インタビュー

地方で市民にひらかれた演劇事業を目指す

前編|―いわき芸術文化交流館アリオスの試み―

Photo:株式会社ナカサアンドパートナーズ

いわき芸術文化交流館アリオスの概要を教えてください。

いわき芸術文化交流館アリオス(以下、「アリオス」)は、いわき市直営の公共文化施設(劇場)で2008年にオープンし、間もなく開館15周年を迎えようとしています。アリオスは、大ホール、中劇場、小劇場、音楽小ホールという4つのホール、リハーサル室やスタジオ等の練習施設があります。いずれの場所も市民の方々に多く借りていただき、稼働率が高い施設です。

アリオスのミッションは、「芸術文化が持つエネルギーを通じて、いわきの『まち』と『ひと』に元気と勇気をもたらす」ことです。音楽、演劇、ダンス等の公演に加え、ワークショップやアウトリーチ等の人材育成・普及事業も行い、市民の方々に劇場をひらくことで、地元に根づいた劇場を目指してきました。

しかし、2011年3月に東日本大震災が起きて、活動そのものが一度リセットされました。そのため、震災後、アリオスのスタッフはゼロから地域の方々に聞き取りをして、「いま、何を求めているか」というところから、アリオスの活動をリスタートしてきました。私は開館当初はまだ着任していなかったのですが、もともと地域密着志向のアリオスは、東日本大震災以降、それをより強く意識した活動をしていると日々の仕事を通して感じています。

Photo:株式会社ナカサアンドパートナーズ

赤ちゃん向けのイベント、高校生や若者対象の演劇部、シニア層向けのアウトリーチ事業など、いろんな年齢層に向けた多彩なプログラミングをされていると感じました。どのようなことを意識して企画されているのでしょうか?

年齢層やターゲット層の幅広さは、意識しています。特定の年齢層に対して事業を継続していくだけではなく、忙しくて劇場に来にくい若い人にもアプローチできるプログラムづくりが必要だと思っています。

特に、子ども向け事業への意識は、東日本大震災以降、館全体で強くなったと思います。いわきでは、2011年の原発事故によって、子どもたちが外で遊べなくなりました。いわきを離れた人たくさんいたと聞いています。一方、いろんな事情があって離れられない人たちもいて、子育てに関する葛藤がたくさんありました。そういった方々にどうしたら劇場に来てもらえるのか、劇場の中で安全に遊んでいただけるのかという課題意識が、子ども向け事業を展開する根底にありました。

萩原さんのお仕事について教えてください。

私は、東日本大震災後の2012年から勤務しています。その時から企画制作課に所属し、主に演劇事業を担当しています。鑑賞事業、人材育成事業、アウトリーチ事業など幅広い年齢層に向けたプログラムを企画から制作まで行っています。

事業はどのように企画していますか?

アリオスはプロデューサー制ではなく、芸術監督もいません。館長等がトップダウンで全部決めるということではなく、みんなで話し合って決めて、その年その年の事業を行なっています。

定期的に制作会議を開き、私が所属している企画制作課を含めた館内すべての課が参加し、各ジャンルの企画を出し合って、その企画に対してみんなで議論しながら決めています。

会議の中で企画を提案した時には、誰のために、何のためにやるのかということが弱ければ却下され、別の企画を考えなければならないこともあります。そのため、事前リサーチに時間をかけ、アリオスのミッションを遂行する上で最適な劇団や事業内容はどのようなものかということを考え、企画しています。

もちろん、考え方は人それぞれで異なり、会議の中でぶつかることもありますが、みんなで話し合い、事業を進めることはアリオスの良いところだと感じています。

Photo:株式会社ナカサアンドパートナーズ

そのような企画の過程で、萩原さん自身が大切にしていることはありますか?

今、私が仕事をする上で、最も大事にしていることは、市民のみなさまにとって有意義だと思われる公演、ワークショップ、アウトリーチといった事業をいかに地域に開いていくことができるかということです。
いわきは広域なので、中心市街地にあるアリオスにすべての市民が気軽に来られる訳ではありません。こちらから市内の各地域に出向いていくことに力を入れています。その1つが「劇団ごきげんよう」(※)です。この事業では公演は二の次で、とにかくいろんな地域に出て行って、地域の方の話を聞いて、それをもとに演劇をつくっています。演劇をつくることが目的ではなくて、地域の方々に話を聞く、地域の方々とつながることを目的としています。なので、演劇はそのための手段であると考えています。

※「劇団ごきげんよう」
2015年、リージョナル・シアター2015「わたしの人生の物語、つづく。」にて結成。
いわきで暮らす10代から70代のメンバーが活動を続けている。いわきの様々な地域に、「ごきげんよう」と挨拶しながら訪れて、そこに住む方のお話を聞き、演劇を通じて地域と人に潜む人生の物語を届けている。演出は宮崎県の「劇団こふく劇場」代表の永山智行さん。

劇団ごきげんよう『わたしの人生の物語、つづく。』川前編(撮影:白圡亮次)

萩原さんは大阪のご出身とのことですが、いわきという土地で演劇事業を担当されることになって、これまでどのようなことを心掛けてきたのでしょうか?

私の生まれは大阪で、大学や劇場での勉強を経て、2012年からアリオスで働いています。最初は、この土地のことをよく知らなかったので、とにかく、地元の演劇関係者の方々と知り合うようにしました。いわきに来た時から足を使って、劇団があればその稽古場に通ったり、飲み会があれば顔を出したりして、地道にやってきました。現在は、みなさんのおかげで、いわきで演劇をやっている方とは、ほとんどの方と面識を持てました。

地域と演劇の関わり方については、「劇団ごきげんよう」の立ち上げから、演出として関わっていただいている宮崎県の「劇団こふく劇場」の永山智行さんとの出会いが大きく、影響を受けました。

東京や大阪の演劇と、いわきの演劇の違いに戸惑っていた時期があって。そんな時に縁あって、いわきで「劇団こふく劇場」に公演していただく機会がありました。そのときに永山さんとも出会って、いろいろ話を聞いていただきました。
永山さんが、「地方でやる演劇は、冷蔵庫の扉を開けて、そこにあるものでなにが出来るかを楽しむことが大切。東京なら、欲しい食材や調味料を、お金さえあればあちこちから揃えることができる。でも地方だと、そうはいかない。冷蔵庫を開けた時に、そこにある食材でどれだけ美味しいものを作れるか。そこにある食材を見極めて、その中でどれだけ美味しいものを作れるかを考えんだよ」と話をしてくださいました。目からうろこでした。

それまでの自分は、他と比較して、いわきにないものを気にしていました。その話を聞いてから自分の考え方が随分変わって、いわきのみなさんのそれぞれの事情を踏まえた上で、いわきで、演劇で何ができるのだろうと考えるようになりました。ないものを数えるのではなく、あるものを大切にする。自分の中では大きな変化でした。

掲載:2024年3月7日

取材:2021年12月

聞き手・構成:菅野 幸子(アーツ・プランナー/リサーチャー)

 
このインタビューは、文化施設運営や事業のあり方や考え方、コロナ禍における影響や対応方法などについて、東北の文化施設・団体にお話を伺いました。
※記事内容(施設の事業や考え方、コロナ対策含む)や個人の肩書等は、インタビュー当時のものです。

萩原 宏紀 はぎはら・ひろき
演劇制作者、いわき芸術文化交流館アリオス 企画制作課 演劇・ダンス事業グループ チーフ。
大阪市生まれ。福島県郡山市在住。大学在学中に劇団を立ち上げるなど演劇活動を行った後、2009年、座・高円寺の劇場創造アカデミーに第1期生として入所。2012年より、いわき芸術文化交流館アリオスに勤務し、主に演劇事業を担当。また、2020年より「アトリエ ブリコラージュ福島」(福島市)の運営にも携わる。震災後の舞台芸術に焦点を当てる仙台舞台芸術フォーラム(主催:仙台市・公益財団法人仙台市市民文化事業団)のアドバイサリーボードも務める。