連載・コラム

事業レビュー|「仙台げいのうの学校2024」伝承文化にコネクト・リンク・支援する次世代人材の育成および支援の仕組み化

レビュワー:金子 祥之(東北学院大学文学部歴史学科)

2024年度に新たにスタートした助成事業「文化芸術を地域に生かす創造支援事業」。観光、まちづくり、福祉、教育等の他分野との連携により社会課題と向き合う公益性の高い文化芸術活動や、市民に優れた文化芸術の鑑賞機会を提供する事業を支援しています。
本コラムでは、「文化芸術と社会の連携推進事業」として採択された12の事業の活動の様子や、その成果・課題等を、各分野の専門家によるレビュー形式で紹介します。

事業名:「仙台げいのうの学校2024」伝承文化にコネクト・リンク・支援する次世代人材の育成および支援の仕組み化
団体名:縦糸横糸合同会社
活動期間:2024年7月10日から2025年3月16日まで 
参考URL:https://ssbj.jp/support/grant/report/13416/

地域に伝わる文化を支える
―試みとしての仙台げいのうの学校―

変貌する社会と地域文化

 いま大きく変化する社会のなかで、ひっそりと消えてゆこうとするものがある。それは、地域で継承されてきた文化である。神社の祭礼ひとつをとってみても、地域ごとに異なる文化が形成され、私たちの社会に文化的な多様性を作り出してきた。だが、大きな時代のうねりのなかで、そうした地域文化は大きく変わることを迫られている。

 現代社会において地域の文化は、時代に合わないもの、価値を見い出せないもの、関心のないものとなりつつある。あるいは、地域の人びとが関心をもっていたとしても、少子高齢化により担い手を失い、消えてゆこうとするものもある。つまり、生身の人が担う生きた文化としての地域文化は、時代の流れに押されており、もはやこれまでの方法で維持していくことが困難になってきている。

 何より厄介なのは、ある地域の人たちだけで担われているために、そこにどんな課題があるのか、どんな困難を抱えているのか、外側からはなかなか理解できない。広く日本社会にとって貴重な文化であったとしても、当事者だけではどうすることもできず、その危機が認識されないままに消えてゆかざるをえない。残念ながらそうした時代状況にある。

 ここでは地域文化のうちでも、民俗[みんぞく]芸能・郷土芸能と呼ばれる地域に根差した芸能を対象としてみたい。民俗芸能という言葉を使うよりも、もっと具体的に、神楽[かぐら]や獅子舞といったらわかりやすいだろうか。こうした芸能が日本各地にあり、しかも、非常に高い水準の芸能が各地に残されてきた。

 ごく普通の地域の人たちが舞う踊りが、これだけ高い水準を保ってきたのには二つの理由がある。ひとつは、「神」に向けて奉納されるものであることである。寺社がその奉納の場に選ばれてきたことからも明らかである。あるいは奉納の場が寺社でないとしても、村内安全や豊作祈願といった宗教的な意味がともなっていることが普通である。もうひとつは、地域間の意地の張り合いである。近接した地域に類似の芸能が存在することが少なくない。そうした場合、「○○地区よりも優れた芸能を」という気持ちが、芸の水準をより高いものとしてきた。

生出森八幡神社付属神楽
川前鹿踊

仙台げいのうの学校の試み

 東北を代表する都市・仙台。ここ仙台ですら、人口が減少する時代に突入した。私たちがいま当たり前のように見ている芸能も、このままでは明るい未来が描けない時代に入ってきている。担い手がいないので休止したというニュースが、全国的に聞かれるようになっている。

 そんななか、新しい取り組みが始まった。それが、仙台げいのうの学校(以下、げいのうの学校)である。岩手県出身で自らも民俗芸能の担い手である小岩さんを中心に、さまざまな人びとが仙台に集い、新たな取り組みを展開しようとしている。どのような活動であれ、新しい取り組みは、常にある種の不安定さを強いられる。誰も歩いたことのない、道なき道を拓こうとするのだから、当然のことである。行きつ戻りつしながら、拓いた道が進むべき方向なのか確かめながら進んでいかざるをえない。

 産声をあげたばかりのげいのうの学校にも揺らぎはあるが、同時に、確固とした軸があるように感じられた。この新たな取り組みには、民俗芸能をより開かれたものにしたいという想いが込められている。げいのうの学校という名前にもそれが表れている。民俗芸能や郷土芸能といった堅い言葉ではなく、親しみやすい「げいのう」というひらがなを選んでいる。少しでも民俗芸能へのハードルを下げたいというのがその理由である。

 げいのうの学校が目指す、開かれた民俗芸能というのは、従来のような集落に閉じた組織で芸能を担うのではなく、多様な担い手たちとともに支えられているものである。ここでいう担い手というのは、実際に演じる演者を意味しているのではない。観客として応援する存在や、芸能の魅力を再発見しさまざまな取り組みへとつなげる人びとといった、いわばサポーターも含めている。

 これまで民俗芸能の多くは、地元集落を中心に担われてきた。そこから広がるといっても、同じ学校区にある小・中学校や近隣集落にとどまってきたように思われる。芸能が地域の財産であり、むやみに他者に伝えるべきではないという意識があったこと。そしてもうひとつは、芸能を支えるといったとき、直接、演者として支える以外の方法がなかったことによるものであろう。どうしても狭い地域に限られがちであったし、しかしそうであるからこそ、顔の見える関係のなかで質の高い芸が継承されてきた。

 げいのうの学校では、(がい)野人[がいやじん]という言葉を自分たちに向けて使っている。意味するところは、従来のように民俗芸能を内側から演者として支えるのではなく、外部の立場で協力する存在を意味している。スポーツのサポーターや、劇団のファンなどが近い存在といえるかもしれない。

 具体的な外野人としての活動をあげると、よりイメージしやすくなろう。今年度は、生出森[おいでもり]神楽(太白区茂庭・市指定)と、川前鹿踊[ししおどり]・剣舞[けんばい](青葉区芋沢・県指定)の両保存会と連携した活動が中心となっていた。生出森ではリーフレットづくり、川前ではカードづくりが行なわれていた。どちらも保存会から依頼があって動き出したというよりも、げいのうの学校のメンバーが継続的にかかわるなかで、必要性を感じて取り組み始めた活動である。

 たしかに、初めてみる人には民俗芸能の面白さはなかなか理解しがたいものがある。生出森でのリーフレットづくりは、芸能や祭礼への理解を深め、より多く人が楽しめるものにするための取組みである。また川前でのカードづくりは、踊り手が子どもたちである特徴を活かしている。トレーディングカードにヒントを得て、踊り手である子どもたちが特別感や誇りを感じられるような踊りのカードをつくろうというものであった。

 実際のところ芸能を担う保存会は、芸を継承し、披露していくことに大きなエネルギーを割かなくてはいけない。どうしても芸能そのもので手いっぱいになってしまうから、げいのうの学校のような+αの活動に力を入れることが難しい。だからこそ、げいのうの学校のような外の人びとが加わることによって、芸能の魅力を外側にも内側にも広げていく大きな可能性をこの活動はもっている。

 さらに、げいのうの学校は、多様なバックグラウンドをもつ人びとの集まりであるという特徴がある。取材やデザインなど、それぞれの経歴や経験を活かした取り組みがなされていた。編集の場に立ち会わせていただいたが、文化財関係者だけが集まったのでは出せないようなアイデアがつぎつぎに出されていた。

南津島の田植踊
南津島の田植踊

変わることの怖さの先に

 私自身も、所属する大学を通じて、別の地域の芸能を支える取り組みをしている。福島県浪江町にある、南津島郷土芸術保存会の活動をサポートしている。この地区は、原発事故による帰還困難区域内にあり、いまも居住制限がかけられている。1400人もいた住民たちのほとんどが、帰還できずにいる。

 このような状況のなかで、南津島郷土芸術保存会をお手伝いしている。当初は、まったく縁のない地域の大学生たちが、芸能に携わることに対して、否定的な意見もあったそうである。現在は良好な関係が築けているとはいえ、これまで私が地域を調査してきた10数年の短い経験からも、そうした意見があがって当然であると感じている。それほどに、芸能は地域の自慢であり宝なのである。

 げいのうの学校は、どのようにして、保存会との協力関係を築いていったのだろうか。川前鹿踊・剣舞保存会の庄子会長は、受け入れる保存会側だけでなく、「来る側の覚悟が問われている」と語っていた。「保存会には守ってきた精神があるから、いい加減な気持ちで来てもらっては困る」と。げいのうの学校の参加者たちの、真摯な態度が伝わったという。

 げいのうの学校には、2つの強みがある。担い手である小岩さんがいることで、①芸能団体の意思や考えを汲み取ることに長けている。あるいはまた、芸能団体に寄り添おうとする姿勢を持っている。②新しくかかわることになる市民に、芸能がどのようなものかを理解してもらうことに長けている。芸能とはどういうものかをレクチャーしたうえで、現地でのフィールドワークをする。そうしていくなかで、本当にかかわりたい意欲がある人たちが残っていく。このような強みをもつ、げいのうの学校が仲介者の役割を果たすことで、関係を開くことができる環境が生まれていると感じた。

 もちろん、芸能をどのようにつないでいくか、ということはこれまで担ってきた地域の人びとが選択することである。これまでのように集落や近隣の人びとでつないでいくという選択もあり得るし、それとは異なる担い方を選択することもあり得よう。どちらが優れているかではなく、地域内では解決ができないような問題が生じたときに、頼れる存在が育っていくことが重要ではないだろうか。

 たしかに社会はこれまでになく大きく変わっている。これから先も変わり続けていくことだろう。私たちはそうした時代を生きなければならないのだが、それでも私は、芸能の魅力がなくなったとは思わない。かつてに比べて、魅力に気づくチャンスが失われているだけではないだろうか。そうだとすれば、げいのうの学校のような取り組みは、現状を変えていくきっかけになるはずである。

 東北は、今後、日本社会でもっとも縮小していくことが予期される場所である。だからこそ、仙台発の新たな仕組みが構築できるかどうかは、大きな試金石となる。みなさんの故郷の祭りに笛や鉦、太鼓にあわせ、これからも素晴らしい芸能が舞われてゆくことができるかどうか。これからも多くの場所で多様な郷土の芸能が奉納される未来を願ってやまない。

秋保の田植踊
秋保の田植踊

掲載:2025年7月4日

金子 祥之 かねこ ひろゆき
東北学院大学文学部歴史学科 准教授
1985年、千葉県館山市に生まれる。早稲田大学大学院修了、博士(人間科学)。専門は日本民俗学、村落社会学。東京大学東洋文化研究所特任研究員、日本学術振興会特別研究員PDを経て、現職。
数百年つづく地域文化が、変容してゆく姿に興味を持つ。とりわけ、地域に生きる人びとが、社会状況と格闘しつつ、工夫をしながら自分たちの文化を伝えようとする姿に感銘を受けている。そうした生活実践を尋ねて、フィールドワークを続けている。