その42・前編 加川 広重(画家)

その42・前編 加川 広重(画家)

長町一丁目
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。画家として活躍する加川広重(かがわひろしげ)さんに、大学浪人時代、美術学校に通っていた長町一丁目を歩きながら、画家人生の始まりや作品にまつわる思いをお話いただきました。前・後編でお送りします。
取材・原稿/野原 巳香 写真/寺尾 佳修
 約20年にわたり、巨大水彩画を描き続けている画家・加川広重さん。宮城県蔵王町にアトリエを構える加川さんは、2011年に東日本大震災を経験して以来、震災をモチーフに巨大画を制作するようになった。被災地の記憶や教訓を伝える巨大画は、見る者の心を大きく揺さぶる。その前に立つと、絵の中に吸い込まれるような臨場感だ。加川さんが震災を描き続ける理由、そして独自の表現法が生まれたルーツや巨大化のきっかけとは──。加川さんの思い出や画業をたどるタイムトラベルのごとく、ゆかりある場所を訪ね歩いた。

長町一丁目のフラワー通りにて。「昔と比べてずいぶん変わりましたが、『食堂び〜わん』や駄菓子屋『ハトヤ』が今も続いているのは嬉しいですね」。
▲長町一丁目のフラワー通りにて。「昔と比べてずいぶん変わりましたが、『食堂び〜わん』や駄菓子屋『ハトヤ』が今も続いているのは嬉しいですね」。
 思い出の地として加川さんが真っ先に挙げたのは、仙台市太白区の長町一丁目。かつて通っていた美大受験予備校『仙台美術研究所』があったエリアだ(現在は河原町へ移転)。「長町一丁目は、私が本格的に美術をスタートさせた場所。予備校で2浪したので、よく悩みながらブラブラしていた記憶があります」。
取材当日に加川さんと待ち合わせしたのは、小さな横丁『フラワー通り』。この通りの一角にも、予備校のアトリエが存在した時期があるそうだ。「もう30年近く経つので、当時とはだいぶ様子が変わりましたが、フラワー通りのお店にはお世話になりました。その中で現在も続いているのが『食堂び〜わん』。ここのじゃじゃ麺が好きで、無性に食べたくなるんですよ。今でもたまにお店へ来ますし、自分でも家で作るほど好きなんです」。そう言って笑う加川さんだが、長町一丁目で過ごした学生時代は「苦労した思い出がいっぱい」と振り返る。
予備校生の時、加川さんの「逃げ場」だったという広瀬川。デッサンや油絵の練習に行き詰まると、悶々としながら河川敷を散策していたそう。
▲予備校生の時、加川さんの「逃げ場」だったという広瀬川。デッサンや油絵の練習に行き詰まると、悶々としながら河川敷を散策していたそう。
 思い悩んだ時にたびたび足を運んだのが、予備校から歩いてすぐの広瀬川。河川敷の緑や川の流れを見つめながら、自問自答する日々が続いたという。「それまでの絵は、誰かに褒めてもらうために描いていたのだと気づいたんですよね。しかも自分で良い絵だと思い込んでいただけで、実際は欠点が多いと知らされて。どんな絵を描いたらいいのか、わからなくなってしまったんです」。そこで苦悶しながら覚えたのが、自分の絵を否定し、客観的に見ること。「それを繰り返しているうちに、どんどん打たれ強くなったし、自分に厳しくなりました」。
かつて仙台美術研究所が存在した場所。同ビルの1階にはスーパーマーケットがあり、「よくお昼ご飯を買いに行ってましたね」と加川さん。
▲かつて仙台美術研究所が存在した場所。同ビルの1階にはスーパーマーケットがあり、「よくお昼ご飯を買いに行ってましたね」と加川さん。
浪人時代に撮影された一枚。「これは予備校のアトリエです。この日は授業がお休みで、受験の課題とは関係ない粘土で遊んだのを覚えています」。
▲浪人時代に撮影された一枚。「これは予備校のアトリエです。この日は授業がお休みで、受験の課題とは関係ない粘土で遊んだのを覚えています」。
 この2年間の浪人時代を経たからこそ、「今の自分がある」と言い切る加川さん。「現役で合格していたらと思うとゾッとします」と肩をすくめるのは、ここで培われた力が現在の画風につながっているからだ。「色と空間に関して、一気にわかったきっかけがあったんですよ。色を扱うことに苦手意識があったので、予備校の先生に相談してみたら、『どんな色でも、汚い色はない。色が汚く見えるのは、色合わせや位置関係が間違っているからだ』と。手前に合う色、奥に合う色を置けば、どんな色でもきれいになると教わり、それをひたすら探ったんです。特に浪人2年目の時は、なんとなく手前・奥じゃなくて、それが何センチなのか、自分の指なら何本分なのか、奥行きや距離感を体にも染み込ませながら訓練を続けました。そのうちに周りの人から、色がきれいになったと言われるようになって。その後、東京の美大に進学しましたが、私としては大学での4年間よりも、長町一丁目で2浪した経験が、今の絵画に役立っています」。
喫茶店『にんじん』の名物「ベロネーズ」(カツがのったスパゲッティ)が好物だったそう。「私が講師になってからは、生徒も連れて来ました」。
▲喫茶店『にんじん』の名物「ベロネーズ」(カツがのったスパゲッティ)が好物だったそう。「私が講師になってからは、生徒も連れて来ました」。
 大学を卒業してすぐの半年間、加川さんはあてもなく日本全国をめぐる旅へ出た。北海道や沖縄までは飛行機を利用したものの、基本的には徒歩で移動。山河を越え、里山を抜け、海岸沿いをひたすら前へ。テントで野宿を重ねながら、鹿児島から宮城まで歩いた。「帰ってきたら、大きな絵を描きたくなったんですよ。巨大画のきっかけは、この“野宿歩き旅”ではないかと思っています。そこで視野が広がったというか、自分と自然が一体化するような感覚を得た気がします」。旅から戻ったあとは、自らも通っていた美術予備校の講師として働きつつ、画家としての活動を並行。2004年には自身初となる巨大水彩画展を宮城県美術館県民ギャラリーで開催し、東日本大震災が発生した2011年以降は、震災をテーマにした巨大画を描くようになった。(後編に続く)
加川 広重 かがわ ひろしげ
1976年、宮城県蔵王町生まれ。高校3年から美術予備校『仙台美術研究所』へ通うようになり、その後2年間の浪人生活を経て、東京の武蔵野美術大学油絵学科へ進学。大学4年の時に、幼い頃好きだった水彩画の魅力を再認識し、卒業制作から現在まで透明水彩で作品を描く。2011年からは震災をテーマにした巨大絵画を発表し、国内外で高い評価を獲得。また巨大画を通じた地域交流や子どもたちとのワークショップ、オペラやコンサートでのコラボレーションなども行い、表現の可能性を広げている。自らの癒やしとして動物や自然を描いた小作品も発表。仙台美術予備校校長。美術専門カルチャーSenbi倶楽部講師。