インタビュー

自分の好奇心が向く方へ

後編|映像作家・小森はるかインタビュー

映像作家・小森はるかさん

東日本大震災から10年が経ち、未だにコロナ禍が続く未曾有の2021年。映像作家の小森はるかさんは、震災のボランティアを機に岩手県と宮城県に拠点を置き、映像やインタレーション作品を通して人々の様々な面を記録されてきました。後編は、小森さんが映像作家になるまでについて伺いました。

小森さんは静岡県のご出身で、大学進学で上京されました。映像の道へ進もうと思ったのはいつですか。

高校生くらいからでしょうか。絵を描いたりものを作ったりするのが好きだったんです。好きだけど、当時はそれで何かをしたいというところまではありませんでしたが、漠然とクリエイティブな仕事ができたら良いなとは思っていました。その点で、映像の仕事だったらチームで製作するし、何かしら作るっていうことに関われるのかなと思ったんですね。

映像制作のできる学科を探して、東京藝術大学の先端芸術表現科へ進みました。この学科は、映像専門ではなく、自分が伝えたいことや表現したいことのコンセプトを立て、どういうメディアを使ってリサーチ、アウトプットするのかを考えていく学科で、どんなメディアを選択しても良かったんです。パフォーマンスする人がいたり、写真を撮ったり絵を描いたりする人もいました。

どんな授業があったのでしょうか。

コンセプトの立て方、言語化など、考え方を鍛えていくものから、実技の授業までありました。実技は、ドローイングや金属溶接など様々で、写真はフィルムで教わりましたし、幅広く「もの」としてのメディアに触れる体験をしたと思います。1〜2年生で一通りの表現手法に触れ、3年生からは各々の制作や表現を探っていきました。

私の場合、先端芸術表現科では、映像の技術面の勉強ができていないという葛藤があったんですね。そこで、2年生からは映画美学校という専門学校にも通いはじめました。脚本を書いて、演出して撮影して、編集して……その工程を一人ではなくチームで作っていく経験は面白かったです。映画美学校と先端芸術表現科の両方で学べたのは、自分にとっては良いバランスだったと思います。

チームで作ることの方が向いていると思われたのでしょうか。

そうなんだと思います。一人でやっているのも好きなのですが、自分の技術に自信がないんですよね。チームでは、他者の考え方や発想、センスに頼っていいし、私は得意な部分だけでも関わりしろがある。むしろ、自分の持っていないものを持ち込んでくれる人と一緒に作ると、自分の思わぬ方向に進んでいくのが面白いというか。

いわゆる集団でいるのが好きというより、違う感覚の人とものを作る面白さが好きですね。集団制作を経験してから、高校生の時に絵を描きながら感じていた、表現することへのコンプレックスが払拭されたような気がします。全部できなくていい。一緒に作る人たち、それぞれが伝えたいと思っていることが混ざり合っている方が良いと思うし、そういう点で、自分にはチームでの制作が合っていますね。

ボランティアを通して見たもの

瀬尾さんとの出会いについても伺います。

瀬尾は大学の同級生で、同じく先端芸術表現科でした。その頃は一緒に作品を作っていたわけではありません。大学院から瀬尾は油画専攻に進み、このタイミングで東日本大震災があり、二人で東北にボランティアに行ったのが活動のきっかけですね。

震災直後は必死だったんです。最初に瀬尾と二人で被災地に行って「見てしまった」という経験が大きくて。二人で出会った人が多かったし、二人で訪れた地域が多く、それを何とかして伝えようと思った時に、伝わらなさの葛藤も含め共有できるのは瀬尾しかいなくて。ユニットを結成して活動しよう、というよりも、二人でやる以外なかったという感じです。
私自身は、最初は作品にしようと思ってやってきたわけではなくて、誰かに伝えなくちゃと思った時に、記録から表現にしていくうえで、作品を作ることに定着していったという感じです。

陸前高田のドキュメンタリー映画『空に聞く』では、感じることがたくさんありました。取材は、実際にその地に赴いて直接声を聞くのと、電話をつないで話すのとでは温度感がまったく違う。その点で、本当に近い距離でその時を見ていたことが映像を通して伝わってきます。根気がないとできない作品だなと。

時間をかけられるのは贅沢なんだなって今になって改めて実感しますね。一番そばにいる方たちと一緒に陸前高田で生活をして、話を聞いて、作品を作れたのは本当に良い時間でした。

「はいカット!ではまた一週間後に来ます」そんな風に撮られた記録物やメディアも多々あるなかで、嘘がないなと感じました。同じ時間を共有するなかで記録をしていったんだなと。

それをしたかったんです。震災が起きてからの一年は、​​東京から通っているという罪悪感がすごくありました。人にカメラを向けること自体が暴力的じゃないですか。記録が目的だということで撮影を受け入れてもらってはいたけれど、「これって本当に記録なんだろうか、自分は何しに来ているのかな」と思うこともありました。中途半端な関わり方がしんどかったので、「また明日」って言える近い距離で撮影を続けることが、本当にしたかったことなんだと思います。また、そういう場所で自分に何ができるかを試しているところもありました。

映画『空に聞く』予告動画

関係を築いてからでないと失礼ですよね。

そうありたいなって思いますね。

垣根を超えた人との出会い

一般社団法人NOOK(のおく)について教えてください。

2014年にせんだいメディアテークで『記録と想起―イメージの家を歩く』という展覧会があり、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」に参加している人たちの記録がインスタレーションとして展示されていました。

この頃は、展示に参加している人それぞれが被災地に関わる活動のあり方を考えていた時期でもありました。活動を続けるのか続けないのか、思いや迷いがある人がたくさんいて、相談し合う中で、仙台に拠点を置いて活動を継続していきたいという5名で基盤になるような法人を作ろうということで、2015年にNOOKを設立しました。私はそのタイミングで岩手から仙台に移住しました。

現在NOOKは、新しいメンバーも迎え、仙台を拠点にしていた作家、研究者などの7名で、記録と表現に関わる仕事を続けています。

宮城で映像作家として仕事をする良い点・苦労する点はありますか?

東京にいたら、映像の仕事をしている人が身近に多くいて、自分はそのコミュニティしかなかったんじゃないかなと思うんですよね。でも、宮城にいたことで異なる専門領域、例えば、郷土史、民話、福祉などで活躍されている人たちと仕事ができたり、日常的に出会って問題意識を共有できたりすることは、作品を作るうえでも生活するうえでも良かったですね。

小森さんは比較対象がいない活動をされているので、良い意味で比べられないかもしれませんね。

確かにそうですね。震災で異なる分野の方々との垣根が崩れたところからいろいろな方に出会えている気がします。

これからもいろんな方の話を聞きたいなと思います。話を聞くだけではなく、「近くで見ていたい」「撮りたい」って思う人に出会う度、自分の好奇心が刺激されて、ここまで続けられているのだと思います。

この10年間でいろいろな地域にご縁ができていて、日本各地に同じ方向を向いて活動している人がいるのを知って、遠くてもつながりを感じられています。

別々の場所に住んでいても一緒にやれることがある方の顔が浮かんでいるので、それを大事にしたい。広域の方たちとも取り組める記録や伝える活動を少しずつ考えていきたいなって思います。

最後に、仙台の文化芸術活動に対して思うことを教えてください。特に、映像作品を撮られている小森さんにとって、ミニシアター(アートハウス)との関わりはいかがでしょうか。

フォーラム仙台さん、チネ・ラヴィータさんが近くにあって良かったなと思いました。私は映像を作っていますが、映画をたくさん観るほうではなく、足繁く映画館に通っているわけではないのですが、歩いて行ける距離に映画館があるって良いなって思うんですよね。街の映画館が担っている役割は大きいなと感じます。

しかし、あることが当たり前だと思ってはいけないと、コロナ禍で痛感しました。公的な支援を受けていない民間の文化活動や施設は、わずかな期間の収入がなくなったら簡単になくなってしまうんだと気付かされました。
ミニシアターでは、年々制作される映画の本数が増えているなか、上映本数もプログラムを練って増やしてくれていて、その地域ならではの工夫や企画をして、足を運ぶお客さんが定着している。だからこそ自分の作品も観てもらえているんだなと、どの劇場に伺っても思います。フォーラム仙台さんは、作品を上映してもらうことでもお世話になりましたが、声をかけてもらって交流の機会をいただいたり、映画を観に行ったら誰かと偶然会っておしゃべりする公共の場のような役割も担ってくれていたり、日常的に仙台での制作を支えてくれました。

大手シネコンでは上映しないドキュメンタリー作品などを観ることができる地方のミニシアターは、貴重な場所ですよね。

本当にそうですね。映像作品を作っている身としては、作って終わりではなく、単発の上映会を企画する、普段とは違う届け方を考えるなど、作品を観る機会をどう守っていくのか小さなことでも積極的に考えていかなければならないように思います。

掲載:2022年12月22日

取材:2022年2月

企画・取材・構成 奥口文結(FOLK GLOCALWORKS)、濱田直樹(株式会社KUNK)

このインタビューは、コロナ禍での文化芸術活動、新型コロナウイルス感染症の影響、活動者自身のこれまでの活動経緯、仙台での文化芸術などについて、お話を伺いました。

小森 はるか こもり・はるか
映像作家。瀬尾夏美(画家・作家)とのアートユニットやNOOK(のおく)のメンバーとしても活動している。2011年以降、岩手県陸前高田市や東北各地で人々の語りと風景の記録から作品制作を続ける。劇場公開作品に『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019年/瀬尾夏美と共同監督)、『空に聞く』(2018年)、『息の跡』(2016年)がある。