まちを語る

その36 松山 冴花(ヴァイオリニスト)

その36 松山 冴花(ヴァイオリニスト)

新寺通・日立システムズホール仙台
 仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は第7回仙台国際音楽コンクールの審査委員として来仙中のヴァイオリニストの松山冴花(まつやまさえか)さんにお話をうかがいました。
『季刊 まちりょく』vol.36掲載記事(2019年9月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

新寺通

 梅雨真っ只中の6月中旬にもかかわらず、取材当日は久しぶりの晴天。その天気にも負けないはつらつとした笑顔で現れたランニングウェア姿の松山冴花さん。というのも、第2回仙台国際音楽コンクール第1位受賞(2004年)をきっかけに何度も仙台を訪れてはいるものの、なかなか仙台の街を散策する時間がないという松山さんが紹介してくださったのが、ランニングコースだったのでした。
ランニング姿はさながらアスリート。上半身が全くブレないフォームは見ていて清々しい。ランニング中は、音楽を聴きながらただひたすら走ることに集中する。
▲ランニング姿はさながらアスリート。上半身が全くブレないフォームは見ていて清々しい。ランニング中は、音楽を聴きながらただひたすら走ることに集中する。
 当時交際中だった現在の夫にランニングに誘われて一緒に走ってみたものの、彼のペースに全くついていけなかったのが悔しくて走り始めたのをきっかけに、以来朝のランニングが日課になったといいます。今では公演で訪れる都市それぞれにお決まりのコースがあるのだそうです。仙台では、仙台駅周辺を起点に、国道45号沿いに小田原、原町、苦竹と東方面に走り、日の出町で南下、野球場や陸上競技場を右手に見ながら新寺通を走ってスタート地点に戻るという全長約11㎞のルート。「方向音痴だから、迷わない道を選んだだけなんですよ」と堂々と宣言した松山さんですが、仙台を知る人が見るとここはまさに「宮城野原」をぐるりと一周するコース。古くは萩の名所として多くの和歌に詠まれた歴史のあるエリアを選ぶとは、アーティストならではの嗅覚が無意識のうちに仙台の“コア”をとらえていたのかもしれません。
ランニング終盤の山場は、貨物線をまたいで架かる薬師堂橋。この登り坂がゴールまであと少しの合図。一気に駆け上がる。
▲ランニング終盤の山場は、貨物線をまたいで架かる薬師堂橋。この登り坂がゴールまであと少しの合図。一気に駆け上がる。
 ランニング歴10年という松山さんに仙台の街並みの印象を聞くと、「仙台駅周辺がずいぶん変わりましたよね」とのこと。それもそのはず、松山さんがランニングを始めた頃といえば、仙台駅東口の再開発が進み、東北楽天ゴールデンイーグルスが宮城球場に本拠地を構え、街の風景が大きく変わりつつあった時期とちょうど重なります。今回の街歩きでも、「このガソリンスタンドは前回来たときはなかった」「あそこのお店がなくなった」と、ともすれば見逃してしまいそうな小さな街の変化を教えてくださいました。仙台の街を定点観測するように仙台を訪れてくれる松山さんならではのコメントです。

日立システムズホール仙台

「日立システムズホール仙台」の前にて。普段はノーメイクでいたって自然体、誰とでも分け隔てなく接する気さくな人柄が魅力的な松山さん。「仙台に来たら必ずすることは?」と聞くと、「ひもを引っぱると温かくなる牛タン弁当を買ってホテルで食べること」とのこと。一人で過ごすのも好きだという意外な一面も。
▲「日立システムズホール仙台」の前にて。普段はノーメイクでいたって自然体、誰とでも分け隔てなく接する気さくな人柄が魅力的な松山さん。「仙台に来たら必ずすることは?」と聞くと、「ひもを引っぱると温かくなる牛タン弁当を買ってホテルで食べること」とのこと。一人で過ごすのも好きだという意外な一面も。
 ひとしきりランニングコースを巡った後は、コンクールの会場であり、その後の来仙でも一番演奏の機会が多いという「日立システムズホール仙台」へ。毎年秋に開催される「仙台クラシックフェスティバル」には過去8回出演。海外でもいろいろな音楽フェスティバルはありますが、3日間でこれだけ大勢のアーティストが集い、また多彩なジャンルの音楽が演奏される企画はなかなか珍しいとのこと。松山さん自身も、いろいろなアーティストと共演ができる「せんくら」への参加は毎回楽しみにしているそうです。
「仙台クラシックフェスティバル2018」日立システムズホール仙台シアターホールにて。第1回仙台国際音楽コンクールピアノ部門第1位 ジュゼッペ・アンダローロ、第86回日本音楽コンクール優勝者で仙台出身の濵地宗との“せんくら限定トリオ”で演奏を披露。(主催者撮影)
▲「仙台クラシックフェスティバル2018」日立システムズホール仙台シアターホールにて。第1回仙台国際音楽コンクールピアノ部門第1位 ジュゼッペ・アンダローロ、第86回日本音楽コンクール優勝者で仙台出身の濵地宗との“せんくら限定トリオ”で演奏を披露。(主催者撮影)
 最後に訪れたのが一番の思い出の場所、コンサートホール。会場に入ると、これまでの元気いっぱいの笑顔から一転、演奏家の表情に。第1位受賞から15年、ヴァイオリニストとしての実績を着実に積み重ね、今年、審査委員としてコンクールに戻ってきました。大規模なコンクールの審査委員を務めるのは今回が初めて。審査そのものは難しく、また苦しい作業ではありますが、さまざまなアプローチの演奏を聴くことができるのは演奏家として刺激になるし、若く才気溢れる音に出会うと素直に嬉しくなる、とても良い経験だったといいます。
第2回仙台国際音楽コンクールで第1位を受賞した時の演奏(2004年)。「あの時は怖いもの知らずでしたね」と松山さん。ジュリアード音楽院に在籍中だった当時は、先生や母親の「眼」から離れて自由に演奏できる、そんな解放感と勢いで演奏に向かった。(主催者撮影)
▲第2回仙台国際音楽コンクールで第1位を受賞した時の演奏(2004年)。「あの時は怖いもの知らずでしたね」と松山さん。ジュリアード音楽院に在籍中だった当時は、先生や母親の「眼」から離れて自由に演奏できる、そんな解放感と勢いで演奏に向かった。(主催者撮影)
 コンテスタントから審査委員へと大きく飛躍したこの15年で、松山さんを取り巻く環境も大きく変わりました。ひとつは、仙台での受賞をきっかけにマネジメントがついたこと。そしてプライベートでは、9歳から長らく活動の拠点としてきたニューヨークを離れて、自然豊かなニューハンプシャーに居を移したこと。現在は夫とまだ幼い娘2人、猫2匹で生活を送っています。多くの演奏家や学生が集うニューヨークとは違って、リサイタルなどの公演以外は一人で音楽に向き合う日々。ヴァイオリニストとして、母として、新しいステージで挑戦を続ける松山さん。今度仙台に来る時はどのような音を聴かせてくれるのか、今から次の来仙が楽しみです。

今回はステージには上がらず審査委員席で若手演奏家を見守る。今回の審査委員の中では最年少。子どもの頃から尊敬していたヴァイオリニストとの審査は緊張した。
▲今回はステージには上がらず審査委員席で若手演奏家を見守る。今回の審査委員の中では最年少。子どもの頃から尊敬していたヴァイオリニストとの審査は緊張した。

掲載:2019年9月20日

写真/佐々⽊隆⼆

松山 冴花 まつやま・さえか
1980年兵庫県西宮市生まれ。2歳でヴァイオリンを始め、9歳でニューヨークへ渡る。プレ・カレッジからジュリアード音楽院で学び、2007年ジュリアード音楽院修士課程修了。仙台国際音楽コンクール第1位及び聴衆賞(2004年)、エリザベート王妃国際音楽コンクール第4位(2005年)など数多くのコンクールで受賞。日本ではこれまでに全国各地の主要なオーケストラと共演するとともに、仙台出身のピアニスト津田裕也とデュオを組み、CDをリリース、意欲的にリサイタル活動を行っている。アメリカ、ドイツ、ベルギーなど海外でのリサイタル、オーケストラとの共演も多数。