インタビュー

くらしと福祉、こどもをつないだ公園のちから

認定向山こども園 園長 木村章子さん

本特集では、向山中央公園の設計者である仙田満氏に設計の背景やこどもの遊び環境についての提案を、親子の居場所を調査する東北工業大学准教授の錦織真也氏に、研究者、建築家、そして母親の目線で見る向山中央公園の魅力を語っていただきました。今回は、「地域から見た向山中央公園」をテーマに、公園に隣接した「認定向山こども園」の園長、木村章子さんに話を伺います。

周辺環境が育んだ「いろんな人が集まる場所」

「認定向山こども園(旧向山幼稚園)」が開園したのは、向山中央公園ができる前の1956年です。木村さんは何年からこちらにいらっしゃるのですか。

入職したのは1975年です。当時は、第二次ベビーブームだったこともあって、地域にはこどもがたくさんいました。この周辺には、小学校も中学校も高校もありますし、以前は老人介護施設や養護学校、保育士の専門学校もあって、福祉施設や学校が多く集まるエリアでした。今ではこどもの数が減り、福祉施設や専門学校も移転して、少しさみしくなりましたね。

福祉施設や専門学校があった当時の公園や地域の様子を教えてください。今とは向山中央公園の役割のようなものは変わりましたか。

当時の公園は、遊具で遊ぶこどもたちだけでなく、語らいの場として利用する学生もいて、若者がこどもに興味を持つきっかけがありました。障害者や高齢者の施設があったことも、魅力的な地域をつくっていた要因の一つだと思います。というのも、この公園では、元気に遊ぶ近所のこどもや学生、近くの施設から訪れたご老人や障害のある方が一緒に過ごしていたんです。職員と車椅子で散歩しているおばあちゃんとこどもがすれ違って、「おばあちゃん、かっこいい車に乗ってるね」「そうでしょ」なんていう会話が自然と飛び交う場所でした。私自身、そんな光景が本当にいいなと思っていたんです。

公園ができた当初の、当時の園長とこどもたち。背景には道の巨大遊具が見える。

「多様性」という言葉が聞かれるようになるだいぶ前から、いろんな方によるコミュニティが自然とできていたのですね。公園がその中心的な場所になっていたと。

そうです。今思えば特別なことかもしれませんが、この地域では公園を介して「当たり前」にできていたことで、とても普通のことでした。当園の創立者の奥様が医師で、ここで診療所を開いていたのですが、障害者施設にいた男性が、周辺にある福祉施設の利用者のために、薬をもらいに来ていた時代もありましたよ。ここで処方してもらって各施設に届ける役目です。そんなおおらかな時代でもありましたね。

こどもがお互いに影響し合い、つながれる環境

向山こども園には広い園庭がありますが、向山中央公園で遊ぶこともありますか。

当園から公園の森に通じる小径があるので、先生が同行してよく遊びに行きますし、許可を得てイベントを開催することもあります。この公園は、こどもたちが大好きな場所なんです。

向山こども園から向山中央公園へつながる小径。木漏れ日のきれいな道を上がると1~2分で公園にたどり着く。

公園には、高さのある巨大遊具やジャングルジム、長い滑り台などスリリングな遊具もたくさんありますよね。できた当時、地域の方から「この公園は危ないんじゃないか」というような批判的な声はありましたか。

私は一度も聞いたことがないですね。こどもを見守る立場としては、公園自体に傾斜がありますし、危ない場所があるとも感じていましたが、今も公園に行く前に先生がこどもたちに「自分にできるか、よく考えてやろうね」と話して利用しています。私自身、若い頃は怖くてジャングルジムに登れなかったのですが、こどもたちはひょいひょいと登るんですよね。「一人で登って一人で降りられる人だけ行っていいよ。途中で助けてって言っても先生は助けられないからね」なんて言っていました(笑)。遊び慣れているこどもたちにとって、ちょっとしたスリルは大歓迎のようですね。

以前は木製サーキットもあったと聞きます。そこでも遊んでいましたか。

年長のこどもが中心ですが、先生がサポートした上で「よそ見して走ったら危ないよ。ケガするよ」と言い聞かせながら遊んでいました。この公園には、ちょっとハードルの高い遊具やチャレンジが必要なところがたくさんあります。今はもう無くなりましたが、ターザンロープがかかった大きな木もあったんですよ。ロープにつかまって揺られるだけでなく、小学生くらいになると自分の手と足だけでロープを登っている子もいました。自分で次の遊びをつくってチャレンジするわけです。

チャレンジ精神をかきたてる公園なのですね。

ジャングルジムからの滑り台もチャレンジの一つですが、その前に滑り台を囲んでいるコンクリートの斜面をずるずると滑るんです。保護者の方にとっては、ズボンがすれてしまって困ったと思いますが、お尻で滑る感覚を体験で理解するんですね。その斜面も場所によって角度が違うので、どんどん自分の力に合わせて急な角度に挑戦していく。そういうチャレンジの要素がこの公園にはたくさんあります。

年齢も能力もさまざまなこどもたちが遊べる場所ですね。

まだいろんなことができないこどもも、チャレンジする子を見て刺激されて「ああいう風になりたいな」と思える公園です。ここでは、楽しく遊ぶ、いろんなことに挑戦する、連続性のある遊びができるだけでなく、こども同士、精神的なつながりのようなものもできると思います。こどもが影響し合うことで、大胆な遊びが始まることもありますし、前を歩いているこどもが後ろを振り返って、知らない子に「ここ気をつけてね」と言ってくれることもあります。これだけ大きな遊具になると、遊びも大きくなりますし、いろんなこどもが同時に利用するので、自然と関わりが生まれるんですね。

過去の資料を見ると、ジュニアリーダーの育成の場所に使われていたり、人形劇や「おてんとさんまつり」も行われていたりしたそうですが。

「おてんとさんまつり」は定期的に開催されていて、地域の皆さんもとても楽しみにしていました。以前の公園は、子育てが楽しくなるようなイベントも多くて、いろんな人が集まっていたと思います。

「向山中央公園には、自然といろんな人が集まって、みんなが自分のペースで自分の時間を過ごせるような、遊具に見守られているような魅力が昔からありました」と木村園長。

仙台市の大切な財産として、これからも

公園を設計された仙田先生は、向山こども園の再編にも関わっていらっしゃると聞きました

はい。10年計画で園舎の工事をしたのですが(2025年3月完了)、それを仙田先生の設計事務所に依頼しています。今年の6月も仙田先生が来てくださって、とてもうれしかったですね。

向山中央公園からのつながりで仙田先生にご依頼されたのですか。

それが、偶然なんです。副園長が横浜の幼保園に勤務していたとき、先生のデザイン事務所に改装の設計をお願いしたと聞いて、それがきっかけでした。後になってあの公園の設計者が仙田先生だったことを思い出して、縁を感じましたね。

どこか、向山中央公園と向山こども園に似た空気感があるのは、仙田先生のスピリットを感じるからでしょうね。現在の園児たちと同じように、当時も向山中央公園でこどもたちが思い切り遊んでいたのでしょうね。

こども園のお祭りで公園を利用させてもらい、給水車を用意して水鉄砲や泥んこ遊びをやったこともあります。そうやって思い切り遊ばせてくれる公園ですね。

保育の延長線上で公園を贅沢に使えるのは、こどもたちが体験できることが増えて素晴らしいですね。現在、向山中央公園はどのように活用されていると感じますか。

地域のこどもは減っていますし、アクセスが難しい場所なので広くは知られていませんが、駐車場もあるので車でいらっしゃる方もいますよ。こどもが遊ぶだけでなく、楽器の練習に利用している大人もいますし、愛着を持って利用している人が多いと感じています。

最後になりますが、この地域にとって向山中央公園がどういう存在であってほしいと思いますか。

こどもたちの遊びの環境としてはもちろんですが、以前のようにいろんな人が垣根なく集まれる場所に戻れたらいいですね。地域にとってだけでなく、仙台市の財産だと感じていますし、これからもそうであってほしいと思います。

掲載:2026年1月29日

取材:2025年10月

取材同行/錦織真也(東北工業大学 准教授) 取材・原稿/関東博子 写真/寺尾佳修

木村 章子 きむら・しょうこ
学校法人仙台こひつじ学園 認定向山こども園園長。1975年、同園に就職し、2015年より現職。入職から50年、園長を引き継いで10年という節目を迎え、2026年に園が創立70年となることから、一つの区切りとして同年3月に退任を発表している。