インタビュー

まず見ること、好きになることから
建築文化を育みたい

建築家・菅原 麻衣子

公共建築から神社仏閣、そしてオフィスや病院まで。仙台を中心に広く宮城の建築を網羅した建物ガイドブックが昨年発刊された。『SENDAI/MIYAGI The Architecture Map -仙台/宮城 建築マップ-』は、普段の生活の中で見過ごしてしまいそうな建物を紹介し、設計者の意図を伝えている。菅原麻衣子さんは、建築家としてこの地に建築文化を根づかせたいという願いから、この冊子を構想した。建物とは何だろう。お話をうかがっていると建物と私たちの関わりが浮かび上がってきた。

建物を楽しんでほしいという思いから

『SENDAI/MIYAGI The Architecture Map仙台/宮城 建築マップ』を拝見しました。仙台はもとより宮城県内の建物を広く紹介する内容で、建築を見て楽しむガイドブックとしては宮城初かもしれないですね。

 これまで建築学会やイベントのために作成された簡易な建物ガイドはありましたが、本としてまとまったものは初めてですね。
 私、建築を見て歩くのがとても好きなんですよ。建築を学んだ人はみんなそうだと思いますが、とにかく「空間は体験するもの」という教育を受けるので。写真を見て、現物を見て、図面を見て、どこがいいのか、建築家が何を考えてつくっているのかを学んでいくんですね。

 大学2年生のとき、建築専門のツアーコンダクターが付く海外研修に参加して、フランク・ロイド・ライト(※1)の「落水荘」とか、ミース・ファン・デル・ローエ(※2)の「ファンズワース邸」とか、歴史に残る近代建築を見る機会があって、それで楽しさを知ったんです。その後、『ヨーロッパ建築案内』(TOTO出版)という当時の建築学生のバイブルのようなガイドブックを片手に、世界的な名建築を訪ねる旅もしました。あこがれだったアントニ・ガウディ(※3)の「サグラダ・ファミリア」を見たり、パリではガイドブックのマップに掲載された建築を塗りつぶすようにして見て回りました。ル・コルビュジエ(※4)の「ロンシャンの礼拝堂」を訪ねたときは、ガイドブックを持ってタクシーに乗り込んだとたん「ロンシャンだろう?」といわれたりして(笑)。それだけ見に行く人が多いということなんでしょうね。

そんなふうに建物を見学するということになると、頼りになるのはガイドブックですね。

 今回本をつくろうと思ったきっかけは、宮城県美術館の現地存続活動に関わったことなんです。活動の中で、あの建物を設計したのが前川國男(※5)だということを知らない人が多いのだと気づきました。考えてみると、宮城県内の建物や設計者を紹介するガイドブックが何もないので、市民には宮城にどんな建物があるかあまり知られていない。まとまって見ることができる本が必要だと考えたんです。

 何を取り上げるかは、企画・編集した5人で候補を挙げ決めていきました。なので、かなり恣意的ですし、歴史的なものはあまり入っていません。テキスト制作は学生にもお願いし、分担しました。
 また、建物を紹介するだけでなく「好きな場所・空間・建築」というページを設けて、建築家だけでなくいろんな方に答えてもらったのですが、興味深かったのは自分の個人的な体験を踏まえて空間や場所をあげてくださった方が多かったことです。広瀬川とか、建物を含めた風景そのものを答えてくださった人もいました。

建築や建築家の名前はわからなくても、宮城県美術館は大切と思う人たちがたくさんいたように、それぞれ好きな建物はあるのかもしれません。

 そうなんです。本能的に、「ここ、いい感じ」とか、「ここ、なんとなくスゴイ」とか、建築の見方はわからなくても感じているんだと思います。個人的な体験や愛着もあるでしょうし。でも、それを口に出す機会もなかなかないし、そもそも説明できないので誰かと思いを共有することが難しい。そこが建築文化をつくり上げていくための課題ですね。でも、私たちは普段、膨大な中から好きな音楽やファッションを選び取っているわけで、建築についてもまず好きなものを見つける、そのスイッチが入れば眼の解像度は増してくるはずです。

仙台にとって大切な2つの建物とは

菅原さんおすすめの仙台の建築を挙げていただこうと思います。

 やはり、「宮城県美術館」、そして「せんだいメディアテーク」。この二つは仙台にとってとても重要な建物だと思います。
 宮城県美術館の魅力は何といっても“余白”があるところ。前庭もエントランスも中庭も、がらんとしているでしょう。余裕のある豊かな空間だと思います。空間の使い方が一つの機能に限定されているわけじゃないので、自由なんですよね。これは1981(昭和56)年竣工ですが、この時代は社会的にも経済的にも余裕があり、こうしたゆとりのある建築が生まれたんだと思います。

 メディアテークはそのような自由さを意図的に設計しています。目的がなくても入れる、何もしなくてもいられる、街のような公園のような建築、とよくいわれますよね。1990年代あたりから「フレキシブル」という概念が建築設計でも議論されるようになり、空間と機能が1:1ではなく、柔軟に変化できることが重要になってきていました。
 メディアテークは、市民ギャラリー、図書館、視聴覚ライブラリー、目や耳の不自由な人のための情報提供施設が合わさった複合施設ですので、発注者側にも設計者側にも、それまでの建築とまったく違うものをつくろう、という熱意があったんだと思います。

メディアテークは伊東豊雄さんの設計ですが、コンペでこの案に決まったのですよね?

 そうです。審査委員長は磯崎新さん。審査委員はすべて建築や美術の専門家でした。審査会はすべて公開、オープンにして行われ、しかも優れた案であれば、設計者側の提案を発注者側が受け入れるということを条件に磯崎さんが引き受けたと聞いています。審査する側もむしろ自分が出したいというという気持ちを抑えて後輩に譲り、本気で選んだのだと思いますよ。
 ちょっと説明すると、コンペというのは最も優れた設計案を選ぶ方式です。いまはコンペではなくプロポーザル方式が多くなっていて、こちらは経験と実績も考慮して選ぶものなので、どうしても評価の定まった人の案に決まることが多いんです。そういう意味でも、メディアテークの設計案のコンペは画期的でした。
 やはり、つくるときに過程を公開すること、発注する側が熱意を持って、つくる人を信頼して実現していくということがすごく大事ですね。もちろん、開館後どのように使うかということも大切ですが。

宮城県美術館が設計される際も、発注する側が前川國男設計事務所にたくさん要望を出したそうですね。

 当時の学芸部長だった酒井哲朗さんが設計者側と意見を出し合い、要望も出して練り上げたようです。これも現地存続活動の中で知ったことですが、地下の県民ギャラリーだったところは初め作品の収蔵庫として計画されたのに、地元の美術家の要望でギャラリーに変更されているんですよね。県立美術館に自分たちの作品を展示したい、という熱い思いに発注者が答えた形です。発注者、設計者、市民が互いに信頼を寄せる気運というか、そういう時代だったのだと思います。

建物に時代や社会を読み取りながら

この先数年の間に、仙台市役所、宮城県民会館(東京エレクトロンホール宮城)など、戦後の仙台の景観を形づくってきた建物が姿を消して行くようです。

 宮城県民会館は1964(昭和39)年、仙台市役所は1965(昭和40)年、どちらも山下設計の前身、山下寿郎設計事務所が手掛けたものです。山下設計は他にも、藤崎本館、旧NHK仙台放送局、河北新報社本社ビルなど、戦後長く私たち市民が目にしてきた建物を設計しています。

 宮城県民会館で印象に残るのは、庇(ひさし)を兼ねたバルコニーのかたちですね。同時代に前川國男が設計した東京文化会館(1961(昭和36)年)や紀伊國屋ビル(1964(昭和39)年)などでも見られる意匠です。コンクリートという自由な造形が実現できる近代の素材を得て、建築家たちは新しい可能性を追求し始めます。コルビュジエがまさにそう。前川國男はその弟子だったので、コルビュジエまでさかのぼれる意匠ともいえます。ファサードの上には、仙台市の名誉市民になられた画家、杉村惇さんがデザインしたレリーフが入っています。気づいていない人が多いですよね(笑)。でも竣工当時の写真を見ると、今レリーフを覆うように伸びた定禅寺通りのケヤキはまだずっと小さくて、入れようとした気持ちがわかるんですよ。

仙台市庁舎は「BCS賞」を受賞しました。これは建主、設計者、施工者が三位一体で頑張ったこと、事業企画、その妥当性が評価されている証です。

中庭がいいですよね。見るたびに、今は、ぜいたくともいえるようなこういう空間はつくれないだろうな、と感じます。

 建築をやっていると、ひとつの意匠を見ても、それがどんなふうに時代の中でつながってきたかという文脈がわかるようになるんです。建物の中に複数の時代が感じられるようになって、社会や街の移り変わりも読み取れるようになります。なるほど、この建物が立てられたときはこういう時代だったんだな、と。
 一般の人に見えづらいかもしれないところも、話す機会をつくって伝えていければ。そうじゃないと、建物が歴史と切り離された、ただの点になってしまう。

仙台では古い建物を使い続けるという気運がなかなか生まれませんね。

 建物がつくられたときのことを関係者から聞いて記録する活動も必要かもしれません。宮城県美術館がつくられたとき、地元の絵描きさんたちがチャリティーで絵を売って2000万円もの寄付をしたというのを知って、すごく驚きました。私財を公共建築のために寄付するなんて、それまでの私には考えられないことだったので。そういうことを知らないでいると、さらっとつくられて、さらっと壊されることが繰り返されてしまいます。

 山形でも秋田でも、公共施設をリノベーションして使い続けながら新しい文化活動の拠点をつくっています。なぜ仙台ではできないんだろうと思いますね。山形では1927(昭和2)年に建てられた旧市立第一小学校の校舎を「やまがたクリエイティブシティセンターQ1」として文化発信の拠点にしました。秋田市の「秋田市文化創造館」は秋田県立美術館の建物を壊さず活用して、市民のための創作活動のスペースにしています。「宮城県民会館」もあの立地の良さを活かして、壊さずお金をかけずにリノベーションして文化施設にすればいいのに、と思います。

建物を育てるにしても残すにしても、市民の熱意が必要ですね。

 建物は立ったら50年くらいの長い時間そこにあるわけで、宮城県美術館の建設のときのように市民や関係者が熱い思いを持てるかどうかは、立ったあと、どれだけ市民に愛されるものになるかどうかにも関わってきます。建てる前には「市民説明会」のようなものは開催されますが、それ以上の関わり方ができるかどうか。「あれは私がつくったんだ」と市民が感じられるような活動をしたいですね。建物は建ったら社会性を持つものですし、公共施設ならなおさらそうです。お掃除などから始めて、愛着を育てる活動も楽しいかも。みんなで関わって建物を育て、建築文化をつくり出していきたいです。

(※1)フランク・ロイド・ライト
1867~1959年。アメリカの建築家。ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエとともに、「近代建築の3大巨匠」とよばれる。日本では旧帝國ホテルの設計を手掛けた。
(※2)ミース・ファン・デル・ローエ
1886〜1969年。ドイツ出身。バウハウス(建築、工業、写真などの総合学校)の校長を務めていたがアメリカに亡命し活躍。代表作に「バルセロナ・パビリオン」、「シーグラム・ビルディング」がある。
(※3)ル・コルビュジエ
1887~1965年。スイス出身でフランスで活躍。代表作に「サヴォア邸」がある。上野にある「国立西洋美術館」はコルビュジエが日本で設計した唯一の建築で世界文化遺産に登録されている。戦後日本の建築界をリードした前川國男、坂倉準三、吉阪隆正は、コルビュジエのアトリエで学んだ。
(※4)アントニ・ガウディ
1852~1926年。スペインの建築家。未完の聖堂とよばれた「サグラダ・ファミリア」を初め、7つの作品が世界遺産となっている。
(※5)前川國男
1905~1986年。戦後日本のモダニズム建築の旗手として活躍。「東京文化会館」を初め、数多くの公共建築を手掛けた。

《参考文献》
『山下寿郎設計事務所作品集』光元社 1965年3月

『SENDAI/MIYAGI The Architecture Map -仙台/宮城 建築マップ-』
A4判44ページ フルカラー 1,000円+税
https://localplaces.base.shop/

掲載:2023年8月3日

取材:2023年5月

取材・原稿/西大立目 祥子 写真/寺尾 佳修

菅原 麻衣子 すがわら・まいこ
建築家。she | design and research office 代表。宮城大学演習助手、東北大学技術職員を経て独立。建築、インテリアなどの設計業務のかたわら、地域の建築文化を育む任意団体「Local Places」を立ち上げ、2022年『SENDAI/MIYAGI The Architecture Map -仙台/宮城 建築マップ-』(2021年度持続可能な未来へ向けた文化芸術環境形成助成事業[(公財)仙台市市民文化事業団])を企画編集した。宮城県美術館の現地存続活動にもかかわり、現在「宮城県美術館の百年存続を願う市民ネットワーク」メンバー。東北工業大学非常勤講師なども務める。