インタビュー

内と外で異なる表情を持つ『伊達冠石』

地元の「ソウルストーン」その2

丸森町に位置する標高300メートルの大蔵山で生まれた「伊達冠石(だてかんむりいし)」。自然の力によるその造形美には、アーティストの創造力を刺激する魅力と、洗練された趣がある。今回話を聞いたのは、大蔵山に本社を持つ「大蔵山スタジオ」の代表取締役、山田能資さん。同社は、100年前から石の採掘を始め、現在は伊達冠石の採掘、加工、販売を行うと同時に、大蔵山を緑あふれる里山に戻す修景作業も行っている。伊達冠石とはどのような石なのか、その背景にあるストーリーとともに伺った。

大地を感じる特有の表情

まずは伊達冠石の特徴を教えてください。

伊達冠石が採れる大蔵山は、今から約2000万年前にマグマが噴出し、それが冷却されてできました。その過程で大きな地殻変動があり、マグマの塊が海水に潜って浮き上がる現象を2度繰り返しています。それにより、海水の塩分とマグマの鉄分が反応して、玄武岩溶岩・火成岩の伊達冠石ができたのです。
一般的に採石というと、ワイヤーソーで岩盤を切り落としたり、火薬を使って発破したりしますが、伊達冠石はどちらも使いません。山には、表面を赤土で包まれた丸い石が単体で詰まっていて、その下に柱状節理(マグマの冷却過程でひびが入りできる柱状の地質)の岩石があります。そのため、パワーショベルの爪を石にひっかけ、前に倒して採掘します。採掘していても大きな音がしないんですよ。

「大蔵山スタジオ」の代表取締役、山田能資さん。応接室にあるテーブルも伊達冠石。
雄大な時間の流れを感じさせる大蔵山の採掘場。一部、イサム・ノグチが最後に訪問した当時の状態をそのまま保存している。

石の表面に見られる赤茶色の部分は「土」なのですね。

マグマが冷える過程で海水が流入し、それによって分離作用が働いて土化したものです。海水に出合わなければ、そのまま固まって柱状節理の石になっていたでしょう。大蔵山は、海水の影響で完全な土になった表土と、土になりきれなかった丸石、海水の影響を受けなかった岩石が3つのレイヤーをつくっています。当社ではこれまで石のみを扱ってきましたが、鉄分が含まれた錆色の土にも大きな価値と製品としての可能性を感じて、タイルや左官材などを開発中です。

泥に覆われた状態で産出されることから、昔は「泥かぶり石」と呼ばれていた。「伊達冠石」と名付けられたのは4代目のころ。

赤みがかった表面の土と、つやのある内部の漆黒色が特徴的ですね。

丸い石には表面に錆色の土っぽさがあるので、大地に触れるような感覚があります。中はただの黒ではなく、磨くとさまざまな模様が浮かび上がるのも伊達冠石の味わい。鏡面のように光沢のある「本磨き」、マットで落ち着いた「水磨き」と、磨き方でも違いが出ます。さらに、黒を濃くして深みを出したり、灰色っぽく仕上げたりもでき、同じ石でも表情豊か。たくさんの建築家や美術家に愛されてきたのは、表面の自然な風合いと黒檀色をした内部とのコントラスト、そして自然がつくり出した彫刻的な石の形状にあると思います。

大蔵山には工場があり、40~50代の職人を中心に磨きなどの加工を行っている。同じ形の石はないため、一つ一つ石の個性を見極めながらの作業だ。

世界的アーティストを
魅了する個性的な佇まい

伊達冠石を利用し始めたのは、初代創業者ですか。

はい。当時は石の特徴を生かした活用ではなく、建築石として土留めなどに使われていたようです。私の祖父である3代目のときに、建築に加えて墓石にも使い始めました。当時、大蔵山の麓に住まれている農家の方々は、時間が空いたときに石を採ったり、石を麓に下ろしたりしていたそうです。
少し前に会った白石市のとあるおばあさんは、かつて、伊達冠石をリヤカーで大蔵山から麓に下ろす作業や、磨きの工程もしていたと伺いました。今は磨き作業を機械で行いますが、昔は人の手によるものでした。大きな石があると、竹で結んだ研ぎ石を2人で持って両側から磨き合っていたそうです。昔のお墓が少し丸みを帯びているのはそのためです。両側から磨くことで、自然となだらかなカーブが生まれるわけです。それが伊達冠石の風合いとマッチして、とても艶やかで、素材としては硬いけれどもやわらかい雰囲気になっていました。

アートの分野で用いられるようになったのは、近年ですか。

父の代からです。父は美術や建築が好きだったので、原石の供給や墓石事業に加えて公共の彫刻、モニュメント制作も受けていました。ここには彫刻家もたくさん来ていましたよ。住んでいた人もいたようです。

伊達冠石を愛したアーティストとして、特に、世界的彫刻家であるイサム・ノグチが有名ですね。彼は伊達冠石のどこに魅力を感じていたと思われますか。

イサムさんは世界中のいろんな石を見て来られた方ですが、伊達冠石に対してはまるで取りつかれたかのように魅了されてました。イサムさんが初めて大蔵山を訪れたのが1972年。彼の右腕で石彫家でもある和泉正敏さんと山に来て、気に入った石に印を付けて帰られたそうです。彼は、伊達冠石特有の色合いや複雑な表情、まっすぐではない形状に惹かれたのではないでしょうか。自身の発想を石に落とし込むのではなく、石から着想を得て創造していたのだと思います。
世界には伊達冠石に似た石もありますが、大地に触れるような印象をもつのがこの石の特長です。空間にこの石があるだけで、大地を感じさせる雰囲気に包まれます。それに人の手を加えて、より良いものに昇華させる。それは、芸術家も製品をつくる私たちも共通している部分だと思います。

採掘された石の展示スペース。実際に見て、これぞという個体を選んでいく人も。形や大きさ、表情が異なり、まるでアート鑑賞をしているような感覚になる(敷地内はイベント時以外一般非公開)

大蔵山に豊かな自然を戻し
石を通した交流の場に

今はインテリアプロダクトとしても展開されていますね。

私自身も美術や建築に興味があったので、製品化することで価値を上げたいと考えました。墓石の場合は、傷があってはならないので、適した石を探すのがとても大変です。そもそも地中で石に形成される段階で筋が縦横無尽に走るので、採掘してもそれが傷と捉えられ規格に合わない石が大量に出てしまうんです。とはいえ、墓石にならなくても伊達冠石の素晴らしさは変わりません。そこで、インテリアに活用したいと考えました。現在、テーブルやドアハンドルなどを展開していますが、石目が詰まっていて吸水率が低い伊達冠石は、洗面ボウルの材料としても優秀です。現代の市場に合わせた製品を生み出せば、多くの人の関心を引くことができます。「伝統は革新の連続」という言葉を心に留めて、日々事業に取り組んでいます。

イタリアからオーダーがあった、個人邸用の彫刻。(写真:大蔵山スタジオ提供)

これまで多くの製品を手掛けてきた中で、特に印象的だったのはどのようなものでしょうか。

近年は海外からのオーダーメイド需要も増えているのですが、ドバイの方からのオーダーで制作した8メートルのダイニングテーブルは印象に残っています。輸送効率を考え、天板は4分割にして納品しました。ここまで大きなテーブルは初めてでしたので、私たちにとっては挑戦でした。

アラブ首長国連邦の王族からオーダーがあった、長さ8メートルテーブル。(写真:大蔵山スタジオ提供)

伊達冠石は、硬い素材だけに加工は難しそうですね。

ノミで叩くとパチパチと跳ね返るくらい硬いので、扱いにくい石かもしれませんね。硬すぎて、力加減を誤ると隅が欠けてしまうこともあります。ただ、当社にはこの石に合わせた機械が揃っていますし、石の性質を熟知する職人がいるので、細かい加工にも対応できます。

現在の工場内の様子。将来的に工場の増築も予定しており、機械化を進める一方で、昔の手磨き技術を取り入れたいと考えている。

石の販売・加工と同時に、採掘場でもある大蔵山を自然に戻していく活動もされているそうですね。山を維持しながら、今後は伊達冠石をどう活用していきたいですか。

私たちは、採掘した後の山の景観を意識しながら事業を行っています。緑豊かな山に戻す活動は、父の代から始まりました。今も、採掘した土地を埋め戻して植栽を行い、本来あった自然に近い環境になるように進めています。また、音楽会の出来る舞台を造り、人間の活動も共存できる形を模索しています。山にある原石置き場を石の野外彫刻公園のような場所にする計画もあります。実は今、山を守るためにも石の採掘はほとんど行っていません。それは、祖父や父の代にたくさん採石し、墓石に使えなかった石も大量にあるからです。今ある石にしっかり美しさと価値を持たせて製品化することと併せて、山の状況を判断しながら無理のない形で今後の事業を進めていくつもりです。

大蔵山の豊かな自然に溶け込むように佇む、大蔵山スタジオ本社。(写真:大蔵山スタジオ提供)
石をサークル状に並べ、中央に舞台を設けた「石舞台」は、文化活動にも積極的な大蔵山スタジオを象徴する場の一つ。

掲載:2026年2月20日

取材:2025年11月

取材・原稿/関東 博子 写真/寺尾 佳修

山田 能資 やまだ・たかすけ
大蔵山スタジオ株式会社の代表取締役。東京の大学を卒業後、ロンドンの芸術大学でグラフィックデザインを学び帰国。東京の石材店で経験を積んだのち家業に従事する。未来の展開を見据え、2015年には社名を「山田石材計画」から現社名に変え、2017年、5代目に就任。自身が中心となりプロダクトの展開をスタートさせた。