まちを語る

その18 渡部 ギュウ(俳優)

その18 渡部 ギュウ(俳優)

稲荷小路、文化横丁(仙台市青葉区)
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその場所にまつわるさまざまなエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は、仙台を拠点に活躍する俳優・渡部ギュウさんの登場です。今年役者生活30年を迎えた渡部さんが歩くのは、旨いお酒と肴を出す店が軒を連ねる仙台の横丁。酒と演劇について、渡部さんがディープに語ります。
『季刊 まちりょく』vol.18掲載記事(2015年3月13日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

稲荷小路

ナレーションでも活躍する渡部さん。「以前は、仙台で男性のナレーションをする人がいなかったので、電話がかかってくると『すぐ行きます』みたいな感じで収録していました」。コマーシャルなど年間400本ぐらい担当した時期もあり、仙台市民はどこかで渡部さんの声を耳にしているはず。
▲ナレーションでも活躍する渡部さん。「以前は、仙台で男性のナレーションをする人がいなかったので、電話がかかってくると『すぐ行きます』みたいな感じで収録していました」。コマーシャルなど年間400本ぐらい担当した時期もあり、仙台市民はどこかで渡部さんの声を耳にしているはず。
 この日は暦の上の大寒。身体の芯に沁み入るような空気のなか、渡部ギュウさんと仙台の街に出た。

 山形出身の渡部さんは大学進学のため来仙し、大学3年のとき、当時仙台で活動していた劇団「十月劇場」(「Theatre Group“OCT/PASS”」の前身)に入団。以来、仙台に根をおろして演劇活動を続け、今年でちょうど30年になる。

 定禅寺通を歩きながら、「十月劇場に入団した頃、あのビルの4階に劇団のアトリエ(稽古場兼劇場)があったんです」と、通りに面したビルを渡部さんが指さした。「テント芝居もしていたから、夏はテントで旅をして、冬はここでひたすら活動(笑)。東京の劇団が来て上演したりもしていました」

 十月劇場に在籍した9年の間、渡部さんは役者以外にも制作や舞台装置のデザインなど様々な仕事を経験した。「毎日意気がっていました」という20代、多くの時間を過ごしたのはこのアトリエ界隈と言ってもいい。その目と鼻の先にあるのが、仙台を代表する飲み屋街のひとつ、稲荷小路だ。
芝居を始めた理由をたずねると、しばらく考えてから、「へそまがりだったんでしょうね」。十月劇場のアングラ芝居には“猥雑なエロス”があり、それに惹かれたという渡部さん。横丁にも同じ匂いを感じ、ワクワクするのだという。(稲荷小路にて)
▲芝居を始めた理由をたずねると、しばらく考えてから、「へそまがりだったんでしょうね」。十月劇場のアングラ芝居には“猥雑なエロス”があり、それに惹かれたという渡部さん。横丁にも同じ匂いを感じ、ワクワクするのだという。(稲荷小路にて)
 稽古帰りの一杯の記憶はもちろんだが、実は渡部さん、「仙台に来たばかりの頃、大学に行きながら稲荷小路でアルバイトをしていたんです。夕方4時ぐらいから朝の3時まで。すべての社会勉強はここの店の先輩たちが教えてくれました」。みなさんいい方で、とてもお世話になったんです、と懐かしむ。

 かつて稲荷小路と交差して小さな店がひしめいていた連鎖(れんさ)街には、十月劇場の主宰だった石川裕人(ゆうじん)さん(劇作家・演出家)との思い出があるという。「十月劇場時代、石川とはくだらない話ばっかりして、演劇の話をしたことがなかったんです。劇団を辞めてから初めて演劇の話をしたのが、連鎖街の店でした」。その石川さんは2012年に急逝。連鎖街も再開発され、現在では昔日の面影はまったくない。

文化横丁

役者生活30年を記念して、昨年から「東北物語」と題する公演を続行中。今年も3か月に1回のペースで東北にまつわる作品を上演予定。その他にも自身が関わる「SENDAI座☆プロジェクト」の全国ツアーや子ども劇団の指導など、芝居漬けの毎日だ。(文化横丁にて)
▲役者生活30年を記念して、昨年から「東北物語」と題する公演を続行中。今年も3か月に1回のペースで東北にまつわる作品を上演予定。その他にも自身が関わる「SENDAI座☆プロジェクト」の全国ツアーや子ども劇団の指導など、芝居漬けの毎日だ。(文化横丁にて)
 稲荷小路を抜けた後、アーケード街を経由して、文化横丁まで足を延ばす。

 横丁の良さは、「見知らぬ者同士が15分ぐらいで会話できるようになる時間と空間」があることだと渡部さんは言う。しかし、そういう店はだんだん少なくなってきている気がする、とも。「以前は芝居の宣伝をするにしても、お店にチラシを持っていけば貼ってくれて、アートに興味がある常連さんがいたり、店主がお客さんに広めてくれたりした。今はそういう顔が見える店が減ってきて、苦労しています」と苦笑する。
文化横丁からすぐ、壱弐参(いろは)横丁の「なつかし屋」は、渡部さん馴染みのお店。開店準備をしていた店主の種澤(たねざわ)さんの姿を見つけ、早速声をかける渡部さん。「新しい芝居のチラシ持って来ればよかったなあ」と、しばし立ち話。
▲文化横丁からすぐ、壱弐参(いろは)横丁の「なつかし屋」は、渡部さん馴染みのお店。開店準備をしていた店主の種澤(たねざわ)さんの姿を見つけ、早速声をかける渡部さん。「新しい芝居のチラシ持って来ればよかったなあ」と、しばし立ち話。
 ひとりでふらっと入って、安い値段で酒を飲み、他人ともつながることができる場所。“劇場”もそうあるべきだ、と渡部さんは言う。「劇場も、狭い空間にお客さんがぎゅうぎゅうに座って、多少がまんして観ていただくようなのがいい(笑)。そのまま芝居の後にお客さんと話ができたり、打ち上げができたりすれば最高の小屋(劇場)ですよ」。30年続けてきて、最近やっと演劇のおもしろさが見えてきた、とも語る。「稽古と本番が、人間性を回復できるというか、感受性が戻ってくる時間になっている。リラックスできるんです」

2012年3月、文化横丁の飲食店「ZOKU 和ど菜」で上演した「杜の都の演劇祭」のワンシーン(左は共演者の伊藤拓さん)。演目はオーストラリアの劇作家、ダニエル・キーンの戯曲『皆々さまへ』。渡部さんが店の雰囲気と店主の人柄に惚れ込み、会場に決めたという。
▲2012年3月、文化横丁の飲食店「ZOKU 和ど菜」で上演した「杜の都の演劇祭」のワンシーン(左は共演者の伊藤拓さん)。演目はオーストラリアの劇作家、ダニエル・キーンの戯曲『皆々さまへ』。渡部さんが店の雰囲気と店主の人柄に惚れ込み、会場に決めたという。
 横丁には芝居の話がよく似合う。横丁も芝居も、ふらりと迷い込んでみると、どこまでも深く魅惑的な世界が広がっている。

掲載:2015年3月13日

写真/佐々⽊隆⼆

渡部 ギュウ わたべ・ぎゅう
1964年山形県余目町(現庄内町)生まれ。1985年、仙台を拠点に活動する劇団「十月劇場」(「Theatre Group“OCT/PASS”」の前身)に参加。1995年に退団したのち、一人芝居を中心にフリーの俳優として活動。2007年、樋渡宏嗣らと仙台市街中心部に演劇専用の小劇場の開設を目指す「SENDAI座☆プロジェクト」を立ち上げ、俳優・ナレーター活動のほか、演劇公演の企画制作、若手俳優・声優の養成などを行っている。2009年、芸名を「米澤牛」から「渡部ギュウ」に改名。仙南地域の児童劇団「AZ9(アズナイン)ジュニアアクターズ」の養成講師も務める。これまでに平成11年度宮城県芸術選奨、アジア小劇場ネットワーク演劇祭で「Alice賞2001」を受賞。おもな舞台に『アテルイの首』『イヌの仇討』『元禄光琳模様』『十二人の怒れる男』『ハイ・ライフ』ほか多数。