インタビュー

生まれ育ったまちを自然体で描く

漫画家・スズキスズヒロ

2021年、第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞した『空飛ぶくじら』。全6作が収録されている短編集で「人と人とが紡ぎ出す忘れられない人生の1ページを描き出している」と評された。この作者で仙台市出身・在住のスズキスズヒロさんは、どのように漫画に出会い、作品を生み出しているのか。これまでのエピソードや、仙台を感じる漫画の舞台についてなどお聞きしてみた。

《きっかけは「石ノ森萬画館」》

スズキさんはプロフィールが非公開なので、ちょっと謎の漫画家的なイメージが。

一応、サラリーマンなもので、私生活とは分離しておきたくて。職場は漫画とは一切関係ないので、世を忍ぶ仮の姿みたいにしておこうかなと。

差し支えない範囲で自己紹介を。

仙台で生まれ育ちました。1992年生まれです。父親は工業系で、特に絵の仕事とかではないです。仙台の工業高校を卒業して、そのまま今の職場に就職しました。結婚して、娘が生まれたばかりです。

漫画との出会いは。

「石ノ森萬画館」です。萬画館が石巻にオープンしたのが2001年、僕は小学校3年生でした。両親に連れられて行ったんですが、それがもう衝撃的で。ひとりの人がこれだけのものを自分の内側から引き出したのか、こんな人がいるのかって、とにかく衝撃を受けた。それまでは漫画って自分にとっては単なる娯楽でしかなかったんですが、漫画家という人がいて、その人の作家性で成り立っている世界なんだってその時に気が付いたんですよね。かっこいいなと思った。漫画家という存在、そして石ノ森章太郎先生に強烈なあこがれを持った瞬間でした。それからは、漫画を読むにしてもそれを“作品”として、どんな漫画家がこれを描いているのかを意識して読むようになりました。

どんな漫画を読むようになったんですか。

石ノ森先生といえば、若き日のレジェンドたちが一緒に暮らしながら切磋琢磨した伝説の「トキワ荘」周辺の仲間がいますよね。手塚治虫先生とか藤子不二雄両先生とか、同年代のちばてつや先生とか。あと、夢中になったのは『釣りキチ三平』の矢口高雄先生ですね。小学校4年生か5年生のころに『釣りキチ三平』だけの雑誌『釣りキチ三平 CLASSIC』シリーズが講談社から隔週で出てたんですよ。昔の『釣りキチ三平』からセレクトされたベスト版のほかに、平成版『釣りキチ三平』の新作も載っていた。それを毎号ぜんぶ、楽しみに買っていました。
 石ノ森先生より下の世代だと大友克洋さんとか高野文子さんとか、1970年代の半ばくらいにデビューした、いわゆるニューウェーブと呼ばれた人たちの作品にものすごくハマりました。作家としての色を前面に押し出した作家性が強い漫画と言えばいいかな。ストーリーだけじゃなく技法的にも新しいものを目指した人たちですね。夢中になりました。

《デビューまで》

自分で漫画を描き始めたのはいつごろからですか。

小学校3年生のとき「石ノ森萬画館」で衝撃を受けて、すぐです。太白区の図書館で石ノ森先生の伝説の名著『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(秋田書店)を借りました。見よう見まねで道具を揃えて原稿用紙に描きはじめたけど、なかなかひとつの作品としてまとめられなくて、途中何度も脱線しました。最終的に、最初に完成したのが『空飛ぶくじら』(イースト・プレス)に収録されている『TRAINSPOTTING(トレインスポッティング)』でした。22歳で描き上げた作品ですから、処女作完成まで14年かかってる(笑)。これをWebメディア「マトグロッソ」(イースト・プレス)に投稿して、漫画家デビューとなったのは2016年です。

『TRAINSPOTTING』はもともと投稿しようと思って描いたんですか。

投稿目的というより、とにかく作品を仕上げるぞって気持ちが強かった。小学校3年生から気持ちはずっと漫画家なんですよ。作品がなかったというだけで。じゃあそれをいつまでにやろうかって考えた。僕は高校を卒業して勤めに出ましたけど、同級生は大学に行ってたりするわけです。「みんなが大学を卒業するまでに作品を描き上げてやるぞ」と決めた。だから、22歳は意識していました。投稿作が載ったのは23歳になってからですが、うれしかったですね。

デビュー作の『TRAINSPOTTING』から『TAXI DRIVER(タクシードライバー)』に『KIDS RETURN(キッズ・リターン)』と映画タイトルのシリーズが続きました。映画はお好きなんですか。

もちろん好きではありますけど、マニアってほどではないです。映画『TRAINSPOTTING』はイギリスを舞台にした不良たちの話なんですけど、言葉の本来の意味は鉄道(トレイン)のスポットにいる人たちなんで、鉄道オタクっていう意味があると知って、もともとの意味をモチーフに活かしたらどうなるんだろうとたまたま思いついたんです。一本目がそれでうまくいった気がしたので、同じように映画タイトルもので続けました。連想ゲームみたいなものです。

音楽はいかがなんですか。

ボブ・ディランが好きです。来日するたびに複数公演を観ています。それでも満足できなくて、海外公演にも行ったことがあります。いわゆるロックと呼ばれる音楽は全般的に好きですが、特にイギリスのロックを多く聴きます。日本のアーティストだと「はっぴいえんど」が好きですね。

スズキさんの漫画には『銃声を削り出す』のようなメカニカルな描写も特徴的ですね。

やっぱり工業高校を出ているので、馴染みがあるというか、多少知っているので。機械をいじったりモノを作ったりするのは基本的に好きですから、どうしても描きたくなる。描いていても楽しいんです。

勤めを続けながら漫画を描くのは大変なのでは。

描くのは夜です。仕事から帰って、娘が寝たあとに。眠かったりもしますけれど、描かないとストレスなんです。精神的な欲求が満たされているのかな。だから、逆に忙しくても描いている方がストレスにならないです。

《仙台の漫画家として》

『空飛ぶくじら』で第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞されましたが、生活になにか変化はありましたか。

特に漫画の仕事が増えたとかはいまのところなくて、これまでの繋がりのなかでちょっとずつ描いています。ただ、ようやく自分の勝手な妄想に追いつけたかな、と。自分は漫画家なんだっていう妄想ですね。客観的に見るとそれまでは漫画家ではなかったわけで、そこがある程度は実現できたというか、取り返せたというか。妄想では終わらせなかったぞと、そんな気持ちはありますよね。

これからも仙台を舞台として描き続けますか。

実は、特に意識して仙台を描いているわけではないんです。僕は仙台で生まれ育って他のところで暮らしたことがない。だから、どうしても舞台の背景は馴染みのある仙台の風景になってしまう。もちろん仙台は好きですけれど、“舞台が仙台”と作中で明言はしていない。どこかの町の物語です。ただ、見る人が見たら「ここ、仙台だよね」ってなってしまうのも、それでいいんじゃないかなと思います。
 仙台、というか、宮城県で生まれ育って、自分でも意識しない影響を大きく受けている気がします。石ノ森先生や大友さん、いがらしみきおさんとか、偉大な漫画家がたくさんいる。「石ノ森萬画館」だって、石ノ森先生の故郷だから建てられたわけで、そこを仙台の小学生の僕がたずねて、こうなった。この仙台の、宮城県の土地柄とか空気感とか、僕にはそれが大きかったのかもしれません。意識するしないは別にして。これからもその影響は切り離せないと思います。

掲載:2022年7月20日

取材:2022年5月

取材・原稿 土方正志(荒蝦夷)/写真 齋藤太一

漫画家/スズキスズヒロ
1992年生まれ、仙台市出身。小学3年生の時、「石ノ森章太郎のマンガ家入門」を読んでマンガを描き始める。2016年、短編「TRAINSPOTTING」でデビュー。2019年、初の作品集「空飛ぶくじら」(イースト・プレス)が発売され、同作で第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞。マンガ執筆のほか、仙台文学館の企画展「作家・編集者 佐左木俊郎 農村と都市 昭和モダンの中で」でポスター・展示用イラストを手掛けるなど、活動の場を広げている。
第2種電気工事士、危険物取扱者などの資格を保有している。