小学校の図書室の品揃えというのは、小学生からしてみれば基本的に最悪でした。みんながマンガを求め、『はだしのゲン』を回し読み、『あたしンち』が入荷すればフォーラスの初売りぐらいの争奪戦に。僕は争いがめんどくさいので、表紙がリアルで怖すぎるがゆえに在庫満タンだった『ブラック・ジャック』(手塚治虫作)を仕方なく手に取り、まんまとハマり、あるエピソードに衝撃を受けたのです。それが「デベソの達」でした。
ドジでグータラ、無口で友達もいなくて、蛇口みたいなデベソをいつもみんなにバカにされている少年・達吉。そんな彼には、犬のような嗅覚で化石を掘り当てる才能がありました。つるはし1本。誰の手も借りず夢中で掘り進めていく達吉でしたが、その特異なデベソの正体である「臍(へそ)ヘルニア」が悪化し、ブラック・ジャックの元に担ぎ込まれ…というあらすじ。
普通、いじめられっ子の主人公が偉大なことを成し遂げた場合、バカにしていたやつらを見返す、みたいなシーンがあると思うのですが、達はそんなことには見向きもしません。自分が見つけた自分だけの恐竜をただひたすらに発掘する彼の生きざまに、小3の僕はやられました。ラストの1ページに本当にシビれちゃって、帰って、謎に家の裏をスコップで掘りまくりました。カツンと水道管に当たり、なんかこわくなってすぐに埋めましたが(実話)。
今、自分は映画監督のはしっくれです。創作とは「ゼロから何かを生み出すこと」みたいなイメージがありますが、僕にはそんな才能はありません。発掘家が土を掘り、掘った土が積み上がって山を成すように、僕は多くの映画を見漁り、蓄積した記憶たちに助けてもらいながら“オリジナル”を造形しているような感覚があります。一生で映画全部は無理ですが、達ちゃんのように深く掘って、高く積み上げたい。本作を読み返すたびにそんなことを思います。