連載・コラム

震災から半年 わたしが今考えること

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.4掲載記事(2011年9月15日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

 3月11日に発生した東日本大震災は、宮城・仙台の文化芸術活動にも大きな影響を与えました。ホールの被災・休館によって大半の公演は中止となり、文化団体は活動の休止を余儀なくされました。人知の及ばない災害の前に立ちすくみ、芸術の力とは何か、と繰り返し自問したアーティストも数多くいたことでしょう。

 震災から半年がたち、施設は徐々に再開し文化活動は復興に向かっているように見えます。そのような中、文化芸術の分野で活躍する仙台ゆかりの方々は、いま何を思い、感じ、考えているのでしょうか。18人の方に文章を寄せていただきました。


渡部 三妙子さん
ミュージカル劇団「OH夢来’S」顧問

 『みんなが元気になれる場所を創ろう!』をスローガンに舞台製作活動をしていましたが、震災後かなりぐちゃぐちゃと悩んでいます。あまりにも『現実』が強烈すぎて、それに比べ被害を受けていない自分の思うことはあまりにもウソっぽく感じる。恐る恐る被災地に出向いて子ども達と遊んでいますが、そんな行動にもまた疑問。これは自分本位な活動だよな……。なんてことでまた悩む。自分の内外に『本当』を探し求め出口の保障のない迷路を歩き回るような感覚です。情けない私の背中を押してくれたのは、4月の公演が震災の影響で延期となり、奇跡的に会場が決まったときの子ども達の喜びや、自分達の公演で多くの人を元気にしよう!と頑張るその姿です。彼らの瞳には確かな『本当』があります。『これが私たちの活動の原点だよな』と恥ずかしながら再確認いたしました。『やれることをやろう!』ありふれた言葉ですが、きっと『本当』はそこにあるんですよね。

8月の公演を前に、体育館を借りて稽古に励む「たまごファーム」の子どもたち。

渡部 三妙子 (わたべ みさこ)
福島県いわき市生まれ。オリジナルにこだわった在仙ミュージカル劇団「OH夢来’S」の顧問、子どもミュージカル劇団「たまごファーム」の代表を務める。今年4月に予定していた「たまごファーム」の公演「ワンダ〜ランド〜不思議の国へ出かけよう!〜」は震災で延期となり、8月に上演した。

→トップに戻る


桃生 和成さん
「Book!Book!Sendai2011」副実行委員長

 嗚咽するほどドラマチックでもなく、眉間に皺をよせるほどシリアスにでもなく……。3月11日後、初めて集まったBook!Book!Sendai(B!B!S)のメンバーの中に、イベント中止を考える人はいませんでした。今年メンバーに加わった私は、決して背伸びしているわけでもなく、「当然やりますよ」といった自然な空気からB!B!Sの強さのようなものを感じました。「がんばろう東北」「思いは一つ」といったメッセージではなく、私たちが届けたかったのはイベントを通した日常の姿です。

 6月25日(土)、サンモール一番町商店街で実施したBook!Book!Sendai2011のメインイベント、Sendai Book Marketには雨がぱらつく中たくさんの方に来場いただきました。会場には古本店主を体験できる一箱古本市を中心に本を通した人々の交流の時間がゆるやかに流れていました。

 「楽しみにしてましたよ」「これからも続けてくださいね」というたくさんのメッセージをパワーに変えて。来年も再来年も日常の断片としてBook!Book!Sendaiは続いていきます。よろしくどうぞ。

6月25日に開催されたSendai Book Market2011の様子。一箱古本市のほか、被災地に本棚を贈るためのバザーなども開かれた。

Book!Book!Sendai
2008年、古書店・出版社・ライター・書店員ら本好きのメンバー10人が「杜の都を本の都にする会」を結成。2009年から「Book!Book!Sendai」として、「6月の仙台は本の月」を合言葉に、一箱古本市(会場はサンモール一番町商店街)や本にまつわる様々な催しを開催している。

桃生 和成 (ものう かずしげ)
仙台市生まれ。東北の日常をおもしろくする活動を展開している「つれづれ団」の団長。Book!Book!Sendai2011では副実行委員長を務めた。

→トップに戻る


榊原 光裕さん
定禅寺ストリートジャズフェスティバル実行委員長、 みやぎ音楽支援ネットワーク 発起人代表

心の復興へむけて

 震災直後、多くの団体・個人が支援の活動をはじめた。医療、衣食住、インフラの再構築……これら、生きていくための最小限の支援は、すべてを失った人々の心身を救った。しかし、集落としての街が復興するには、まだまだこれから10年、20年という時間を必要とする。自衛隊の支援活動も終了し、外部からのボランティア参加も急激に少なくなっている。しかし、支援が本当に必要なのは、これからだ。

 仮設住宅という町で……故郷から遠く離れた町で……人と人の結びつきを失い孤立していく弱者がいる。私たちは、そういう人たちを「音楽の力」で救えないかと、その方法を模索している。毎週1回一緒に歌うだけでもいい。音楽に合わせて手を打つだけでもいい。口笛でもハーモニカでも練習したら、発表会をしよう。音楽が、そういう人たちの心の復興を、ちょっとだけでも助けることができたらいいと思う。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル実行委員会による気仙沼のジュニアオーケストラのコンサートへの支援
被災地の子どもたちに新しい楽器を贈る、みやぎ音楽支援ネットワークの活動

榊原 光裕 (さかきばら みつひろ)
仙台市生まれ。作曲家・ピアニストとしてミュージカル・映画音楽・CMなどの音楽を担当するほか、ジャズユニット「Happy Toco」のメンバーとしても活動。定禅寺ストリートジャズフェスティバルの実行委員長、被災地の復興を音楽の力で支える「みやぎ音楽支援ネットワーク」の発起人代表として支援活動を行う。

→トップに戻る


木村 浩一郎さん
デザイナー

 東日本大震災により亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げますとともに被災された方々に心からお見舞い申し上げます。1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

 仙台が、3・11以前のようにクリエイティブな活気で溢れ、新しいモノやコトが生まれるきっかけとなるように、東京をはじめ、全国や世界で活動している、国内外のアーティストやデザイナー、そしてクリエイティブな活動を支えている方々(アート、ファッション、デザイン、グラフィック、建築など)からその創作活動にインスピレーションを与えてきた本や雑誌をご寄贈いただき、私のショップ内に「My Favorite」というBOOKコーナーを設置しました。

 被災地のクリエーターの方やデザインやアートを愛する方々にご寄贈いただいた本をご覧いただくことにより、アートの力で元気や活力を取り戻し、ひいてはこの「My Favorite」が被災地のクリエイターの方々の創作活動のサポート的な役割になれればと本を通した双方向の創造性の交流活動をおこなっております。

 今後は賛同者との交流活動を仙台及び東京でおこない、そこで生まれたものの発表の場を作り、創造性の交流により、新しいムーブメントが生まれればと考えており、また、震災により被害を受けた東北人の底力を今こそ発揮し新しい創造へ繋げ、その創造性で平和と復興をおこなうのがクリエーターの使命と考えます。

 今後、創造された力と勇気のある作品群が後世へと受け継がれていく事を願い、末永く活動を続けて参りたいと思っております。

ショップ内に設けられた「My Favorite」のコーナー 
学校の授業で、「My Favorite」に寄せられた本を手に取る学生たち。

木村 浩一郎 (きむら こういちろう)
仙台市生まれ。400年にわたる家業・漆器業の伝統技術とハイテクノロジーを融合させ、テーブルウェア、インテリアなど多岐にわたる作品を手がける。そのアート性から現代アヴァンギャルドデザインを代表する1人と言われている。

→トップに戻る


佐々木 隆二さん
写真家

妻の写真

撮影:佐々木隆二

 「車や家はまた買えばいいが、この写真だけはどこにも売ってないものね。1枚だけやっと見つかって・・・・・・」。

 輝夫さんは自宅があった場所から1.2キロも離れたがれきの中から妻の写真を見つけた。遺体は発見されたものの、写真は1枚も無かった。見つかったのは37年前の花嫁姿の写真。輝夫さんは「不思議なもので、よし子と出会った若い頃のことばかり思い出しますね」と、少し照れた。

 写真は一瞬を固定する。時間も空間も心の思いさえも瞬間接着剤のように固定してしまう。

 輝夫さんはいま、その固定された時を巡り、2人で過ごしたかけがえのない時間を蘇らせて、写真に話しかけているという。

 「ありがたいことに避難所では3食出るので、食うのには困っていません。でも1食でもいいからまた、2人で一緒に食いたいね」。輝夫さんはそう言いながら、泥と染(し)みにまみれた花嫁姿のよし子さんの写真をそっと撫でた。

佐々木 隆二(ささき りゅうじ)
気仙沼市生まれ。東北の文化・民俗・暮らしなどをテーマにした写真や、仙台文学館の初代館長を務めた作家、故・井上ひさし氏のポートレイトなどを撮り続ける。著書に『宮城庶民伝』(共著)、『ひたすらに生きて』(共著)、『写真集・風の又三郎』など。今年7月には「仙台コレクション」(仙台の風景を1万枚の写真で記録するプロジェクト)で震災後の写真展を開催。

→トップに戻る


森 まゆみさん
作家・編集者

雄勝天然スレートの復興を!

石巻市雄勝にある「雄勝天然スレート株式会社」の木村社長。自宅・工場は津波で全壊してしまった。背後の山がスレートの岩脈、明神山。

 やるべきことはたくさんある。そのひとつとして被災地の伝統文化産業の灯を絶やさないことをあげたい。四半世紀前、東北への玄関、赤煉瓦の東京駅の保存の際、雄勝、登米、仙台からたくさんの賛同署名が送られてきた。なぜなら大正3年の東京駅が完成した時の屋根スレートは雄勝産、昭和20年空襲で焼けた時の修復は登米産だったからだ。

 保存は成功し、東京駅は国の重要文化財になり、いま創建当初のすがたに修復中である。そのための古材スレートは石巻の北上で手入れ中、新材は雄勝から切り出して発送するばかりだった。そこに3・11の津波、被災したスレートが工事に使われなかったらどうするのか。相談を受けて、私は17人に発信、1週間のうちに「ぜひ被災したスレートを使って」という賛同人は3000人を超えた。JR東日本の努力もあってこの被災スレートはきれいに洗って東京駅の屋根にのることになった。よかった!

 東北復興のシンボルになることを望む。私は2度、現地を訪ねたが、雄勝の天然スレート産業が復興しないと日本の洋館の屋根は国産スレートでは葺けなくなる。いま、硯産業、また北上川河口の茅葺き屋根産業もふくめ、復興の募金をはじめたところだ。

森 まゆみ(もり まゆみ)
東京都生まれ。地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集の傍ら、ノンフィクション、エッセイ等を多数手がける。祖先のルーツが宮城県丸森町にあることから、同町で農業にも従事。東日本大震災発生後には宮城県内・福島の被災地に本を届ける活動を行った。

→トップに戻る


渡邊 慎也さん
地域文化・出版文化史研究家

文芸作品に見る水 二題

(左)“末の松山”に迫った津波の痕跡(右のフェンスに白い跡がついている)
(右)みごとな枝ぶりを誇る“末の松山” いずれも筆者写す

 あまり知られていないことだが、江戸時代中期から明治初年にかけて、仙台城下国分町の商家の一部は、屋敷内に水を引き込んでいた。細横丁(現晩翠通)にあった“柳清水”(仙台三名水の一つ)から、竹の管を束ね地下を通し、水道としていたのである。『仙台市水道50年史』に僅かの記録が残るが、詳細は不明となっていた。

 ところが元仙台ホテルの祖、大泉家九代北鳳は得がたい史実を残してくれた。北鳳の句集の中に、寛政7年(1795)の新年に詠んだ「流れ来る柳清水に初手水(はつちょうず)」という一句があり、歳の初めに水道を使う喜びが満ち溢れている。

 もう一つ。仙石線の現多賀城駅近くに、名勝「末の松山」がある。これは古歌の「ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつ すゑのまつ山なみこさじとは」という、あり得ない話のえとして名高い。今回も写真の示すとおり大津波は数メートル手前で止まり多くの人命を救った。これらは文芸作品の中に、歴史の真実が込められていることを示している。

渡邊 慎也 (わたなべ しんや)
仙台市生まれ。会社勤務の傍ら出版史研究を続け、多数の論文を発表。2005年、20世紀前半の郷土史料を引き継ぐ“杜の都の都市文化継承誌”『仙臺文化』を同人12人と発刊。2010年に11号で終止符を打った後も、ライフワークの“地域情報の共有化とその継承”に引き続き取り組んでいる。

→トップに戻る


いがらし みきおさん
漫画家

 災害時に漫画家はなんの役にも立たないのがわかりました。役に立つとすれば漫画家ではなく、一個人の立場で救援物資を送るなり、ボランティアなり活動した方がよいのは明白です。とは言え、頼まれればボランティアとして絵を描いたり、文章を書いたりはしていましたが、それがどれほどの役に立ったのかはたいへん心許ないです。ひとまず「やった」という自己満足に頼るしかないでしょう。今はまだ被災した人々の周りに、ボランティアだったり、同じ被災者だったり、家族だったり、誰かがいてあまり孤独に陥ることもないかもしれません。しかし、いずれ人は必ずひとりになります。そして漫画というものはひとりになった時に読まれるものです。その時になにか伝えられるものが私にあればと願いますが、今はまだありません。やはり役立たずです。役に立たない者として、なにか伝えられるものが出来る日まで、震災のことを考え続けるしかないと思います。

いがらし みきお
宮城県中新田町(現・加美町中新田)生まれ。会社勤務を経て漫画家デビューし、1986年に連載を始めた「ぼのぼの」が大人気となる。その他の作品に「忍ペンまん丸」「Sink」「かむろば村へ」など。

→トップに戻る


佐々木 克則さん
東北共立

「心地よさ」の回復を願いつつ

 小さくはない余震にも慣れてきた停電が続く夜、ある歴史上の女性を綴った本をヘッドランプのたよりない灯りで読んでいた。電話帳程もあったがあと数ページ。浮世離れした本をその日中に読破しようと3・11以前から決めていたのだが、或いは揺れる不安からの逃避だったのだろうか。

 大好きだった海岸線や、運河など人の営みが創り上げた風景が人々の心と共に崩れた。この「大震災」は「大心災」とも言える物で時折心が折れそうになる毎日を送っている。直接被災された方々の痛みは計り知れないし、間接的な被害はそれこそ日本中に広がっているのだから。

 私は音を聴く環境を作る仕事に携わっているが、「より良い音」を求めてそれまでは過ごしていた。他の環境は当然揃っているものとして。しかしそれは、失って初めて判った。

 東北に生き同じ痛みを背負う1人として何をすべきか自分をリセットして、改めて考えてみた。 演奏家は祈りつつ、その音に想いを込めて演奏する。演技する者はその魂を込める。

 自分に出来る事は、コンサートを聴きに来て下さるお客様がそのパフォーマンスを素直に受け止められる「心地よい」環境を創る事かもしれないと。

 直接被災地までは届けられないが、多くのファンのためホールの環境が「心地よさ」に繋がるよう努めて行きたい。携帯が通じ始めたころ「もう音楽は聴いているか?もう俺は聴いているよ!」と知人から連絡があった。食料の調達もままならないのに、私は何やらうれしくなったのを覚えている。

 人が生きていくためにはその人なりの「心地よさ」という感情が不可欠なのだと。

 青年文化センターコンサートホール復旧後、ホールの微妙な音の響きが少し変わった気がしている。それは機械で測定しても判らないのだが、若い後輩も感じていたらしい。

 何か些細な差が出来たのだろうか?あの日以降、自分は何か違う地平にいる様でならない。SF小説ではないけれど地軸も何インチか傾きが変わったという話だし。

 しかし、少し変わったと感じる「響き」はそんなに悪くない。

 むしろ、いいのかも、しれない。

 皆さんもコンサートを聴きにいらしたら、確かめてみてはいかがでしょうか?

佐々木 克則 (ささき かつのり)
仙台市生まれ。東北地方を中心にイベント、コンサートなどの照明・音響・映像等に関する業務を行う株式会社東北共立のスタッフ。現在、青年文化センターにおいて舞台音響を担当している。

→トップに戻る


西大立目 祥子さん
フリーライター

思い出の中にさぐる、これからの一歩

 荒浜や藤塚をはじめ、この震災で被害を受けた地域に、私は親近感を抱いてきた。七郷には、地元のおじいさんたちとの協同作業で雑誌づくりをするために3年通ったこともある。仙台の暮らしが成り立ってきたのは、江戸時代以来、ここで米づくりをする人たちがいたからである。塩をかぶり作付けができなかった田畑を前に、地域の方々はどんな思いでいらっしゃるのだろう。

 仙台市の復興計画次第では、ここには人が住めなくなるかもしれない。1600年代初めの慶長の大津波のあと、湿地を切り開き苦難をこえて営まれてきた村の暮らしが消えると思うと、話を聞かせてくれた人たちの顔が浮かんでいたたまれない気持ちになった。

 そんなとき、市民文化事業団の「RE:プロジェクト」にライターとして参加しませんか、とお誘いを受けた。被災地のかつての暮らしをたずね、そのお話をペーパーにして地元の方々にお届けする試みだ。未来へ一歩を踏み出すためには、過去の暮らしを思い起こす作業がいる。大震災に見舞われた方々の思い出に耳を傾け、寄り添っていたいと思う。

西大立目 祥子 (にしおおたちめ しょうこ)
仙台市生まれ。フリーライター。街歩きを契機に歴史的建造物の保存に関心を深め、2006年「まち遺産ネット仙台」を立ち上げる。著書に『仙台とっておき散歩道』『寄り道・道草 仙台まち歩き』など

→トップに戻る


須田 聖さん
仙台ジュニアオーケストラ団員

 今回の地震で、私達仙台ジュニアオーケストラのスプリングコンサートは中止になってしまいました。震災の前日もコンサートに向けて練習していました。

 この地震を通して、私は命の大切さ、ジュニアオケで楽器を弾ける喜びをあらためて感じました。私の友達の中には、津波で家を流された子もいます。そんな中、ジュニアオケの練習が始まらず、私は団員のみんなと早く会いたいと思いました。

 やっと練習が再開されました。震災から6ヶ月経った今でも時々余震を感じます。でも、震災に負けず、私達は7月にスプリングコンサートの曲目で特別演奏会を開くことができました。練習時間が減ったり、気分が暗くなったりもしたけど、無事に団員全員が参加できて本当に良かったです。

 今後は、あらためて感じた命の大切さ、ジュニアオケで弾ける喜びを忘れずに、日々練習していきたいと思います。

仙台ジュニアオーケストラ
1990年発足。小学5年生から高校2年生の児童・生徒が団員で、毎年秋の定期演奏会と春のスプリングコンサートを開催している。音楽監督は仙台フィルハーモニー管弦楽団の正指揮者・山下一史氏が、講師陣は仙台フィルの楽団員が務める。

須田 聖 (すだ ひじり)
仙台市生まれ。現在高校2年生。小学5年生のとき、ジュニアオーケストラに入団し、ヴィオラを担当。

→トップに戻る


とよた かずひこさん
絵本作家

でんしゃにのって、バスにのって

 震災後1週間ぐらいたったころであろうか。知人、友人の安否がつかめず憔悴していた小生の仕事場(東京・高田馬場)に自宅(八王子)にいる女房から電話があった。「今、テレビを観ていたらオトーサンの絵本の“でんしゃにのって”が避難所で読みきかせされていたよ。いやあ、オトーサンの仕事も人の役に立っているんだね」 私「……」

 どうやらNHKテレビの夕方のニュースで避難所の様子として放映されたらしい。多分、現場に居合わせた保育士さんが即興で子どもたちに読みきかせをしてくださったのだろう。

 「はい、おじゃましますよ」と挨拶して電車に乗ってきた行商のお婆さん——、昔、仙石線野蒜(のびる)駅で見た光景が基になって出来上がった作品だ。ただただ平穏な日常を描いている。

 6月、毎日新聞から被災地の子どもたちを励ます掌編童話をという依頼があった。『バスにのって』——主人公ののびる君が閖上6丁目まで出かける話を逡巡しながら書き上げた。

とよた かずひこ
仙台市生まれ。絵本作品に『でんしゃにのって』『どんどこももんちゃん』『バルボンさんのおでかけ』『おにぎりくんがね…』ほか多数。おもに東北地方の小・中学生の詩を対象にした「晩翠わかば賞・晩翠あおば賞」の選考委員を務める。

→トップに戻る


佐伯 一麦さん
作家

 いま私たちは1970年頃の見直しと後始末にあたっているのだと思います。実質的な高度経済成長はもはや期待できない、という流れの中で、原子力発電やアスベストに代表されるような技術革新、効率化、省エネによって、日本は経済成長をさらに無理に推し進めた。そのツケが、震災を経て、いまに至って廻ってきている。

 閖上の日和山に登ったときに、港町にはかつて、経験を積んだ日和見の専門家がいて、日和山へ登って雲行きや風向きを調べて天気を占った。震災のさいにも、海に津波の兆候をいち早く見たのではないか……。現代では日和見という言葉はあまりよい意味では使われなくなってしまったが、作家もまた日和見のようなものではないか、と思わされました。

 復興に直接役立つというわけではないが、月を友とし、社会からこぼれ落ちてしまう存在に目を配りながら、1970年から何か掛け違いが始まった、ということを冷静に自他に問いかけていきたいと考えています。

佐伯 一麦 (さえき かずみ)
仙台市生まれ。週刊誌記者や電気工の勤務の傍ら小説を書き、その後執筆活動に専念。おもな作品に『川筋物語』『鉄塔家族』『ノルゲ』『誰かがそれを』など。

→トップに戻る


熊谷 和徳さん
タップダンサー

 震災から5ヶ月、七夕まつりの仙台から帰る新幹線のなかでこの文章を書いています。

 毎月仙台には来ていましたが、今回は震災直後からは考えられないほど盛りあがっている街なかの風景に、そして世界中から送られている短冊のメッセージに胸が熱くなりました。

 その一方で、まだまだ未解決であろう沿岸部の復興、そして現在進行形で続いている原発の問題は普通にもどりつつある街なかの日常との大きなギャップが広がりつつあるのではないでしょうか。

 自分が毎週仙台で教えているタップのワークショップ受講生のなかでも、震災による影響の大小によって、クラスに来られる方、なかなか余裕の持てない方がいらっしゃいます。そこには一見してはなかなか見えない、震災による明暗の別れがあるような気がするのです。

 これからの復興にあたっては、このギャップをそれぞれが思いやる心の持ち方のようなことが非常に大切ではないかとおもいます。

 震災直後、みんなが助け合いこの歴史的な震災を乗り越えるために頑張ったあのエネルギーをこれからも忘れることなく、まだまだ大変な場所へ目をむけていくこと。仙台の隣街である福島の問題もまた他人の問題ではないでしょう。自分達が食べる農作物のこと、魚介類のこと、そして子供達の将来のことは今まさに自分達の復興を考えるうえで考えなくてはいけない問題であるとおもいます。

 東北の中心といわれる仙台市がこれから担っていくべき役割はとても大きいとおもいます。これからは世界に向けて、この場所から未来へのポジティブな可能性を発信していく時だとおもいます。自分自身は、タップというアートと共にこの仙台から発信していきたいです。これからずっと先まで、自分が育ったこの街に誇りをもって、みなさんと共に歩んでいきたいです。

熊谷 和徳 (くまがい かずのり)
仙台市生まれ。15歳でタップダンスを始め、19歳で渡米しニューヨーク大学で学びながらタップのトレーニングを受ける。帰国後はソロ公演のほか多彩なアーティストとの共演、ワークショップなどの活動を続ける。仙台では2007年から「KAZUNORI KUMAGAI TAP WORKS」を開講し、子どもからシニアまで多くの受講者が参加している。

→トップに戻る


神谷 未穂さん
仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター

 震災以降、私達仙台フィルの活動も大きく変わった。多くの被災者の方の安否確認が出来ず、ライフラインもこれから、という時に、避難所等での演奏活動を開始した。時期が早過ぎるのではというご意見も頂き悩んだが、自分達自身を助けてくれた音楽の力を何としても届けたい、という思いが強かった。ある避難所では、多くの方が体調を崩し寝込んでおられ、入口で「演奏したら、みんな起きてしまうではないか!」と注意された。演奏せずに帰るべきか、と不安に思いながらも「ゆったりした曲を演奏するのでBGMがわりにでも聴いて」と演奏し始めた。1曲弾き終える毎に「生演奏はいいものだね。来てくれて本当に有難う」と皆さん涙を流して喜んで下さった。多くの楽団員が同様の体験をしている。仙台フィル全員で一丸となり音楽で被災地を必ず復興させよう、という強い思いが私たちの活動を続けさせている。

神谷 未穂 (かみや みほ)
札幌市生まれ、鎌倉市育ち。6歳でヴァイオリンを始め、桐朋学園大学、ハノーファー国立音楽大学、パリ国立高等音楽院で学ぶ。パリを拠点に幅広い演奏活動を行い、2010年9月、仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任した。東日本大震災後、仙台フィルの復興コンサート、訪問コンサート等で活動。

→トップに戻る


和合 亮一さん
詩人

 出口の見えない福島に暮らして半年が経った。ありのままを伝えていくにはどうすれば良いのか。放射線と睨(にら)み合う私たちの生活そのものが、恐らくは長い時間をかけてこのまま蓋をされていってしまうのかもしれない……、そんな危惧を抱きながら、静かな難しさと狂おしさと、悲しみと対峙している毎日である。

 「福島を語ろう」という会を開いた。初めて会った方々数人でここまでの想いをそれぞれに話す場を、各テーブルのファシリテーターの進行のもとに設けた。参加者は時には泣き出しながらここまでを話し、今を確かめ合った。空っぽになるまでしゃべり、涙を流すことが、次の一歩を踏み出すきっかけとなると私はこの現場で確信した。当たり前の日々を取り戻したい……、ただそれだけを呆気なく奪われてしまった福島の現実。〈ありのまま〉を伝えていくことほど、難しいものはない。発信の本質を見つめる鍵としたい。

和合 亮一 (わごう りょういち)
福島市生まれ。詩作のほか朗読やワークショップなどの活動も精力的に行っている。詩集に『AFTER』『地球頭脳詩篇』など。「晩翠わかば賞・晩翠あおば賞」の選考委員を務め、仙台とのゆかりも深い。東日本大震災の直後からTwitter上で詩を発信し注目を集めている。

→トップに戻る


鈴木 拓さん
ARC>T(あるくと)事務局長

 4月4日、舞台表現者たちを中心とした「ネットワーク体」として、Art Revival Connection 東北(略称:ARC>T、通称:あるくと)が発足しました。

 震災直後は、文化的支援の必要性を感じることは難しく、僕たち演劇人も例外なく、悩み彷徨(さまよ)っていたと思います。時間がたつにつれ、少しずつ見えてきたニーズに応えるべく、子供向けイベントへの協力や、老人福祉施設、障碍者施設で身体のアクティビティを提供してきました。そこで感じたのは、震災以来、精神的に集中することが困難な中、人には日常を忘れて夢中になる時間が必要だということ。

 目に見える復興はとても速いです。それが故に、「自分はもう大丈夫だ」と言い聞かせることがあります。が、心の復興はそれに追いついていない気がします。

 街の機能と、人の心。そのスピードにギャップがあるのであれば、芸術文化がそれを埋めてくれるかもしれない。そんなことを考えながら、僕はこれからも此処で表現を続けていくのだと思います。

ARC>T(あるくと)
東日本大震災を機に失われた文化・芸術に関するひと・まち・場の再生と東北復興に向けた諸活動にアートを通じて寄与するため、演劇・舞台関係者を中心に発足。各地で調査や出前活動などを行っている。

鈴木 拓 (すずき たく
仙台市生まれ。仙台での演劇活動(「きらく企画」代表)などを経て、現在、ARC>T事務局長を務める。「杜の都の演劇祭」のプロデューサーとしても企画製作を担当。

→トップに戻る

『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/