まちを語る

その49 佐立 るり子(美術家)

その49 佐立 るり子(美術家)

原町商店街
仙台ゆかりの文化人が、その地にまつわるエピソードを紹介するシリーズ「まちを語る」。今回は美術家の佐立るり子さんと一緒に、アトリエのある原町(はらのまち)周辺を散策。原町の歴史や人の温もりに触れながら、商店街をぐるりと歩きます。
 JR陸前原ノ町駅から10分ほど歩くと、広い駐車場の一角にポツンと佇む小さな倉庫が見えてくる。外壁を彩るカラフルなガーランドには、手描き文字で「こどものびじゅつしつ」。ここが美術家・佐立るり子さんの活動拠点であり、小学生が集う美術クラブ「アトリエサタチ」だ。
 子どもの自主性を大切にするアトリエサタチでは、あらかじめ決められたカリキュラムや課題は設けていない。「子どもたちが自分でやりたいことを決める場所」だと、佐立さんは説明する。絵画や造形などの美術分野に限らず、野菜の栽培や料理、外遊びや学校の宿題、時にはYouTubeチャンネルの開設を目指す作戦会議や地域イベントのお手伝いなど、その日やその人によって活動内容はさまざま。できるだけ子どもたちの希望を形にしようと、佐立さんが臨機応変にサポートしている。「いつ何があるかわからない時代なので、次代を生きていく子どもたちには、自分で考えて行動する力を身につけてほしい。そんな思いから立ち上げたのが、アトリエサタチです」。
佐立さんは農業大学の出身。農業の道から美術家へ転身した理由を訪ねると、「農業自体は人間の行為ですが、そんな中でも、植物や虫が人間の都合ではなく、自然の摂理やそれぞれの生命力のあり方で生きていることには感動を覚えます。それを表現する手段として選んだのが美術でした」と佐立さん。
▲佐立さんは農業大学の出身。農業の道から美術家へ転身した理由を訪ねると、「農業自体は人間の行為ですが、そんな中でも、植物や虫が人間の都合ではなく、自然の摂理やそれぞれの生命力のあり方で生きていることには感動を覚えます。それを表現する手段として選んだのが美術でした」と佐立さん。
 自由で開放的なアトリエサタチでは、近隣に住む人々との交流が日常的だ。特に子どもたちと関わりが深いのは、アトリエの目の前に建つ熊谷ビルの住人たち。毎日のように柴ミックス犬を連れて来てくれるアメリカ人のリズさんは、動物との関わり方や異文化について教えてくれる。子どもたちに木工道具の扱い方を指南してくれる島野さんは、熊谷ビルで楽器を製作している職人だ。「島野さんのところに行ってみましょうか」と、佐立さんに案内されて熊谷ビルへ。突然の訪問にもかかわらず、島野さんは快く自らの工房へ招き入れてくれた。
子どもたちの木工の師匠として、厚い信頼を寄せられている島野裕次さん。本業は楽器の製作・修理で、オリジナルのギターや自動演奏楽器なども手がけている。
▲子どもたちの木工の師匠として、厚い信頼を寄せられている島野裕次さん。本業は楽器の製作・修理で、オリジナルのギターや自動演奏楽器なども手がけている。
 島野さんをはじめ、多くのクリエイターが活動拠点にしている熊谷ビル。かつては佐立さん自身も熊谷ビルの住人で、アトリエサタチもその一室から始まった。現在の倉庫へ移転したのは、2021年3月。熊谷ビルと倉庫は同じ大家さんで、とても理解のある方だと佐立さんは話す。「歴史ある原町の土地柄なのか、この周辺に住む人たちは若い人や子どもに寛容です。大家さんや島野さんのように、惜しげもなく力を貸してくださる方が熊谷ビルには大勢いますし、こうした環境が広範囲にわたっているのが『原町商店街』。さまざまな能力を持った方々が集まっている商店街なので、私も子どもたちもよくお世話になっています」。
平安・奈良時代からの歴史が残る原町商店街。東北地方を南北に走る幹線道路「東山道」の通過地区で、物流の拠点でもあった。近くには梅田川が流れる。
▲平安・奈良時代からの歴史が残る原町商店街。東北地方を南北に走る幹線道路「東山道」の通過地区で、物流の拠点でもあった。近くには梅田川が流れる。
 原町本通りを中心とする原町商店街は、江戸時代に宿場町として栄えた地域。仙台城下へ年貢米を運ぶ通り道でもあったことから、かつての原町本通りには米屋(または米店)が17軒も建ち並んでいたという。そのうちの一軒が、1836年の創業から今も続く「鳥山米穀店」。アトリエサタチの子どもたちもここへ見学に訪れ、昔の精米機や秤(はかり)などを見せてもらったことがある。この撮影日にも佐立さんは、「ちょっとお邪魔してみます」と、ふらりと店舗の中へ。「この辺はお米屋さんが多かったんですよね」と尋ねると、鳥山米穀店の6代目店主・鳥山文蔵さんが原町や米街道の歴史について詳しく教えてくれた。現在の仙台管区気象台のあたりに伊達藩の米蔵があったこと、そこまで米を運ぶ牛や馬が原町本通りを歩いていたこと…。また、かつての原町商店街には食品工場が多く、味噌・醤油の工場や造り酒屋、森永製菓のキャラメル工場なども存在していたそうだ。
原町本通りに面した鳥山米穀店は、伊達藩の時代から200年近く続いている老舗。木造切妻造の建物は、国の登録有形文化財にも指定されている。
▲原町本通りに面した鳥山米穀店は、伊達藩の時代から200年近く続いている老舗。木造切妻造の建物は、国の登録有形文化財にも指定されている。
 鳥山米穀店を後にした佐立さんは、「本当にありがたいですよね」としみじみ。「子どもたちと一緒に立ち寄らせていただいただけで、こんなに深いお話が聞けるんです。個人宅だとなかなかお邪魔できませんが、商店なら入りやすいですしね。このように原町商店街の方々は、いろんなことを教えてくれます」。
 鳥山米穀店から西へ少し歩くと、「原町カッコウ公園」に到着。入り口にはカッコウをモチーフにした時計塔があり、毎日8時・12時・17時にカッコウの鳴き声が響きわたる。「このカッコウ時計がきっかけで、仙台市の市鳥がカッコウになったそうです」と佐立さん。もともとは仙台駅前に観光歓迎塔として建てられたカッコウ時計だが、ペデストリアンデッキの建設に伴って1977年に撤去。のちに原町商工会が譲り受け、1998年にこの公園へ設置されたという。
カッコウ公園は、原町商店街のイベントや準備などでも利用。現在、商店街では七夕飾りの竹の再利用を検討中で、アイデアの試作や実験などもこの広場で行われている。
▲カッコウ公園は、原町商店街のイベントや準備などでも利用。現在、商店街では七夕飾りの竹の再利用を検討中で、アイデアの試作や実験などもこの広場で行われている。
 カッコウ時計は今や原町商店街のシンボルとなり、まちの人々によって大切に管理されている。時計の調整を行っているのは、カッコウ公園に隣接する「時計・メガネ・補聴器の橋本」。店長の橋本志のぶさんに話を伺うと、「うちの父が時計の管理をしているんですが、時刻を合わせてもずれちゃうんですよね」と明るく笑う。
 志のぶさんは原町商店街の広報委員会のメンバーでもあり、佐立さんは2022年から同委員会に参加。若手メンバー中心の広報委員会が生き生きと成り立っているのは、昔から商店街を支えてきた先輩方が大らかに見守ってくれるおかげだという。広報委員会が企画・運営する七夕まつりやハロウィンイベントでは、アトリエサタチの子どもたちも「スタッフ」として参加。その働きぶりを見ていた志のぶさんは、佐立さんと子どもたちを「原町商店街の救世主」とたたえる。「これまで子どもたちは『参加する側』だと思っていたので、大人と一緒に『手伝う側』になってもらうという佐立さんの考えに衝撃を受けました。七夕まつりの時には、飾りの後片付けも最後まで手伝ってくれたんです。子どもたちが自ら進んで『手伝いますよ』と言ってくれるのが頼もしくて、私たち大人も子どもたちに支えられているんだなと感じました」。
「時計・メガネ・補聴器の橋本」の志のぶさんは、一人一人合う眼鏡を探す達人。佐立さんもここで購入したことがあり、志のぶさんに選んでもらった眼鏡がお気に入りだ。
▲「時計・メガネ・補聴器の橋本」の志のぶさんは、一人一人合う眼鏡を探す達人。佐立さんもここで購入したことがあり、志のぶさんに選んでもらった眼鏡がお気に入りだ。
 次に向かったのは、創業90年ほどの「永島まんじゅう店」。佐立さんがアトリエの子どもたちと原町本通りを訪れる時は、ここの大判焼きや揚げまんじゅうを「買い食い」するのが恒例の楽しみだ。店主の永島さんから「子どもたちと作るなら、おまんじゅうがいいよ」と教えてもらい、アトリエサタチでも生地から手作りしたことがある。また佐立さんは我が子が1歳のとき、お祝いごとに使う「一升餅」を永島まんじゅう店で購入。「なんでもインターネットで買える時代ですが、地元でつきたてのお餅をオーダーできるのは幸せなこと。これも商店街の近くに住む醍醐味です」と、佐立さんは語る。
昔ながらの味わいを守る「永島まんじゅう店」。店主の永島さんは幼い頃から原町で育ったとあって、地元のことはなんでも知っている。佐立さんは、よもぎが生えている場所を教えてもらったことも。
▲昔ながらの味わいを守る「永島まんじゅう店」。店主の永島さんは幼い頃から原町で育ったとあって、地元のことはなんでも知っている。佐立さんは、よもぎが生えている場所を教えてもらったことも。
 原町商店街からアトリエへ戻る道すがら、「この商店街には、懐の深い方が多いんです」と改めて思い返す佐立さん。「子どもたちにとっても、懐の深い人に出会うことが、人を信頼することにつながるんじゃないかなと。人を信頼すると、いろんなことを学ばせてもらえます」。アトリエサタチの活動において、人のつながりから生まれる学びや感動はたくさん。佐立さんはそれをイラストや漫画に起こし、SNSなどでも発信している。「子どもたちとの活動もアートなんじゃないかと思い、日々起こる事柄を記録しています。そもそも美術とは『見方を変えるもの』。大人にとっては当たり前のことでも、子どもの視点から見ると多くの発見があります。その一つ一つを丁寧に、形に残していきたいです」。

掲載:2024年3月25日

取材:2024年1月

取材・原稿/野原 巳香 写真/寺尾 佳修

佐立 るり子 さたち・るりこ
宮城県石巻市出身。宮城県農業短期大学畜産科を卒業後、美術家としての活動をスタート。平面作品を中心に制作を重ね、個展やグループ展での発表も行う。2015年から小学生を対象にした造形の場「アトリエサタチ」を主宰し、原町をフィールドに子どもたちの創造力や自主性を育んでいる。日々の活動を記録した「アトリエまんが」をウェブサイトで公開中。