さらさらと揺れる和紙の吹き流しや、色とりどりの華やかなくす玉、たくさんの願いが込められた七つ飾り。今年ももうすぐ、仙台の夏を彩る「仙台七夕まつり」が始まる。アーケード街を埋めつくすほどに吊るされる圧巻の七夕飾りは、仙台の伝統であり、夏の仙台を代表する風景だ。毎年、その様子を陰ながら見守っているのが、「鳴海屋紙商事」の課長、鳴海幸一郎さん。昨年、創業140年を迎えた同社は、七夕飾りの素材販売から制作までを行う老舗の紙卸商社。本社は若林区卸町だが、七夕イベント事業の拠点は一番町にあり、鳴海さんは幼少期をここで過ごした。「当時、ここで露天商のおじいさんが、針金とペンチだけでおもちゃの鉄砲を作っていたんですよ」と教えてくれた場所は、一番町にある同社の目の前。鳴海さんが10歳頃まではここに自宅兼倉庫があり、この一帯が商店街に暮らす子どもたちの遊び場だった。鳴海少年は、鉄砲を作るおじいさんの見事な手つきを見るのが日課。この時間がとても楽しかった。
「短銃型と拳銃型が、だいたい300~500円くらいだったかな。さらにその上に、連射できるマシンガンのような拳銃があって、それが1,000円を超える高級商品。小さい方はお小遣いで買えたけど、やっぱり大きい方が欲しくて、家でお手伝いをしたり肩たたきをしたりして、少しずつお金を貯めたんです。それで、ようやく買いに行ったら、おじいさんがお見えにならずそれっきり。引退されたのか、体調を崩されたのか。結局その拳銃は手に入らなかったなあ」。
鳴海さんは、今でもおじいさんの手つきを覚えている。七夕飾りに使う曲げ輪など、針金とペンチを扱う作業の際、頭の中にふっと蘇るのだ。「無意識ながら、当時見た光景が針金細工のベースになっているのかもしれません」。
「短銃型と拳銃型が、だいたい300~500円くらいだったかな。さらにその上に、連射できるマシンガンのような拳銃があって、それが1,000円を超える高級商品。小さい方はお小遣いで買えたけど、やっぱり大きい方が欲しくて、家でお手伝いをしたり肩たたきをしたりして、少しずつお金を貯めたんです。それで、ようやく買いに行ったら、おじいさんがお見えにならずそれっきり。引退されたのか、体調を崩されたのか。結局その拳銃は手に入らなかったなあ」。
鳴海さんは、今でもおじいさんの手つきを覚えている。七夕飾りに使う曲げ輪など、針金とペンチを扱う作業の際、頭の中にふっと蘇るのだ。「無意識ながら、当時見た光景が針金細工のベースになっているのかもしれません」。
七夕飾りの制作は春の彼岸に始まり、秋の彼岸頃に片付けを終える。毎年12月には翌年の七夕まつりに向けた染和紙の打ち合わせがスタートするため、紙の卸業や七夕飾りの制作、制作指導を行う「鳴海屋商事」では、ほぼ一年中、七夕まつりに関わっているという。「私たちは七夕まつりの黒子役なので、観光客として表から七夕まつりを見たことがないんです」と鳴海さん。小さい頃の七夕まつりの思い出と言えば、アーケードで行われていた七夕パレード。現在は歩行者天国になっているアーケード街だが、当時は車が通行でき、パレードになるとオープンカーが走って、ミス七夕が手を振りながら通った。「以前は今よりも七夕飾りの位置が低かったけど、うまい具合に車が走ってくるんだよね。道路いっぱいの見物客も、車が来るとサーッと道を空けて」と鳴海さん。小学生の鳴海さんにとって、家の前から見るパレードが七夕まつりの特別な楽しみだった。
もう一つ、当時の七夕まつりで子どもたちを夢中にしていたイベントが、アーケード街のいくつかの店で行われていた仕掛け人形。店の軒先に桟敷を作って、操り人形を動かしたり、ロケットを飛ばしたりと、演出を交えながら展開する人形劇だ。お茶屋さんの軒先で行われることが多く、少年時代の鳴海さんも人だかりに混ざって鑑賞していた。
「イメージとしてはこんな感じでしょうか」と見せてくれたのは、昭和9年の写真。若林区荒町にあった本社の前には、赤ちゃんだった鳴海さんの父親の姿もある。よく見ると、店の軒先には人形が。「こんな感じで、店の庇を利用して人形を飾っていたんです。これはおそらく、弁慶と牛若丸の戦いを表現したものだと思います」。
幼少期から今日まで、「仙台七夕まつり」を間近で見続け、「これまで仕事で大変なこともたくさんあったけど、涙一つ流したことはなかった」という鳴海さんが、唯一涙を堪え切れなかったのが、2011年の七夕まつり。東日本大震災で傷を負った宮城・東北の復興を願い、当時の仙台市内にある小・中学校185校の児童生徒約8万8千人が鶴を折って、未来への思いとともにつないだ。その七夕飾りを見た瞬間、自然と涙があふれたという。「我々はあくまで黒子なので、柱の陰からそっと見ていたのですが、どの飾りよりも壮大なんです。今でも当時の光景を思い出すとぐっとくるし、現在も続くこの故郷復興プロジェクトは、七夕まつりの名物。1人1羽ずつ折った鶴をつなぐだけのシンプルな七夕飾りですが、これぞ、仙台七夕の“ザ・七夕”だなと思います」。
昔は各店ごとに趣向を凝らした手作りの七夕飾りを掲げていたが、現在は時間がかかることや作り手がいないこともあり、その多くが外部発注だ。「鳴海屋紙商事」では、全体の約3分の2を手掛けている。鳴海さんには七夕にまつわる夢がいくつかあるが、「原点回帰して、七夕飾りの作り手をそれぞれのお店に戻したい。鶴を折るだけ、短冊を書くだけ、紙を選ぶだけでもいい、そのお店の人たちが関わって、そのお店の個性がみえてくるような七夕飾りでアーケードを彩るのが理想ですね。ほんの少し関わるだけで、七夕飾りへの思いがさらに増すはずだと思うんです。」
最後にもう一つの夢を伺うと、「いつか、全国各地の七夕まつりを見て回りたいね」と、うれしそうに笑った。
最後にもう一つの夢を伺うと、「いつか、全国各地の七夕まつりを見て回りたいね」と、うれしそうに笑った。
掲載:2024年7月31日
取材:2024年6月
- 鳴海 幸一郎 なるみ・こういちろう
- 1968年生まれ。宮城県仙台市出身。仙台大学を卒業し、東京の紙の代理店で社会人経験を積んだのち、家業を継ぐためUターン。現在は「鳴海屋紙商事」の課長として、七夕飾りの制作に携わるほか、祭り期間中は設営も行う。伝統の継承だけでなく、各地の講演会で自らの経験を交えながら「仙台七夕まつり」の魅力も発信している。