インタビュー

創造の自給自足

後編|TEXT 大江よう インタビュー

TEXT・大江ようさん

≪アートとしての衣服≫

現在の「TEXT」としての活動以前は、東京のアパレルメーカーに勤めていらっしゃいました。当時のことを教えていただけますか。

まず、アパレルメーカー勤務以前に、現代美術家の眞田岳彦氏に約5年間師事しました。元々通っていた専門学校に教えに来ていた方で、その方に弟子入りをして手伝いをするようになりました。

せんだいメディアテークの館長・鷲田清一さんが、身体やファッションに関する思索を展開する中で、師匠が作品を作るというプロジェクトなどもあり、コンセプトの立ち上げやプロジェクト作りはそういった機会に学びました。

資料『災害とこころを癒す衣服』(文責:眞田造形研究所代表 女子美術大学教授 眞田岳彦)
PDFリンク https://www.jstage.jst.go.jp/article/clothingresearch/55/2/55_63/_pdf

現代美術としての衣服に携わっているところから、なぜアパレル業界へ転身されたのですか。

師匠は複数の美術系学校で教えていて、毎年何十人と卒業していくのですが、師匠と同じようなレベルで作家として活動できる人は、ほとんどいません。
繊維を使った美術作品は、染めや織りなど伝統技術の特色が色濃く、民芸寄りのアプローチの仕方が多かったのが、自分の中ではあまりしっくりきていませんでした。
僕自身は、ルミネなどで売っているようなもっと商業的な服の作り方も同時に学びたいと思い、アパレル業界に入りました。

≪商業としてのファッション≫

僕がアパレル業界で働きはじめた2008年〜2010年頃は、ZOZOタウンをはじめとしたECサイトが次々と世に出始めて、何をしても服が売れる最後の時期だったと思います。生地を見つけてきて、売れている洋服の形に落とし込む。それをZOZOなどのECサイトで展開すると、数百件予約が入る。あとは仕様書をつくって発注するだけといった状況でした。

生産全体を見て何を作るかを決める役職になり、何をどれくらい作って、年間10数億円の売り上げをどうするか、在庫の構築や経理全般を学ぶことができました。

ウハウハ期だったんですね(笑)。

いわゆるファッション自体にはそんなに興味がありませんでした。女性向けのアパレルブランドだったのですが、女性が何を着たいと思うのかが全然わからなかったので、洋服自体のデザインはしませんでした。身近な信頼できる人、妻などに「この生地なんだけど、どういう服がいいと思う?描いてみて」というように意見を聞いていました。

コロナ禍で、インターネットで服を買う人が増えています。プライベートブランドが星の数ほど出てきていて、実際、店頭で買うより価格が安いブランドも多い。素人考えでは、アパレル業界は潤っているのかなと思うのですがいかがでしょう。

僕がアパレル会社を辞めたのが2017年、その1〜2年前頃から、前年比で売上が90パーセントを割っていくような業界全体の状況を見ていました。そういう状態が続いている中でのコロナ禍だったので、大手メーカーはまだ踏ん張れるかもしれないけれど、中堅のブランドほど打つ手がない。撤退にも大きなお金が必要になります。
仙台でも、駅前にお店を持つというステータスはほとんど崩れているように感じます。それは、人があまり通らないような裏通りにあっても、ちゃんとお客さんがついてくれるようなお店しか残らないということの表れかと思います。

≪関東、ローカル、それぞれの仕事の仕方≫

心機一転、東京から仙台に拠点を移し、順調に活動を拡げているように見えます。今回の「PLOT」のプロジェクトで著名なデザイナーの方をチームに招くことができているのもそうですが、東京のパイプが強いように思います。

確かに東京にいなければ出会わなかった人もたくさんいますが、だんだん各地に散って来ているように感じます。実際、「PLOT」に関わってくれたデザイナーの岡本さんも、長野県に拠点を移されたり、そういった各地に点を打っていくような動きはこれからますます強くなってくるように思います。どこにいても大丈夫、という人はどの地域にもいるので、そういう人同士がより繋がっていくかなと思います。

仙台と東京、ビジネスのコミュニケーションの取り方が全く違うと思います。やりづらさ、またはやりやすさはありますか?

僕の場合、土地での違いは感じたことがないですね。相手によってです。東北は、強い個が点々としている。東京だと強い個が沢山いるので見えづらい。個ではなく、どちらかというとコミュニティが乱立しているという印象ですね。

≪子育てと共に仕事をする≫

子どもの声が聞こえる環境でお仕事をされています。子育てと仕事、境界線を作っていますか?

我が家は、仕事中でも子どもが仕事場に入ってくるのであまり境界線はありません。

アパレル会社にいた時、僕がチーフだった時期があるのですが、事務所に20人スタッフがいて、それぞれがそれぞれのタイミングでやって来る。最初は「ちょっと待って」と言っていましたが、そうするとだんだん収拾がつかなくなってくるので、「来たら聞く」いうことを意識するようにしました。集中しながらも、一旦手を止めて対応するマルチタスク力がそこで少し鍛えられたと思います。
今では、シルクスクリーンを刷っている最中に子どもに「この漫画見て」と言われても大丈夫になってきました(笑)。

子どもは、大人より無理難題を言って来たりしますものね(笑)。

それをその場で処理する(笑)。その方がスピーディー。そういう意味では、「今仕事中だから」みたいなことはなるべく言わないようにしています。

逆に折を見て、たまにぴりぴり感を出して、空気を締めるようにしてもいます(笑)。

仕事もしつつ、教育もしているんですね。

≪創造の自給自足≫

クリエイティブなお仕事において、大江さんにとって仙台はどんな場所ですか?

仙台は素晴らしいと思います。analogがあって、FLATがあって、青葉画荘とダイシンがあれば、たいていのことは対応できます(笑)。

東京だと、ホームセンターはあるにしても、FLATのようなファブスペースもスポット化していて、30分以内でこの素材とこの素材の加工をするだけ、といった簡易な使い方に限定され、それ以上のことはなかなかできない印象があります。

前半のワークショップの話に近いですね。

そうせざるを得ないのかもしれませんが。
仙台のFLATはそうではなくて、機械の使い方自体をハックしていくようなやり方も試させてくれるので、とても助かります。

機材の導入も、なるべく自分の仕事場で完結するようにしてきました。インクと生地の買い付けは外部としなければならないですが、そこだけちゃんとできれば、作業自体はインフラが止まっても工夫すればできるな、と。

クリエイティブの自給自足ですね。これからの時代の最前線だと感じます。

東京でものすごい徹夜して摩耗するというような経験もすると面白いと思うので、そういう働き方も、子どもには一度体験して欲しいと思っています。僕自身もそういう経験があって、今、その対極にいる。そうすると、あの時よりはいいなという実感が強くなりお得です(笑)。

最後に、仙台の文化に対して思うこと、何でも教えてください。

僕、落語が好きで、立川志の輔さんの公演を予約していたのですが、コロナウィルスの影響で中止になってしまいました。このようなご時世で機会が減ってしまっているかと思いますので、また落語家さんが多くいらっしゃる状況が戻ることを望んでおります。

掲載:2021年11月30日

取材:2021年3月

企画・取材・構成 奥口文結(FOLK GLOCALWORKS)、濱田直樹(株式会社KUNK)

このインタビューは、「多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業」の助成事業実施者に文化芸術活動や新型コロナウイルス感染症の影響等について伺ったものです。

当日は、身体的距離確保やマスク着用などの新型コロナウイルス感染症対策を行いながら、取材を行いました。写真撮影時には、マスクを外して撮影している場合があります。

TEXT大江よう