020年2月にはこのピアノを使って、「とどける会」のメンバーと復興支援のミニコンサートも行った。吉川さんにもピアノを弾いていただくと、優しい音色が響き渡った。
 震災の記憶を伝える「せんだい3.11メモリアル交流館」。ここへ寄贈されたアップライトピアノは、1階の交流スペースに設置されている。月命日に開催されるメモリアルコンサートなどで活用されているほか、地域の人々や来館者が「ピアノを弾いてもいいですか?」と自由に奏でることもあるという。「被災地にピアノをお届けするまでが私たちの仕事でしたが、今もこうしていろんな方に弾いていただけるのは嬉しいですね」と、吉川さんは穏やかな笑みを浮かべる。
 メモリアル交流館を後にして、津波被害が大きかった荒浜地区へ向かうことに。沿岸部へと車を走らせること約10分、「震災遺構仙台市立荒浜小学校」が見えてくる。
震災後、たびたび荒浜に足を運んでいる吉川さん。「一人で来ることもあれば、被災地参観を希望する知人をお連れすることも。この荒浜小学校や周辺を案内したり、近くの観音様にお参りしたりしています」。
▲震災後、たびたび荒浜に足を運んでいる吉川さん。「一人で来ることもあれば、被災地参観を希望する知人をお連れすることも。この荒浜小学校や周辺を案内したり、近くの観音様にお参りしたりしています」。
荒浜小学校から徒歩10分ほど、波の音が聞こえる場所に「東日本大震災慰霊之塔 荒浜慈聖観音」が建つ。観音様の高さは、荒浜地区を襲った津波の高さと同じ9メートル。
▲荒浜小学校から徒歩10分ほど、波の音が聞こえる場所に「東日本大震災慰霊之塔 荒浜慈聖観音」が建つ。観音様の高さは、荒浜地区を襲った津波の高さと同じ9メートル。
 海岸からおよそ700メートルの距離に位置する荒浜小学校。東日本大震災では校舎の2階まで津波が押し寄せ、その被害の爪痕が今も教訓を伝えている。2017年4月からは震災遺構として一般公開されており、2023年8月末には来館者が累計50万人に到達。この日も校舎前の駐車場には、県外からの大型バスが並んでいた。吉川さんは荒浜小学校が震災遺構として整備される前から荒浜地区を訪れ、復旧・復興の歩みを見守っている。「私の友人たちも、他県から仙台に来てくれました。被災地で見たものや感じたことを後世に伝えなければならない、そんな気持ちを持っている人たちでした。皆さん来て良かったと言ってくれますし、被災地のその後についても聞かれることが多いですね」。また、吉川さんは2016年から宮城教育大学附属小学校の校長を3年間務めたことで、学校の防災をより身近な問題として捉えるようになった。「被災地を訪れるたびに、改めて避難訓練の大切さを実感します。東日本大震災の教訓を伝承し、防災教育の強化につなげていきたいです」。
 こうして吉川さんが被災地に深く思いを寄せるのは、「とどける会」の活動に関わったことが大きく影響しているという。ピアノを届けに行った被災地の復興、そこで出会った人々の幸せを願い続けると同時に、吉川さんはこの先も音楽を通じて、震災、そしてこの地域に向き合っていく。

掲載:2023年10月4日

取材:2023年9月

取材・原稿/野原 巳香 写真/寺尾 佳修

吉川 和夫 きっかわ・かずお
東京藝術大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。室内楽曲、合唱劇などを中心に作曲活動を展開。1996年放送文化基金賞(音楽・音声・音響効果賞)受賞。作品は『遠野地方の伝承歌』(カワイ出版)、合唱劇『銀河鉄道の夜』、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ風幻想曲”SANRIKU”、 『長田弘の詩による2つの女声合唱曲』、オペラ『鹿踊りのはじまり』など多数。CDは『魂の行方』(フォンテック)、竹田恵子オペラひとりっ切り『にごりえ』(ALM)など。作曲家グループ「緋国民楽派」同人。宮城教育大学教授、同附属小学校長(2016年~2019年)を経て、現在は宮城教育大学名誉教授、聖和学園短期大学長。