その40 髙橋 親夫(建築士)

その40 髙橋 親夫(建築士)

荒浜・貞山運河
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は地域の風景を継続して撮影し、時間そのものを記録してきた髙橋親夫(たかはしちかお)さんに貞山堀周辺の現在と過去を案内していただきました。
『季刊まちりょく』vol.41掲載記事(2020年12月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。
写真/佐々⽊隆⼆
 見事な秋晴れの日。何台ものトラックとすれ違い、津波避難経路の案内を矢印とは逆へ進む。旧荒浜小学校を過ぎた先、集合場所である震災遺構の荒浜地区住宅基礎で、髙橋さんはたくさんの資料と一緒に迎えてくれた。35年にわたって記録されてきた写真や図面が収められたアルバム達だ。
 まず開いたアルバムに収められていた二枚一対の写真は、宮城野区の高砂地区と蒲生地区を撮影したもの。同じ場所を、何年か経過した後にまったく同じように撮影する。所謂定点観測をとても綿密に行ったものだ。別のアルバムにはパソコンで製図された地図。これは震災後の福島の浪江町、双葉町での撮影に使用しているもので、撮影した箇所を示す矢印が数え切れないほどびっしりと記されている。
 「今日は貞山運河沿いに歩いてみましょう」。一冊の鮮やかな赤いアルバムを手に取り、ツアーがはじまる。様々なタイルが痛々しく残る住居跡を横目に少し歩けば、穏やかな日差しのなか、思い思いの場所で釣り竿を構える釣り人たちが目に入る。
髙橋さんがこれまで記録してきたものは、風景写真以外にもさまざま。各撮影場所の記録や震災前まで蒲生地区に植えられていた松の年輪、旧岩切郵便局の建築図面、かえるの鳴き声など多岐に及ぶ。
▲髙橋さんがこれまで記録してきたものは、風景写真以外にもさまざま。各撮影場所の記録や震災前まで蒲生地区に植えられていた松の年輪、旧岩切郵便局の建築図面、かえるの鳴き声など多岐に及ぶ。
 海岸公園センターハウス近くの第二旭橋をスタート地点に、運河を南へ。髙橋さんは数歩進むごとにアルバムのページをめくる。住宅をしっかりと囲む屋敷林、運河の名前にぴったりな沢山の舟、大きな“酒”の看板文字が目を引く商店――次々と現れる、暮らしの息遣いが感じられる写真の中の景色と、ひたすらに明るく、抜けるように広がる目の前の景色は一見まったく別の場所だ。よくよく覗いて、川の形や橋の色、道の曲がり方などのわずかな共通点にようやく、確かに同じ「ここ」なのだと分かる。視覚に直接に訴える写真だからこその説得力だ。
すっかりまばらになったものの、今も緑に葉を茂らせる松の木。再び整備された自転車道を時折気持ちよさそうに自転車が駆け抜けて行く。
▲すっかりまばらになったものの、今も緑に葉を茂らせる松の木。再び整備された自転車道を時折気持ちよさそうに自転車が駆け抜けて行く。
 一枚、そしてまた一枚と誘われながら歩を進めるうちに、次第にタイムトラベルをしているかのような気分になる。過去と現在とが滑らかに繋がるのは、膨大な数の記録のなせる業。これほどまでに風景の記録に時間と労力を費やしてきたのは、使命感からだという髙橋さん。今この景色はこれまでもこれからもあるようで、本当は今この瞬間にしか見ることが出来ない。だがそのことに気付き立ち止まる人は多くない。誰も撮らないのなら自分が撮ろうとカメラを構えた。
 髙橋さんは宮城野区の高砂地区で生まれ育った。昔ながらの田園風景が広がる土地で、父の代まで農家だった。昭和59年に地域全体が区画整理の対象となったとき、髙橋さんは何気ないいつもの風景を記録し始めた。
セイタカアワダチソウがどこまでも黄色に咲き誇る。視界を遮るものがないため、約1km先の旧荒浜小学校も容易に確認できる。
▲セイタカアワダチソウがどこまでも黄色に咲き誇る。視界を遮るものがないため、約1km先の旧荒浜小学校も容易に確認できる。
 それがここまで綿密なものとなったのは、若いころからずっと建築業界で勤めてきた経験が大きく関係しているだろうと髙橋さんは振り返る。建築関係の仕事では記録写真がとても重要だ。依頼の種類によっても異なるが、膨大な量の写真を報告書に添付する。ひとつ工程を重ねるごとに姿を変えていく作業の跡を辿るには、撮り忘れや失敗は許されない。
運河にところどころ架かる橋は、現在地を確認する重要なランドマーク。津波に耐えて今も変わらず対岸同士を結ぶ橋を渡る。
▲運河にところどころ架かる橋は、現在地を確認する重要なランドマーク。津波に耐えて今も変わらず対岸同士を結ぶ橋を渡る。
 長年写真を撮り続けてきて、髙橋さんは気付いたことがある。写真には自らが写りこんでいると。もちろん、鏡に反射した姿が端に見えているわけではない。意図的に自らを排して撮った、名前の無いような写真でも、後から見返せばその時の状況や気持ちがまざまざと心の中に現像される。どこを切り取るか、どこでシャッターを切るか。そこには等身大の自分が否応なしに写っている。そのうえ更に、写真は成長する。ある一瞬を捉えた一枚は、自分の気持ちの整理のために写した一枚は、時間が経つにつれ、人々の目に触れるにつれ、内包する意味を少しずつ蓄えて行き、気が付くとずいぶんと大きくなっている。
住居跡に残る床タイルの名前と性質をパッと言い当てる。いつ、どんな思いで作られ、受け継がれてきたのかもその目には写っている。
▲住居跡に残る床タイルの名前と性質をパッと言い当てる。いつ、どんな思いで作られ、受け継がれてきたのかもその目には写っている。
 これまで撮りためた写真の一部は、大学や博物館に寄贈されている。今はどのように活用されているのですか?との問いに、髙橋さんは「さあ、どうなっているだろうね」と笑う。どこか清々しい表情は、写真が自分の手を離れたことに一種の安堵を抱いているかのようだ。写真を撮るその瞬間の場所との縁と、その後に出会う人との縁。どちらも同じように信頼していることが感じられた。
 若いころに7か月で32か国もの国々を渡り歩いたという髙橋さん。当時綴った旅行の記録は近年冊子にまとめなおし、「読み終わったら誰かに渡して」と知人へ手渡したそうだ。きっと今も誰かがその旅行記を読み、心躍らせているだろう。こまめな記録とその行先への執着の無さはまさに髙橋さんらしい。取材の翌日も福島へ向かわれるとのこと。明日も新たな縁が髙橋さんを待っている。
髙橋 親夫 たかはし ちかお
1947年仙台市生まれ。2015年京都造形芸術大学写真コース卒業。1974年1級建築士取得。建築業に従事する傍ら、1984年より地域の風景の記録を始める。写真集に『あの日につづく時間―2011.3.11』。仙台ハッセルブラッドフォトクラブ、倶楽部645会員。
現在は福島県浪江町、双葉町で福島第一原子力発電所事故による避難指示の解除前、解除後の風景の記録を重点的に行っている。