まちを語る

その38 石井 忍(舞台監督/有限会社舞台監督工房代表)

その38 石井 忍(舞台監督/有限会社舞台監督工房代表)

長町界隈
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。舞台監督として国内外で活躍する石井忍(いしいしのぶ)さんに、事務所を構える長町を歩きながら、舞台にまつわる思い出をお話いただきました。
『季刊 まちりょく』vol.38掲載記事(2020年3月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。
 お正月休みも明け、ようやく街に日常が戻ってきた取材当日は、仙台で今季初の積雪。「めでたいと言うことで頑張りましょう!」と石井さんが紹介してくださったのは、事務所を移して1年になるという長町界隈でした。
奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉ったことから「舞台」の名がつけられたと伝えられる「舞台八幡神社」。明治時代に蛸薬師堂境内に再建された。
▲奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉ったことから「舞台」の名がつけられたと伝えられる「舞台八幡神社」。明治時代に蛸薬師堂境内に再建された。
 まず向かったのが「舞台八幡神社」。毎年欠かさずお正月に御札と社員全員分の御守を求めている、石井さんが大切にしている場所です。舞台の仕事は華やかな一方で、常に危険と隣り合わせ。大怪我をしたり、無理がたたって早世した舞台仲間も少なくありません。「神頼みというわけではないけれど・・・」と言いながらもスタッフの無事を祈る、石井さんの誠実な人柄が垣間見えます。
事務所の玄関には真新しい御札、その下には石井さんが各地で集めた招き猫のコレクション。
▲事務所の玄関には真新しい御札、その下には石井さんが各地で集めた招き猫のコレクション。
 石井さんが「舞台の魅力」に憑りつかれたのは高校生の時。母親の影響で幼少時から映画好きで育った石井さんは、ある日寺山修司の映画に出会い衝撃を受けます。見たことのない世界をもっと見たいと、大学進学の春休みに東京の「小劇場 渋谷ジァン・ジァン」に寺山演劇を観に行きました。興奮冷めやらぬまま夜行バスで仙台に帰ってくると、西公園に紅いテントと黒いテントが立っていて、“なんだろう?”とたまたま紅い方に入ってみると、そこには、赤い木馬がぐるぐると飛び回って、水飛沫が客席まで飛んで、天幕が開いて・・・・・・。演劇って凄い!と一気に心を奪われたと言います。その後、当時よく通った八重洲書房で劇団「十月劇場」のポスターを見ながら店員さんと話をしていたら、たまたま主宰で劇作家の石川裕人さんが来店、文字通り「さらわれる」ように入団することになりました。
仕事で訪れる地方都市でも、こういった昔ながらのまるで舞台装置のような横丁にはついつい足を運んでしまう。
▲仕事で訪れる地方都市でも、こういった昔ながらのまるで舞台装置のような横丁にはついつい足を運んでしまう。
 定禅寺通のビル4階に劇団が開いた「アトリエ劇場」での上演と並行して、石井さんが夢中になったのがテントでの旅公演。社会の矛盾や闇を鋭く批判しながらも文学性を湛えた表現は、テレビや映画では体感することのできない独特の熱気を帯びていました。とにかく見たことのない、社会の既成概念から外れた表現が面白いと、アングラ演劇にのめり込んでいった石井さんは、大学卒業後しばらくは、劇団での活動の傍ら、初めて出会った舞台のプロ、志賀真さん・智子さんから必死に学んだ照明の仕事や、大道具の仕事をする、といった生活を続けていました。
長町にあるバレエスタジオ「Kae Ballet Classic」主宰 岡村佳恵さんと。「石井さんは、やりたいことを汲み取って形にしてくれる、頼りになる存在」、「佳恵先生は、無理難題で(笑)、一緒に夢を見させてくれる方です」。ご近所ならではのつながりが、より充実した舞台を生んでいる。
▲長町にあるバレエスタジオ「Kae Ballet Classic」主宰 岡村佳恵さんと。「石井さんは、やりたいことを汲み取って形にしてくれる、頼りになる存在」、「佳恵先生は、無理難題で(笑)、一緒に夢を見させてくれる方です」。ご近所ならではのつながりが、より充実した舞台を生んでいる。
 転機となったのが1996年「シアター・ムーブメント仙台*I」への参加でした。周りからの勧めもあり、石井さんは東京の第一線で活躍していた舞台監督のやまだてるおさんのもと舞台監督助手を務めました。やまださんから「もし本当に舞台監督になりたいんだったら、東京で揉まれたほうが良い」と言われて、一念発起。東京、さらには海外で、バレエやオペラの大規模公演での経験を積んでいきました。大劇場でも、小劇場でもやりくりや工夫は一緒。無理難題を突き付けられても、「できない」ではなく「どうしたらできるか」を考える、その抽斗(ひきだし)の多さが舞台監督の仕事の要だと、先輩から教わりました。
*シアター・ムーブメント仙台
1996~2001年に実施された(公財)仙台市市民文化事業団・仙台市主催の演劇プロデュース公演事業。東京と仙台の演劇人による滞在型コラボレーションによる本格的な演劇公演を行い、多くの人材を輩出した。
太白区文化センター前にて。「街の中に人が集う劇場があって、その非日常の空間で笑顔になれる人が増えたら、日常も変わるかもしれない。そう思うからこそ、日々、力を尽せるんです」。
▲太白区文化センター前にて。「街の中に人が集う劇場があって、その非日常の空間で笑顔になれる人が増えたら、日常も変わるかもしれない。そう思うからこそ、日々、力を尽せるんです」。
 以来、舞台監督として全国各地で活躍する石井さん。仕事で訪れたことのない都道府県は島根・鳥取の2県を残すだけとなりました。「舞台監督工房」の設立は、劇都仙台構想の立役者で、当時仙台市職員だった佐藤浩康さんから「仙台のために、舞台監督の会社をつくってくれないか?」と言われたのがきっかけでした。それまでは仙台に強くこだわっていたわけではありませんが、今では、外に出て経験してきたことを持ち帰り、自分たちで試行錯誤しながら実践できる場がある、そんな仙台がありがたいと思うようになりました。
劇場は「人」。使い手に寄り添い、一緒に作品を創ってくれるスタッフのいる劇場は、現場の雰囲気も、仕事の質もぐっと上がる。ここ「楽楽楽ホール」もそんな劇場の一つ。
▲劇場は「人」。使い手に寄り添い、一緒に作品を創ってくれるスタッフのいる劇場は、現場の雰囲気も、仕事の質もぐっと上がる。ここ「楽楽楽ホール」もそんな劇場の一つ。
 「舞台監督の仕事は良い意味での他力本願と減私奉公だと思います。そして今ここに自分たちがいられるのは、これまでに出会って力をくださった方々のおかげです」と、石井さん。舞台に関わって40年。とにかく現場が面白くて、求められたことをなんとかカタチにしてきた、その積み重ねで今があるというその眼差しは、「さらに面白い舞台」を求めて、ずっと先を見つめています。

取材後は、行きつけの居酒屋「いき粋R」へ。舞台監督は、出演者やスタッフが、安全に、気持ちよく役割を果たすことができるよう、舞台の全責任を担う厳しい仕事。だからこそ、現場独特の緊張を解きほぐす場所や時間を持つことも、長く仕事を続けていくコツかもしれない。
▲取材後は、行きつけの居酒屋「いき粋R」へ。舞台監督は、出演者やスタッフが、安全に、気持ちよく役割を果たすことができるよう、舞台の全責任を担う厳しい仕事。だからこそ、現場独特の緊張を解きほぐす場所や時間を持つことも、長く仕事を続けていくコツかもしれない。

掲載:2020年3月20日

写真/佐々⽊隆⼆

石井 忍 いしい・しのぶ
1962年仙台市生まれ。東北学院大学在学中に劇団「十月劇場」に入団、俳優、舞台美術、照明などを担当。大学卒業後、フリーの舞台スタッフとしてさまざまな現場経験を積み、1996年「シアター・ムーブメント仙台Ⅰ」への参加を機に舞台監督を志す。「東京バレエ団」海外公演の随行などさらに研鑽を積み、2003年「有限会社舞台監督工房」設立。仙台を拠点にバレエ、コンテンポラリーダンス、演劇、ミュージカル、オペラ、能、クラシックコンサートなど、国内外の幅広い舞台芸術作品に携わるほか、「せんだい演劇工房10-BOX」「能-BOX」の管理・運営も請け負っている。日本舞台監督協会会員。