その9 片岡 良和(作曲家)

その9 片岡 良和(作曲家)

NHK仙台放送局周辺(仙台市青葉区)
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその場所にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は作曲家の片岡良和さんが、かつて音楽活動の拠点としていたNHK仙台放送局とその周辺を訪ねました。
『季刊まちりょく』vol.9掲載記事(2012年12月14日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

写真/佐々木隆二
協力/NHK仙台放送局

NHK仙台放送局の正面入口にて。片岡氏が一番最初にNHKに足を踏み入れたのは小学生の頃。合唱コンクールの収録があり、「そのとき日本の統治下にあったシンガポールからも子どもたちが来ていたのを覚えています」。
▲NHK仙台放送局の正面入口にて。片岡氏が一番最初にNHKに足を踏み入れたのは小学生の頃。合唱コンクールの収録があり、「そのとき日本の統治下にあったシンガポールからも子どもたちが来ていたのを覚えています」。
 片岡良和さんの生家は、仙台市内榴岡(つつじがおか)にある浄土真宗の古刹(こさつ)・見瑞寺(けんずいじ)である。そのため片岡さんは仏教の勉強を京都の大谷大学で修めたのち、東京の国立(くにたち)音楽大学に編入し作曲を学んだという異色の経歴の持ち主である。

 音大では清水脩(おさむ)、高田三郎といった高名な作曲家に師事し、周囲の学生にはのちに日本の音楽界で活躍することになる人々も大勢いた。そこに編入学した片岡さんは「単位は前の大学で取ってしまっているものが多かったから、音大ではヒマだったんだね(笑)。だからよく東京のNHKに出入りして仕事をしていましたよ。一番最初はラジオ歌謡の仕事をやったな」と学生時代を振りかえる。

 昭和30年代の初め、カラヤンが二度目の来日を果たしてNHKホール(当時は千代田区内幸町にあった)でベルリン・フィルの指揮をした際も、片岡さんはホールの隣にあった放送局内にいたという。「聴きたかったけど切符がなくて、局内にずっといれば入れるかと思ってね(笑)」。そのとき片岡さんが耳にした曲は「ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』。あの「ティーンティーンティティーン」っていうトランペットの一発目。感激したね。ゾクゾクっときた。本当に良かったねえ」。
思い出のスタジオにて。局内でもっとも大きなスタジオで、現在は討論番組や音楽番組などに使用されている。内装や設備は新しくなってはいるが、調整室の窓の位置などはほぼ当時のままに残されている。
▲思い出のスタジオにて。局内でもっとも大きなスタジオで、現在は討論番組や音楽番組などに使用されている。内装や設備は新しくなってはいるが、調整室の窓の位置などはほぼ当時のままに残されている。
 「だからNHKっていうと本当になつかしい」。そう語る片岡さんとともに訪ねたのは、NHK仙台放送局内のスタジオ。そこは、東京から仙台に戻ってきた片岡さんが、オーケストラとともにラジオ番組の収録や練習をした場所だ。内装は新しくなっているが、建物自体は当時と変わらない。「東京オリンピックのすぐ後、ここのスタジオで録音があったんです。民謡をオーケストラ用に編曲した作品でした」。
放送局内に設けられている見学コースで、懐かしい写真と年表を見る片岡さん。片岡さんの音楽活動は、まさに放送局のあゆみと重なっている。
▲放送局内に設けられている見学コースで、懐かしい写真と年表を見る片岡さん。片岡さんの音楽活動は、まさに放送局のあゆみと重なっている。
 当時のオーケストラは、NHK付属として1944年に発足した「仙台放送管弦楽団」だった。30人ほどの編成で、かつて軍楽隊にいたトランペット奏者の音色がものすごく元気が良かったことや、エキストラの楽団員が多かったことなど、片岡さんから当時の思い出が次々に飛び出す。「ここらへんで指揮をしたなあ」と立ち位置まで覚えている。それだけ、ここで過ごした時間が長かったということだろう。
 やがて「仙台放送管弦楽団」はその役目を終えるが、「大都市にはプロのオーケストラが必要。仙台にもオーケストラを創ろう」と考えた片岡さんが中心となり、1973年、市民オーケストラ「宮城フィルハーモニー管弦楽団」が設立された。片岡さんはその初代の常任指揮者となり、楽団員の確保から楽器の調達、資金集めも自ら奔走し、5年後には目標だったプロ化を実現させた。1983年には、片岡さんが学生時代から懇意だった作曲家、故・芥川也寸志氏が音楽総監督に就任し、年に1回宮城フィルを指揮した。「芥川さんが来て、宮城フィルは変わった」と片岡さんは言う。「芥川さんは自分のためではなく、あくまで音楽を広めるために指揮をしていた人なんです」。
NHK前の「藤や」にて。「録音が終わるとオケのメンバーと一緒にここに来て、よく中華そばを食べましたよ」。昔と変わらない味に、思わず笑みがこぼれる。
▲NHK前の「藤や」にて。「録音が終わるとオケのメンバーと一緒にここに来て、よく中華そばを食べましたよ」。昔と変わらない味に、思わず笑みがこぼれる。
 その宮城フィルは、1989年、「仙台フィルハーモニー管弦楽団」に名称を変更し今に至っている。「このNHKのスタジオがなかったら、今の仙台フィルはなかった」と片岡さんは断言する。すなわち、片岡さんがそのスタジオで音楽活動を行っていなければ、仙台フィルは存在していなかったとも言えるのではないだろうか。
取材は11月の初旬。美しい黄色に色づいた愛宕上杉通りの銀杏並木を背に。
▲取材は11月の初旬。美しい黄色に色づいた愛宕上杉通りの銀杏並木を背に。
 東日本大震災の後、仙台フィルが最初に開催した復興コンサートは、片岡さんが住職を務める見瑞寺が会場だった。仙台の音楽シーンの節目節目には、片岡さんの姿が必ずあることに気づく。

 NHKを出て銀杏並木のなかを帰途についた片岡さんの後ろ姿に、まちの音楽の歴史を感じた。
片岡 良和 かたおか よしかず
1933年仙台市生まれ。大谷大学卒業後、国立音楽大学作曲科に編入し、清水脩、高田三郎の各氏に師事。帰郷後の1973年3月、宮城フィルハーモニー管弦楽団(現・仙台フィルハーモニー管弦楽団)を設立、初代常任指揮者に就任(1980年まで)。作曲作品に合唱曲「冬の手紙」(芸術祭文部大臣賞)、管弦楽曲「抜頭によるコンポジション」(東京放送賞)、バレエ音楽「飛鳥物語」(芸術祭奨励賞)、宮沢賢治の童話によるカンタータ「鹿踊りのはじまり」(芸術祭優秀賞)など多数。1974年、宮城県芸術選奨受賞。現在、仙台市宮城野区の見瑞寺住職および仙台フィルハーモニー管弦楽団副理事長などを務める。