まちを語る

その22 津村 禮次郎(観世流能楽師)

その22 津村 禮次郎(観世流能楽師)

小松島・卸町(仙台市青葉区・若林区)
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるさまざまなエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は観世流能楽師の津村禮次郎(つむられいじろう)さんの登場です。古典能以外にも様々なジャンルのアーティストとの共演で知られる津村さん。その自在な活動を体現するかのようなフットワークで、仙台での活動の原点を訪ねました。
『季刊 まちりょく』vol.22掲載記事(2016年3月15日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

小松島

 暖冬とはいえ冷え込んだ1月の朝。約束の場所にうかがうと、羽織袴にショールをまとった津村さんが姿をあらわした。その凛とした佇まいに、一瞬にして空気が引き締まる。しかし津村さんが「おはようございます」と破顔一笑した途端、ぱっと陽が射したかようなあたたかさが広がった。その温(ぬく)みとともに、本日の目的地、青葉区の小松島へ向かう。

 小松島の坂道を登る途中で、「懐かしいですね、この道は。冬は凍結すると大変なんですよ」と津村さん。かつて小松島には津村さんの師匠の代からの弟子だった笛(ふえ)芳子さん所有の能舞台があり、津村さんは月に一度、稽古を付けに東京から通っていた。津村さんが仙台で教え始めたのは今から40年近く前。その頃はまだ東北新幹線が開業しておらず、「『特急ひばり』で、仙台まで4時間半かかりました」という。
小松島にて。この坂道を登った先に「小松島能舞台」があった。お弟子さんたちも息を切らせながら稽古に通った道。
▲小松島にて。この坂道を登った先に「小松島能舞台」があった。お弟子さんたちも息を切らせながら稽古に通った道。
 坂を登りきった高台に笛さんの実家があり、能舞台はその庭に設けられていた。二間半(4.5m)四方の稽古用舞台で、正式な能舞台(三間=5.4m四方)よりひと回り小さいものの、市内の能楽関係者からは「小松島能舞台」の名で親しまれた。
 「母屋は明治時代の古い建物で、笛さんのお母さんがお住まいでした。外には石垣と門があって。僕が稽古に来るときは母屋に2泊ぐらいさせていただいていました」と津村さんが当時を振り返る。「近くに東北高校があって、稽古をしていると野球部の子たちが走っている掛け声が聞こえてきてね」という記憶も。
笛さんの甥・高田さんご夫妻と。2011年、「能-BOX」の開館イベントで会って以来の再会。「いろいろお世話になっているんですよ。一緒にカラオケに行ったりね(笑)」と津村さん。
▲笛さんの甥・高田さんご夫妻と。2011年、「能-BOX」の開館イベントで会って以来の再会。「いろいろお世話になっているんですよ。一緒にカラオケに行ったりね(笑)」と津村さん。
 笛さんが亡くなった後、明治の風情が漂うお屋敷は解体され、今その跡地には真新しい住宅が数棟建てられている。ここに来るのは現状になってからは初めてだという津村さん、「この下に(笛さんの)甥御さんのお家があるんですよ」と、坂を少し下りたところにあるお宅の呼び鈴を鳴らしてみる。訪問の約束はしていなかったものの、幸いにしてご在宅だった笛さんの甥、高田和彦さん・幸子さんご夫妻との対面がかなった。約5年ぶりの再会だそうだ。
小松島から卸町に向かう途中、東照宮に立ち寄る。小松島に稽古に来ていた頃はよくお参りに訪れていたそうだ。
▲小松島から卸町に向かう途中、東照宮に立ち寄る。小松島に稽古に来ていた頃はよくお参りに訪れていたそうだ。
 能舞台がこの地にあった頃、和彦さんもお稽古を受けていたそうで、「たまにさぼっているとおばさん(笛さん)から電話がかかってくるんですよ。『今日はお稽古に来ないんですか!』って」。幸子さんがほほ笑みながら語る思い出に、津村さんも懐かしそうに応じる。思いがけず楽しいひとときとなった。

卸町

卸町の「能-BOX」に移設された「小松島能舞台」。開館にあたり、舞台上の「後座(正面奥)」「地謡座(向かって右側)」を広げ、「橋掛り」を新設するなどの改修が施された。鏡板の老松は、中学・高校で美術部に所属していた津村さん自身の手になるもの。
▲卸町の「能-BOX」に移設された「小松島能舞台」。開館にあたり、舞台上の「後座(正面奥)」「地謡座(向かって右側)」を広げ、「橋掛り」を新設するなどの改修が施された。鏡板の老松は、中学・高校で美術部に所属していた津村さん自身の手になるもの。
 実は取材日の夕方、津村さんは仙台市中心部の会場でダンス公演への出演を控えていたのだが、時間に少し余裕があるというので若林区卸町へ足を延ばすことに。卸町には、2011年に開館した「能-BOX」がある。「能-BOX」はその名の通り能や演劇の上演、稽古などに利用されている施設だが、そこに「小松島能舞台」が移設されているのである。
1月16日・17日、「能-BOX」で上演された「黒塚 KUROZUKA」の一場面。津村さんの能と、和太鼓、篠笛の融合によって、“安達ヶ原の鬼婆伝説”が新たな世界観で表現された。
▲1月16日・17日、「能-BOX」で上演された「黒塚 KUROZUKA」の一場面。津村さんの能と、和太鼓、篠笛の融合によって、“安達ヶ原の鬼婆伝説”が新たな世界観で表現された。
 倉庫を改修した覆屋の中に入ると、津村さん馴染みの能舞台が出迎えてくれた。現在、津村さんはここで引き続き仙台のお弟子さんたちに稽古をつけ、折にふれてコンテンポラリーダンスや和太鼓など異なるジャンルのアーティストとのコラボレーション公演も行っている。この能舞台は津村さんの仙台での原点であり、今も新しい表現を追い求め続けるその活動の拠点でもある。「この舞台を使うことが、僕の責任でもあるのかなと思っています」と津村さんは語り、この日の本番へと向かって行った。その姿を能舞台が静かに見送ってくれているかのようだった。

掲載:2016年3月15日

写真/佐々⽊隆⼆

津村禮次郎 つむら・れいじろう
観世流緑泉会代表 重要無形文化財(能楽総合)保持者
1942年福岡県生まれ。一橋大学在学中から津村紀三子に師事、その後、先代観世喜之に師事。古典能だけでなく創作能、和太鼓、邦楽、ダンスなど他ジャンルとのコラボレーション作品も多い。2010年度文化庁文化交流使としてロシア、ハンガリーで指導を行ったほか、海外各地でも能の普及に努めている。2011年、仙台市若林区卸町に完成した「能-BOX」の開館セレモニーおよび記念公演に出演。2012年には継続的な文化交流活動に対してモスクワ・シェープキン演劇大学より表彰された。その活動を約5年にわたって記録したドキュメンタリー映画に「躍る旅人 能楽師・津村禮次郎の肖像」(監督:三宅流)がある。