まちを語る

その53 渡部 三妙子(ミュージカル劇団OH夢来’S・脚本家)

その53 渡部 三妙子(ミュージカル劇団OH夢来’S・脚本家)

定禅寺通り
仙台ゆかりの文化人が、その地にまつわるエピソードを紹介するシリーズ「まちを語る」。今回はミュージカルや演劇などの創作活動から楽しさを育み続けてきた渡部三妙子さんの思い出の地・定禅寺通りを巡ります。
 仙台で活動するミュージカル劇団、「OH夢来’S(おむらいす)」。1990年の旗揚げ以降、仙台でも数少ないミュージカル団体として多彩なエンターテインメントを発信し続けている。その中で脚本と演出を担当する、渡部三妙子さん。劇団を創設以来、定禅寺通りを踏み締めながら劇団のホームといえるエル・パーク仙台に通う日々。「定禅寺通りは私のパワースポット」と語るほど、渡部さんにとって色濃い思い出が刻まれている。 
OH夢来’S第25回公演 市民参加型ミュージカル『グレーな気分でもう一度~影たちのララバイ♪~』(2025年)の集合写真
▲OH夢来’S第25回公演 市民参加型ミュージカル『グレーな気分でもう一度~影たちのララバイ♪~』(2025年)の集合写真
 仙台に演劇の根を張るべく、1980年代から創作活動に取り組んでいた渡部さん。ミュージカルと出会ってから、歌うことや踊ることが楽しいと感じる日々。そうした中で生み出された創作活動のひとつが、1989年に上演された仙台市制100周年記念ミュージカル『OH!ZEI!』だ。劇団四季で演出や脚本、振り付けなどを手掛けていた梶賀千鶴子さんのもと、演出部のひとりとして参加。その体験が、「OH夢来’S」の旗揚げに大きく結びついている。「若気の至りですよね。まだ演劇の右も左もわからないのに劇団を立ち上げちゃうなんて」
仙台市制100周年記念ミュージカル『OH!ZEI!』仙台市民会館
▲仙台市制100周年記念ミュージカル『OH!ZEI!』仙台市民会館
 その後、仙台市が街全体で演劇を盛り上げようと1996年にスタートした「シアター・ムーブメント仙台」にも参加。仙台から優れた演劇を提案し、仙台市民や在仙劇団が共同することでひとつの舞台をつくりあげようとする大きな動きは、「志を共にする俳優仲間や舞台関係者とのつながりを生み出すことになった」という。

 創作の原点を振り返りながら、渡部さんが向かったのは勾当台公園市民広場。
 後にOH夢来’Sのメンバーとなる「OH!ZEI!」の有志たちでチームを組み、「仙台・青葉まつり」に参加。チームの初お披露目となった場所で当時を振り返りながら、渡部さんは「あ〜、楽しかったなあ」と頬を緩ませる。「みんなで工夫して、ミュージカル仕立ての仙台すずめ踊りをつくったんですよ。そこから毎年いろんな人に声をかけて参加を募り、30〜40人くらいの老若男女が参加するチームとして10年くらい続いたのかな。チームの名前はOH囃子来'S(おはやしらいす)。今でもその名前の祭連(まづら)がありますよ」
 OH囃子来'Sはその後仙台みちのくYOSAKOIまつりに、OH夢来’Sでは定禅寺ストリートジャズフェスティバルにも参加。「私たちを見てくれる方たちに楽しんでもらうことばかり考えていましたね。でも、その考え方は今も変わらないかな」
勾当台公園市民広場には、「みんなで集まって何かするのが楽しかった」という劇団創立当初の思い出が刻まれている
▲勾当台公園市民広場には、「みんなで集まって何かするのが楽しかった」という劇団創立当初の思い出が刻まれている
「こんな感じで踊ったんだっけな〜」と、ステージ上でと舞を披露してみせた渡部さん
▲「こんな感じで踊ったんだっけな〜」と、ステージ上でと舞を披露してみせた渡部さん
 当時からたくさんのイベントが開催されていたという一番町商店街。そんな中、渡部さんを含めたOH夢来’Sのメンバーは商店街の通りに大きな布を広げ、即興で絵を描くこともあったという。「あの頃はただただみんなで集まって創作をするのが好きでしたね。今思えばどれも無謀なことばかり。“あの子たち、なんだかおもしろそうなことしているね”と見守ってくれた大人たちがいたから、いろんなことができたのでしょうね」

 定禅寺通りを西へと進み、東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の前で立ち止まる。
東京エレクトロンホール前で、自身の演劇人生を振り返る
▲東京エレクトロンホール前で、自身の演劇人生を振り返る
 渡部さんが演劇に興味を持ったのは小学校4年生の時。4年生全員で『さるかに合戦』を発表することになり、男の子たちがさる役、女の子たちがかに役を振り分けられるなか、なぜか渡部さんはさるの親分役に。しかしその大抜擢が、演劇との出会いだけでなく、演じることの楽しさを渡部さんに教えてくれた。
 小学校高学年になると、宮城県民会館で舞台芸術の素晴らしさと出会うことになる。観劇したのは、宝塚歌劇団の『風と共に去りぬ』。煌びやかさと華やかさを体現したような舞台空間に、少女時代の渡部さんは大興奮だったという。さらに月日は流れて2016年。幼少期の渡部さんが舞台の魅力をまざまざと感じたこの場所で、仙台オペラ協会第41回公演『ヘンゼルとグレーテル』の演出を担当した。「初めて自分が演劇を観た劇場でフルオーケストラのオペラ作品を演出することになる。そう思うと込み上げてくるものがありましたね」

 定禅寺通りには、東京エレクトロンホール宮城をはじめトークネットホール仙台(仙台市民会館)、エル・パーク仙台、せんだいメディアテーク、勾当台公園などが点在している。「文化を発信する施設が定禅寺通りに連なって存在していることに意味があるのではないか」という渡部さん。「人が集い、出会い、影響しあうことで芸術や表現は生まれる、そんな豊かな場所がある街で暮らすことができて、私って幸せだなと実感します」
周りを見渡しながら、感慨深い様子でグリーンベルトを歩く渡部さん
▲周りを見渡しながら、感慨深い様子でグリーンベルトを歩く渡部さん
 旗揚げから30年以上が経った今でも、OH夢来’Sはエル・パーク仙台で公演を行っている。公演中は西公園にほど近い場所にあるコインパーキングに車を停め、定禅寺通りの中央にあるグリーンベルトを通ってエル・パーク仙台へ。これが、渡部さんのルーティンだ。
 そのグリーンベルトを東へ進み、エル・パーク仙台のある仙台三越の外観が見えてきた。かつてここが「141ビル」の名で愛されていた1998年。OH夢来’Sの第6回公演『I Wish』が上演された時、そのタイトルと劇団の名が大きく書かれた垂れ幕がビルの外壁に飾られた。「あの光景は一生の宝ですね。その当時もエル・パーク仙台には私たちを応援してくれるスタッフの方たちがたくさんいてくれましたね。劇団をいつも助けてくれました」
演劇ワークショップ「P-egg」演劇公演シーズン8 OH夢来’Sミュージカル『I Wish!』エル・パーク仙台ギャラリーホール(2023年)(OH夢来’Sミュージカル『I Wish』(1998年)をリメイク)
▲演劇ワークショップ「P-egg」演劇公演シーズン8 OH夢来’Sミュージカル『I Wish!』エル・パーク仙台ギャラリーホール(2023年)(OH夢来’Sミュージカル『I Wish』(1998年)をリメイク)
 エル・パーク仙台での思い出話をうかがう中で、「一番印象に残っている作品はありますか?」と問いかけてみた。渡部さんはすぐに「演出家としてターニングポイントになった作品はもちろんあります。だけどひとつだけ突出している作品はなく、どの作品も私にとってミラクル。作品ごとに発見や気付きが必ずありますからね」と応えた。渡部さんの演劇人生のフェーズが大きく進み出すターニングポイントになったのは、脚本と演出を担当した利府町民劇団「ありのみ」の旗揚げ公演(1997年)。「子どもから年配の方まで、日常から一歩踏み出した参加者の挑戦がスタッフや観客を巻き込み、勇気や希望、元気、パワーを生み出したんです。あの瞬間は、“そう!これこれ!”と感じましたね。私たちが劇団をつくるきっかけとなった市民参加型ミュージカルでも同じように強く感じたパワーでした。関わった皆さんが明日へ向かう勇気や元気を見つけられるような演劇創作をしていきたいと、自分の夢が具体化した経験でもありました」
利府町民劇団「ありのみ」旗揚げ公演の様子。幅広い年代の参加者が生み出すパワーが、観る人の心に大きな影響を生み出した
▲利府町民劇団「ありのみ」旗揚げ公演の様子。幅広い年代の参加者が生み出すパワーが、観る人の心に大きな影響を生み出した
 利府町民劇団「ありのみ」旗揚げ公演への参加で見えてきた、理想とするミュージカルの形。渡部さんは新たな目標を目指すようになった。それは、子どもたちとともにミュージカルをつくること。その思いは子どもたちに表現する楽しさを伝える子どもミュージカル劇団「たまごファーム」の設立へとつながっている。「たまごファームの旗揚げから23年。たまごファームは中学校の卒業に合わせて劇団を卒業するのですが、これまで多くの子どもたちと出会い、見送りました。子どもたちは成長し、それぞれの道を精いっぱい歩いています」
ミュージカル劇団「たまごファーム」第1回発表会『ぷれぜんと for me!』(2002年)の様子。OH夢来‘S本公演の前座として披露された エル・パーク仙台スタジオホール(2002年)
▲ミュージカル劇団「たまごファーム」第1回発表会『ぷれぜんと for me!』(2002年)の様子。OH夢来‘S本公演の前座として披露された エル・パーク仙台スタジオホール(2002年)
 たまごファームだけでなく、OH夢来’Sで4年に一度企画している市民参加型ミュージカルに参加したメンバーの中には今、さらに自分自身の表現を深めようとする若者がいるという。渡部さんは現在、演劇経験を問わない、幅広い世代に向けた長期の演劇ワークショップP-egg(ピーエッグ)を主宰。「挑戦的な演劇製作に取り組むこのP-eggも、私の夢の形なんです」と自身の次の目標を追いながらも、表現活動に励む後輩たちへの温かい眼差しを忘れない。「これからは諸先輩たちが私にしてくれたように、挑戦しようとしている若者たちに何ができるかが大きなテーマです。 せっかくここまでいろんな方々に助けていただいたのだから、目の前にいる先輩たちのように、若い人たちにきっかけを与えられたらいいなと思います。演劇人だけじゃなくて、仙台の街で何か表現したいと思っているすべての人たちにもね」

掲載:2025年3月19日

取材:2024年12月

取材・原稿/及川 恵子 写真/寺尾 佳修

渡部 三妙子 わたべ・みさこ
仙台市出身。ミュージカル劇団「OH夢来’S」・子どもミュージカル劇団「たまごファーム」代表。「みんなが元気になれる場所を創ろう!」をテーマに数多くの舞台制作を手掛けている。劇団の脚本・演出を務めるほか、宮城県内外の劇団の演出、町おこし事業の企画・制作にも参加。仙台で1976年から活動が続く仙台オペラ協会の公演作品では、これまでに「愛の妙薬」「メリー・ウィドウ」「こうもり」の演出を担当した。2025年2月1日(土)、2日(日)には4年に一度行われている市民参加型ミュージカル、通称“オムリンピック”を開催。「グレーな気分でもう一度〜影たちのララバイ♪〜」が、仙台銀行ホールイズミティ21 小ホールにて上演された。