まちを語る

その55 太田 弦(仙台フィルハーモニー管弦楽団 指揮者)

その55 太田 弦(仙台フィルハーモニー管弦楽団 指揮者)

仙台駅・日立システムズホール仙台(仙台市青年文化センター)
仙台ゆかりの文化人が、その地にまつわるエピソードを紹介するシリーズ「まちを語る」。今回は仙台フィルハーモニー管弦楽団で指揮者を務める太田 弦さんが、仙台駅周辺と、楽団の拠点である「日立システムズホール仙台(仙台市青年文化センター)」を巡ります。来仙時に宿泊しているホテルとホールを往復する日々で感じた、“仙台らしさ”についても話をうかがいました。
 1973年に創設された仙台フィルハーモニー管弦楽団(以下:仙台フィル)。「日立システムズホール仙台」を拠点とし、仙台市民のみならず、県内外のクラシックファンから支持を集めている楽団だ。近年では若手奏者の入団も続き、これまで以上に活躍が期待されている。
 2025年9月現在で384回を数えた、発足の翌年から開催されている定期演奏会のほか、ベートーヴェンやモーツァルトなど有名作曲家たちの様々な名曲を届ける「名曲トラベル」、『機動戦士ガンダム』をはじめとする日本のアニメーション作品の音楽を生演奏で発信する「エンターテインメント定期」シリーズなども開催。多彩なアプローチで、オーケストラの楽しみ方を発信している。
 そんな仙台フィルに、太田 弦さんが指揮者として就任したのが2023年。初めて仙台を訪れたのはその6年前、2017年のこと。その時の仙台の印象を「地元の札幌によく似ているところに親近感が湧きました」と振り返る。
 「いい意味で機能がコンパクトにまとまっている街だな、と感じました。通りも広くて移動しやすい。住みやすいだろうなと思ったのを覚えています。それから演奏会などで何度も足を運び、定期的に仙台に来るようになった今では、勝手に“ホーム感”を感じています。なんだか、自分にとてもフィットしているような気がするんです。どんな街でもネガティブな部分が見えてくるものだけど、私は、仙台にはそれを感じない。通い続けていても良いところばかりが見えてくる街ですね。だから、仙台は自分にとって心のオアシスと言えますね。指揮にも肩肘張らずにリラックスして取り組むことができます」
仙台駅前にあるホテルで取材に応える太田さん。見せてくれたのは、様々な色のペンでたくさんの指示を書き込んだ譜面。取材翌日の演奏会で披露される楽曲のものだ
▲仙台駅前にあるホテルで取材に応える太田さん。見せてくれたのは、様々な色のペンでたくさんの指示を書き込んだ譜面。取材翌日の演奏会で披露される楽曲のものだ
 太田さんは現在、九州交響楽団首席指揮者も兼任。これまで国内にあるプロ・オーケストラのほとんどで指揮を務め、全国各地を飛び回る日々を過ごしてきた。ゆっくりと余暇を過ごす時間はなく、「忙しすぎて、先のことはあまり考えないようにしているんです」とつぶやく。
 ホテルでも、仕事を中心とした過ごし方がメイン。長い時には一週間ほど滞在することになる室内では、次の演奏会で指揮をする楽曲の譜読みにほとんどの時間を費やしているという。
 「もともとインドアな性格もあってか、あまり外には出ず仕事ばかり。仙台に来た時もホテルの部屋で譜読みをしています。そういえば、仙台に水族館がありますよね。ずっと行ってみたいとは思っているんですけどなかなか行けないですね(笑)」
 しかし、時にはホテルの外に足を伸ばすことがある。それは、散髪の時。「なぜか不思議と散髪したいと思うタイミングが、仙台にいる時に重なるんですよ」。取材したこの日も散髪したばかりの姿で現れた太田さん。仙台フィルのスタッフから「なんだかさっぱりしましたね」と声をかけられ、はにかんだ表情を見せた。
譜面と10色以上のペンを入れたバッグはオーダーメイド。「重い楽譜を入れてあちこち連れまわすからすぐボロボロに。これは底面を補強した二代目です」
▲譜面と10色以上のペンを入れたバッグはオーダーメイド。「重い楽譜を入れてあちこち連れまわすからすぐボロボロに。これは底面を補強した二代目です」
 仙台フィルの拠点「日立システムズホール仙台」への送迎車を待つ合間に、「エスパル仙台」本館の地下へ。宮城の土産品や名産品が並ぶエリアを抜け、食品売り場「エキチカキッチン」へと足早に向かう太田さん。「いつもここにばかり来ているんですよ」と語るのは、納豆や豆腐、果物などの食材や、練習場へ持参する昼食用のサラダを購入するため。ここでの買い物が、太田さんのホテル生活と、ハードな指揮者の仕事を支えている。
 忙しなく全国各地を行き来する中、「どの場所でも、じっくりとお土産を探す機会は少ないですね」と話す太田さん。しかしこの日は伊達家の家紋にも描かれているスズメをモチーフにした、愛らしい見た目の焼き菓子を購入。「家族から頼まれたお菓子を買って帰ります」と笑顔を見せた。
お気に入りは惣菜店で販売しているパック入りのサラダ。お店に通い慣れているため足取りはスムーズ
▲お気に入りは惣菜店で販売しているパック入りのサラダ。お店に通い慣れているため足取りはスムーズ
 この日はホールまでの移動に車を利用したものの、普段の太田さんは地下鉄を利用することもあるのだという。ホテルから地下鉄の乗り場まで向かう通路には、仙台フィルの大きな看板が掲示されているが、太田さんはこの看板の前を通り、ホテルとホールを行き来する。
 「看板の前を通るたびに“おっ!”と思いますよ。多くの人が利用する地下鉄にこうして看板があるのを見ると、仙台フィルが地元に根付いているのを感じますね」
地下鉄南北線・仙台駅の南5出入口近く。この場所には仙台フィルの看板が常に掲げられている
▲地下鉄南北線・仙台駅の南5出入口近く。この場所には仙台フィルの看板が常に掲げられている
 「エスパル仙台」を後にし、ホールへと向かう車は愛宕上杉通りを北に進む。
 「飛行機や新幹線の移動時間でも、結局仕事ばかりしているんです。その反面、車ではぼーっと過ごすことが多いですね。でも、この移動時間がリラックスの場になるか緊張し続ける場になるかは、この後に控えている演奏会の楽曲の難易度によって変わりますね(笑)」
 常に緊張感と隣合わせである環境にありながらも、太田さんはいつも柔和な表情と和やかな口調。続けて、仙台フィルについての思いにも話が及ぶ。
 「仙台フィルって、本当に素晴らしいんですよ。団員の皆さんが意欲的で前向き。私が最初に仙台フィルに来たのは23、4歳の時だったかな。その頃から変わらず、良い音楽を届けることに一生懸命な気がしています。だからこそ、音楽に集中できるし無駄なしがらみやハードルを越える必要がない。それって、なかなかできることではないんですよ。常任指揮者の高関先生を差し置いて大きなことは言えませんが、仙台フィルにポジティブなイメージがあるのには、仙台フィルの事務局の努力も大きかったのではないかと思っています。“どんなに演奏が上手だったとしても、ギスギスした雰囲気のオーケストラは嫌だよね”という団員と事務局との共通した考えがひとつになって、今の仙台フィルが成り立っていると感じています」
移動中の車内では、仙台フィルのスタッフと会話を交わすことも多い。「あのソリストすごく上手でしたよ、なんて話題になることもありますね」
▲移動中の車内では、仙台フィルのスタッフと会話を交わすことも多い。「あのソリストすごく上手でしたよ、なんて話題になることもありますね」
 ホテルから20分ほどで、「日立システムズホール仙台」に到着。ホールの向かいには「台原森林公園」の生い茂った緑が広がる。太田さんは「私はまだこの公園に足を運んだことはないのですが、仙台フィルの常任指揮者である高関先生はよく公園の中を散歩しているみたいです」と教えてくれた。「私、昆虫が好きなんですよ。いつか虫取りでもしてみたいなあ」と緑を眺める。
仙台に来る時は、必ず仙台フィルのロゴが描かれたポロシャツを着用している太田さん
▲仙台に来る時は、必ず仙台フィルのロゴが描かれたポロシャツを着用している太田さん
 クラシック音楽専門のコンサートホールを擁するこのホール。ライブから演劇まで多彩なイベントが開催できるシアターホールや、楽器やダンスなど各々の表現の練習を無料で行えるパフォーマンス広場などがあり、音楽や芸術の発信拠点として知られている場所だ。太田さんが音楽監督を務める仙台ジュニアオーケストラもこの場所を拠点としている。
 「日立システムズホール仙台」コンサートホールの魅力を、太田さんは「とにかく響きがいい場所。日本にあるコンサートホールの中でも屈指の素晴らしさだと思います。そして併設されているカフェのクオリティが高いんですよ」と語る。「強いて言えば、演奏会が終わった後に22時くらいまで営業してくれるといいんだけどな(笑)」
 そのカフェが、「Keyaki no Mori Cafe & Arts」。ひとりで訪れた際にはハンバーガーをオーダーすることが多いという。「副指揮者と来た時には“リッチな食事をしよう!”と、スペアリブをいただいたことがありましたね。普段からコーヒーを飲んでひと息付く、という理由でカフェを利用することはほとんどないですが、リハーサル前にしっかりと食事をするために来ています」
ホール併設のカフェ。たいていは誰かと一緒に訪れることが多い
▲ホール併設のカフェ。たいていは誰かと一緒に訪れることが多い
 太田さんにとって理想の指揮者像を問いかけてみた。すると、「指揮者は、器みたいなものだなと思っています」と答える太田さん。「龍の絵が描かれているようなラーメン鉢とか、お味噌汁だけに使う汁椀がありますよね。もう明らかにひとつの用途にしか使えないようなもの。あんまりそうはなりたくないなと思っていて」と話す。
 「それよりも、白くて何でも使えるような皿であることが大事なのではないかと思うんです。つまり、オーケストラという料理がメインなのであって、皿が主張しちゃいけないよな、と。そんな指揮者が私の理想像ですね」
練習前や本番前などに行う決まり事はなく、願掛けも一切しない。常にフラットな状態でいることが太田さんらしさだ
▲練習前や本番前などに行う決まり事はなく、願掛けも一切しない。常にフラットな状態でいることが太田さんらしさだ

掲載:2025年9月30日

取材:2025年7月

取材・原稿/及川 恵子 写真/寺尾 佳修

太田 弦 おおた・げん
北海道札幌市出身。仙台フィルハーモニー管弦楽団指揮者。幼少の頃よりチェロとピアノを学ぶ。東京藝術大学音楽学部指揮科に進学し、学内にて安宅賞、同声会賞、若杉弘メモリアル基金賞を受賞。指揮科を首席で卒業した後、同大学院音楽研究科指揮専攻修士課程を卒業。2015年には東京国際音楽コンクール(指揮)で2位を受賞した。これまでに読売日本交響楽団、札幌交響楽団、大阪交響楽団などを指揮。現在は仙台ジュニアオーケストラの音楽監督と九州交響楽団首席指揮者も務めている。