連載・コラム

ちいさなミュージアムを支える、人のちから

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.9掲載記事(2012年12月14日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

 美術作品や歴史資料などの文化遺産に触れる機会を与えてくれる「ミュージアム」。ひとくちに「ミュージアム」といっても、ジャンルや公立・私設の別、規模の大・小など、さまざまな種類・個性があります。

 そのなかでも、規模の小さな私設のミュージアムは大きな施設と比べると、予算や展示空間に制約があり、そのぶん知恵を多く絞ることが必要とされます。

 しかし小規模であっても、大きなミュージアムに負けない存在感を醸(かも)し出し、キラリと光る活動をしている施設がいくつもあります。そのような施設を見ていくと、中心に浮かび上がる「人」の存在に気づきます。スタッフ、ボランティアの方々、お客様(来館者)をはじめ、館に関わる多くの人たちの等身大の「知恵」や「思い」が、ミュージアムを支える大きな力となっているのではないでしょうか?

 今回はvol.7に続き、ミュージアム特集の第2弾として、仙台市内の小さなミュージアムと、そこに関わる人々のお話をご紹介します。

時間と空間を超えた人の思いがミュージアムを支える
福島美術館(仙台市若林区)

修復工事をほぼ終えた福島美術館。建物の中では12月19日の再開に向けた準備が進められています(10月下旬撮影)

 東日本大震災後、仙台市内の文化施設がほぼ震災前の活動に戻っている中、1年9か月にわたる休館を経て、2012年12月19日に再開を果たす美術館があります。若林区土樋(つちとい)にある福島美術館です。

「福島コレクション」~福島禎蔵(ていぞう)の願い

 「街のちいさな美術館」をキャッチコピーに掲げる福島美術館は、全国的にも珍しい社会福祉法人による運営です。4階建てのビルの2~3階部分を展示室として公開する文字通り小さなミュージアムですが、伊達政宗など仙台藩主の書画をはじめ、近世から昭和初期にかけての絵画・工芸品等々、多岐にわたる資料約3,000点を収蔵しています。収蔵品の大半はもともと仙台の実業家・福島家の3代にわたるコレクションでした。それらを自らが設立した社会福祉法人共生福祉会に寄贈したのが、NHK仙台放送局を誘致したメンバーの1人であり、フジビールを製造販売した福島禎蔵(1890年~1979年)です。

 「福島禎蔵は、ライフセンター(今でいうカルチャーセンター)という施設をつくり、社会的に弱い立場にあった女性や障がい者が文化に触れる機会を提供していました。福祉には衣食住に加え、文化や教養が必要だという思想をもっていたんです。また、美術品や歴史資料がひとかたまりになっていることで意味をもつ“コレクション”を散逸させてはいけないという思いから、保存と公開を見据えて法人に寄贈したのです」と学芸員の尾暮まゆみさんが教えてくれました。美術館の構想は寄贈当初からありましたが、福島美術館として開館したのは禎蔵死去の翌年、1980年のことでした。

学芸員の尾暮まゆみさん
展示室で行われるギャラリートークの模様(2008年)

学芸員の思い~ちいさな美術館として

 福島禎蔵の思いが美術館として結実し、以来30数年。年3回(春・秋・新春)の企画展を開催し、数年前からは「福島家の玉手箱」と名付けた常設展示も公開しています。

 学芸員の尾暮さんは1991年から一時期を除き1人で学芸業務を担当してきました。最初、尾暮さんは大きな施設と自館を比べてしまったり、“やりたいこと”と“できること”の狭間でジレンマを感じていたそうです。それを払拭したのは、展示を見たお客様の声でした。「展示室に漂う防虫香の香りや墨の香りが懐かしい」「子どもの頃に母親や祖母と一緒に来たことを思い出し、また来てみました」「(展示されていた絵の)達磨(だるま)さんの顔が亡くなった父にそっくり」・・・・・・尾暮さんが館内に置いた「つぶやきノート」には、来館者の様々な感想が綴られました。

 お客様の声を聴くうちに、尾暮さんは気づいたそうです。「うちの館は展示ケースの奥行が浅い。展示施設としてはデメリットかもしれないけれど、そのぶん作品とお客様の距離が近く、間近で作品を見ることで思い出が呼び起こされたり、自分と向き合ったりしていただくことができる。デメリットとメリットは背中合わせなんだ」。

 そして、「大きな美術館は大きな美術館の役割があるけれど、うちの役割はゆったりとした時間を提供すること。小さな美術館の良さがわかりました。それから自分がここでやれること、やりたいことを見つけて、やっと居場所ができました。そう思えるまでに10年ぐらいかかりましたけど」と尾暮さんは笑います。

震災後 ひろがる支援の輪

 2011年3月11日の東日本大震災により、築40年近い福島美術館の建物には多くの亀裂が入り休館を余儀なくされます。やがてその亀裂から収蔵庫に雨漏りが生じ、資料を早急に避難させる必要が出てきました。しかし資料を梱包する資材が足りません。そこに助け舟を出したのが、以前から福島美術館と交流がある宮城学院女子大学の井上研一郎教授(日本美術史)。4月末から井上さんがメーリングリストで館の現状を発信すると、各地から必要な物資やお見舞い金が届き始めました。「ミュージアム関係者だけでなく、パフォーマンス芸術のアーティストの方々が公演で募金を呼びかけ、そのお金を送ってくれたこともありました。彼らは文化活動の大変さを知っているのでしょうね」と井上さん。マンパワーの面でも、学芸員ひとりだけでは遅々として作業が進まないところに、井上さんの教え子や福島美術館サポーターの方々が手伝いに駆けつけました。

左から宮城学院女子大学の井上研一郎教授、美術館の支援活動に携わった大学院生の相澤美保さん、日本文学科副手の中嶋早紀子さん
井上教授に呼びかけにより送られてきた資料を梱包するための資材

「七福絵はがき」をお礼に

 地道な作業がひと段落した2011年秋、建物修繕の見積もりが1,000万円強と出ました。複数の福祉施設を運営する民間の小さな美術館にとっては途方もない金額です。助成金だけではとうてい賄(まかな)えず、考えに考えた結果、「これはもうまわりの人にお願いするしかない」と、寄付を募ることを決意。震災の影響が残る中、「いただくだけでは申し訳ないので、何かできることはないかと考えました。それで、うちには収蔵品があるのだから、その絵はがきを作ってお礼に差し上げよう」との気持ちから、「七福絵はがき」が誕生します。

寄付のお礼に贈っている「七福絵はがき」。幸福や祈りの意味をこめて選んだ作品があしらわれています。「使っていただく方の思いを引き受けてくれるような作品を選びました」と尾暮さん

 寄付の呼びかけを開始したのが2011年12月15日。その4日後、初めて寄付の振込がありました。それも1日で12件。最初は館のリピーターのお客様でしたが、次第に輪が広がっていき、12月だけで97件の寄付がありました。「驚きと感謝でいっぱいでした」と尾暮さん。その後も全国から支援が寄せられ、2012年9月末時点での寄付は539件・約730万円にのぼりました。

宮城学院女子大学の学生による資料梱包作業の様子
展示室に避難した収蔵資料

再開、そして「再会」

 寄せられた支援により建物の修復も完了し、ようやく美術館が再開できることになりました。10月には、宮城学院女子大の大学祭にあわせ、「再開支援 福島美術館の華(たからもの)」と題した展示を開催しました。

今年10月に宮城学院女子大学で開催した福島美術館再開支援の展示。7日間で500人を超える来場者がありました

 美術館の再開日は1年前に寄付を初めて受け付けた12月19日。記念の企画展として、ファンが多いお正月の吉例展示「めでた掛け」を開催します。「震災復興 めでた掛け~再会」というタイトルは、「人との再会、作品との再会、さまざまな再会に思いをめぐらせ、感謝と祈りをこめて」再び美術館を開く、という尾暮さんの思いを表したものです。

 震災後しばらくして文化施設が次々に復旧していく中、自館再開の目途も立たない悔しさ、資料を守らなければならないプレッシャーなどから、学芸室でひとり号泣したこともあったという尾暮さん。ひとしきり涙を流した後にふと思ったことは、「自分が仕事で泣くのも笑うのもここなんだ。縁あってここにいる」ということ。そして「歴史の中で様々な災害や戦禍や苦境をくぐり抜けてきたもの(収蔵品)の力」と、それを引き受けることができる「有り難さ」、後世に伝えていくことの大切さを痛感した、と尾暮さんは言います。

 文化芸術を愛し品々を蒐集した福島家の人々。個人のコレクションを公の財産とした福島禎蔵。震災後、美術館の苦境に手を差し伸べた井上さん、学生の皆さん、サポーターの方々、全国の支援者。そして尾暮さん。一人ひとりの深い思いが時間や空間を超えてつながり、小さな施設を支える大きな力となりました。その力を得て、12月19日、福島美術館の扉が再び開きます。


社会福祉法人 共生福祉会 福島美術館
〒984-0065 仙台市若林区土樋288-2 TEL 022-266-1535
http://www.fukushima-museum.jp/

「震災復興 めでた掛け〜再会」感謝と祈りをこめて
会期/2012年12月19日(水)2013年〜3月3日(日)
〈関連イベント〉
 2012年12月19日(水)再開記念講演会
 2012年12月22日(土)再開記念座談会 2013年1月13日(日)ギャラリートーク(1)
 2013年1月20日(日)「再会」記念トーク 2013年2月15日(金)ギャラリートーク(2)
 2013年2月24日(日)「つながる和のこころ〜煎茶をどうぞ!」
 2013年3月3日(日)「紋きり遊び〜花ごよみ春夏秋冬」
開館時間9:00~16:30
休館日/毎週月曜日(祝・休日を除く)、祝・休日の翌日、12月28日~1月4日、2月3日(日)
料金/一般300円、学生200円(高校生以下・70歳以上・障がい者の方は無料)
〈アクセス〉仙台市地下鉄愛宕橋駅下車徒歩5分


注記)福島美術館は2019年3月末で閉館しました。

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鉄道は人と人をつなぐ
東北福祉大学鉄道交流ステーション(仙台市青葉区)

 1954年、北仙台—作並間で日本初の「交流電化試験」が実施されたことから、仙山線は鉄道ファンの間で歴史ある路線として知られています。その路線に、JR東日本管内で唯一大学の名前が付いた駅「東北福祉大学前駅」が開業したのは2007年3月のこと。それを機に駅前の大学キャンパス内に開館したのが、鉄道資料館「鉄道交流ステーション」です。

鉄道を知ると世の中を見る目が変わる

 鉄道交流ステーションでは、東北各地の鉄道資料を収集・保存し、展示やイベントを通して鉄道文化を広く紹介しています。館の名前は、大学・駅・地域を相互に結んで交流の輪を広げていきたいという願いと、仙山線が「交流電化発祥の地」であることを掛けて付けられました。

 取材時は「線路いろいろばなし」と題された企画展を開催中でした。ゲージ(軌間)の分類や保線作業のことなど専門的な内容に最初は戸惑いますが、「車両などと違って今回の“線路”のようなテーマはあまり日が当らない部分。それをあえて取り上げると、保線に従事している関係者の方がとても喜んでくださったんですよ」という学芸員・鈴木佳子さんのお話を聞くと、とたんに親近感がわいてきます。鈴木さん自身、この職に就くまで鉄道には縁も興味もなかったそうですが、今では旅先で変わった車両を見ると思わずカメラに手が伸びるとか。鉄道愛好家の方から「もう立派な“鉄子”」との太鼓判が押されるほど。「鉄道を深く知ると、世の中を見る目は変わりますよ」と鈴木さんは言います。

 館内の展示資料は愛好家の方から借用することも多いそうですが、「皆さん、コレクションへの愛着はとても強い。しかし、人生を賭けて収集したコレクションでも家族には理解されないケースも多く、中にはとても貴重な資料なのに持ち主が亡くなると処分される例も少なくないのです」。その受け皿のひとつとして認知されたい、と鈴木さんは話します。

学芸員の鈴木佳子さん
「みちのく鉄道応援団」の小林和夫さん

資料館を支える応援団

 鉄道交流ステーションには強力な応援団がいます。その名も「みちのく鉄道応援団」。鉄道を愛する方々の集まりで、交流ステーションの展示やイベントのたびに協力しています。

 「みちのく鉄道応援団」の前代表幹事・小林和夫さんは、現在、週に1回ボランティアとして交流ステーションの展示解説などを担当しています。父親が秋保(あきう)電鉄の社長を務めていたという小林さんは「子どもの頃から電車の音を子守唄がわりに聞いていたから、自然に鉄道が好きになったね」と語ります。世界の鉄道を見てまわる中、イギリスの鉄道博物館で蒸気機関車“マラード号”の実物に出会い、「本物は感動が違う」と実感したという小林さん。その経験から「鉄道の車両も文化遺産。きちんと保存して、子どもたちに伝えなければなりません」。そのためには鉄道ファンだけでなく、地域住民や理工系の大学の先生などさまざまな人たちの理解と協力が必要だと小林さんは言います。「だから、鉄道交流ステーションのような資料館の存在は大きいと思います」。

 「線路の向こうには何があるんだろう、この線路はどこから続いているんだろうというロマン、それが鉄道の魅力」と語る小林さん。鉄道への熱い思いも、果てしなく続きます。

思いを乗せた鉄道模型

 鉄道交流ステーションになくてはならない人物のひとり、それは東北福祉大学特任教授の菊地公一さんです。物理化学者である菊地さんは、大学生の頃に出会った鉄道模型に魅了され、自宅の8畳間を模型部屋にしていたほどの愛好家。館内で大きなスペースを占めるNゲージ模型レイアウトを改良したり、今年から登場した二重らせん構造のオリジナル登山電車の模型を手がけました。

 この日は中学生が校外学習で来館し、菊地さんの指導のもとNゲージの運転に挑戦しました(注:通常、来館者は運転できません)。最初に菊地さんから「この模型は実物の150分の1の大きさです。例えば時速72kmで走る車両は、この模型上ではどれぐらいの速さで走らせればいいでしょうか?」といった問題が出て、中学生たちは懸命に計算。答えが出ていざ運行開始!・・・・・・しかし、速度の調節やポイントの切り替えなど、操作はとても難しいようです。鉄道模型の奥深い世界を垣間見ました。菊地さんに、研究との共通点は?と尋ねると、「研究では、新しい装置を自分で考え出さないといい実験ができません。鉄道模型も工夫が必要な点で同じです」との答えが返ってきました。

校外学習の中学生を案内する菊地公一さん(右端)

 現在、菊地さんは、館内に新設される「鉄道模型館」の準備を進めています。そこに展示されるのは、亡くなった先輩が大切にしていたというドイツ製の鉄道模型。菊地さんの緻密な計算と工夫でレイアウトされた線路に、亡き人の思いを乗せた車両が走るのは、来年(2013年)秋の予定です。


東北福祉大学 鉄道交流ステーション
〒981-8523 仙台市青葉区国見1-19-1 ステーションキャンパス館3階 TEL 022-728-6612  
http://www.tfu.ac.jp/rmlc/index.html 開館時間10:00~16:00
休館日/毎週日曜日、月曜日、祝日、年末年始(その他大学行事により臨時開館・休館あり) 入館無料
〈アクセス〉JR仙山線 東北福祉大前駅下車すぐ


注記)2022年4月の大学組織改変により、鉄道交流ステーションは「地域創生推進センター 生涯学習支援室『鉄道交流ステーション』資料係」に変更、11月現在、展示室および模型館は閉室となりました。

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「我々の家」に集う人びと―ミュージアムコンサート 30年の歩みとともに
中本誠司現代美術館(仙台市青葉区)

 閑静な住宅街に建つ、白い壁の不思議な建物。まるで南欧のどこかの町に迷いこんでしまったかのような錯覚を起こさせるこの一軒家が、中本誠司現代美術館です。

「我々の家」

 現代美術家の中本誠司(なかもとせいし)は1939年に鹿児島県屋久島で生まれました。世界各地を旅しながら創作活動を行っていた中本は、1970年代に帰国した後、仙台に定住します。スペインが大好きだった中本が自らブロックを積みセメントを塗り、4年の歳月をかけて造り上げたのがこの自宅兼アトリエでした。建築中の様子を取材した当時の新聞記事で、中本は「1階は画廊、2階は青空アトリエのようなものにしたい。世界中にひとつしかない、“美術館”として、将来はコミュニケーションの合った人たちに開放したい」と語っています。

 「中本にとってはこの建物自体が作品で、〈我々の家〉という名前を付けました」と、中本のパートナーであり、現在は美術館の理事長を務める大内光子(てるこ)さんが教えてくれました。中本の言葉通り、完成後は実際に室内を開放し、作品発表やアーティストたちの交流の場として提供されてきました。中本は2000年に60歳で他界しましたが、その後も彼の精神は大内さんたちによって受け継がれ、展示やイベントなどの自主企画のほか、展示室の貸出を行い、若いアーティストたちが作品を発表しています。

美術館理事長の大内光子さん(右)とミュージアムコンサートオルガナイザーの鈴木優子さん(左)

人が集まる美術館に

 美術館の恒例イベントに、展示室を会場にした「ミュージアムコンサート」があります。1982年に始まり今年で30年。1年に3~4回ずつ実施し、現在103回まで回を重ねています。

 コンサートを始めたきっかけを大内さんに尋ねると、「現代美術ってなかなか人が集まらない(笑)。この美術館に人を呼ぶにはどうしたらいいかと思って」。そこで大内さんの友人である声楽家の鈴木優子さんら音楽仲間がコンサートを発案しました。もともと美術館には演奏家でもある大内さん所有のチェンバロがあったため、バロック音楽を中心に、ギターや現代音楽など幅広いプログラムを組んできました。回を重ねるにつれてお客様が増え、中本誠司本人が「コンサート会場を別に作ってくれ」と言ったほど。

 時には終演後に演奏者との交流会が催され、そこで鈴木さんの手料理がふるまわれることも。「最初の頃は出演しながら宴会の料理を作っていたんですよ」と鈴木さんは笑います。その後鈴木さんは裏方に回ったものの、このコンサートが「手作り」であることは今も変わりません。予算がないので演奏家への謝礼はわずか、準備もすべてボランティア。「100回続くとは夢にも思わなかった」と大内さんと鈴木さんは口をそろえます。

11月4日(日)に開催された第103回ミュージアムコンサート「フランス音楽の楽しみ」の様子。出演:ジョシュ・チータム(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、宇治川朝政(リコーダー)、福間彩(チェンバロ)

アーティストを支えていければいい

 これまでの出演者の中には、バッハ・コレギウム・ジャパンの音楽監督・鈴木雅明さん、チェンバリストの曽根麻矢子さんなど日本を代表する音楽家の方々も。演奏家同士の情報交換から、「ぜひここで演奏したい」という申し出も寄せられるそうです。「演奏家の方々にとっては、小さな空間でお客様を目の前にして演奏できるのが励みになるようです。そういう気持ちだけで出ていただいているんです」と鈴木さん。お客様としても、心のこもった演奏を間近で聴けることは無上の喜びです。

 加えて美術館側の細やかな気遣いも。コンサート会場には中本誠司の作品が展示されていますが、それらは、中本が残した膨大な作品の中から曲や演奏者のイメージに合ったものを館長の今野純市さんをはじめスタッフの皆さんが毎回選ぶのだそう。スタッフ、演奏者、お客様・・・・・・その三者の気持ちの相互作用が、手作りのコンサートを継続させる力となっているようです。

 ミュージアムコンサートの影響か、最近はここで作品展を開く若い美術作家が、オープニングイベントとして音楽家を呼ぶこともあるとか。「美術と音楽を一緒にできるということが自然に形になって現れてきているのね。私たちはそういう活動を支えていければいいと思っています」と大内さん。中本誠司が残した「我々の家」は、確実に次世代に引き継がれているようです。


中本誠司現代美術館
〒981-0923 仙台市青葉区東勝山2-20-15 TEL 022-272-7100  http://www.seishi-nakamoto.com/
開館時間 10:00〜18:00 休館日/火曜日 入館無料
〈アクセス〉JR仙台駅から宮城交通バス「宮城大学行き」「宮城学院行き」で「東勝山中央」バス停下車徒歩5分


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『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/