青葉区北山の「マルホ・カフェ」で、黒谷都さんの『涯(はて)なし』という人形劇の公演が行われたのは、もう10年前になるらしい。闇の中、小さな店内を月明かりが照らしていた。
住宅に囲まれたお店に軽自動車で訪れ、衝撃的な人形劇を観て、ふわふわした気持ちのまま静かに帰る。その全てが忘れられない体験となって、身に残っている。
『涯なし』という作品は、演者である黒谷都さんが、自身と同じくらい大きな人形を操る人形劇だ。セリフやストーリーはほとんどなく、遣い手と人形の二者が登場人物となって、繊細な動作のかけあいで作品を紡いでいく。
最初は人形を操っていた遣い手が、徐々に人形の重みや動きに引きずられるようになる。そして、人形が発する微細な動きやエネルギーを遣い手が感じ取っている様子が、観客にも伝わってくる。
作品が進むうち、観ている人は、人間が人形を操っているのか、人形が人間を操っているのか分からなくなってくる。完璧な脱力、人と人形のからだの流れ、重力と拮抗する支力。
「主体」と「客体」の交換。どちらがどちらを操るのか、両者の境目はどこにあるのか。暗い店内で人と人形の境界が溶け合っていく様は、その舞台空間と相まって、「わたし」のあたまとからだをもグルングルンにかき混ぜたのだと、今になって思う。
カフェやバーで行われた公演で、忘れられないものがいくつもある。舞台のしつらえ、その日だけの照明、飲み物。同席した観客。あの日、観客の中には鉄の彫刻家のあの人がいて、呼びかけ人は絵本の店のあの人だった。いまも会いにいける。仙台はいい街だ。
