インタビュー

すぐそばにある民俗芸能を楽しむ

仙台市教育委員会生涯学習部 文化財課 文化財主事・沼田 愛

この春、仙台市内で開催された神社やお寺の祭りには、数年ぶりに人が戻ってきた。緑に染まる境内で、人々は久しぶりに披露されるお神楽(かぐら)や田植踊(たうえおどり)に、なつかしいものを見つけたように足を止め、座り込んで見入る。こうした民俗芸能を、仙台市文化財課の職員としてサポートするのが沼田愛さんだ。「仙台の良さはマチとムラが近いこと」と話す沼田さん。私たちが暮らすすぐそばに、江戸時代からの民俗芸能を伝える人々がいる。その楽しみ方をうかがった。

つながりを大切に民俗芸能の団体をサポート

仙台市文化財課では民俗文化財の専門の職員として、お仕事をしていらっしゃるそうですね。

 入庁して10年になり、民俗芸能をはじめとした民俗文化財全般を担当しています。民俗芸能に関する私の仕事は大きく二つ、保存会へ仙台市から補助金を交付する手続きと、年に一度の『民俗芸能のつどい』という催しの企画と運営です。効率性重視で事務的にこなす方法もあるとは思うのですが、資料を送って申請書を待つだけだと私は楽しくないというか…。できるだけ多くの保存会とこまめに連絡をとり、現地で直接お会いして、つながりを作れるように心がけています。お互いの顔と顔が見えるお付き合いをしながら、できれば民俗芸能を継承していく上での悩みや困りごとも気軽に相談してもらえる関係でありたいと思っています。

団体の方々には、ずいぶん頼りにされていらっしゃるでしょう。

 してもらえたらいいですね(笑)。私自身、少しずつではありますが、お顔を見ればどこの保存会のどなたかがわかる方が増えてきまして、愚痴を聞いたり聞いてもらったり。ヘンな公務員だと思います(笑)。

もともと民俗芸能に興味がおありだったのですか?

 大学の卒業論文のテーマを決めきれずにいたときに、たまたまテレビで「秋保の田植踊がユネスコの無形文化遺産に登録されることになった」というニュースを見たんです。それで「あ、これにしてみようかな」と。きっかけはそれだけで、特に深く考えてはいませんでした。それまで田植踊の存在を知らなかったので、見たことすらないのに「話を聞きたい」と保存会に電話して…。思い返せばすごく失礼でしたね。でもすぐにその魅力にはまってしまって、そのまま大学院でも学んだので、学生時代に足掛け6年、秋保のみなさんにおつきあいしていただきました。

ということは、もう16年! 地域にしっかりと溶けこんでいらっしゃる感じですね。

 そんなことはないと思うのですが、「愛ちゃん」と呼ばれてかわいがっていただいています。ありがたいなぁと。文化財課にはいま職員が43人いるのですが、民俗文化財の担当は私だけなんです。なので、民俗芸能の担当も私一人。自分がやっていることが正解なのかどうかは、ずっと手探りで、毎日悩みながらやっています。でも、民俗芸能をどうやって継承していったらいいのかを行政の立場から少しでもお役に立てるように考えながら進めていっているつもりです。そういう意味では、特に保存会のみなさんとは二人三脚というか、パートナーでもあるし同志でもあると思ってお付き合いさせてもらっています。

仙台の民俗芸能、それぞれの魅力

いま仙台には民俗芸能がいくつあるのですか? それぞれの特徴はどんなところでしょうか?

 田植踊が9つ、神楽が9つ、鹿踊(ししおどり)と剣舞(けんばい)が5つあります。バリエーションが豊かで、少しずつスタイルが異なります。

田植踊にもいろいろありますよね。

 仙台の田植踊は、福島や岩手のものと比べると編成が大きくてとても華やかです。他県では、土を起こし、ならして、苗を植えて草取りをして、という稲作の工程が演目になっている田植踊もありますが、仙台市内では田植踊とはいっても、早乙女が扇を苗に見立てて田植えをしたり、足で土を均しているような所作が少しあるだけで、全体としては稲作の様子を示す所作は少ないんです。ユネスコ無形文化遺産に登録されている「秋保の田植踊」は、テレビや新聞に取り上げられることが多く、以前、あるテレビ局から「どこが田植えの所作なのか、演目ごとにストーリーがあるのか、教えてほしい」と電話がきたのですが、そういうタイプではないんです。その代わり、ゆったりとしてしとやか、洗練されていて土くささはなく舞踊的です。

馬場の田植踊(仙台市太白区秋保)
踊り手、弥十郎(やんじゅうろう)の半纏の背には、大きな白蕪が染め抜かれている。「仙台の田植踊の江戸時代の絵図が残っているのですが、その中に蕪の紋をつけた大田植えの“蕪組”という組があって、その流れではないかと考えられています。蕪はおめでたいものの象徴でもあります。江戸時代後期に仙台の町中で行われていた田植踊が、農村部の田植踊に残っていることがわかる、いわば歴史をつないでいる紋ですね」

鹿踊や剣舞には何か特徴はありますか?

 仙台では鹿踊と剣舞が一対のものとして伝承されている団体があることが特徴的です。また、たとえば岩手の鹿踊は供養のために踊るのですが、仙台では豊作祈願を主とするものが多いですね。供養はどちらかというと剣舞の役割になっています。福岡(仙台市泉区)と上谷刈(かみやがり:仙台市泉区)と川前(かわまえ:仙台市青葉区)が鹿踊と剣舞をセットで伝承している地区です。一つの集落に両方があって、でも担い手は異なるので、それだけ多くの人が携わっています。「野口鹿踊」と「滝原の顕拝(※)」は、一つの集落で一種類ずつの芸能を伝えています。剣舞(顕拝)は宮城県内では仙台にしかありませんので、学術的にも貴重な存在です。

(※)滝原地区では、「剣舞」を「顕拝」と記している。

滝原の顕拝(仙台市太白区秋保)

仙台の神楽には何か特徴的なことはありますか?

 神楽にはストーリー性のある演目が多いのですが、中には、“その場を清めることを主眼とする”というものがあります。「秋保神社神楽」が代表的な例で、最後に演じる「湯立神事(ゆたてしんじ)」では、地域に平穏をもたらすために、釜に沸かした湯を神様に献上し、それを笹でまき散らして場を清め、清めきったところで最後に注連縄(しめなわ)を切って清浄な空気を地域に放ちます。地元の人はそのお湯をかぶると風邪をひかないといい、神事で使った笹は魔除けになるといって戸口に飾ります。この「湯立」を民俗芸能の一部として行うのは仙台ではここだけです。

秋保神社神楽(仙台市太白区秋保町)(仙台市教育委員会提供)

こういった芸能が残っているところは、仙台市内といっても街中から離れた地区が多いですね。

 鹿踊や剣舞、田植踊はそうですね。鹿踊や剣舞は、江戸時代には、八幡町や宮町でも行われていました。もともとは大崎八幡宮の別当寺であった龍寶寺(りゅうほうじ)の管轄下にあり、免許状を下されて舞いが許されるものでした。やがて農村部にも免許状が下されて広まり、それが残ったんですね。いま伝承されているもののほかにも組がたくさんあったのですが、詳細はわからない。調査があまり進んでいない分野なんです。田植踊も城下町で演じられていたのですが、いまは農村部だけになりました。

滝原の顕拝(仙台市太白区秋保)

現地で、近くで、見てほしい

お話を聞くと、実際に見たいという気持ちになってきます。

 それはうれしいです!
 初めて観る方に、おすすめしていることが3つあるんです。1つは「現地で見てほしい」。地域のお祭りと合わせて楽しんでほしいんです。地元の人もしゃべったり食べたりしながら楽しんでいます。神楽も、まず神話のストーリーを理解しなきゃと思うかもしれないですが、『古事記』とか『日本書紀』を読んでから観るよりも、まず観て、それから登場する神様の名前などを検索してみるといいのではないでしょうか。
 神話じゃなくて身近な題材の演目だったりすると、観ているだけで「あぁ、疲れた」とか「おまえを懲らしめてやる!」など、舞い手のセリフが浮かんでくるんです。「青麻神社神楽(あおそじんじゃかぐら)」や「東照宮神楽」の演目には所作からストーリーを読み取ることができるものが多く、内容を知らなくても楽しめますよ。

 近くで観ていると、内容がよくわからなくても、舞いそのものが神がかっているような、同じ空間にいるのに別の世界にいるような感じがすることがあります。2人の舞いでも、体格も経験も違うのに、突然スイッチが入ったように急にシンクロし始め、衣装のひるがえり方までぴたりと合って見える瞬間があるんですよ。 そんなときは見入ってしまいますね。でも現地では舞い手もリラックスしてご家族に見守られながら演じていらっしゃる。地元の方々のなまりを交えた会話が聞こえるような中で観ると、そこに血の通った人の暮らしがあり、そこで芸能が育まれ根付いてきたんだと実感できます。

青麻神社神楽(仙台市宮城野区岩切)
生出森八幡神楽(仙台市太白区茂庭)

2つ目、3つ目はどんなことですか?

 「近くで見てほしい」。舞い手の表情とか目の動きとか、息づかいとかを感じてほしいです。たとえば鹿踊も剣舞もすごくかっこいいんですよ。男性、それも比較的若い青年層が受け継いできた芸能なので、掛け声を入れながら地面を踏みしめる振り付けにも力強さと雄々しさがあって、ファンはすごく多いんです。その鹿踊や剣舞のエネルギーを味わってほしい。空気を震わす風圧や、地面を踏み鳴らす地響きを自分の体で感じてほしいです。近くで見ると迫力が全然違います。オタク女子的にいうと、踏み鳴らす足音もいとおしいというか(笑)。いまはベテラン勢が多いので若干息切れしているんですが…それもまた味があっていいんですよ(笑)。
 もちろん屋内で観る公演などの良さもあるのですが、近くで観れば五感に働きかけてくるものをキャッチしやすい。最初は自分の体で体験したほうが、それを行う意味なども感じられると思います。演者たちが力強く、踊ったり囃したりしている姿をまずは受け止めてほしいです。

 そして3つ目は、「想像し、妄想してみる」ということ。たとえば、田植踊はもともと1月15日の小正月に踊られたもので、雪深い中を華やかな衣装で家々を歩いて回ったそうなんですね。そういう在りし日の姿を想像してみるだけでも楽しいと思いませんか。それに、実は民俗芸能は解明されていないことがたくさんあるんです。観る側が自由に想像できる余地が残されているともいえます。

福岡の鹿踊(仙台市泉区)(仙台市教育委員会提供)

昔は、演じる側と観る側のやりとりもあったでしょうね。

 それはあると思います。観る、観られるという関係が芸を熟成させていくと思うんです。ですので、お客さんは多い方がいいし、拍手も多い方がいい。演じる方もにぎやかな中でやる方がずっと楽しい。不思議なもので、練習ではうまくできなかった子どもも本番ではビシッと決めてきたりするんです。観衆がいると、演じる側もそれまで以上の力を発揮できるのかもしれません。
 初めて観る方はどんな反応をしたらいいのか戸惑ったり、リアクションの仕方がわからないこともあるかもしれませんが、そんなときはぜひ拍手をしてください。慣れてきたら、観客席から声をかけてもいいかもしれません。秋保の田植踊ですと、ひと演目演じ終わると「かえせーかえせー」と観衆から声がかかり、頭からもう一度踊ることがあります。「素晴らしいからもう一回!」「ちょっとイマイチだったからもう一回!」と“始めに返って”もう一回見せて!と観客が要求するんです。みんなで楽しんでいた様子が伝わってきますね。

生出森八幡神社の神楽(長町の「舞台八幡神社」にて)
青麻神社神楽(岩切の「青麻神社」にて)

地域内で盛り立て、地域外から応援する

子どもたちが少なくなり、地域で芸能を継いでいくことの難しさを日々感じていらっしゃると思いますが…

 少子高齢化、人口減少による影響はとても大きいです。たとえば「滝原の顕拝」は、本来は、小さい子はまず鉦(かね)を担当し、次に太鼓を打ち、やがて踊るようになり、そのあとは笛や歌を担当するというように年齢に合わせて芸能の中での役割が変わっていって、順繰りに世代交代していきます。しかし現在は、特に若い世代が入ってこないためにそれぞれの役割を代替わりできず、メンバーが高齢化していくことに繋がっていますし、年長者が次の代に手ほどきをすることができないので、ゆくゆくは“わざ”の継承にも影響がでてくるかもしれません。また、メンバーが少ないと活動も停滞しがちで、活動の中で生まれる信頼関係もなかなか熟成されていきません。これも悩ましい課題です。

滝原の顕拝(仙台市太白区秋保)

信頼関係というのはお互いをよく知るということですか?

 そうですね。芸能は、息を合わせないとうまくいかないんです。踊る人は歌や囃子を聞くし、歌や囃子の人は踊りをよく見る。踊りと歌がピタッと合うようになるには、単に歌や踊りをよく知っているという技術的な面だけではなくて、「こいつは今日はノッているな。それならこういう間合いだな」と相手のコンディションや無言の意図やテンポ感を自然にくみとれるかどうかが大事で、それには時間をかけて培われていく人間関係が大切なんだなと、活発に活動している団体をみていると感じます。

ほかに課題に思うことはありますか

 もう一つ私が気になっているのは、地元の方の関心が薄くなってきていることです。たとえば、民俗芸能は衣装もかぶりものも地域の中でつくったんですよ。ある団体さんがかぶりものを新しくしたいというので今使っているものを見せてもらったら、木の汁椀にドリルで穴を開けて馬の毛を植毛して作ったものでした。またある団体は、手先が器用な方が小道具の「鈴」や「銭太鼓」を作っていましたし、またある団体は今でも女性陣が集まって笠を補修しています。そうやって自分たちで工夫しながら、お道具とかお衣装という民俗芸能に欠かせないものを作り継いできたんですね。それも、踊ったり歌ったりする人というよりも、その家族や地域に住んでいる人たちが関心を寄せて手をかけて世話を焼いてくれた。今は、そういう民俗芸能を縁の下で支えてくれるサポーターが減ってきているので、やむを得ず、似ているけれどもちょっと違う、というものを購入せざるを得ないこともあります。また、地元で上演しているからといって、地元の人がたくさん観にくるかというと、残念ながらそうでもないこともたくさんあります。地元の民俗芸能を、地元の皆さんがもう一度盛り立ててくださるように、何とかその魅力を再発見し、サポーターを増やしていく方法を考えたいです。

 それと真逆のことを言うようですが、地元の人だけに頼らない仕組みをつくるのも大切かなとも思います。茂庭(もにわ:仙台市太白区)の生出森八幡神楽(おいでもりはちまんかぐら)が、富沢(とみざわ:仙台市太白区)の多賀神社や長町(ながまち:仙台市太白区)の舞台八幡神社(ぶたいはちまんじんじゃ)でやったときに、獅子舞に頭をかんでもらうのに大行列ができたんですね。富沢や長町の子たちからすれば、お神楽といえばこの茂庭のお神楽。こういうことをきっかけにして、保存会に加入し、長町から通っている人もいるんですね。マチとムラが近いのが仙台の良さですから、触れる機会を増やして動機付けさえうまくできれば、幅広い人が関われるようになると思うんです。民俗芸能の継承の理想は地域、地元で継承していくことだけれど、少子高齢化や人口減少が進んでいる地域ではそうもいっていられません。民俗芸能はよその地域でも披露できる。そこでファンをつくり、一緒に手をとってやっていけたら、民俗芸能の未来はもっと明るく、もっと豊かになるのではと思います。

「滝原の顕拝」では、赤と白の大きなかぶりものを身に着けた演者がいる。「赤い方にはお姫様が、白い方には大蛇が載っています。大蛇からお姫さまを救う『小夜姫(さよひめ)伝説』をモチーフにしているものですが、この伝説は全国にみられるもの。いわば一つの演出です。でも、仙台の他の剣舞にはないものなんですよ」
生出森八幡神楽(仙台市太白区茂庭)

コロナ禍で、なかなか演じることができない・観ることができない状態が続いていましたが、今あらためて市民にとっても体温が感じられる舞台は新鮮です。

 コロナ禍の後、若手の反応が前向きになっているように感じます。担い手も観る方も。もう一度、原点に立ち返ろうという雰囲気が生まれつつあるのかもしれません。活動を支える地元の方たちが少なくなり、観る側も楽しみ方がわからなくなっているのだと感じますが、元々はゆったりとした盛衰の中で民俗芸能は続いてきた。今からもう1回盛り立てていければと思います。私も若い世代の皆さんとももっと話をして、活性化していく方法を一緒に考えたいです。

話は戻っちゃうんですが、もし民俗芸能を見る機会があったら、恥ずかしがらないでぜひたくさん拍手をしてください。リアクションがあったら嬉しいのは誰でも一緒。もちろん、おはな(ご祝儀)を包んでも、「よかったよ!」と直接声をかけて気持ちを伝えてもいいですよ(笑)。みなさんもぜひご一緒に、民俗芸能を楽しみましょう!
 

仙台市文化財課では民俗芸能の公開日などをHPでご紹介しています。ご覧になりたい方はぜひご参照ください。
「民俗芸能の現地公開について」
https://www.city.sendai.jp/bunkazai-kanri/20230410_gentikokaai.html

掲載:2023年7月14日

取材:2023年5月

取材・原稿/西大立目 祥子 写真/寺尾 佳修

沼田 愛 ぬまた・あい
仙台市出身。東北学院大学3年次に民俗学のゼミに入り、卒業論文の題材として「秋保の田植踊」を選択したのをきっかけに、大学院を中退するまでの6年間、秋保町内でフィールドワークを行う。2014年、仙台市役所入庁、教育局文化財課職員として市内の民俗芸能の支援を行っている。「仙台げいのうの学校」(2022年度持続可能な未来へ向けた文化芸術の環境形成助成事業[(公財)仙台市市民文化事業団])にも関わり、保存会の枠を超えサポーターを育成する活動にも尽力。