その28 増田 家次子(「こどものほんのみせ ポラン」店主)

その28 増田 家次子(「こどものほんのみせ ポラン」店主)

その28 増田 家次子(「こどものほんのみせ ポラン」店主)
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は、仙台朝市近くにある「こどものほんのみせポラン」の店主の増田家次子(ますだかじこ)さん。「ポランのかじちゃん」と慕われる増田さんの思い出の地を歩きました。
『季刊まちりょく』vol.28掲載記事(2017年9月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。
写真/佐々⽊隆⼆

仙台東照宮

東照宮の脇には公園があって、夜中にブランコに乗って遊んだりした。デートの場所でもあったそう。
▲東照宮の脇には公園があって、夜中にブランコに乗って遊んだりした。デートの場所でもあったそう。
 雨の予報を吹き飛ばし、蒸し暑くなった7月初旬。緑に映える赤い服とベレー帽で現れた増田さんと仙台東照宮からスタート。すぐ近くに間借りしていたという増田さん。「ここは関兵*1の大きな屋敷があったんだ」「そこの梅田川では泳げたの」「道路が悪くって、北六砂漠って呼ばれてたよ」と思い出が次々に飛び出します。

*1 関兵 昭和期の仙台の実業家・関兵馬が設立した精麦業・関兵商店。
 お気に入りの場所の一つが「小松島の沼」。「やんだくなった時に〈樗牛の松〉*2のところに登って石碑に座って、瞑想していた」と笑う増田さん。近くには仙台鉄道があり、戦後、物資不足のために屋根がなかった列車に乗って、父親の実家があった中新田に行くのが楽しかったそう。

*2 樗牛の松 明治期の文芸評論家・高山樗牛が、旧制二高在学時にその下で瞑想をしたと伝えられる松。「瞑想の松」として親しまれる。

北六番丁~東北大学農学部跡地~東二番丁

 北六番丁と宮町通りの角で、気の合う4人組で待ち合わせをして通学。当時、先輩と出会った時は「気をつけ」をして挨拶をするしきたりがあった。そんな中、挨拶をしても「フン」と一瞥をくれてスタスタ行く「おっかない」先輩が。誰もが恐れたその人は、後に増田さんの子どもの本の「師匠」となる野本和子*3さんだった。

*3 野本和子 1932年~1990年、仙台市生まれ。フリーライブラリアン。児童書専門店「ポラン」を開き、仙台の児童文化活動の発展に尽力。
学校の記念碑などは、卒業生や関係者の声を受けて、敷地内に残すことにしたようだと聞き、喜ぶ増田さん。「O.G.はうるさいんだからね」。
▲学校の記念碑などは、卒業生や関係者の声を受けて、敷地内に残すことにしたようだと聞き、喜ぶ増田さん。「O.G.はうるさいんだからね」。
 東北大学農学部として長年親しまれてきた北六番丁キャンパスは、1950年から1953年まで増田さんが通った宮城県第一女子高等学校があった場所。現在、農学部の青葉山への移転に伴う解体工事のため、中に入ることが許されず、トラックの出入口から中をのぞくだけに。「そこのちょっと小高い石のところ、〈センチが丘〉って言ってたんだ」。門扉を挟んで、友達が映画のワンシーンを演じて、みんなで笑って遊んだ・・・と思い出は尽きません。
BAR煉瓦にて。昭和40年代。カメラが趣味だったお客さんに撮ってもらった1枚。今も変わらないチャーミングな笑顔。マッチの図柄はデザイナー・伊澤清さんによるもの。
▲BAR煉瓦にて。昭和40年代。カメラが趣味だったお客さんに撮ってもらった1枚。今も変わらないチャーミングな笑顔。マッチの図柄はデザイナー・伊澤清さんによるもの。
 市営バスに揺られ、県庁市役所前で下車。卒業後、丸光デパートに勤めた増田さんは、本町のビル地下にあった「BAR煉瓦」にお客として通ううち、お店のママと気心知る仲になり、いつしかお店を手伝うように。当時のビルは変わらずにありましたが、現在は別の飲食店に。店へ続く急な階段を見下ろし、若いころは苦にならなかったよと笑う増田さん。近くの会社勤めの人や、仙台の文化人が集まる店で、様々な方と知り合えたとのこと。「人との出会いはありがたいよね。飲めるのも幸いしたね」とにっこり。
 勤めを辞めた後、当時西公園に開館した仙台市民図書館でガリ版切りのアルバイトを探していると声をかけられ、図書館職員だった野本さんと再会。野本さんは増田さんのことを覚えていなかったそうですが、増田さんは「ああ、彼女かぁ」。仲間におっかない先輩と友達になったよと言ったら驚かれたそう。

勾当台公園

勾当台公園野外音楽堂にて。「野本和子は私の先生。私はいつでも彼女の影だった」。勧められて読んだ『ゲド戦記 影との戦い』。「どうだった?」と聞かれ「おもせがったよ」と答えると、「あっそ、いかった」とだけで、感想など一切聞かれなかったそう。その後も教えられた本を読んだが全部面白くて「さすがだなと思った」。
▲勾当台公園野外音楽堂にて。「野本和子は私の先生。私はいつでも彼女の影だった」。勧められて読んだ『ゲド戦記 影との戦い』。「どうだった?」と聞かれ「おもせがったよ」と答えると、「あっそ、いかった」とだけで、感想など一切聞かれなかったそう。その後も教えられた本を読んだが全部面白くて「さすがだなと思った」。
 野本さんに導かれるようにして、こどものための活動に足を踏み入れていった増田さんは、志を同じくする仲間たちと勾当台公園野外音楽堂や向山にあった宮城県中央児童館で人形劇や紙芝居を上演しました。野本さんは増田さんに「かじ、あんたやらいん」と様々なことを経験させたといいます。「他の人には言わないで、私にだけ言うんだよ」。増田さんを信頼していたからこそなのでしょう。
ポランにて。「ポランが開店する時に、絵本『ピーターのいす』の作者エズラ・ジャック・キーツさんを仙台に招くことができて、みんなで感激したの」。野本さんの遺志を引き継ぎ、たくさんの思い出がつまったポラン。今年は40年の節目。「いい時に消えないとね。私が寂しがっていてはダメ」。
▲ポランにて。「ポランが開店する時に、絵本『ピーターのいす』の作者エズラ・ジャック・キーツさんを仙台に招くことができて、みんなで感激したの」。野本さんの遺志を引き継ぎ、たくさんの思い出がつまったポラン。今年は40年の節目。「いい時に消えないとね。私が寂しがっていてはダメ」。
 1977年、野本さんはこどもの本の専門店「ポラン」を立ち上げ、増田さんは手伝うことに。そんな中、野本さんは病に倒れます。野本さんからSOSが出された時には、もう手遅れでした。「本当にバカヤロウなの」と、増田さんは今も悔しそうに語ります。
 野本さん亡き後、長年仙台のこどもの本の世界を支えてきた増田さん。多くの人が慕うその笑顔に、たっぷりと元気をもらった一日でした。

40年近く続く「みやぎ親子読書をすすめる会」の「見て見てこの本面白いよ」で。お勧め絵本を紹介しあう勉強会で、誰でも参加できる。毎月第2土曜日の午後、エル・パーク仙台の和室にて開催。
▲40年近く続く「みやぎ親子読書をすすめる会」の「見て見てこの本面白いよ」で。お勧め絵本を紹介しあう勉強会で、誰でも参加できる。毎月第2土曜日の午後、エル・パーク仙台の和室にて開催。
こどものほんのみせ ポラン
〒980-0021 仙台市青葉区中央4-4-4
TEL/FAX 022-265-1936
10:00~18:00 日・祝定休
※上記以外にも休みの場合があります。お出かけの際はご確認ください。

(注記)「こどものほんの店 ポラン」の所在地・営業時間等は、2019年5月より下記に変更されています。

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仙台市宮城野区東仙台1-24-37
10:00~17:00 水曜定休
増田 家次子 ますだ かじこ
1935年、仙台市生まれ。宮城県第一女子高等学校卒業。1965年、仙台市民図書館で開催された「宮城子どもの文化史展」の手伝いをきっかけに、「みやぎ人形劇まつり」や「おてんとさんの会」などの取り組みにも参加。1990年「こどものほんのみせ ポラン」のみせあずかりびととなり、その後店主へ。「みやぎ親子読書をすすめる会」の活動や、12年前から始めた保育所での読み聞かせもライフワークの一つ。