インタビュー

映像作家・小森はるかインタビュー 前編

これからの対話の場をつくる

映像作家・小森はるかさん

東日本大震災から10年が経ち、未だにコロナ禍が続く未曾有の2021年。映像作家の小森はるかさんは、震災のボランティアを機に岩手県と宮城県に拠点を置き、映像やインタレーション作品を通して人々の様々な面を記録されてきました。前編は、コロナ禍で生まれた作品制作と記録方法について伺いました。

65人の〝11歳〟

小森さんは様々な作品を作られていますが、まずは、せんだいメディアテーク開館20周年記念の展覧会『ナラティブの修復』(2021年11月3日〜2022年1月9日)で展示されていた作品『11歳だったわたしは』について教えてください。

画家・作家の瀬尾夏美とのアートユニットの作品で、主に仙台市内に住んでいる方に、11歳だった頃の記憶を聞くインタビューを軸に作った作品です。11歳から92歳まで総勢65人に同じ形式で話を伺い、個別のエピソードをテキスト、インタビュー映像、音声によって空間に構成するインスタレーション作品として展示しました。

スクリーンで投影されていた『11歳だったあなたへの11の質問』という映像は、一問一答のインタビュー形式で撮影していて、「あなたが11歳の時で一番印象に残っていることはなんですか?」や、「大切な人が亡くなる時どのように送りたいと思いますか?」といった角度の異なる11の質問を投げ掛けています。

会場には、65人分のテキストが並べられていました。

はい。最初に、お一人1〜2時間程度、11歳の頃から今に至るお話を聞かせてもらい、瀬尾が書き起こしたテキストを冊子にして展示しました。それぞれの人生史として、65人分を手にとって読んでいただけるようになっていて、92歳の方から11歳まで、だんだんと年代が若くなっていくように並べました。

最年長の92歳から11歳まで、だんだんと若くなっていくように並べたのはなぜですか?

構成を考えたのは瀬尾なのですが、年表のように過去から現在へと近づいていく並べ方にする意図があったからです。

例えば、今92歳の人が11歳の時は戦時中でした。疎開していた人の話や食糧難の話、その後に高度経済成長期があって、阪神・淡路大震災があって、東日本大震災があって、コロナがあって……。また、11歳の頃は学校が世界のすべてだった時期。学級崩壊やいじめの話、思春期に入る前の男女の違い、子どもと大人の境目……。そういう小さな社会の中で生じていた摩擦の共通点も浮かび上がってきました。

それぞれの11歳の視点で見て記憶していたことが、宮城・仙台という東京の人とはまた違う視点で語られていくことで、日本社会の時代変遷が見えるのではという意図が会場構成に結びついています。
展示をご覧になっている方がいろいろな方の声や語りを辿りながら、自分自身の11歳の頃と照らし合わせて観てもらえるような展示になっていたと思います。

映像作家 小森はるかさん

今回のテーマはどのようにして思いついたのでしょうか。

瀬尾と二人で制作するものは瀬尾が発案し、プロジェクトや作品としてどう進めていくかを二人で話し合って作っています。私たちは、震災を経験された方の話を聞いて作品を作ってきた経緯がありますが、東日本大震災から時間が経ってくると、あの時子どもだった人たちの声を耳にするようになってきたんですね。当時中学生だった子が、今では大学生や社会人になっていたりしていて、彼らは大人が見ていたのとは違う形で震災のことを記憶しているんだなって驚いたんです。

そして、被災地の子どもたちだけではなく、離れた地域でテレビを通して震災を見ていた人のなかにも、東日本大震災が大きな出来事だったということを大人になっても考え続けている人が、日本各地にいるんだなというのも分かってきました。
また、戦後や、阪神・淡路大震災の時に子どもだった人に出会う機会も重なるなかで生まれてきたテーマです。

私の中では「子どもだった人」とざっくりしていたのですが、瀬尾が「11歳」という年齢にピントを絞ったんですね。結果的に、まだ子どもでも大人でもない11歳という年齢に絞ったのは、様々な世代の語りを記録をするうえでも意味を持つものだったと思います。

普段、自分が11歳だった時のことを思い出すタイミングはなかなかありませんが、こうしていろいろな方の11歳だった頃に触れつつ自分の過去と照らし合わせてみるのは、体験型で、ただ見るアート作品とは違うと感じました。

小森はるか+瀬尾夏美 《11歳だったわたしは》 2021年
「ナラティブの修復」展示風景 せんだいメディアテーク 2021年
撮影:小岩勉

新しい対話の方法

『11歳だったわたしは』の展示期間中に行われたワークショップは、参加者と対話する内容でした。どんな方が参加されていましたか?

主に、この作品のインタビューに協力してくださった方々が参加してくれました。というのは、「インタビューで同じ質問をされた方同士が出会ったらどうなるんだろう?」と考えたからです。それぞれが展示で他の方の語りをご覧になった反応が面白く、そこから対話がはじまるような気がしていたし、そこにお客さんとして来てくれた方とも交流が生まれたらいいなと瀬尾と話していました。コロナ禍で人数の制限もあったので、まずはインタビューに協力してくれた方々に優先してお声がけしました。

対話は生まれましたか?

ワークショップは瀬尾が構成し、3人1組になって人生史の冊子を朗読したうえで話を聞いていきました。不思議と初対面という感じが全くしなかったですね。みなさんの顔を見て、対話するためのとても安全な場が生まれたなと感じました。

展示には、東日本大震災当時11歳だった二人が登場する『他者の語りを読んで、会話をするー11歳の頃について』という映像がありました。一人は東京出身で、震災当時の体験が大きく今もずっと考え続けていて、もう一人は沿岸地域出身で被災しています。初対面の二人が他者の「11歳」にまつわるテキストを朗読しながら、オンライン上で感じたことを話していくという記録映像です。
これには、自分自身の話をしようと思っていなくても、自分が11歳の時のことを自然と語りはじめることに繋がっていくという、対等で本当に良い対話が記録されています。二人とも、テキストで触れた他者の体験にも目の前のお互いへの配慮もありつつ、正直に自分の思っていることを言葉にしてくれるような二人だったからだと思いますが、こういう形でなら、普段話せないことを語ることができるんだなと思いました。

新しい形ですね。はじめに小森さんと瀬尾さんに質問されて、その同じ質問をされた人同士がまたお互いに話をしていくというステップによって、初対面でも深い会話ができたんですね。

本当にそうですね。瀬尾は、見知らぬ者同士や、異なる当事者性を持つ人たちがどうやって出会えたりするのか、作品のコンセプトとして語りが発生する場を設計することをずっと考えてきていて、近年は、そういう形で作品を作ることが増えてきています。

コロナ禍で変化した視点

コロナ禍で作品を展示する場所にも制限があるなか、瀬尾さんと小森さんは様々な場所で展示をされています。コロナ禍で行われた金沢21世紀美術館での展示『日常のあわい』は、どのように制作されたのでしょうか。

元々は、東京の世田谷文化生活情報センター「生活工房」で、ダンサーの砂連尾理(じゃれおおさむ)さんと小森+瀬尾の協働で発表した『東京スーダラ2019―希望のうたと舞いをつくる』という展覧会から始まっています。約一年間、東京で“震災後”と“オリンピック前”の狭間の現在を見つめ、この先に生き抜いていく術は何かを探ろうとする試みです。

公募で選ばれた東京在住の若者がリサーチャーとして参加し、2020年1月の展覧会では、「家」「友達」「震災」「老い」というテーマで対話を続けて制作した作品を展示しました。
この展示が終わった直後にコロナ禍に突入し、その後リサーチャーたちと会えなくなってしまいました。彼らはコロナ禍で何をしているのか、どういう変化があったのかを聞いてみたくて、オンラインや直接会って話をする機会を作りながら、『みえる世界がちいさくなった』という作品制作がはじまりました。札幌文化芸術交流センター「SCARTS」で展示した後に、さらに展開したものを金沢21世紀美術館で発表しています。

2020年7月頃、協力してくれたリサーチャー3人と会う機会を作ったのですが、コロナ禍での過ごし方が本当にそれぞれで、ずっと夏休みのような解放された感覚だった人もいれば、会社に出勤することへの葛藤を抱えている人もいました。当時はコロナ禍での生活について話しづらい空気感がある中で、捉え方や過ごし方が違っていてもお互いに話ができる場をつくることや、個人がリアルに感じている声を記録できたのは、作品として意味のあることだったと感じています。

小森はるか+瀬尾夏美 《みえる世界がちいさくなった》 2019-2021年
「日常のあわい」展示風景 金沢21世紀美術館 2021年
撮影:来田猛 
画像提供:金沢 21 世紀美術館

『みえる世界がちいさくなった』のタイトルに込めた意味は何でしょう?

タイトルは瀬尾がつけているので、私が重ねて思っていることでもありますが、コロナ禍以前、リサーチャーの一人が「自分の部屋の窓から見えている世界がすべてだったら良いのに」と話していたことがありました。彼女は大学生だったので、コロナ禍になってからは小さな部屋に毎日いて、一歩も外に出ない日もあり、ずっとリモートで授業を受けていたので、つぶやいた言葉が現実になってしまったんですね。『みえる世界がちいさくなった』のタイトルは、この状況そのものを言い得ているなと思います。

また、見える世界が小さくなったことでのしんどさはある一方で、彼女の語りはネガティブな部分だけではありませんでした。視野が行き届いていなかった部分に目が行くようになったり、自分よりも年下の子どもたちが大きくなってからコロナ禍をどう語るのかを考え始めたといった視点の変化があったり、私たちの日常に起きた変化について、善し悪しではなく、見つめるよう問いかけるタイトルだと思います。

展示会場では、コロナ禍の変化についてのアンケートのようなワークシートを置いたところ、ファイル数十冊分の回答が集まりました。ものすごい数のふせんが貼られ、中にはコロナに感染して家族を亡くされた方の書き込みや、結婚できましたみたいな報告があったりして、みんなが思っていたことが手書きの文字で可視化されていました。

観に来た方も、想いを吐き出す先を求めていたのかもしれませんね。

こういう災禍の渦中で、美術館へ来る方が何を求めて足を運んでいるのかということも含めて考えさせられました。金沢は観光地でもあるので、いわゆるアートが好きな方だけではなく、カップルや家族連れなど観光を目的に寄られる方がたくさんいらっしゃったんです。ふらっと訪れた方のなかにも、会場に長く留まってシートまで書き込んでくれる方がいるんだなと、今までにない実感を得られたのもよかったことです。

瀬尾と私がやっていることは、まず人と人が出会うはじまりの場をつくることなんだと思います。それは、語る・聞くという関係性でしか出会えない場です。普段は友達にならない人同士だったり、逆に近すぎて聞けない人同士でも、語る・聞く場がちゃんとあればそこに語りが生まれるのだなと思います。それを私たちはその時々の今として、記録していきたいです。

掲載:2022年12月22日

取材:2022年2月

企画・取材・構成 奥口文結(FOLK GLOCALWORKS)、濱田直樹(株式会社KUNK)

このインタビューは、コロナ禍での文化芸術活動、新型コロナウイルス感染症の影響、活動者自身のこれまでの活動経緯、仙台での文化芸術などについて、お話を伺いました。

小森 はるか こもり・はるか
映像作家。瀬尾夏美(画家・作家)とのアートユニットやNOOK(のおく)のメンバーとしても活動している。2011年以降、岩手県陸前高田市や東北各地で人々の語りと風景の記録から作品制作を続ける。劇場公開作品に『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019年/瀬尾夏美と共同監督)、『空に聞く』(2018年)、『息の跡』(2016年)がある。