榴岡公園
季節外れの雪が降った4月初旬から一転、少し歩くとうっすらと汗ばむほどの暖かさが戻ったこの日の待ち合わせ場所は榴岡公園。満開の桜に彩られた公園の奥から、カメラバッグを肩から下げて伊藤トオルさんが颯爽と現れました。
伊藤さんと写真との出会いは、デザイナーを志して学んでいた専門学校を卒業する時、当時お世話になった方の紹介でたまたま働くことになった写真家・樋口徹氏の広告スタジオ、23歳の時でした。それまでは写真には殆ど関心がなかった伊藤さんですが、スタジオで、ウジェーヌ・アジェ、ロバート・フランク、森山大道、荒木経惟といった写真家たちの「ハードな」モノクロームの写真集を目の当たりにして、一気に写真の魅力に引き込まれていったといいます。樋口さんのもとで写真を学び、1年半後の1987年には写真家を志して独立。知人からの仕事を少しずつ引き受けながら、ますます写真の世界に没頭していきました。
榴岡天満宮~二十人町~鉄砲町
そんなお話を伺いながら、花見客で賑わう榴岡公園から榴岡天満宮の境内を通り抜けて、「仙台コレクション」の記念すべき1点目の撮影場所近辺に到着。このひょうたんの看板が印象的な居酒屋の写真を撮ったのは2000年8月頃、日頃からカメラを携えている伊藤さんが何気なく撮りためていた街の風景の一つでした。撮影後しばらく経ったある日この場所を車で通ると、この建物が突然跡形もなくなっていたことに愕然としたといいます。現実にはもう存在しないのに、写真には確かに存在している。シンプルだけれど、「記録する」という写真の力をまざまざと突き付けられたように感じました。この体験がきっかけとなって、2001年、知人のカメラマン5人に声をかけて仙台の街を記録するプロジェクトを始めました。
1997年には登竜門と言われる写真新世紀優秀賞(森山大道選)を受賞、写真家としての評価を着実に高めてきた伊藤さんですが、実はこの時期、制作に行き詰まりを感じていたともいいます。写真家としてのオリジナリティを追い求めるなかで、そもそも「自分らしさ」とは一体何なのか、そのこと自体を疑うようになっていました。自分が写真で切り取った世界をまた別の手法で解体・再構築することで新しい表現を見出す試み「DECONSTRUCTシリーズ」など、自身の固定概念を取り払うためのさまざまな実験を重ねる一方で、オリジナリティを極力排し、匿名性の高い写真を撮る「仙台コレクション」を始めたのでした。この両極端ともいえる作業を同時に行い始めた当時の心境を、「制約の中から自由な視点が出てくるんじゃないか。仙台コレクションは、そういうことを試す場でもあったのかなと思います。一種の反動だったかもしれませんね」と伊藤さんは振り返ります。
「10年間で1万点」という目標を立てて始めたプロジェクトですが、現在のコレクションは約7,000点強。当初の予定より時間がかかった理由はさまざまにありますが、やはり東日本大震災の影響も大きかったといいます。震災後、仙台コレクションが評価される機会が増えてありがたいと思う反面、記録するという行為が震災と避けがたく結び付いてしまうことに抵抗を感じ、コレクションの写真が撮れない時期もあったといいます。震災から8年、環境の変化もあり、昨年からまた「ハイピッチで」活動しているとのこと。「2020年に1万点達成を目指します」と笑顔でお話しくださいました。
写真家としてのスタートを決定づけた樋口徹さんとの出会い、そしてそこで出会った数々の写真家への敬意を胸に、伊藤さんはこれからも写真と、街と、向き合い続けていきます。
掲載:2019年6月20日
- 伊藤 トオル いとう・とおる
- 1963年宮城県多賀城市生まれ。現在、仙台市在住。23歳の時に広告スタジオに勤務、樋口徹氏に師事する。1987年からフリーランス。1995年初の写真集『KUMANO』出版。1997年に写真新世紀展優秀賞(森山大道選)、翌年年間特別賞を受賞。1999年度宮城県芸術選奨新人賞、2016年度宮城県芸術選奨受賞。個展、グループ展、写真集などで精力的に作品を発表する傍ら、2001年に仙台の街を1万枚の写真で記録するプロジェクト「仙台コレクション」を始動。代表として、これまでに写真集を第3巻まで刊行し、活動は現在も継続中。