まちを語る

 その52 井上 きみどり(漫画家・コラムニスト)

その52 井上 きみどり(漫画家・コラムニスト)

蒲生
仙台ゆかりの文化人が、その地にまつわるエピソードを紹介するシリーズ「まちを語る」。今回は漫画家・井上きみどりさんと一緒に、仙台市沿岸部の蒲生エリアへ。震災復興の変遷や地域伝承の取り組みをお伝えします。
 1999年に東京から仙台へ移住し、漫画家の仕事と子育てを両立してきた井上きみどりさん。自らの子育てをモチーフにした人気エッセイ漫画『子供なんか大キライ!』の連載を経て、2010年以降は「取材漫画家」として多くの社会問題と向き合っている。その一つが、東北の震災復興。東日本大震災の記憶や教訓を後世へつなぐ一助になればと、震災直後から幾度も被災地を訪ね、現地の声に耳を傾け、地道に取材した実情を漫画に描き続けてきた。そんな井上さんがある時から感じるようになったのは、「被災した人たちが次世代に伝えたいのは、震災現象だけじゃない」ということ。自分たちのまちには、どんな暮らしや自然が息づいていたのか。脈々と受け継がれてきた歴史や文化を途絶えさせることなく、どうやって未来へつないでいけばいいのか。こうした地域伝承の想いと井上さんの漫画が深く結びついたエリアが、仙台市宮城野区東部の「蒲生なかの地区」。2024年3月にオープンした震災伝承施設「蒲生なかの郷愁館」では、井上さんの漫画やイラストを通して、地域の魅力や移り変わりを知ることができる。
杜の都バイオマス発電所内に併設されている「蒲生なかの郷愁館」。井上さんと共に施設を案内してくれたのは、展示室の企画・運営を行う「なかの伝承の丘保存会」の下山正夫会長(写真右)と制作チームの小山田陽さん(写真中央)。
▲杜の都バイオマス発電所内に併設されている「蒲生なかの郷愁館」。井上さんと共に施設を案内してくれたのは、展示室の企画・運営を行う「なかの伝承の丘保存会」の下山正夫会長(写真右)と制作チームの小山田陽さん(写真中央)。
展示室の入り口には、井上さんが手がけた解説漫画を設置。蒲生なかの地区のシンボルバード「コアジサシ」をモチーフにしたキャラクターが、子どもたちにもわかりやすく地域の特色を伝えてくれる。
▲展示室の入り口には、井上さんが手がけた解説漫画を設置。蒲生なかの地区のシンボルバード「コアジサシ」をモチーフにしたキャラクターが、子どもたちにもわかりやすく地域の特色を伝えてくれる。
施設名のロゴも、井上さんがデザイン。
▲施設名のロゴも、井上さんがデザイン。
 3.11の大津波に見舞われた同地区は災害危険区域に指定され、住民たちは防災集団移転によって離れ離れとなった。閉校した仙台市立中野小学校の跡地には慰霊塔と共に「なかの伝承の丘」が整備され、そのモニュメントと向き合うように設けられたのが「蒲生なかの郷愁館」。地域住民の声を取り入れながら構成された展示コーナーは、仙台市内外からの来場者に震災の教訓を伝えるだけでなく、この地で暮らした人々の絆や思いをつなぐ場所にもなっている。「『自分たちのまち』がここにあったことを知ってもらうため、そしておそらくご自身たちも感じるために、地元の方々がとても熱心に活動されています」と井上さんは話す。
仙台市立中野小学校の跡地に造られた「なかの伝承の丘」。追悼・鎮魂のモニュメントであるだけでなく、元住民が集うコミュニティの場として利用されている。隣接する公園の整備も進行中だ。
▲仙台市立中野小学校の跡地に造られた「なかの伝承の丘」。追悼・鎮魂のモニュメントであるだけでなく、元住民が集うコミュニティの場として利用されている。隣接する公園の整備も進行中だ。
なかの伝承の丘保存会の下山さん(写真中央)は、防災集団移転を余儀なくされた一人。この下山さんを中心に地域の元住民やサーファーたちが協力しながら、移転後もなかの伝承の丘や海辺の清掃活動を続けている。
▲なかの伝承の丘保存会の下山さん(写真中央)は、防災集団移転を余儀なくされた一人。この下山さんを中心に地域の元住民やサーファーたちが協力しながら、移転後もなかの伝承の丘や海辺の清掃活動を続けている。
 井上さんは解説漫画の制作を通じて、地域の人たちと会話を重ねてきた。漫画を描くための取材に限らず、時には自身の趣味を生かした交流も。コアジサシ型のクッキーを手作りして蒲生なかの郷愁館の開館式で配ったこともあれば、なかの伝承の丘で行われたキャンドル慰霊祭では鎮魂の篠笛を演奏した。これまでの関わりを振り返りながら、「蒲生なかの地区の人たちって、みんなで作り上げていく熱量が高いんです」と語る井上さん。「最後にはちゃんと形になるから、やり遂げた達成感、みんなで乗り越えた満足感も味わえて。郷愁館の制作チームが『作って終わり』にならず、『何かあれば蒲生にお手伝いに行きたい』と現在も自然と足が向くのは、そんな人間味あふれる場だからだと思っています。まちは無くなっても、人間味を感じられる場。そんな場所は多くないかもしれません。実際にこちらへ来てみないとわからないこともたくさんあるので、多くの方に足を運んでいただきたいですね」。地域の人々が大切に守っている「蒲生干潟」と「日和山」もぜひ知ってほしいと、井上さんが案内してくれた。なかの伝承の丘から海のほうへ10分ほど歩くと、防潮堤と海の間に蒲生干潟が見えてくる。
七北田川の河口付近に広がる「蒲生干潟」。東日本大震災の津波によって消滅の危機にさらされた蒲生干潟だが、少しずつ生態系が蘇り、震災前の姿を取り戻しつつある。
▲七北田川の河口付近に広がる「蒲生干潟」。東日本大震災の津波によって消滅の危機にさらされた蒲生干潟だが、少しずつ生態系が蘇り、震災前の姿を取り戻しつつある。
 豊かな生態系が息づく蒲生干潟は、国指定仙台海浜鳥獣保護区の特別保護地区に指定。蒲生なかの郷愁館のキャラクターにもなったコアジサシや国の天然記念物であるコクガンなど、希少な渡り鳥の飛来地としても知られている。津波の襲来で干潟は一時消失したものの、月日を重ねるごとに湿地帯や植物が回復し、野鳥やカニなども再び姿を見せるようになった。「蒲生は縄文時代から集落があったと言われているところで、昔から何度も大津波に襲われながら、そのたびにまちも自然も再生を繰り返してきたそうです」と井上さん。そんな再生の歴史と自然の生命力が宿る蒲生干潟だからこそ、「子どもたちに見学に来てもらいたい場所」だと話す。「この自然や風、生物の営みなど、いろんなものを感じてほしいですね。潮が引いた干潟でカニが面白い動きをしていたり、アサリがピューッと水を吹き出したり、子どもたちの低い視線で生物を見るのはすごく楽しいんじゃないかと思います」。そう話しながら蒲生干潟沿いを北側へ少し進むと、日本一低い山に認定されている「日和山」にたどり着いた。
標高3メートルの日和山は、登山口から山頂まで6段。「日和山の山開きに取材に来たとき、大人が真剣に遊んでいたのが面白かったんですよね。高い山を登るような格好をしていたり、熊鈴を持ってみたり…」。そう思い返して笑う井上さんも、全力で登山!
▲標高3メートルの日和山は、登山口から山頂まで6段。「日和山の山開きに取材に来たとき、大人が真剣に遊んでいたのが面白かったんですよね。高い山を登るような格好をしていたり、熊鈴を持ってみたり…」。そう思い返して笑う井上さんも、全力で登山!
日和山の山頂からは、蒲生干潟や太平洋が見渡せる。「もともと日和山は、昔の漁師が海の様子を見るために、土を盛って作ったものらしいです。それがだんだん山のようになって、震災前は標高6.05メートルありました」。
▲日和山の山頂からは、蒲生干潟や太平洋が見渡せる。「もともと日和山は、昔の漁師が海の様子を見るために、土を盛って作ったものらしいです。それがだんだん山のようになって、震災前は標高6.05メートルありました」。
 東日本大震災の津波を受ける前は、標高6.05メートルだった日和山。2014年の国土地理院の調査で標高3メートルになっていたことが判明し、「日本一低い山」として注目を集めるようになった。山といっても見た目は小高い丘のようだが、山頂に続く階段には「落石注意」「遭難注意」など遊び心のある立札も。登頂した様子の写真を撮って仙台市高砂市民センターで提示すれば、登頂証明書も発行してもらえる。「こういうノリが楽しいですよね。津波の被害が大きかった場所ではありますが、日本一になったことは喜んじゃえという、蒲生なかの地区の人たちの気概を感じます。日和山は今や、地域の観光資源ですね」。毎年7月の第1日曜には山開きのイベントが行われており、開催10周年の2024年には宮城県内外から約150人が集まるなど、知る人ぞ知る名所として親しまれている。この山開き登山の集合場所になっているなかの伝承の丘は、震災前の日和山を再現した標高6.05メートル。現在の日和山を大切にするだけでなく、かつての日和山の面影もしっかり残し、地域の記憶を未来へ引き継いでいる。
 井上さんが初めて蒲生に訪れたのも、日和山の山開きの取材だった。これまで蒲生なかの地区をはじめ、震災伝承や防災に関する取材漫画を多く手がけてきた井上さんだが、漫画制作にはもうピリオドを打つそう。「震災や防災を伝える漫画は、いろんな人が作ってこそ価値があると思うんです。描く人が違えば、いろんな方向に広がっていきますよね。しかも漫画なら重いテーマをわかりやすく伝えられるので、漫画で社会問題を発信してくれる人がもっと増えたらいいなと願っています」。これからはイラストとエッセイなど、テキスト主体の表現に移行するという井上さん。どんな言葉で、どんな視点で、仙台のまちや人を綴ってくれるのか楽しみだ。

掲載:2024年12月23日

取材:2024年10月

取材・原稿/野原 巳香 写真/寺尾 佳修

井上 きみどり いのうえ・きみどり
仙台市在住。1991年に集英社「第1回YOU漫画大賞」を受賞し、漫画家デビュー。自らの子育ての日常を描いたエッセイ漫画『子供なんか大キライ!』の連載が続く中、夫の転職をきっかけに1999年に東京から仙台へ移住。2010年以降は、社会問題をテーマにした取材漫画に力を注ぐ。主な著作は『半ダース介護』、『わたしたちの震災物語』、『オンナの病気をお話ししましょ。』、『マンガでわかるコドモの医学』(以上すべて集英社刊)、『ふくしまノート』(竹書房)など。2024年9月発行の取材漫画『爆弾と紙のランドセルと白いごはん』では、子どもたちに仙台空襲の体験談を伝えると共に「戦争と平和」について問いかける。ウェブ版『爆弾と紙のランドセルと白いごはん』は、公式サイト「きみどりBook Café」にて無料公開中。