連載・コラム

事業レビュー|アート・プロジェクト「Strangers in Sendai」開催事業

レビュワー:髙田彩(ビルド・フルーガス 代表)

「文化芸術を地域に生かす創造支援事業(地域助成)」では、観光、まちづくり、福祉、教育等の他分野との連携により社会課題と向き合う公益性の高い文化芸術活動や、市民に優れた文化芸術の鑑賞機会を提供する事業を支援しています。
本コラムでは、「文化芸術と社会の連携推進事業」として採択された事業の活動の様子や、その成果・課題等を、各分野の専門家によるレビュー形式で紹介します。

事業名:アート・プロジェクト「Strangers in Sendai」開催事業
代表者名:門脇篤
活動期間:2025年6月21日から2026年3月15日まで
参考URL:https://ssbj.jp/support/grant/report/14739/ 
画像提供:門脇篤

 
 12月6日(土)、「Strangers in Sendai」の試写会にうかがいました。上映されたのはまだ制作途中の作品でしたが、どれも現代社会の課題を鋭く捉えながら、当事者の視点から語られる力強い作品ばかりでした。

 この企画を主導しているのは、仙台を拠点に活動するアーティスト門脇篤さんです。門脇さんはこれまで、アートを通じて社会のさまざまな立場の人々の声を可視化する実践を続けてきました。その代表的な取り組みの一つがボーダレス映画祭です。ボーダレス映画祭では、障害のある人、外国にルーツを持つ人、不登校の子どもたちなど、自らの経験や視点を映像として表現し、これまで「語られる側」に置かれることの多かった人々が、カメラを持つ主体として登場します。この映画祭の特徴は、単に作品を上映することではなく、「誰が語るのか」という問いを中心に据えている点にあります。専門的な映画制作の技術よりも、当事者の視点や経験そのものが作品の核となっています。その姿勢は、近年世界的にも注目されている参加型メディアやコミュニティアートの実践と重なるものです。今回の「Strangers in Sendai」におけるテーマは、障害、学び、外国人としての暮らしと多様ですが、いずれも社会の「境界線」に立つ人々が自らの言葉で語る作品といえます。タイトルにある「Strangers」という言葉は、社会の中でどこか「外側」に置かれてしまう人々の立場を広く示唆しています。試写会で上映された三つの作品も、まさにその視点から生まれていました。

 いま私たちの社会では、障害、教育、国籍、ジェンダーなど、さまざまな領域で「多様性」という言葉が語られるようになりました。しかしその一方で、制度や社会の枠組みは、必ずしも個人の生き方の多様さに追いついているとは言えません。今回上映された三つの作品は、そうした現代社会の「境界」に立つ人々の声を、それぞれの方法で映し出していました。
 障害と社会の境界を問う作品、学校という制度の外側から学びを描く作品、そして外国人として日本で生きる現実を語る作品。どれも、社会の中心からは見えにくい経験を、当事者自身が語る映像でした。

障害と社会のあいだにある境界
画像:筆者撮影

『境界線上のバリア〜バウンダリって何ですか?』(日本、2025年、59分)

 「障害と健常、病気と健康、人と人、人と世界の境界線はどこにあるのか?心の境界線を引くとは?当事者と呼ばれる人たちの切実な本音が語られる。「障害名で呼ばれると、まるで人間じゃなくて障害名になったような気がする」果たして、ぎんじゃけクンは境界線に何を見たのか?」(概要より)

ぎんじゃけクン/せこ三平さんによるこのドキュメンタリーは、「バウンダリー(境界)」という概念を通して、障害と健常、病気と健康、人と社会の関係を問い直しています。近年、日本でも障害の社会モデルやインクルーシブ社会の考え方が広がりつつあります。しかし現実には、「障害者」と「健常者」という区分が人のアイデンティティを固定してしまう場面も少なくありません。作品の中で語られる「障害名で呼ばれると、まるで人間じゃなくて障害名になったような気がする」という言葉は、その痛みを率直に伝えています。ピアサポーター同士が率直に議論を交わす場面は、この監督だからこそ撮れる貴重な記録でもあります。この作品は、障害をめぐる問題を説明するだけではなく、「人が自分と世界のあいだにどのような境界を引くのか」という、より普遍的な問いを私たちに投げかけていました。

学校の外にある学びの風景

 フリースクール「ふふふるーむ」ピア監督・りんさんの作品は、ゲーム実況を軸に、ゲームの中で人がどのように自分らしさを表現し、他者と関係を築いていくのか——学びとは本来、学校という制度の中だけに存在するものではなく、人が何かに夢中になり、誰かとつながる瞬間に立ち現れるものなのだということを、この作品は静かに教えてくれます。
不登校の子どもの数は近年、全国的に増加してると言われています。文部科学省の統計でも、その数は過去最多を更新し続けており、学校という制度のあり方が社会的に問われています。
 完成後に拝見した本作は、仙台市のフリースクール「ふふふるーむ」に通う子どもたちの視点から、「多様な学び」の姿を描いたものです。一見すると遊びのように見えるその行為の中に、自己表現や他者との関係づくり、創造的なコミュニケーションが豊かに存在していることに驚かされました。

国境と制度のあいだで生きる

『ワタシ、監督なんです!〜配偶者ビザで暮らす外国人女性映画監督が思うこと』(日本、2025年、8分)

 仙台を拠点に活動する台湾人映画監督ジュディ・ヤンさんによる短編作品は、日本社会における外国人の暮らしを、個人的でありながら社会的な視点から描いています。国際結婚や外国人居住者の増加によって、日本社会は確実に多文化化しています。しかし、在留資格や就労制度など、個人の生活やキャリアに大きな影響を与える制度は、依然として複雑で制約の多いものです。この作品では、配偶者ビザで暮らす映画監督が、家庭生活と映画制作のキャリアのあいだで揺れる姿が、切り絵アニメーションという軽やかな手法で描かれています。外国人として、女性として、クリエイターとして日本で生きることの喜びと葛藤が凝縮されている本作で印象的なのは、この作品が社会の矛盾を示しながらも、決して誰かを糾弾する語り方ではないことです。ユーモアとやわらかさを保ちながら、「この世界は別の角度から見ることができる」という視点を観客に提示しているものでした。

 今回の試写会で上映された三つの作品は、テーマも形式も異なりますが、「当事者が自分の言葉で語る」という共通点を持っています。障害と健常、学校と社会、日本人と外国人——現代社会には多くの境界線が存在しています。しかし、その境界は決して固定されたものではなく、人の経験や対話によって揺らぎ、書き換えられていくものでもあります。
 「Strangers in Sendai」というタイトルが示すように、この街で「よそ者」と感じる瞬間は、誰にでもあるのかもしれません。だからこそ、これらの作品に登場する声は特定の誰かの物語であると同時に、私たち自身の社会の姿を映し出しているようにも感じられました。
 小さな作品の中に込められた視点は、いまの社会を見つめ直す大きな手がかりを与えてくれるものであり、「Strangers in Sendai」は、その実践を地域社会の中でさらに広げようとする試みのように見えます。映画制作という創造的なプロセスを通して、それぞれの立場にある人々が社会の中で声を持ち、互いの経験を共有する場が生まれていました。地域社会の中で人と人をつなぐ実践として機能するこのプロジェクトの可能性に引き続き期待していきたいと思います。

掲載:2026年5月12日

髙田 彩 たかだ あや
1980年宮城県塩竈市生まれ。2004年エミリー・カー美術大学卒業。2006年にビルドフルーガスを始動及びビルドスペースを開廊し、地域文化に根ざした企画運営やアーティスト支援を国内外で展開。2014年より塩竈市杉村惇美術館統括、2023年からシェアアトリエ「本多工房」を運営。