インタビュー

笑って手拍子する娯楽を作り続けたい

劇団「江古田のガールズ」主宰・山崎洋平

仙台出身の山崎洋平さんは、大学時代に自身の劇団「江古田(えこだ)のガールズ」を旗揚げして以来、東京を中心にさまざまな舞台や演劇を手がけてきました。
これまでに、地元仙台でも演劇公演をしてきた山崎さんが生み出すエンターテイメントの魅力を追いました。

演劇をはじめた原点となる作品

いつ頃から演劇をはじめたのでしょうか。

小学6年生の時に、先生に演劇クラブを作ってほしいとお願いしたところからですね。お楽しみ会で台本を書くみたいなことをしていて、かなり早熟でした。

演劇に興味を持ったきっかけとなるものはありますか?

映画『学校の怪談』(1995年)が僕のすべての原点ですね。「なんて面白いんだろう!」って、この世界に憧れるきっかけとなった作品です。
俳優にももちろん興味があったし、こういう世界を作りたいという気持ちもありました。まずは『学校の怪談』を自分なりに同じように作りたいと思い、親にビデオカメラを借りて、まねて撮ったりして。ただ、その時はいまと違って、家庭で動画を編集するのはとても難しかったので、映画ではなく演劇をやろうと思いました。それ以降、台本を書いて誰かに演技してもらうとか、そういうことをはじめていった感じですね。

演劇を本格的にはじめたのはいつ頃からですか?

当時はまだ男子校時代の仙台第三高等学校に進み、演劇部に入りました。入部当初は先輩がいたのですが、引退してから部員が僕一人になってしまって。それで、同級生の映画好きな奴とか4人くらい集めて、5人で宮城県高等学校演劇コンクールに出たりしていましたね。

「俺は面白いものを作りたい!」

さまざまな学校の演劇部が出場する演劇コンクール。どんな作品で出場されたのでしょうか。

僕が書いたのは「才能の有無」がテーマで、小説家志望の青年がぶつかり合い、最終的に片方がもう片方を殺してしまうという内容でした。他の学校の作品は、明日に向かって頑張って生きていこうと夕日に語りかける、みたいな青春ものが多かったこともあり、僕の作品は顧問の先生には教育的によくないと言われて大喧嘩。テーマは小難しそうに聞こえるかもしれませんが、要は、サスペンスみたいなものをやりたかったんですね。結局自分のやりたいことを貫いて出場したら、とても評判が良くて創作脚本賞をもらい、東北大会まで行けたんです。

当時、他の学校の作品に対しては、言葉を選ばずに言うと、「こんなつまらない作品だったら俺がやったほうが面白い」って思っていましたね(笑)。
上映されている映画や劇場で観る舞台は面白いのに、どうして高校演劇は……というアレルギー反応があったので、余計に「俺は面白いものをやりたい」という気持ちが強かったです。

大学生活、そして劇団旗揚げ

日本大学芸術学部演劇学科(以下、「日芸」)に入られました。その理由は?

『学校の怪談』監督の平山秀幸さん、脚本家の三谷幸喜さん……憧れの方々はみんな日芸の出身なので、日芸に行ってみたいという気持ちがあったこと、観たい舞台が仙台ではなかなか観られず、首都圏に行きたいという思いが強くなったことが理由ですね。

実際の学校生活は、こっちは本気で仕事にするぞという感じで来ているのに、学生の多くは遊びに来ているように見えて、「生まれ変わったら大学なんか入らない」と思っていましたが、それでも自分の作品を見て、忌憚のない意見を言ってくれる教授、劇団旗揚げの時に協力してくれた同級生など、人との出会いは大きかったですね。

2008年、山崎さんが大学2年の時に劇団「江古田のガールズ」を旗揚げされました。

憧れの方々はみんな劇団をやっているし、劇団というものを組織してみたいとはずっと思っていました。当時は舞台公演では大学の施設が借りられず、自分の作品を発表する時は、自分で劇場を借りなければならなかったので、便宜的に劇団と称してはじめました。

仙台では、2013年と2018年の二度公演されています。特に2013年は初めての単独公演でした。

お声がけいただいて2013年に公演した『どん底』は、高校時代、僕が書いて顧問と喧嘩したあの作品です。仙台で公演をやるならこの作品ではないだろうかと上演を決めました。同級生、当時まだ健在だった祖父母、顧問の先生も来てくださり、元気にやっていることをお伝えできたので良かったです。

                2013年仙台で上演された『どん底』

笑いを真摯に追求するということ

2020年、劇団「ワハハ本舗」に所属されています。その経緯を教えてください。

まだ中学生だった2000年、ワハハ本舗の宮城県民会館での公演を観に行って「あぁライブって、演劇って、いいな」と思い、僕は演劇の道に進んでいくんですね。
また、鼻から豆を飛ばす芸を持つ「梅ちゃん」こと梅垣義明さんが大好きで、僕も「三軒茶屋ミワ」として女装して歌を歌うようになったんです。

いろんなところでワハハ本舗や梅ちゃんが好きだと言っていたら、当時アルバイトしていた居酒屋のお客さんが繋いでくださって、大学を卒業した2010年に、梅垣さんの舞台スタッフの機会をいただきました。それからつかず離れず仕事の依頼をいただいたりして接点を持ち続け、2020年に所属することになりました。

三軒茶屋ミワとして舞台に立つ山崎さん

ワハハ本舗の稽古場はどんな雰囲気ですか?

梅垣さんはじめ、みなさん真面目で、稽古場では誠実に笑いに取り組んでいらっしゃる。舞台だけ観ていると、その場で思いついたことをやっているんじゃないかとも見えるんですが、意外と準備はこうも茨の道か、と。僕はファンから入っているので、そういう点ではショッキングでした。

ルーツを仕事に

2022年、稲川淳二さん原作『稲川怪談』の演劇版を手がけられました。

僕の原点は『学校の怪談』とお話ししましたが、稲川淳二さんを知り大好きになってからは、『稲川淳二の怪談ナイト』を何度も観に行っていました。
今回の演劇化は、稲川淳二さんの怪談を全編台詞に変えて俳優が演じるお芝居にして、稲川怪談を構築するというもの。怪談ナイトのプロデューサーの方や稲川さんのチーフマネージャーの方も観に来てくださり、かなりお喜びだと聞いてすごく嬉しかったですね。

考えてみると、好きな人に会えている人生だな、と。『学校の怪談』監督の平山さんと主演の野村宏伸さんにも会えて、野村さんとは舞台も一緒に作れましたし、「今度はこの人に会うために頑張ろう」って思うことが毎回原動力になっている。ちなみに、僕の携帯電話の待ち受け画面は三谷幸喜さんとの2ショットです。

今後、作ってみたい作品、やってみたい舞台はどんなものでしょう?

政治劇を作りたいんですが、政治の世界はかなり勉強しないと書けないなと思うので、小学生の生徒会の話に置き換えれば僕でも書けそうかなと。『学校の怪談』の舞台化も実現したいですね。

                   2022年9月〜10月東京で公演された演劇版『稲川怪談』
演劇版『稲川怪談』のワンシーン

仙台の演劇、山崎さんの娯楽のこれから

仙台の演劇やエンタメ業界に対して、山崎さんが思うことを教えてください。

俳優という職業でいえば、学校や養成機関を作るか、“仙台の大泉洋”を作ることですよね。北海道が生んだ俳優の大泉さんのように、仙台のスターみたいな人が求心力になれば、演劇を観るお客さんの動員になり、俳優のギャラに繋がるのではないかなと。東京からスターを呼んできても息が続かない感じがしますが、仙台発のスターが生まれればいいですよね。

スターだけではなく、そういった方を生み育てるコンテンツも含めて、地元で生み出していくのが大切ですね。ぜひ、山崎さんに仙台でのエンタメを作っていただきたいです。

僕がイケメンでさえあればスターに立候補するんですけど(笑)。やっぱり仙台に対する郷土愛ってあるし、恩返しと言うと大げさですが、仙台にはスターを発掘するチャンスがあるんだと思えれば、頑張る意義が生まれて燃えるんですけどね。

最後に、山崎さんの劇団「江古田のガールズ」は、「お元気になっていただくこと」、「完全無欠の娯楽を目指す」など、お客さんを楽しませることを第一に掲げていらっしゃいます。これは常に意識されているのでしょうか。

お客さんに楽しんでもらってなんぼ、高校の演劇部の頃からそれは全く変わっていません。「面白いか、面白くないか」が演劇をやり続けてきている中での判断基準です。

アーティスティックやアカデミックなものじゃないと評価されにくく、単にふざけていると思われることもありますが、「なめんじゃねーぞ、エンターテイメントを」という気持ちでやっています。自分が作り手でいる今、笑って手拍子できるエンターテイメントを作り続ける人間でありたいと思います。

掲載:2022年11月15日

取材:2022年10月

聞き手・構成 奥口文結(FOLK GLOCALWORKS)

山崎 洋平 やまざき・ようへい
仙台市出身。日本大学芸術学部演劇学科を卒業後、2008年に「江古田のガールズ」を旗揚げ。全作品の脚本・演出を担当。三軒茶屋ミワとして歌手活動も行う。2020年よりワハハ本舗にも所属し、脚本を担当。舞台の脚本・演出の他、テレビやラジオの脚本の仕事も担っている。仙台では2013年に『どん底』を上演し、2018年に『That’s 営業 ーこれから始まるシェー』で「せんだい卸町アートマルシェ」に参加する。