その41 千葉 里佳(ダンサー・振付家)

その41 千葉 里佳(ダンサー・振付家)

エル・パーク仙台~元鍛冶丁公園~せんだいメディアテーク
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。身体を使った表現を模索してきた千葉さんの、節目を彩ってきた街なかのステージをご紹介いただきました。
『季刊まちりょく』vol.42掲載記事(2021年3月20日発行)※掲載情報は発行時の情報です。
写真/佐々木隆二

エル・パーク仙台

 高い舞台で華やかに舞うダンサーを、背筋をただして少し緊張しながら鑑賞する――そんな「クラシックバレエ」に対して抱いていたイメージを、軽やかに塗り替えてゆく千葉里佳さん。今回想い出の場所として挙げてくださったのは、節目となるステージを飾ってきた街なかにたたずむ3か所だ。
 一番町の北端、定禅寺通りに面した141ビル(仙台三越定禅寺通り館)の5・6階に位置するエル・パーク仙台。スタジオホールは、千葉さんが3歳のころから続けてきたクラシックバレエの枠を越えて踊り始める、きっかけのひとつとなった空間である。幼い頃から履き続けていたトゥシューズを、履けなくなっても踊り続ける術を考えていた千葉さん。2002年にJCDN主催「踊りに行くぜ!!」*仙台公演に、コンテンポラリーダンスは未経験ながら選出され、出演した。その会場がここ、スタジオホール。これまでのバレエとは異なる、初めて見る動きの数々。「バレエのテクニックを使わずに踊れと言われ、衝撃でした」。混乱しながらもその世界に魅了された千葉さんは、この公演をきっかけにコンテンポラリーダンスの世界へも足を踏み入れる。とはいえ、「軸足はクラシックバレエですけどね」。ほぼ同時期にBalletCompany~demain~(バレエカンパニー ドゥマン)を結成。毎回の公演会場となったのもスタジオホールだった。「休憩時間に三越へ買い物に行ったりしてね」と茶目っ気たっぷりに当時の様子を話す千葉さん。バレエとしての基礎を持ちつつ、それでいて自由な“笑えるバレエ”を目指し、作品の演出や振付に切磋琢磨した。
*…JCDN(NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク)が主催するダンスプロジェクトのひとつ。コンテンポラリーダンスの普及とダンスアーティストの育成などを目的として、国内各地で開催された。
スタジオホールはバレエを始めて40年に行った舞台「まだ足りない、」(2015)の公演会場でもあるなど、節目節目を支えてきた。
▲スタジオホールはバレエを始めて40年に行った舞台「まだ足りない、」(2015)の公演会場でもあるなど、節目節目を支えてきた。
 様々な活動と並行しながら準備を進めるdemainの公演は、2011年の3月も、6月の公演に向けたリハーサルの真っ只中だった。そのさなかに起きた東日本大震災。長らく途絶えていたライフラインが復旧しはじめてからも、街、劇場、そして人々の心にはその爪痕が生々しく残っていた。会場のエル・パーク仙台も使用できなくなり、スタッフの間では公演の開催と中止で意見が二分。どうしようかと悩みながらスタジオへ行くと、そこには懸命に練習を続けるダンサーたちがいた。「やらないなんて言えなかったですよ」。開催を決意した千葉さんは、スタッフらと使用できる会場探しに奔走した。

元鍛冶丁公園

誰もが自由に出入りできる公園での公演。スタッフは機材を守るために公園に泊まったのだそう。
▲誰もが自由に出入りできる公園での公演。スタッフは機材を守るために公園に泊まったのだそう。
 国分町のすぐそば、裏路地にふっと現れる元鍛冶丁公園。開けたスペースの奥には、三日月が描かれた野外ステージが設置されている。震災直後の6月、舞台として選んだのがここだった。左右に楽屋をつくり、観客席に椅子と机を並べて、3日間限りの劇場をつくりだす。車や街の喧騒、風、そして観る人も自由に出入りする空間で踊るのは初めてだった。「どうして劇場にこだわっていたんだろう?って思いました」。踊る場所に制約はない、どこででも踊れるんだ、と新しい景色が開けた。
 ダンスの捉えかたがさらに拡がったのは、コミュニティダンスとの出会いだった。最初は見知らぬ人同士、年齢も性別も職業もバラバラだった人たちが集い、踊ることでコミュニティが出来てゆく。その光景に、千葉さんは心動かされた。どんな人も、踊るようにできているのだと思った。「ダンスってDNAに組み込まれているんじゃないかな」。千葉さんは嬉しそうに語る。

せんだいメディアテーク

生活だけでなく、考え方も変わった今回のコロナ禍。先行きの不透明さに楽観視はできない。
▲生活だけでなく、考え方も変わった今回のコロナ禍。先行きの不透明さに楽観視はできない。
 最後に訪れたのはケヤキ並木がガラスにうつりこみ、定禅寺通りとシームレスに繋がるせんだいメディアテーク。用途によってさまざまに表情を変える1階の広々としたオープンスクエアは、震災後ダンス公演やワークショップの企画制作を行うために立ち上げた「からだとメディア研究室」の舞台だ。もっと多様なダンス、踊り、身体表現に触れたい。そして“せんだいメディアテークにダンスをインストールしたい”と、自ら企画した「から研ダンスフェス」は、ほぼ毎年6月にオープンスクエアで開催してきた。ようやく公募作品だけで色々な表現を観ることが出来そうな手ごたえがあった2020年の公演。ギリギリまで開催を模索したが、結局は中止となった。
いくつものクラシックバレエ教室の講師を務める千葉さん。「不要不急な行動の自粛」が叫ばれる中、自分を必要としてくれる生徒たちに救われた。
▲いくつものクラシックバレエ教室の講師を務める千葉さん。「不要不急な行動の自粛」が叫ばれる中、自分を必要としてくれる生徒たちに救われた。
 コロナ禍においても受け持っていたバレエクラスはなんとか続いたが、発表会は延期や中止に。目標を見失い、家と職場の最低限の往復をする日々。人と会うときにどんな表情をしていたか分からなくなったという。先が見えない中、正解が分からない中で、肌の感覚がどんどんかすれていくようだった。
 改めて自分の身体に意識を向けたことで、気づいたこともある。自分らしく、自由に踊ってきたようで、どこかで求められていることを意識して、自らに枠を設けていたこと。どこかでいい人、格好いい奴を演じていたこと。それが正解なのか、どうなのか。気づいてしまったから、これまで通りにできるはずがない。2021年の6月、再び会場を予約した。
 久しぶりの公演に向けて、意気込みはありますかと伺うと、うーんと口ごもる千葉さん。未来がいかに不確かなものであるか、この一年身をもって知った。どう出来るかは、わからない。
 それでもふたたび、千葉さんはせんだいメディアテークに「ダンスをインストール」する。不透明な時代、手探りをしながら、しかし一歩ずつ。千葉さんはこれからもステップを踏む。
千葉 里佳 ちば りか
仙台市生まれ。3歳よりクラシックバレエをはじめる。金井利久、齋藤和美、峯岡比呂美らに師事。クラシックバレエの講師として活動。同時に、持ち前の好奇心を道しるべに、境界を越えて映像、美術、音楽、テキスト、非日常空間とのコラボレーションを試みるダンサー。振付家。「からだとメディア研究室」代表、NPO法人バー・アスティエ協会理事。