まちを語る

その48 高橋 雅子(ホスピタルアーティスト)

その48 高橋 雅子(ホスピタルアーティスト)

荒町・西公園・八幡
仙台ゆかりの文化人が、その地にまつわるエピソードを紹介するシリーズ「まちを語る」。今回ご登場いただくのは、アート活動を通じて“生きる力”を応援している高橋雅子さん。中学・高校時代を過ごしたまちを訪ねます。
 障がいがある人もない人も、共に創作を楽しめるアトリエ「Wonder Art Studio(ワンダーアートスタジオ)」。代表を務める高橋雅子さんが、若林区荒町に同スタジオをオープンさせたのは2016年のこと。障がいのある子どもたちのアートスタジオを創ろうと物件を探し回った末、廃屋となっていたこのビルにたどり着いた。「ビルを使い始めてしばらく経ってから、気づいたんですよ。『ここ、中学生の頃に両親と暮らした場所のすぐ近くだわ』って。すっかり景色が変わっていて最初はわからなかったのですが、大きな縁に引き寄せられたように感じましたね」。高橋さんは中学・高校時代を仙台で過ごしたのち、アメリカ留学でアートに没頭。帰国後は東京に拠点を置きながら、全国の病院や被災地などを訪ねるアートプロジェクトに携わってきた。2020年から事務所を、2022年からは住まいも仙台に移し、荒町のスタジオへ通う日々を送っている。
使われていなかったビルは時間をかけて清掃し、ペンキを塗り、外壁や内装をカラフルにチェンジ。子どもたちが手がけたアートも、館内のそこかしこに飾られている。
▲使われていなかったビルは時間をかけて清掃し、ペンキを塗り、外壁や内装をカラフルにチェンジ。子どもたちが手がけたアートも、館内のそこかしこに飾られている。
 高橋さんが仙台に本拠地を移したきっかけは、東日本大震災の被災地応援活動。アートを通じたコミュニケーションが心のケアにつながることを願い、震災発生直後の2011年3月20日には支援チーム「ARTS for HOPE」を立ち上げ、それから幾度も東北沿岸部に足を運んだ。「津波をかぶって真っ茶色になっていた地域に、多彩な画材を持っていったんです。アートの色彩で、心の色も塗り変わります。最初は視線が落ちていた子どもでも、紙にバッと色を塗ったら、楽しそうに遊ぶようになりました。ものづくりは、ゼロから何かを生み出すこと。津波で多くを失った状況において、一歩踏み出すことや再生を実感できるアートの力は大きかったのではないかと思います」。
 こうして高橋さんが避難所や仮設住宅、児童館などでの応援活動を続けていると、障がいのある子どもや保護者から「居場所がほしい」という声が届くように。それから障がい児を対象にした活動が増え、ワンダーアートスタジオの誕生にも結び付いた。さらにスタジオへ通う親子や特別支援学校の先生から「障がいのある人が働ける『アートの仕事場』が足りない」との課題も上がったため、スタジオ内に就労継続支援事業所「Wonder Workers」を開設。特別支援学校を卒業してからも自由にアートで個性を表現しつつ、イラストやデザインの制作を仕事につなげる環境を整えた。
ビル3階のギャラリーには、スタジオに通う子どもや大人の作品を展示。2022年5月にはせんだいメディアテークを会場に、ワンダーアート初の展覧会も行った。
▲ビル3階のギャラリーには、スタジオに通う子どもや大人の作品を展示。2022年5月にはせんだいメディアテークを会場に、ワンダーアート初の展覧会も行った。
 ワンダーアートスタジオに通っている利用者は、障がいのある子どもたちを中心に50名ほど。時には高橋さんと一緒に近所をお散歩したり、荒町商店街のイベントに参加したりと、地域の人たちとの交流も深めている。
 「『仙台荒町子まもりプロジェクト』(子どもの防犯を中心に、荒町地域全体で防犯意識を高める活動)の受け入れ先としても使ってもらっていますし、荒町小学校の校外学習で小学生がスタジオに来ることもあります。みんなで助け合っている商店街なので、私たちも仲間に入れていただいてありがたいなと思っています」。障がいの有無にかかわらず、人と人とのつながりの輪を広げている高橋さん。「人間同士、仲良くしたいですよね」と、温かい眼差しで話す。
地域ぐるみでのイベントや子育て支援が活発な荒町。仙台七夕の時期には、ワンダーアートスタジオの子どもたちが作った七夕飾りも商店街を彩った。
▲地域ぐるみでのイベントや子育て支援が活発な荒町。仙台七夕の時期には、ワンダーアートスタジオの子どもたちが作った七夕飾りも商店街を彩った。
 中学時代を荒町周辺で過ごした高橋さんは、宮城県第一女子高等学校(現宮城県宮城第一高等学校)への進学が決まった後に父の転勤が決定。両親とは離れて、高校近くの下宿先で暮らすことになった。その高校時代に頻繁に足を運んでいたのが、かつて西公園(桜ケ丘公園)に存在した仙台市天文台だ。「八幡町(現青葉区八幡)にある高校から、広瀬川に架かる橋を渡って、よく西公園に行っていました。もともと学校の規則に適応しづらいタイプで、窓の外ばかり見ているような子どもだったんです。そんな私の避難場所がプラネタリウム。当時はどこか外へ出たいという願望がものすごく強かったので、星空と広い世界を重ね合わせて将来を夢想していたのかもしれませんね」。
高校時代に幾度も渡った仲の瀬橋にて。広瀬川の流れや川辺の紅葉を眺めながら、「なんて美しいんでしょう!」と高橋さん。こうして豊かな自然がそばにあることも、仙台で暮らす喜びだという。
▲高校時代に幾度も渡った仲の瀬橋にて。広瀬川の流れや川辺の紅葉を眺めながら、「なんて美しいんでしょう!」と高橋さん。こうして豊かな自然がそばにあることも、仙台で暮らす喜びだという。
 仲の瀬橋で撮影していると、遠くに小さく地下鉄東西線の車両が通り過ぎてゆく。高橋さんが高校生の頃は仙台にまだ地下鉄はなく、1976年に廃止となった仙台市電(路面電車)が走っていた。橋の上から見える広瀬川は今も昔も変わらず美しいが、まちの景色は一変。かつて高橋さんが足繁く通った西公園の天文台も、老朽化や地下鉄工事の影響で青葉区錦ケ丘に移転している。「プラネタリムがあったのは、西公園のどの辺りでしたっけ…」と、記憶を呼び起こしながら公園を見渡す高橋さん。北へ南へと探し歩いていると、旧天文台の入り口近くにあった日時計が広場の片隅に残っていた。
西公園の源吾茶屋裏手に設置されている日時計。「いつもまっしぐらにプラネタリウムの建物に入っていたのか、日時計の記憶が全くありませんね」と高橋さんは笑う。
▲西公園の源吾茶屋裏手に設置されている日時計。「いつもまっしぐらにプラネタリウムの建物に入っていたのか、日時計の記憶が全くありませんね」と高橋さんは笑う。
春には桜の名所としてもにぎわう西公園。取材時は12月だったが、1本花を咲かせている木があった。
▲春には桜の名所としてもにぎわう西公園。取材時は12月だったが、1本花を咲かせている木があった。
 日時計のすぐそばに建つ「源吾茶屋」は、明治元年から続く老舗。高橋さんも高校時代に友達と訪れ、おしゃべりに花を咲かせた思い出がある。当時の宮城県第一女子高等学校は学生運動が盛んで、高橋さんが在学中に制服自由化運動が起こり、私服で通学できるようになった。「ものすごく自由な校風だったので、縛られたくない私でも通い続けることができたのだと思います」と振り返る高橋さんだが、高校の卒業式には出席しないまま、東京へ飛び出して行ったという。「その時は気持ちがどんどん先走って、仙台に留まっていられなかったんです。私の代わりに母が卒業式に出席して、『今日の日はさようなら』を歌ったわと教えてくれました」。
 そんな高橋さんに、思いがけない「50年遅れの卒業式」が訪れた。高橋さんが仙台に活動拠点を移した2020年、母校の旧校舎解体前のイベント「宮一さよなら校舎の会」でアートプロジェクトを任されたのだ。
旧校舎取り壊し前の約1カ月間、卒業生が自由に彩色できるようにペンキを設置。「校舎に感謝の花束を」という想いを込めて、外壁や窓に色とりどりの花やハートなどが描かれた。(ワンダーアート提供)
▲旧校舎取り壊し前の約1カ月間、卒業生が自由に彩色できるようにペンキを設置。「校舎に感謝の花束を」という想いを込めて、外壁や窓に色とりどりの花やハートなどが描かれた。(ワンダーアート提供)
 「宮一さよなら校舎の会」最終日は、アートで彩られた旧校舎の前にステージが設けられ、卒業生有志によるパフォーマンスや校歌斉唱なども行われた。フィナーレに来場者みんなでペイントを完成させていた時、高橋さんは「今日が私の本当の卒業式だな」としみじみ思いながら、涙が止まらなくなったという。仙台の外ばかり見つめていた高校時代を経て、国内外を広く渡り歩いてきた高橋さん。仙台にUターンした今、学生の頃には気づかなかったまちの魅力や可能性を感じている。「仙台は都会と自然がちょうどいいバランスで整っていて、いろんな行動を起こしやすいまち。アートを通じて誰もが夢を抱けるような、生きづらさを感じている人が大丈夫だなと思えるような、そんな仙台・東北になることを願っています」。

掲載:2024年1月31日

取材:2023年12月

取材・原稿/野原 巳香 写真/寺尾 佳修

高橋 雅子 たかはし・まさこ
NPO法人ワンダーアート代表理事。仙台での中学・高校時代を経て、米国州立ウェスタンミシガン大学芸術学部を卒業。帰国後は東京のアートギャラリーや美術館で展覧会企画やワークショップ運営などに携わり、1999年に「Wonder Art Production」を設立。知的障がい者施設でのアート活動のほか、国内外203カ所の病院で心を癒やすホスピタルアートに取り組む。2011年3月には東日本大震災の支援チーム「ARTS for HOPE」を立ち上げ、宮城・岩手・福島のほか、熊本も含め1400日を超える活動を展開。2016年にボーダレスなアートスタジオ「Wonder Art Studio」を仙台に開設、2020年には全活動の本拠地を仙台に移し、アートの力で心をつなぐ活動を続けている。