まちを語る

その29 大泉 勉(ピアニスト・指揮者)

その29 大泉 勉(ピアニスト・指揮者)

五橋駅前交差点~連坊小路~元茶畑
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は、長年宮城の音楽文化を支えている大泉勉(おおいずみつとむ)さん。「青春の路」を辿りながら「思い出」を探しました。
『季刊 まちりょく』vol.29掲載記事(2017年12月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

五橋駅前交差点

「五橋小新堂」の「達磨像」前にて。長年この地を見守り続けている。
▲「五橋小新堂」の「達磨像」前にて。長年この地を見守り続けている。
 暑すぎず寒すぎず、うす曇りの10月。集合場所は、愛宕上杉通と連坊小路の角にある、1923年創業の「五橋小新堂」。大泉さんの生まれは一番丁。片平丁小学校、五橋中学校、そして高下駄を履いて仙台一高へ通った時代によく足を運んだお店だといいます。「ぼく甘党でね。こちらに〈宮城野の月〉という銘菓があって、それを食べるのが楽しみだったの」とお店の中へ。しかしお目当ての「宮城野の月」は、初冬からの季節限定と聞き、ガッカリ。気を取り直して、生まれも育ちもこの地という30代の店主の方に近隣の話を伺ううちに、中学の同窓だとわかり、「その昔(かみ)清水 影澄みて~」と校歌を一緒に。自然とメロディーがあふれでます。一番古い音楽の記憶は「聖愛幼稚園」で歌った讃美歌。家にはお金持ちの叔母さんからプレゼントされた足踏みオルガンが。それをプカプカ弾いては、大人から「うまいね。いい声だね」と褒められるのが嬉しかったといいます。
こちらが「宮城野の月」。「観世麩(かんぜふ)」で自家製餡をはさみ、砂糖衣をかけたもの。大泉さん曰く「私のようにデリケートなお菓子(笑)」。
▲こちらが「宮城野の月」。「観世麩(かんぜふ)」で自家製餡をはさみ、砂糖衣をかけたもの。大泉さん曰く「私のようにデリケートなお菓子(笑)」。
 日用品雑貨卸を生業とする家の長男として生まれた大泉さんは、本来なら家業を継ぐはずでしたが、中学校3年生の時に父親が急逝し、店を畳むことに。一家の大黒柱を失ってから半年後、音楽部の女の子に誘われて出場した「作曲コンクール」で一等賞を獲り、その受賞作は仙台放送管弦楽団によってオーケストラ版に編曲されました。「音楽っていいものだな」と、仙台一高では迷わず音楽部に。当時の部長は現在「クール・リュミエール」で指揮を執る戸田靖男さん。文化祭で宮沢賢治の「ポランの広場」をオペレッタで上演し、すごい先輩だと思ったそう。翌年、大泉さんはシェークスピアの「テンペスト」を上演しようと、「ミランダ」役を探しに飛び込みで二女高に協力を求めますが、「狼のいるところに、羊はやれない」と言われてスゴスゴと退散。まさに「青葉繁れる」の世界。作者の井上ひさしとは同級で、名簿が五十音順だったため前後の席の仲でした。

連坊小路

一高に向かう途中で。列車が通りすぎるのを眺めたり、一休みした場所。青春の痛い思い出、甘い思い出がつまった連坊小路は「こんなに広くなかったよ。今は〈連坊大路〉だね」。
▲一高に向かう途中で。列車が通りすぎるのを眺めたり、一休みした場所。青春の痛い思い出、甘い思い出がつまった連坊小路は「こんなに広くなかったよ。今は〈連坊大路〉だね」。
 学費を捻出するために、生の音楽にこだわる「仙台バレエ研究所」でピアノを弾くアルバイトを始めた大泉さん。難しい曲をリクエストされましたが、背伸びをして一生懸命に練習したとのこと。「大変だったけど、やっぱり自分のためになったね」と振り返ります。

元茶畑

一高の旧講堂玄関前にて。音楽の先生は平曲の研究と保存に尽力した館山甲午。授業で宮城民謡「さんさ時雨」や、はやり歌「東雲節」を教えるユニークな先生だった。天岩戸を開けた時の「石笛」や、平敦盛の「青葉の笛」など、眉唾の話も多かったが、とても面白かったとのこと。
▲一高の旧講堂玄関前にて。音楽の先生は平曲の研究と保存に尽力した館山甲午。授業で宮城民謡「さんさ時雨」や、はやり歌「東雲節」を教えるユニークな先生だった。天岩戸を開けた時の「石笛」や、平敦盛の「青葉の笛」など、眉唾の話も多かったが、とても面白かったとのこと。
 東北大学教育学部在学中に東京藝術大学の「委託生」として一年間東京へ。「みんな上手いんだ、ピアノ。天狗になった鼻をへし折られて。あれもいい経験だったね」。持ち前の社交性を発揮し、ピアノ伴奏を買って出ては研鑽を積み、無料の音楽会を聴いて回ったりしながら、たくさんの刺激を受けた大泉さんは、地元仙台のために力になりたいという気持ちが芽生えたといいます。
最も好きなピアニスト、アルフレッド・コルトーの似顔絵。大泉さんによるもの。高校3年の時に来仙したコルトーの逗留先「青木ホテル」の後輩・青木茂之さんに頼んで、この似顔絵にサインをもらった。「自分の手はピアノを弾くための手だからサインはしない」というコルトーの貴重な一枚。「青木には会うたびに今でも大感謝。仙台市公会堂での演奏は感動でしたね」。
▲最も好きなピアニスト、アルフレッド・コルトーの似顔絵。大泉さんによるもの。高校3年の時に来仙したコルトーの逗留先「青木ホテル」の後輩・青木茂之さんに頼んで、この似顔絵にサインをもらった。「自分の手はピアノを弾くための手だからサインはしない」というコルトーの貴重な一枚。「青木には会うたびに今でも大感謝。仙台市公会堂での演奏は感動でしたね」。
 相手の調子に合わせたピアノ伴奏が得意で、一番面白かったのはイタリアのマンドリン奏者ジュゼッペ・アネダとの共演だったといいます。演奏会当日に初めて会い、本番前に基本テンポの確認くらいで練習は終了。とても不安だったそうですが、ステージでは「阿吽の呼吸」を経験したといいます。「この時の喜びがいい思い出として残っているから、本番の時には試合に臨むような心構えになってもらうように態度で示しますね。すると相手も分かるの。特に子どもは敏感。本番で新しい力を出すからね」。
「いずみオッチェンコール」のミニコンサートで。大泉さんが指揮をつとめる平均年齢76歳の合唱団。「合唱経験はなくて譜面も読めないけれども、みなさんはじめて合唱をやって、はまっちゃうんですよ。手がかかるけれど一生懸命でね。かわいいですよ」。
▲「いずみオッチェンコール」のミニコンサートで。大泉さんが指揮をつとめる平均年齢76歳の合唱団。「合唱経験はなくて譜面も読めないけれども、みなさんはじめて合唱をやって、はまっちゃうんですよ。手がかかるけれど一生懸命でね。かわいいですよ」。
 長きに亘り「仙台少年少女合唱隊」はじめ、高校や大学などで多くの後進を育ててこられた大泉さん。「音楽をやっていてよかったな。音楽は人間が作るものだけれども、音楽も人間を作ってくれていると感じるね」。心から音楽を愛するその想いは、間違いなくたくさんの方々に伝わっていると感じた一日でした。

掲載:2017年12月20日

写真/佐々⽊隆⼆

大泉 勉 おおいずみ・つとむ
1934年、仙台市生まれ。東北大学教育学部音楽科卒業。在学中に東京藝術大学で学ぶ。指揮を渡邉暁雄、福井文彦両氏に師事。これまでにピアノリサイタルはじめ、各種演奏会の指揮者・伴奏者として活躍。1976年から2010年まで仙台少年少女合唱隊(現NHK仙台少年少女合唱隊)指揮者。1981年宮城県芸術選奨受賞。2001年仙台市政功労者。2010年NHK東北ふるさと賞受賞。宮城教育大学名誉教授、宮城県芸術協会参事、仙台日伊協会会長、日本ピアノ教育連盟東北支部名誉支部長、仙台ジュニアオーケストラ副団長。