インタビュー

マンガ家ふたり、まち“で”語る

マンガ家・スズキスズヒロ
マンガ家・佐藤 啓

仙台でサラリーマンを続けながらもマンガ家として活躍するスズキスズヒロさんと、マンガ家になるための環境を求めて上京し活躍する佐藤啓さん。同じ年に仙台で生まれた2人は、今、それぞれの居場所で無二の作品を生み出している。
共通の友人を介してお互いを知り、「ずっと意識していた」と語る2人は、実はこの日が初対面。2人には、どんな共通点や違いがあるのだろう。また、仙台でどのような経験をし、マンガ家になることを決めたのだろう。それぞれにマンガ人生に深くかかわった地を尋ねると、スズキさんは「愛宕大橋」と「喜久屋書店」、佐藤さんは「フォーラム仙台」と「仙台市体育館(現・カメイアリーナ仙台)」が挙がった。各所をめぐりながら、おふたりのマンガ家の原体験を聞いてみた。

お互いのこと

ではまず、スズキさんの思い出の地である愛宕大橋に行きながらお話を聞かせてください。
先ほどは「はじめまして」と挨拶していましたが、おふたりには共通のご友人がいるそうですね。

スズキさん:
はい。僕と小・中学が一緒で。

佐藤さん:
僕とは高校の同級生です。

スズキさん:
佐藤さんとは今回初めてお会いしましたが、彼から話を聞いていたので、初めましてという感じはしませんね。

佐藤さん:
僕も同じです。ずっとスズヒロさんの活躍を聞いていましたから。

お互いのことや、お互いの作品について、どういう印象がありますか。

佐藤さん:
高校時代、僕のまわりにマンガを描いている人がいなかったので、友人からスズヒロさんの話を聞いたとき、「本当に描いている人がいるんだ!」と思いました。僕にとっては、スズヒロさんは初めて知った実体のあるマンガ家(笑)。

スズキさん:
佐藤さんが新人賞(※1)を獲ったときも、連載を持ったときも、友人から話を聞いていたんです。僕はウェブの媒体に作品を載せて世に出してはいたけど、職業マンガ家として佐藤さんはすごく先を行っているように見えていましたね。それは今も同じで、刺激を受ける存在です。

※1 デビュー作『エスケープ』が2015年第36回MANGA OPEN奨励賞を受賞。

佐藤さん:
スズヒロさんは、僕の中では「おしゃれマンガ家」というイメージ。こだわりが強い感じがしますし、オンリーワンだと思う。

スズキさん:
僕はなんというか、世の中の主流から少し外れているという自覚がありますが、佐藤さんはメインカルチャーをしっかり捉えていて、自分のものにしている。僕にはできないことをやっているなぁと常に感じていますね。

愛宕大橋は、実は佐藤さんにとってもなじみのある場所。「上京する直前まで、この近くのシェアハウスに住んでいたんです。まちなかへ出るときはよくここを通っていました」。
太白区で生まれ育ったスズキさんにとって、愛宕大橋は「自然に囲まれた地元と、まちの中心部をつなぐトンネル」のような場所だったという。小さい頃、五橋に向かうと見える萩の月の美人画が大好きだった。「絵の作者がマンガ家の林静一先生だと知ったのはずっと後のことです。学生時代、林先生が活躍した『月刊漫画ガロ』に興味を持つようになるのですが、小さい頃から無意識に惹かれていたんでしょうね」。

ノスタルジックなタッチで心の機微を表現するスズヒロさんと、シリアスなストーリーでアンダーグラウンドな世界を描く佐藤さん。それぞれの作風や世界観は異なりますが、おふたりだけが感じる共通点はありますか。

スズキさん:
…女の子を描くのが苦手ですよね(笑)?

佐藤さん:
あ、はい(笑)!

スズキさん:
編集部からヒロイン的なキャラクターとして女の子の登場を求められたりして、多少苦手でも、その要求に合わせなければいけない場合もあると思うんですけど、佐藤さんはそうしてない。だってほら、これまでの単行本の表紙には「裸の男」しか描かれていません(笑)。でもそれは、女の子を前に出さなくても出版社を納得させているということだし、それだけ、自分の軸がはっきりしているんだろうなと思う。僕も、自分の作品らしさを大切にしたいと思っているので、そういう意味では同じ感覚があるのかなと。

佐藤さん:
たしかにその通りかも。売れるためにはスズヒロさんが言ったようにやらなければいけないことはあるけど、僕は、やりたくないことはやらない。でも、スズヒロさんは女性が主人公の話も多いから、苦手ではないと思っていたけどな。

スズキさん:
そこは頑張っています(笑)。いま連載中の『娘飼わんより犬の子飼え』は女の子が主人公だけど、中身は完全に“僕”。女の子が身に着けている赤いボーダーの洋服と緑の帽子は、以前「まちりょく」のインタビューで僕が着ていたものと同じですしね。女の子がメインでも、このキャラクターの場合は“自分”だと思っているから描けるし、回数を重ねるごとに苦手を克服してきたというのもあるかも。

「COMIC Medu」(ジーオーティー発行)で連載中の『海の向こうからきた男』。写真は単行本1巻の表紙。
「コミックビーム」(KADOKAWA発行)2025年2月号から始まったスズキさんの新連載『娘飼わんより犬の子飼え』。連載スタートでは表紙を飾る。

マンガ家への入り口

次は、スズキさんがよく通っていたという「喜久屋書店」に向かいましょうか。
以前のスズキさんのインタビューでは、小学3年生のときに訪れた「石ノ森萬画館」がマンガ家を目指すきっかけになったと話されていましたね。

スズキさん:
はい。それが原点です。目指すというか、マンガを描き始めた小学3年生から僕はすでに自分をマンガ家だと思い込んでいました。マンガを描いてさえいればその人はもうマンガ家っていう感じで、その気持ちは今も変わっていない気がします。高校時代は喜久屋書店にしょっちゅう通って、トキワ荘ゆかりの作家をはじめ、さまざまな作品と出会い、影響を受けました。

佐藤さん:
僕は、喜久屋書店にはマンガ好きの友だちに付いて来ていた感じです。高校生くらいかな。その頃は好きな作家も特にいなかったし、なんとなく、友だちに勧められたものを読んでいた感じでしたね。

「仙台駅前EBeanS(イービーンズ)」のマンガ専門店「喜久屋書店仙台店」。
スズキさんは、ここに高校時代に通い詰めていた。新刊とレジェンドコーナーのチェックは、今も変わらないルーティーン。
スズキさんの短編集『空飛ぶくじら』が新人賞(※2)を受賞したときも記念のコーナーで盛り上げてくれた。(写真提供:喜久屋書店仙台店)

※2 2019年に発売した『空飛ぶくじら』(イースト・プレス)が第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞
佐藤さんが連載している『海の向こうからきた男』の単行本が発売されたときの特設コーナー。佐藤さんもこっそり見に訪れたそう。「うれしかったですし、凝った装飾に愛を感じました」。(写真提供:喜久屋書店仙台店)

次は、佐藤さんがよく通っていたという「フォーラム仙台」ですね。
映画が好きとのことですが、映画に関する仕事を志したこともあったのでしょうか。マンガ家を目指した経緯をお聞きしたいです。

佐藤さん:
マンガ家になろうと思ったのは高校生です。好きなことを仕事にしたいと思っていて、進路を考えるタイミングでマンガ家になろうと決意しました。それまではマンガより映画の方が好きで、マンガを描き始めたのは“マンガ家を志してから”。映画の道に進む選択肢もありましたし、今も映画の世界への憧れがありますが、映画は1人では撮れないし完成させるまでのハードルが高いけど、マンガは紙とペンさえあれば自分だけで完結できて表現も自由。自分が好きなことを自分の手で表現できることに魅力を感じています。マンガ家の道を選んで良かったと思う。

佐藤さんが通っていた高校は仙台市内でトップクラスの進学校ですよね。進学せずマンガ家を目指すと話したとき、まわりの反応はどうでしたか。

佐藤さん:
驚く人はいても、反対する人はいませんでしたね。「いいじゃん」とか「頑張ってやってみたらいいよ」という感じです。僕が通っていた高校は、制服がなく私服登校で、校則も厳しくなかったし、わりと自由な校風でした。なにより、自分の夢が明確で、それに向かって頑張る生徒が多かったんです。“自分のやりたいことをやるのが当たり前”な雰囲気があったから、そこに触発されてマンガ家の目標ができたんだと思います。僕は、この頃に自分の性質みたいなものが先に見えて、その後にマンガを描くという将来像が付いてきた感じです。

佐藤さんの思い出の地である「フォーラム仙台」。単館系やアート系の作品を多く扱う映画館。
高校在学中から卒業後上京するまで、ここで映画の世界に浸っていた佐藤さん。「 “こんな映画もあるんだ!”と刺激になる作品も多く、ここで表現の幅広さを学びました」
2人が共通して影響を受けていた映画が北野武監督の『キッズ・リターン』。佐藤さんは、デビュー作の主要人物に同映画の主人公2人の役名を付け、スズヒロさんはタイトル名から着想を得て短編作品を描いた。

次は、佐藤さんのもうひとつの思い出の地である仙台市体育館(現・カメイアリーナ仙台)に向かいましょう。ここにはどのような思い出があるのですか?

佐藤さん:
高校を卒業してから、ここでプールの監視員のアルバイトをしながら、賞を獲るために作品を描いていました。
僕の場合は、「マンガ家になるには東京に出るしかない」と思っていたんです。マンガの賞を獲って上京して、アシスタントを経てデビューするのがマンガ家になる道だろうって。
上京して、出版社の方と話をしたり、アシスタントをやりながらマンガの描き方を学んだりしたのですが、僕にはそのステップが大事だったと感じています。あのまま仙台にいたら、熱量が続いていなかったかもしれない。

スズキさんは、仙台で仕事をしながらマンガを描き続けていますね。そういうスタイルを選んだ理由は?

スズキさん:
「仕事に就いたらマンガが描けない」という考えは、僕にはありませんでした。自分にとってマンガを描くことは食事や睡眠と同じような位置付けにあって、生活のための職業選択とはパラレルなものと捉えていました。小学生の時から自分をマンガ家だと思い込んでいるくらいなので、上京する必要もなく、活動する場所にこだわりはありませんでした。今は自分の中にマンガ家とサラリーマンという2人の人間がいる感覚です。

佐藤さんは上京以来、久しぶりに訪れたという「カメイアリーナ仙台」。スズキさんにとっても、この周辺は地元。「もしかしたら、佐藤さんとどこかですれ違ったりしていたかも」。スズキさんは子どもの頃に体育館隣の公園でよく遊んでいたそう。
アルバイトしていた温水プールを訪ねると、現在もここで働くスタッフが熱烈に迎えてくれた。「啓くんは、すごく優しくて真面目で、頼りになるいい子だったんです」と話すスタッフの言葉に、ちょっと恥ずかしそうな佐藤さん。
「ずっと取っておいたんだよ」と話すスタッフの手には、佐藤さん手描きの感染症予防を呼びかけるポスターが。イラストを交えたこのポスターは、子どもたちに人気だった。

仙台・宮城を描くということ

スズキさんの作品には、広瀬川や仙台の街並みが登場します。佐藤さんが連載中の『海の向こうからきた男』は、タコ漁が盛んな南三陸町が舞台ですよね。お二人とも、どこかで地元を意識している部分があるのでしょうか。

スズキさん:
僕は仙台にいるから、どこかの街並みを描こうとすると仙台に似てしまうだけで、明確に仙台が舞台というつもりはないんです。自分の描きたいことを表現するとき、その材料として近くにある風景を描いているというか。ただ、例えば住宅を描くにしても、そこに住んでいる人が見える絵にしたい。それが読者に伝わるかは別として、リアリティは大切にしたいので、そこにどんな人が住んでいるかを知っている街並みを描く方が話に深みが出るんじゃないかと思っています。

佐藤さん:
僕もその感覚に近いですね。南三陸町を選んだのは、祖父が若い頃に漁師をしていたことと、ドッペルゲンガーがテーマの今作とタコの擬態能力がリンクしたからなんです。作品の中で起きる事件は架空なので、現実のまちを描いているわけではありませんが、自分が知っている土地、実在する場所をモデルに描くと、その地域にある歴史も感じられて、リアルな空気感が醸し出される気がします。

マンガを描くときは、ストーリーを先に作るのですか。それとも、絵が先に浮かんで、そこからストーリーを作るのでしょうか?

佐藤さん:
マンガ家によって違うと思いますが、僕は映画で好きなシーンや印象的なシーンを見ると、自分の作品に取り入れてみたいと思うことがあります。絵が先行している部分が多いですね。

スズキさん:
今描いている作品はある程度の長さがあるので、どちらかというと、シナリオ作りが先かもしれません。短編の場合は描きたいシーンが先だったりします。例えば、タクシーの運転手さんの後ろ姿を描きたいと思ったら、そこに至るためにどんな話が必要かを考える感じです。

これからについて

おふたりとも連載が続いていますが、これからについて何か考えていることはありますか。

佐藤さん:
僕は正直、今後のことはあまり考えていないんです。自分が好きなこと、楽しいことをずっとやっていて、描きたいものを描いているだけなので、マンガ家になってからすごく楽しいんです。好きなことを続けるのは難しいし、誰もがそうできるわけではないし、自分が今後もずっと続けられるかはわからないけど、今のところは楽しく続けていけると思っています。

スズキさん:
今の僕は、連載をちゃんと仕上げるのが一番ですね。

佐藤さん:
うわっ、僕もそれを言うべきでした(笑)。今やっていることを頑張りたいです!

スズキさん:
(笑)。一つの作品に取り掛かっていると、先のことを考える余裕がないので、無事に走り終えたときに次が見えてくるかなと。

マンガを描く環境や作風は違っても、同じマンガ家仲間としてリスペクトし合う2人。思い出スポットをめぐる間も、創作の手法やテクニックについて話が尽きなかった。
おふたりにマンガ家になって良かったことを聞くと、スズキさんは「作品が、ちばてつや先生と同じ本に掲載されたこと」、佐藤さんは「やりがいや達成感は格別。替えがきかないし、自分に自信を持ってできる仕事かなと思う」と答えた。

掲載:2025年3月31日

取材:2025年1月

取材・原稿/関東博子 写真/寺尾佳修

スズキスズヒロ
マンガ家。1992年仙台市生まれ。小学3年生のときに訪れた「石ノ森萬画館」をきっかけにマンガを描き始める。高校卒業後、仙台でサラリーマンをしながら制作を続け、2016年に短編作品『TRAINSPOTTING』でデビュー。2019年に発売した『空飛ぶくじら スズキスズヒロ作品集』(イースト・プレス)は、第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞した。2025年2月号から「月刊コミックビーム」(KADOKAWA)で『娘飼わんより犬の子飼え』を連載中。
佐藤 啓 さとう・けい
マンガ家。1992年仙台市生まれ。子どもの頃に魚の図鑑を見て絵を描いていた程度で、マンガの創作を始めたのはマンガ家を志してから。2015年に発表したデビュー作『エスケープ』が2015年第36回MANGA OPEN奨励賞を受賞。『花松と5人の女』(講談社)などの単行本のほか、現在は「ヤングキングBULL」(少年画報社)で『いんびりの村―顔の同じ男たち―』を、「COMIC Medu」(ジーオーティー)で『海の向こうからきた男』を連載中。