連載・コラム

船出から400年。仙台、そして東京へ
オペラ「遠い帆」の軌跡

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.17掲載記事(2014年12月15日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

 支倉常長ら慶長遣欧使節の旅と運命をテーマに創作され、1999年に初演されたオペラ「遠い帆(ほ)」。日本を代表する作曲家・三善晃氏唯一のオペラにして、「和製オペラの代表作のひとつ」と評された作品が、再び使節の出帆400年記念事業として2013年に仙台、2014年には東京で、新たな演出で上演されました。

 東日本大震災により準備が中断を余儀なくされましたが、市民自身の力による復興への足がかりとして継続を決定し、長い練習期間を乗り越え行われた公演は、大盛況のうちに幕を閉じました。

 東京などで活躍するソリスト、スタッフらと地元の出演者ら、あわせて300名にも及ぶ人々が、新演出となる舞台創造に挑み続けた、2年余りの「航海」の軌跡を辿ります。

あらすじ

 1613年、遣欧使節としてヨーロッパをめざし出帆した支倉六右衛門常長が、ローマ法王への接見を果たし7年後に切支丹(きりしたん)禁制下の故郷に帰還するまでの史実を元に進行する。異国へ向け航海を続ける日々、宣教師ルイス・ソテロ、徳川家康、伊達政宗らの思惑が絡み合う中、運命に翻弄される常長。苦難の旅の末には、その運命を受け入れ全うした一人の「人間」としての常長の姿が描かれる。

登場人物

支倉六右衛門常長/小森輝彦
伊達政宗の命により慶長遣欧使節の副使として1613年秋に出帆。メキシコ・スペイン・イタリアを巡り、交易や宣教師の派遣などの交渉を各国で行う。スペインで洗礼を受けキリスト教に改宗した。
ルイス・ソテロ/小山陽二郞
スペイン人のフランシスコ会宣教師。布教のため来日し、通訳として幕府の信任を得る。その後政宗と知り合い、慶長遣欧使節の正使として常長らとともに船出した。
徳川家康/井上雅人
江戸幕府初代将軍。慶長遣欧使節の派遣を許可した。
伊達政宗/金沢平
仙台藩初代藩主。使節船のサン・ファン・バウティスタ号を建造し、使節団を派遣した。
影/平野雅世
このオペラの語り部として創造された、唯一史実によらない役。
黙役(もくやく)/渡部ギュウ、野々下孝、
渡辺リカ、原西忠佑、齋藤兼治、千葉瑠依子、藤田翔、嶺岸加奈
身体のみで物語に合わせ権力、民衆、運命など様々な要素を演じる。
合唱/オペラ「遠い帆」合唱団
歌い続けながら使節と旅をともにし、その行く先を見届ける「影の主役」。全編にわたり力強くエモーショナルに物語を牽引する。
児童合唱/
NHK仙台少年少女合唱隊
冒頭、そして終盤の数え歌など、物語の象徴的な部分で印象を残す。

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仙台公演

○公演データ
日時:2013年12月7日(土)18:00~、8日(日)15:00~
会場:東京エレクトロンホール宮城
入場者数:2日間合計約2,400名

そして、400年の時をさかのぼる―
新演出で待望の再演

 慶長遣欧使節出帆400年記念事業として13年ぶりに仙台公演。総監督に宮田慶子氏(演出家)、指揮に佐藤正浩氏、演出に岩田達宗氏を迎え、日本屈指のソリストと合唱団、俳優、スタッフら総勢300名によって創り上げられた、新たな「遠い帆」の幕開けです。

 三善晃氏が綴った精緻な音の連なり、高橋睦郎氏による美しい日本語の響き、そして色彩豊かな衣裳・美術と出演者をダイナミックに動かす演出は、観客を圧倒し、会場は大きな拍手に包まれました。

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東京公演

○公演データ
日時:2014年8月23日(土)、24日(日)15:00~
会場:新国立劇場 中劇場
入場者数:2日間合計約1,700名

三善晃、唯一のオペラ 14年ぶりに東京へ

 仙台公演に続き、同じ出演者・スタッフでの上演となった東京公演。字幕を使うことで、歌詞がより明確に届くようになりました。

 ソリストの力強い歌声と繊細な演技に加え、合唱団・俳優の熱演と仙台フィルの気迫のこもった演奏に、ほぼ満員となった会場からは惜しみない拍手がおくられ、カーテンコールを何度も繰り返すほど。そこには仙台発のプロジェクトへの共感や、あたたかいエールも受け取ることができました。

 終演後、各メディアでは彼らを称えるとともに再演を望む声も聞かれ、オペラ「遠い帆」は東日本大震災後の新時代、あらためて高く評価されました。

 出帆400年の記念事業であり、市民自らの力によって新たな舞台を創り、震災を乗り越え復興を実感する場としての側面もあったオペラ「遠い帆」。特集の後半では市民合唱団の軌跡を振り返るとともに、実際に関わった方々のコメントをもとに、今回の「「遠い帆」が残したもの」について考えます。

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オペラ「遠い帆」合唱団の軌跡

全編にわたり舞台上で歌い演じ「影の主役」と呼ばれるオペラ「遠い帆」合唱団。
練習で集まった回数は100回以上。
重要な役割を担う彼らが舞台に立つまでの、約2年の道のりを追いました。

○合唱団データ
結成:2012年9月15日
団員:ソプラノ25名、アルト22名、テノール12名、バス10名(東京公演出演時)
指導者:今井邦男先生、石川浩先生、佐藤淳一先生、千葉敏行先生
練習:仙台公演まで72回、東京公演まで39回、合計111回

●2012/8/11~12 出発準備オーディション
●2012/9/15結団式・合唱練習開始
●2013/3/3プレコンサート「三善晃の合唱宇宙」
●2013/8/10~11合宿
●2013/8/25立稽古開始
●2013/11衣裳合わせ・オケ合わせ
●2013/12/7~8仙台公演
●2014/3/1~合唱練習再開
●2014/7/1~立稽古開始
●2014/8/17~18オケ合わせ
●2014/8/19東京・新国立劇場入り
●2014/8/23~24東京公演

悲報から立ち上がる

 2013年10月4日、「遠い帆」の生みの親である三善晃氏が逝去。亡くなる前日には今回のポスターを見て微笑んでいたとのこと。翌日の合唱練習の冒頭、悲報を聞いた団員らは黙祷を捧げました。13年ぶりの公演をぜひ見てほしかったという思いを胸に、その名に恥じない舞台を作ろうと、より一層稽古に熱が入るようになったのです。

 訃報は新聞各紙でも大きく取り上げられ、多大な功績を残し愛された大作曲家の死を悼みました。


「遠い帆」と合唱 合唱指揮・今井邦男氏(2014年公演プログラムより)

 オペラ「遠い帆」合唱団はオペラの中で、複数の人格をもつ集団として、また文字どおり複雑な個々人として支倉六右衛門常長一行と共に7年の旅をした。不条理に充ちた六右衛門の過酷な運命を、凝縮した音楽の刻の中で生き、そしてその先まで行った。

 それは「実感」を伴う体験だった。オペラで「歌う」ということはこういうことかと思った。われわれは歌いつつ「真実」を知る。多くの人が用意した「舞台」という時空間のなかで、常長の、同時にわれわれの時間は再び意味のあるものになったのである。


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「遠い帆」が残したもの

 仙台在住の「遠い帆」合唱団、児童合唱、指導者、舞台スタッフら関係者が、東京公演終了後に寄せた生の声をお届けします。それぞれの胸の内・こころの中に、「遠い帆」が残したものとは・・・?(掲載は順不同、敬称略。)

1. 参加した理由

・人生の節目に、レベルの高いものに挑戦してみたいと思ったこと。(合唱団・阿部琢也)
・母の介護、自身の体調不良から二の足を踏んでいました。しかし、オペラ「遠い帆」は仙台の宝です。地元の人たちが歌い続けて次の世代の方々に繋げていかなければならないと思ったことと、過酷な練習に耐えられるには年齢的にも今回が最後かと思いまして応募しました。(合唱団・佐藤登美子)
・市民参加型の舞台芸術のノウハウ獲得に非常に興味がありました。(黙役・野々下孝)
・津波のあとだったので、自分が生きているうちにやりたいと思ったことを後で・・・という風に後回しにしないで思ったことはしようと決めた。(合唱団・三浦幸子)
・7年前に母が脳梗塞で倒れ、最近は認知症もあり、少しずつ分からないことが増えてきました。母が私を私だと認識できるうちに歌う姿を見せたいと思ったこと、また、母が倒れた後も音楽を続けさせてくれた父に感謝したいという思いでした。(合唱団・後藤燈)
・現在社会でも当たり前に起きている事象(普遍性か)であると共に、人間の根源に存在する宗教性への問いかけがテーマだと思い、違和感なく一市民として参加すべきだと思った次第です。(合唱団・尾崎正光)
・震災後の自己を含めた人々の心へのサプライズ的なものに何か役立ってみたかった。(合唱団・亀井啓)
・仙台ゆかりのオペラを、仙台で産まれ育った者として、一緒に歌えたらこれ程幸運なことはないと思いました。また、作品に関わる方々が仙台の音楽界をリードする方々で、今井先生をはじめ諸先生方の指導を受けられること、三善先生の作品であること、団員一人ひとりも市内では高いレベルであることなどから、教わることは多いはずと思い、思い切ってオーディションを受けました。(合唱団・丹治花子)
・石巻市の出身で、支倉常長の物語に参加することが、あの震災の津波で流されてしまったふるさと、我が家、亡くなった友や多くの人への鎮魂にもつながっていくような気がしたので参加しようと思いました。(合唱団員)
・オペラに出演できるチャンスは二度とないと思ったことから。(合唱団員)
・三善先生の作品唯一のオペラを歌ってみたかった。それを通して、自分の人生を新しいものにしたかった。(合唱団員)
・両親の介護のため早期退職をして、“社会から取り残された”感があり、何か人と関わりながら打ち込めることをしたいと思っていました。つまり、“社会参加したい”というのが私の参加のきっかけでした。(合唱団員)
・「オペラに初めて挑む、そして自分との闘い」という自分だけのタイトルというかテーマを持って。(合唱団・中島由美)


「遠い帆」関係者コメント:総監督 宮田慶子 氏
 「素晴らしい文化環境の街」

 仙台は本当に素晴らしい文化環境の中で、文化芸術と近い距離で日常を過ごしてらっしゃるな、という印象が強い街です。きっと合唱団の皆さんも普段から音楽に慣れ親しんでいらっしゃるんです。ずっと音楽を愛し、オペラを愛してきてくださった、その思いがこういう形で実っているんじゃないかなと思います。

(2014年8月24日プレトーク)


2. 参加しての感想

・三善さんの合唱ということで、難しいのは覚悟していたつもりでしたが、想像以上に難しい曲でした。(合唱団・阿部由香)
・音楽もプロジェクトも想像を絶する充実した世界でした。(合唱団員)
・音取り、合宿と時が進む中で、大変な場所に来てしまったというのが正直な気持ちでした。(合唱団・村上ふみ)
・三善先生の作品は時が過ぎても今尚、新鮮で感動的で難曲でした。合唱団員にこれ程演技を求められるとは思ってもいなくて、初めは戸惑いました。どう表現したらいいのかまったく判らず、葛藤の連続でした。しかし、歌を引き立てるには演技が不可欠だと段々に理解できて、合唱団と言えどもオペラの一員という考えで徐々に素直に演技ができるようになりました。(合唱団・佐藤登美子)
・想像以上に難しい音で、好きになれるか不安でしたが、終わってみたら好きな音が思ったよりたくさんできていて嬉しかったです。(合唱団員)
・自分たちがいる舞台の世界と、「遠い帆」がいるオペラの世界の違いを意識し、良いところをどう取り入れられるかを考えた時間が自分にとっては大きな収穫になりました。他には身体というのは言葉よりも音楽に近いように思いました。運命という目に見えない存在をあるときは抽象的に演じるのに、歌よりも身体を前面に出した黙役の存在は、言葉を使うより音楽的になれたと思っています。(黙役・野々下孝)
・楽譜も読めない私を、新国立劇場の舞台に立つまで引き上げていただいた先生方と団員の方々に感謝申し上げます。(合唱団・真尾征雄)
・一口で言うと、大変難解なオペラだったが、歌い終えると大きな喜びが味わえるすばらしいオペラでした。(合唱団・安達克美)
・友達が沢山できたことが自分の財産になったこと(合唱団・三浦幸子)
・体重が減って変なダイエットになりました。歌はそこそこやっていても、演じることは初めてだったので、冷静な自分を捨てて歌と演技に没頭できるようになるまでは大変苦労しました。(合唱団・後藤燈)
・セット裏の構造が、かなり複雑で完成するのに時間と手間がかかり、大変面白かったです。(舞台スタッフ)
・毎回の練習でも、それぞれの練習でも、“飽きる”ということが全くありませんでした。次々に出てくる課題(音取り~暗譜~立稽古・・・)についていくのに必死で、正直なところ、とにかくいつも緊張していたように思います。でもその“緊張感”が心地よいものになったし、次への意欲になりました。(合唱団員)
・舞台全般を担当した「ザ・スタッフ」の皆さんはもちろん、演出助手や副指揮などスタッフ力の層の厚さ深さが、やはり違うなと感じました。(舞台スタッフ・(有)舞台監督工房)
・素人の限界を超えているのでは、と思いながらも必死でついて行きました。(合唱団・川村修二)
・今回はもっともっと市民の人々を勇気づける何かができたような気がする。(合唱団・亀井啓)
・半音階の多い難曲をよくぞ最後までやり通せたものと感慨を深くしている。(合唱団員)
・舞台での動きが型にはまったものではなく、「一人ひとりがイメージを持って、その人物を演じ切るように」と演出家に何度も言われ、目からうろこでした。分からなくて難しくて練習に通うのが恐ろしい感じがしました。でも、悩みながら練習に参加しているうちに、前回とは全く違って、生身の支倉常長の想いを感じている自分がいるのに驚きました。そして、最後には「もっと歌いたい。演じたい。伝えたい」と思うようになりました。他の団員の皆さんも一人ひとりがどんどんすばらしく変わっていったのにも大きな影響を受けました。(合唱団員)
・「オペラ」というものが現在はこんなにも進化した演出で楽しめるものだということは、参加しなければスルーしたままだったと思います。人生も後半となって、部活のような経験ができて嬉しい。充実感がありました。(合唱団員)
・佐藤淳一先生にはヴォイストレーニングなど、発声や歌い方をていねいに教えて頂きました。石川先生には作曲家の目から解釈など勉強になりました。今井先生には合唱の有りようというか、ハーモニーの美しさ、透明さを追求することを学びました。千葉先生には「合唱は人生」ということを教わりました。4氏の熱いハートに支えられて練習し、本番まで一途にできて、感謝でいっぱいです。(合唱団員)
・三善晃の音程、リズム、ハーモニーのいずれも、これほど難しいとは思わなかった。演技しながら発声する難しさを痛感した。(合唱団員)
・難曲で、何度か「無理か?」と思いましたが、一緒に歌う仲間が励まし、助けてくれ、本番にたどりつけました。(合唱団・宮瀬美代子)
・プロのオペラ歌手の声量がすごいと思いました。また、大人の合唱団の人の迫力に圧倒され、僕たちの声はまだまだ小さいと思いました。(児童合唱・佐藤竜也)
・ソロだけでなく、私たちや市民合唱の人たちもオペラにかかせない大切な役なんだと思いました。(児童合唱・小野薫子)
・子どもの数え歌にこめられた意味の深さにとても驚いた。(児童合唱・桔梗貴史)
・たくさんの方々とひとつの物を創り上げることは簡単ではなく、とても大変なことなのだということを実感しました。(児童合唱・松屋佳那子)


「遠い帆」関係者コメント:演出 岩田達宗 氏
 「リードは合唱団が」

 三善晃さんの音楽を通じて、合唱団の中から溢れるような情熱と、支倉に対する愛情・共感、何よりもプライドみたいなものが、ぐんぐんリードして舞台が出来上がっていった。僕はその結果をまとめた仕事しかしていないと思います。

(2013年12月8日プレトーク)


3. 心境の変化、得られたこと

・ひとつのオペラを作り上げていくには、本当にたくさんの人たちがかかわっていることを実感し、自分もそのひとりなんだと責任を感じながら取り組んだ2年間でした。(合唱団員)
・現代オペラに対する興味が広がりました。「遠い帆」を初めて聴いた時の不協和音に対する違和感は今でも覚えています。それが聴いていくにつれて、体になじみ、美しさだけではない音楽の楽しみを知りました。(制作スタッフ・遠藤眞有美)
・仙台市民になって4年目、ほんとうに仙台市民になれて良かったと思った。心境の変化という意味では、何も予定がない土曜日の夜がポッカリ空いてしまっている、という不思議はあります。(合唱団員)
・人生の一分一秒を大切に、前向きに、行動的にという思いを強くしました。(合唱団・村上ふみ)
・私はまだ独身なので、子どもというものに縁のない生活を送っておりましたが、「遠い帆」での子どもたちとの共演で、自分が見られないかもしれない宮城の復興した姿をこの子どもたちが見られるかもしれないなら、それも救いだなと思えるようになって、三善先生や岩田先生が子どもたちに未来を託した思いが、ちょっとわかった気がします。子どもを持たない私にも。(合唱団員)
・海外のオペラなどに見劣りしないものにするようこだわっていました。そして、それは不遜ではありますが、舞台芸術としてのオペラをよりインパクトのあるものにしたいという思いに変わりました。(黙役・野々下孝)
・カーテンコールを受けている最中、良くここまで来れたなという達成感と満足感、そして2年間の苦難の道を思い出していた。新国立劇場のS席に座ってオペラ「遠い帆」を観られなかったのが一番の心残りである。(合唱団・真尾征雄)
・津波経験と合わせて生き方が変わったと思います。「やれる時にやる」と思うようになりました。(合唱団・三浦幸子)
・ひとつの舞台のために、これだけ多くの人と時間が費やされ、少しずつ形が出来上がっていく過程に加われたこと、また、マエストロ、演出家、ソリストとスタッフの皆さん、プロと言われる方々の仕事を間近に見られたことは本当に貴重な体験でした。(合唱団・後藤燈)
・私は導かれていたのだとソテロに言わしめた、一人の名もない武士に惹かれていく自分を感じております。(合唱団・尾崎正光)
・これだけのことに耐え抜くと、たいていの難儀は乗り越えられるような気持ちになっていることに気づかされている。(合唱団・阿部琢也)
・難しいものであればあるほど苦戦しますが、その分達成感が大きかったことです。(舞台スタッフ)
・初めは「ただただ難しい」だけだった作品が「私もどうしても伝えたいもの」が込められている作品になりました。「やればできる」が私の信条になりそうです。(合唱団員)
・このプロジェクトに関わられた皆さんと共有できた想い・時間・空間に尽きると思います。それから、自分たちがやってきた仕事が決して間違っていなかったと思えたことと、まだまだ追うべき先達や目標があると突きつけられたことでしょうか。(舞台スタッフ・(有)舞台監督工房)
・今までは観客側にいた自分が演じることに興味、関心が広がり、オペラ、演劇、テレビドラマひとつでも観る目が変わっておもしろいです。(合唱団員)
・仲間とひとつのものを築き上げていく大切さ、楽しさはジェネレーションに関係なくあるということ。(合唱団・亀井啓)
・“表現する”ということは、本当に奥が深いな~と感じました。(黙役・嶺岸加奈)
・大人が横のつながりを作るのはとても難しいことだと思いますが、この作品に携わった方全員が一丸となって努力した故にできた連帯感が、得られたものの中で一番大きなものではないかと思います。(合唱団・丹治花子)
・年齢に関係なく、人間が本気になってひとつのことに取り組む尊さ。(合唱指導・佐藤淳一)
・この年齢で学生時代のような仲間との熱い思いを共有できたことは、忘れがたい貴重な体験でした。(合唱団・藤川章子)
・大きな商業ベースにのったものばかり観ていましたが、地元のステージをチェックして色々観させて頂きたいと思うようになりました。様々な先生方の歌の表現上や演出上の常長への思いを伺い、分厚い哲学書を1冊読んだような気がしています。(合唱団員)
・六右衛門と我々自身とを重ね合わせていました。かつては運命にただ流されるだけだった私。しかし運命を自らのものとして受け入れ、その中で「できるだけのことをした」と胸を張って言える。あとのこと(この公演の成果)は後世の人々が考えてくださるでしょう。(合唱団・遠藤俊一)
・色々な合唱団の方、その他の方、よくあれだけの違った人々が、最後はまとまったと思う。団結力がすばらしかった。(合唱団・山並かな子)
・岩田先生が、「仙台の合唱団にしかできないことがある」というようなことをよくおっしゃっていて、遠い帆合唱団の立ち位置を考えることが多かったです。ただ歌うのではなく、歌うこと自体が生きることにつながっていることを感じた舞台でした。(合唱団・北村信子)
・プロの仕事を間近で見て、体験できたことは良い刺激になりました。自分も一社会人として質の高い仕事をしていきたいと思いました。(合唱団・佐藤明子)
・私は、宮城に来たばかりで、宮城のこと、歴史もほとんど何も知らなくて、知りたいと思っていたので、宮城の人、支倉六右衛門や伊達政宗のことが知れて良かったです。(児童合唱・村尾桃)
・ポスターでよく見かけていたことに参加したことが、やる気につながって、歌がもっと好きになりました。(児童合唱・梅澤眞子)
・「遠い帆」をやるにあたり、博物館に行ったり本を読んだり、またオペラをやってとても身近なものになった気がします。(児童合唱・佐野文海)
・子どもたちのやる気、努力、皆との協力、助け合う思いやりが伝わり、その喜びが子どもたちの家庭に届きました。(児童合唱事務局・庄子幸枝)
・どうしてもこのプロジェクトに参加したい!と強い気持ちを持って、自宅でも練習している姿に驚かされた。(児童合唱・大崎怜佳(母))


「遠い帆」関係者コメント:支倉六右衛門常長役 小森輝彦 氏
 「新しいムーブメントに」

 仙台の皆さんと一緒に仙台発のオペラをやる、そして自分たちの肉体をもって、三善先生が魂を込めて作られた音楽を聴いていただけるということが非常に大きな意味がある。復興というものが進んできた中で新しいムーブメントになればいいなと思います。

(2013年11月15日東京公演記者会見)


4. これからの抱負、事務局への要望、その他

・常に何か目標を持って進んでいきたいという思いが強まりました。(合唱団・村上ふみ)
・これを機に他のプロジェクトも立ち上がることを願っております。(合唱団員)
・初演で児童合唱団で歌っていた人が今回は大人の合唱団で歌っている、なんて素晴らしいことでしょう。これが地元に根づいて歌い続けていく本質だと思います。(合唱団・佐藤登美子)
・この公演に参加できたことは、わたしの合唱人生でも1位か2位くらいのとても大きくて貴重な体験でした。これを大事に心の中に持って、これからの人生を生きていこうと思います。(合唱団員)
・市民参加でありながら、プロのレベルが可能であるということを、このプロジェクトで実感しました。それはスケジューリングや、地道な基礎訓練や、事務局のバックアップ体制や、プロのオペラ歌手の方々の柔軟な対応や、地元の舞台人の方々のプレイングマネージャーやサブファシリテーター的なポジション取りのたまものだと分析しています。多分こういったプロジェクトを打ち上げ花火にせず、継続するのが行政の仕事なのだろうと思います。(黙役・野々下孝)
・数か月間、練習に参加できなかった私を「おかえり」と言ってあたたかく迎えて下さったことも、本当に嬉しかったです。皆さんのあたたかさに助けられました。(合唱団員)
・ラストチャンスと思って臨んだ「遠い帆」が、先へ向かう勇気をくれました。数年に一度でもよいので、事務局の皆さんと合唱団の皆さん、先生方と同窓会のようなものができたらなぁと思います。本当はこのメンバーでまた歌いたいです!(合唱団・後藤燈)
・若い人たちへ、この現場をよい経験にしてこれからの仙台市の文化づくりをこなしてください。(合唱団・尾崎正光)
・オペラ「遠い帆」という作品は合唱中心の作品で、私のレベルでも繰り返しやれば、音楽の好きな人なら歌うことのできる作品です。そして、新しい響きに満ちた不思議に心強い音楽です。ぜひ「市民が参加できる」仙台市の宝(財産)として、これからも定期的に、あるいは機会をとらえて、再演されることを願っています。(今回のような大掛かりなものでなくても。)(合唱団員)
・スタッフが出演者を支え、出演者が最高のパフォーマンスを行えた時、お客様が笑顔だったり心を揺さぶられて(⇒感動)劇場を後にされる。世界中が牙を剥いている今、自分たちが劇場で出来ることの重みを、より背負って進んでいきたいと思う。このような想いに導いて下さった関係者の皆様に感謝いたします。(舞台スタッフ・(有)舞台監督工房)
・「遠い帆」合唱団をこのまま終わらせるのはもったいない。何かの機会に「遠い帆」の合唱部分のコンサートがあってもよいのではと思っている。(合唱団員)
・新国立劇場の舞台に立てて、とても嬉しかったです。(黙役・嶺岸加奈)
・事務局もより専門的な力をつけていくべきだと思う。(合唱指導・佐藤淳一)
・歌うこと、演じること、人間(人生)のこと、舞台がどのように作られていくかということ、様々な仕事があるということ・・・etc。本当にたくさん学べた“濃い2年間”でした。(合唱団員)
・「遠い帆」は本当に深く素晴らしい舞台なので、これからも定期的に続けていってほしいです。(児童合唱・後藤優)
・学校との両立を続けて、よりよい音楽を作っていきたいです。(児童合唱)
・私はあの素晴らしい時間を一緒に過ごした共演者の方とまた「遠い帆」をやりたいです。(児童合唱)


「遠い帆」関係者コメント:原作・脚本 高橋睦郎 氏
 「成長するのが良い作品」

 良い作品というのはずっとそれが成長していく作品なんですね。そして作品を成長させるのは、最終的には観客であり読者なんですね。(中略)この作品が少しずつでも、公演の度ごとに成長して行ってくれれば、原作者としてこんなにうれしいことはないなと思います。

(2013年11月10日プレ企画トークイベント)


 様々な思いを持って集まった人々が、場所・体験・目標を同じくし、膨大な時間をともにすることで大きなエネルギーが生まれ、舞台が創り上げられました。震災を経験し、三善晃氏の訃報を乗り越えての「航海」は、どこか荒波を乗り越えながらヨーロッパをめざし進み続けた使節団の姿に重なります。

 今回の再演を経て一人ひとりが新たな知識や実感、仲間を得て、それが日常の生活や活動につながり、さらなる芸術文化の振興のきっかけとなること、またこの作品を財産として歌い継いでいくこと——。「遠い帆」の航海は、これからも人々の中で続いていきます。

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『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
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