インタビュー

街角の建物の「いま」を
淡々と写してきて
思うこと

写真家・「仙台コレクション」代表
伊藤トオルさん

2001年にスタートして約20年。目標枚数を1万枚と定め仙台の街角の風景を撮り続けたプロジェクト「仙台コレクション」が、2022年に完遂した。目標を達成したあと、仙台文学館で2023年1月21日から3月21日まで開催された『写真展 仙台コレクション2001~2022 1万枚のメッセージ』は、連日、大勢の市民でにぎわった。このプロジェクトを呼びかけ中心となって活動してきた伊藤トオルさんは、いまこの中から100枚をセレクトした写真集を計画中という。膨大な写真のストックを前に、伊藤さんの中には仙台の街や建物についてどんなイメージが広がっているのだろう。街を歩きシャッターを押し続けた、その思いをうかがった。

見慣れた居酒屋がある日忽然と消えていた
その衝撃から建物を「記録」し始める

仙台文学館での写真展から1年が経ちますね。入場者がずいぶんと多かったと聞いていました。会場では小さな写真に夢中になって見入る人の姿が目立ちましたし、あちこちから話し声も聞こえてきていましたね。

 それは、文学館の方もおっしゃっていました。自分の家とか、近所の風景を探しているんですよね。「〇〇町◯丁目」というのは出していましたから。見る人が写真を楽しんでくれたり、物語を紡いでくれたのだったらうれしいことです。アンケートの感想欄には、若いときに生活したエリアの思い出を書いてくれた方もいらっしゃいました。中には、「今後も続けてほしい」と書いてくれた方もいましたね。

そもそもなぜ「仙台コレクション」を始めたか、あらためてお話いただけますか。ひょうたんの看板を掲げる古ぼけた居酒屋の写真を撮ったことがきっかけだったということでしたが。

 そうです。実は、その居酒屋をやっていたという方も文学館での写真展を見にきてくださったそうなんですよ。残念ながら私はお会いできなかったんですが。
 ひょうたんの看板の店は車でよく通る道にあって、自分の生活の一部になっていたんです。それがある日、嘘のように跡形もなく消えていた。「あれ、ない!」と。無くなってみると、どんな建物だったか詳しく思い出せなくて。記憶というのは不確かであいまいだな、と気づかされました。その頃、アメリカの写真家、リチャード・アヴェドン(※1)の「写真は正確だが真実ではありえない」という言葉が気になっていて、同じ写真を見ても一人ひとり見方が異なれば違う物語をつくってしまうんじゃないのか、それが写真のおもしろさなのか、と思ったんです。言い換えれば、写真には物語をつくらせる力があるのではないか、と。ならば、写真を撮って実際にやってみようと考えたんですね。
 当時は写真のことで悩んでいた時期でもありました。撮る人の感性とか個性がもてはやされていた頃で、本当に撮る人の気持ちが写真に反映されるのか、疑問を感じていたんです。約100年前に、記録のためにパリの写真を淡々と撮り続けたウジェーヌ・アジェ(※2)のように、対象に向き合ってただシャッターを押せばいいんじゃないか。それが「写真」じゃないか。それを確かめたかったというのが動機です。

(※1)リチャード・アヴェドン(1923~2004)
アメリカの写真家。戦後、ファッションや広告の領域で活躍。動きのある斬新な表現でファッション写真界をリードした。

(※2)ウジェーヌ・アジェ(1857~1927)
1900年前後のパリの街角の風景、暮らす人々を撮影。8000枚に及ぶ写真は、当時のパリの貴重な記録となった。

表現しないことを課して建物を撮り続ける

そのために、表現を排して、いわばアートにしないということを基本に進めてこられたんですね。

 個性を出さず、表現せずに撮ろう、と。スタートして2年くらいは手探りだったので、メンバーで集まって勉強会をしていたんですよ。「これはちょっと表現に傾いている写真だから省こう」など言い合いながら。
“この建物はもうすぐ壊されて無くなるから撮る”という緊急性を理由に撮ることもしませんでした。“貴重だから記録しておこう”ということも。仙台駅前のペデストリアンデッキや、青葉通、国分町のような“仙台の顔”を撮ることも、です。個人的な思いと被写体の建物は別だと考えました。
 でも、表現しないと言っても、建物を選んで撮ってしまっているわけです。この佇まいはおもしろいなぁと、ついカメラを向けてしまう。1つの通りを片っ端から撮ることもやってみました。すると「選ばない」ことがそこに表現されてしまう。自由に風景に向き合おうと思っていても、自由なんかない気がしてしまう。そういう矛盾は感じてきました。

そもそも、なぜこのプロジェクトをチームでやることにしたのでしょうか。表現を排して写真を撮るのであれば、伊藤さんお一人でも可能だったのではありませんか?

 匿名性を大事にしたかったんです。個を消したいと思っていました。複数で進めて、名前も出さない・個も出さないというやり方のほうが「匿名性」があぶり出される。そうすることで、このプロジェクトの意義がもっと見えてくると考えたんです。
 1万枚を見てみると、誰が撮ったかわからないものも結構ありますよ。ほかのメンバーは「わかる」というんですが(笑)。

写真には、人がほとんど写っていませんね。これも最初から意図したことですか?

 「人を入れないようにしよう」と言った記憶はないんですが、暗黙のうちに、結果としてそうなりました。人を入れると、肖像権の問題が生じたりしますし、「時代」が出すぎて、普遍性が損なわれることもあります。文学館の展示の最後のパネルにも書いたのですが、“人が写っていないからこそ、見る人は、建物の中にもまわりにも人の気配や生活を想像する”のだと思います。そして、そこに自分がいることも。

1万点の写真は、仙台の街の記録という意味でもとても貴重なものだと思います。

 すでにない建物も多いですし、特に東日本大震災後は、とても貴重な記録だと言ってくださる方がけっこういらして、「はい、記録は大事だと思っています」と答えていたのですが…内心では後ろめたい気持ちもありました。実は、当初は、記録を残すという意識はさほどなかったんですよ。写真の持つ記録性には、あとから気づかされていきました。

20年間撮り続けて、今、仙台の街にはどんな思いをお持ちですか?

 “いま写している建物はいつか全部なくなる”という意識でやってきました。新しい高層ビルだって、すべて消える。だからこそ街へのいとしい気持ちというか、思いは厚くなってきましたね。私の場合は2眼レフカメラを使ってきたので、レンズを上からのぞき、向き合う建物にまるでお辞儀をするようにして撮り終えるんです。“敬意を表して撮る”という感覚ですね。
 メンバーそれぞれに気に入っているエリアがあって、私の場合は文化横丁や東一市場とか、連鎖街が好きなんです。やはり古い建物には個性的なものが多いですよね。ああいう連鎖街のような通りが仙台のおもしろさだと思っているんですが、それが消えていく一方じゃないですか。街というのは、そこで生活している人がいるから、自ずと街並みが形づくられていくものだと思うんですが、今は誰かが計画した街に人を呼び込んでいく。集客される人をつくっているといっても過言ではないと思うんですよ。もちろん、生活の積み重ねから生まれてくる街と新しく計画された街と、その両方があっていい、あるからおもしろいと思うんですが、例えば東京なら両者の幅がもっと大きいですよね。仙台の場合はその幅が狭いと感じますね。
 誰にでも、通勤や通学のときに眺めている生活の一部になっているような風景があるのではないでしょうか。それが消えれば衝撃を受け、気持ちが空白になってしまう。街が変わるのは止められないですが、写真を見て残したいという思いを持ってくれたらいいな、と思っています。

街の建物を撮り続け、見えてきたこととは

いま1万枚の中から100枚を選び、写真集を編んでいらっしゃるんですね。どんなものになりそうですか?

 そもそもやりたかったのは、これなんです。10,000分の100の写真集をつくるのが本来の目的だったんです。
 つまり、撮る人間の個性を出さず、表現を意図せず、考えずにシャッターを押したものの中にも、いい写真はある。「ああ、これは光がきれいだなぁ」とかね。それが写真の力による1枚だと思うんですよ。日常を非日常にするのが芸術で、そこに作品が生まれるのだとしたら、撮り続けてきた1万枚はまさに日常なんですが、それが何かのきっかけで非日常の写真になっていくんだろうと思います。
 1枚目として選んだのは、ひょうたんの看板を掲げる居酒屋の写真ですが、100枚を選ぶってなかなか容易じゃないんです。選択の基準は写真の良し悪しだけ。建物の価値は重視しませんでした。これまで20数回写真展をやってきたので、これスゴイなという写真は自分の中で見当がついているんです。でも、撮ってから時間が経過しているせいか、セレクトした写真を今見直してみると、やっぱりこれは変えようなど、そういうことを何度かくり返しています。

制作中の写真集のラフ。

20年の間に、建物をテーマに25回も写真展を開催してこられたのでしたね。

 正直、表現に傾かずに撮るということは、そう楽しい作業じゃないんですよ(笑)。ですので、自分のモチベーションを上げるために、写真展はテーマを決めて開催してきました。見にくる人にとっても「いつも同じ写真」と感じられないように、「公園」「店」「階段」などとテーマを決めて写真展を開催し、5冊の写真集にもしました。
 今回の写真集では、これまでの写真集に寄稿していただいた文章も再掲載して、1枚1枚をじっくり見られるような仕様にする想定です。

「公園」「店」「階段」などテーマを絞り、仙台の建物の写真展を開催したときのフライヤーやポスター。

刊行が楽しみです。

 「写真を1時間以上見続けていると、いろいろなものが見えてくる」と言った人がいました。実際に私も、一枚の写真をじっと見ることを心がけています。すると、本当に見え方が変わってきて、しまいには写真の中に自分が立っているかのように感じられてくることがあるんですよ。建物の細部も見えてくるように感じたり、奥行きも感じたりして、写真に写し取られた2次元の風景が3次元になっていくような感覚になる。そんなふうに、じっくり見て欲しいですね。写真を通して、街角の日常の風景が非日常に変わるのを味わってもらえたらうれしいです。

掲載:2024年3月1日

取材:2023年12月

取材・原稿/西大立目 祥子 写真/寺尾 佳修

伊藤トオル いとう・とおる
2001年に仙台の街を1万枚の写真で記録するプロジェクト「仙台コレクション」を立ち上げ代表を務める。2022年に目標枚数を達成。「仙台コレクション」は世界約150カ国を巡回する写真展「東北─風土・人・くらし」(主催:国際交流基金)にも参加(2011年~2022年)。コマーシャルスタジオに勤務し、樋口徹氏に師事したのち、1987年からフリーランス。1997年「写真新世紀展」優秀賞(森山大道選)、1998年間特別賞受賞。1999年度宮城県芸術選奨新人賞受賞。2016年度宮城県芸術選奨受賞。これまで写真集4冊、共著3冊刊行。宮城県多賀城市生まれ。