「百貨店史」という、日本の近代百貨店の成り立ちや経営戦略、地域社会や文化に与えた影響などを研究する加藤さん。百貨店に興味を持ったのは、東北大学に在学していた学生時代だ。「仙台で生まれ育ち、小さい頃から百貨店にはよく行っていました。生家が柳町にあった祖母を誘って物産展に行き、自分では買えないような少し高いものを買ってもらうことが楽しみでしたね。私はずっと“仙台の百貨店”の規模に満足していましたが、学生時代に東京で訪れた百貨店の大きさに圧倒されたんです。家族で買い物をしたり食事をしたりという、自分にとっての百貨店の原風景とはまた違う、地域ならではの景色があることにおもしろさを感じました」。それをきっかけに、加藤さんは卒業論文のテーマに百貨店史を選び、歴史学、アーカイブズ学の両方を専門にする現在も百貨店の資料整理などに携わっている。
藤崎自体は創業200年以上となりますが、名実ともに仙台初の百貨店としての「藤崎」が誕生したのは1932年。その約半年後には「三越」が仙台に進出した。それから現在まで、90年以上にわたって地域に愛されてきた両者には、「ショッピング以外にもおもしろさがたくさんあります」と加藤さん。今回は、それぞれの特徴や歴史、地域との関係性などの話を交えながら、知っているとより深く楽しめるスポットを紹介してもらった。
藤崎自体は創業200年以上となりますが、名実ともに仙台初の百貨店としての「藤崎」が誕生したのは1932年。その約半年後には「三越」が仙台に進出した。それから現在まで、90年以上にわたって地域に愛されてきた両者には、「ショッピング以外にもおもしろさがたくさんあります」と加藤さん。今回は、それぞれの特徴や歴史、地域との関係性などの話を交えながら、知っているとより深く楽しめるスポットを紹介してもらった。
藤崎には、仙台の歴史を残した場所がある。その1つが、今回特別に見せていただいた古井戸だ。そこは、本館地下1階にある和洋酒売場。床板の一部を開けると、金網越しに井戸が現れる。暗いため中の様子ははっきり見えないが、穴の奥には今でも水が。
「この井戸はおそらく江戸時代からのもの。資料が残っていないので断言できませんが、周辺の町家で共同利用されていたものと考えられます。『井戸には水神様がいるから』と埋めずに残してきたところが、地域を大事にしてきた藤崎らしいですね」。
「この井戸はおそらく江戸時代からのもの。資料が残っていないので断言できませんが、周辺の町家で共同利用されていたものと考えられます。『井戸には水神様がいるから』と埋めずに残してきたところが、地域を大事にしてきた藤崎らしいですね」。
井戸があるのは地下水が豊富だった証。それを裏付けるのが青葉通側の玄関口だ。ここから館内に入ると、1階の売り場につながる16段の階段がある。約3メートルに及ぶ高低差は河岸段丘の名残。河岸段丘とは、川の浸食や大地の隆起などで形成された階段状の地形のことで、ここは広瀬川が削り出した段丘崖になっている。その段差を解消するために、階段と短いエスカレーターを設けた。「アーケードを歩いているとあまり気づきませんが、実は青葉通に向かって下り坂になっているんです。広瀬川の河岸段丘をわかりやすく実感できる場所がデパートの中にあるなんておもしろいですよね」と加藤さん。
藤崎は、1819年に「得可主(壽)屋(えびすや)」の名前で太物商(日常着の織物を扱う商い)を創業した。かつては大町2丁目にあったが、仙台駅の開業によってまちの中心が移ると予想し、現在の位置へ。その後、地下1階、地上3階の百貨店としてオープンした。現在の建物は何度か改装しているが、「実は、百貨店開業時の外壁が一部残っているんですよ」と、加藤さんは本館と大町館をつなぐ4階の連絡通路へ。西側の窓から下を覗くと、まわりの外壁とは明らかに違うレリーフが見え、創業当時の建物やまちの様子を想像させる。初代の外観は総タイル張りのルネサンス様式だった。
もう一つ、歴史的な価値があるものとして紹介してくれたのが、館内の中央で動く「日本初」の四基並列エスカレーターだ。「ここは、1971年に行われたリニューアルの目玉でした。エスカレーター自体は改装前からありましたが、両方向から昇り降りができるダブルエスカレーターは日本初。世界でも2番目とあって、当時とても注目を集めました。今も藤崎の象徴ですね」。赤とゴールドの気品にあふれるエスカレーターは、メンテナンスを繰り返しながら現在も多くの人を乗せている。
太物商から始まり呉服店として商売をしていた藤崎が、なぜ百貨店になったのか。「百貨店の波が東京から全国へ広がるのを感じる中で、その脅威と戦うのではなく、自らが百貨店になろうと考えたのが藤崎なんです」と加藤さんは説明する。「藤崎は、自分たちが儲かればいいという考えではなく、地域と共に発展していきたいというマインドを強く持っていました。その思いがあったから、藤崎が百貨店化した際には、店内に仙台市内の商店もテナントとして迎えいれていました」。藤崎は、宮城発の百貨店であることを誇り、教育機関との連携や美術作品展を積極的に行うなど、オープン当初から地域の文化教育の発信拠点でもあった。
続いて、藤崎から10分ほど定禅寺通方面へ歩いたところにある「仙台三越」へ。
正面玄関で揺れる紺色の大店暖簾(おおだなのれん)は、仙台三越が開店90周年を迎えた2023年に掲げられた。「丸に越のマークが老舗の威厳を感じます。大事なお客様を出迎えるという思いに満ちていますね」。現在の暖簾は、若林区南染師町にある永勘染工場が手掛けたもの。昔ながらの綿を使用し、呉服店をルーツとしていることから、“紺”の色味調整にこだわったそう。地域の魅力を発信するという三越の精神が、地元の職人と作り上げたこの暖簾にも表れている。
正面玄関で揺れる紺色の大店暖簾(おおだなのれん)は、仙台三越が開店90周年を迎えた2023年に掲げられた。「丸に越のマークが老舗の威厳を感じます。大事なお客様を出迎えるという思いに満ちていますね」。現在の暖簾は、若林区南染師町にある永勘染工場が手掛けたもの。昔ながらの綿を使用し、呉服店をルーツとしていることから、“紺”の色味調整にこだわったそう。地域の魅力を発信するという三越の精神が、地元の職人と作り上げたこの暖簾にも表れている。
日本の百貨店史は、1904年に三越が「デパートメントストア宣言」を記載した挨拶状を、全国の顧客や取引先へ発送したところからスタートした。仙台店のオープンは1933年4月。当時は、東京の百貨店が来ることに不安を感じる人も多く、反対運動も起きたという。「それに対して三越は、『私たちは仙台のポテンシャルを上げたいのです』というメッセージを根気強く送り続け、地域の理解を得ていきました」と加藤さん。仙台三越は、東京の流行りを仙台に持ち込む役割を担いつつ、東北の魅力を都会に紹介する機能も持っていた。「日本で初めての物産展が、日本橋三越で開催された『東北名産品陳列会』でした。ただ販売するだけでなく、名産品を都会で展開するにあたっての“品評”も丁寧に行っていたのです。三越はバイヤーでもありプロデューサーだったんですよね」。
加藤さんが仙台三越でまず案内してくれたのは本館1階の「床」。ここにはイタリア産大理石が多く使われ、アンモナイトやべレムナイト、サンゴの化石を見ることができる。店内案内所では、化石マップを配布しており、時折それを手に歩く子ども連れの姿も。「百貨店は目的地に行って帰るだけではもったいない場所です。回遊していろんなフロアを歩くと、思いがけないところに発見があって、それがおもしろいんですよ」。化石探索という普段と違った目線で館内を歩くのも楽しい時間だ。
加藤さんが仙台三越でまず案内してくれたのは本館1階の「床」。ここにはイタリア産大理石が多く使われ、アンモナイトやべレムナイト、サンゴの化石を見ることができる。店内案内所では、化石マップを配布しており、時折それを手に歩く子ども連れの姿も。「百貨店は目的地に行って帰るだけではもったいない場所です。回遊していろんなフロアを歩くと、思いがけないところに発見があって、それがおもしろいんですよ」。化石探索という普段と違った目線で館内を歩くのも楽しい時間だ。
「本館の屋上にも、ぜひ立ち寄ってほしいところがあります」と、続いて訪れたのが三囲(みめぐり)神社だ。「『三越』の名前は、三井家が創業した呉服店、三井越後屋に由来しています。三囲神社は三“井”を囲んでいることから、三井を守る縁起の良い神社として日本橋本店に祀られていて、ここはその分社です」。鳥居の先には2つの祠が鎮座している。赤い殿舎が三囲神社、白い殿舎が商売繁盛の神様である日之本開運活動大黒天だ。「呉服店を創業とする百貨店には大黒様が祀られていることが多いですね。日本橋三越には高村光雲作の『活動大黒天』が納められているんですよ」。
仙台三越では屋上を開放しており、営業時間中なら誰でも自由に参拝できる。
仙台三越では屋上を開放しており、営業時間中なら誰でも自由に参拝できる。
2つの百貨店を巡った今回のまち歩きについて加藤さんはこう語る。「百貨店は単なる商業施設ではありません。まちのポテンシャルを上げ、青葉まつりや七夕まつりで地域活性の中心になるなど、地域文化の担い手としての側面もあります。また、幅広い世代を誘客できることも強みです。若者にとっては、敷居の高いイメージがあるかもしれませんが、ダブルエスカレーターに乗るだけでも、化石探しをするだけでもいいので、ぜひいろんな階をめぐってみてほしい。そこにはまちの歴史が刻まれています。百貨店という空間を日常的に楽しんでもらえたらうれしいですね」。
掲載:2026年7月14日
取材:2026年5月
取材・原稿/関東博子 撮影/寺尾佳修
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- 加藤 諭 かとう・さとし
- 仙台市生まれ。宮城県仙台第一高等学校、東北大学文学部を卒業し、同大学院博士課程修了。東京大学文書館特任助教、東北大学史料館准教授を経て現職。歴史学、アーカイブズ学を専門とし、『戦前期日本における百貨店』(単著、清文堂)、『日本の百貨店史 地方、女子店員、高齢化』(谷内正往共著、日本経済評論社)など、百貨店史研究者としての著書もある。

