事業名:事業レビュー|あしあとキャラバン 団体名:チームあしあとキャラバン 活動期間:2024年6月24日から2025年3月13日まで 参考URL:https://ssbj.jp/support/grant/report/13517/ |
ワークショップ、クリエーション、稽古
2025年3月13日、仙台市立上杉山中学校の武道場。天気にも恵まれ、ジェットストーブで暖められた空間はさほど寒くない。そこに授業を終えた1、2年生がぞろぞろと集まってきた。友達同士でじゃれあいながら元気で楽しそうだ。
今回実施するのは「チームあしあとキャラバン」。震災の記憶と東北地方の文化を、表現活動を通して次代に繋いでいく方法を実践しながら模索していくメンバーだ。この日は、メインファシリテーターに前川一枝さん、ダンス部門のファシリテーターに渋谷裕子さん、演劇部門のファシリテーターに渡邉悠生さんと大橋奈央さんという編成で約25名の中学生と3時間程度の活動が始まる。
前川さん曰く、今回の事業は上杉山中学校の意向によって実施時期が決まったとのこと。毎年実施されている学校行事「3.11東日本大震災追悼集会」において、「震災に関するプロの作品をぜひ生徒たちに鑑賞させたい」「ワークショップに参加しない生徒にも、本物の舞台芸術を通じて震災について深く考える機会を」とのことだ。それを受けて、プロの俳優による舞台作品と生徒の成果発表を組み合わせたオムニバス作品の上演を追悼集会で実施することになったそうだ。
ただ、この学校行事は本助成事業の対象期間に含まれない3月18日。そういった条件の中で、なんとか実施できるように模索した結果が、実施に向けたワークショップをぎりぎり対象期間内であるこの日に設けたということだ。
学校という年間行事がすでに決められている枠組みと、単年度事業である助成事業における難しさがここに見える。学校側が年間スケジュールを柔軟に変更できる仕組みを作るか、もしくは複数年度事業の枠組みの助成事業にするかをしないと、この課題はなかなか解決できないかもしれない。
では、3月13日に私が見て、感じたことを書いてみる。

<ワークショップって?>
最近、いろいろなところで耳にする「ワークショップ」という言葉。結構広い意味の言葉で、使う場所によって意味合いが少しずつ違う印象を持っている。なので、ここで言うワークショップは、こんな意味合いで使おうと思う。
「課題に対して、チームで考え、チームでチャレンジしてみる方法」
これだけだとわかりにくいので、逆というか違う方法も例に出してみる。
教える→教わるという手法、例えば「授業」。教える先生がいて、教わる「生徒」がいる。何かしらの正解を知っている人が、まだ知らない人に教えるということ。ワークショップは、その先生がいない状況。「教える」人がいない代わりに、課題解決にチームで向かっていくための進行役である「ファシリテーター」という役割がある。この人は正解を持っていない。つまり、教える→教わるという上下の関係ではなく、みんなが横並びの同列の関係で課題にチャレンジしていく方法が「ワークショップ」である。
今回は、こういう意味でワークショップという言葉を使いたい。
<拍手回し、お手玉などなど>
・全員で大きな円を作る。隣の人の目を見て手を叩く。もらった人は別の隣の人に向かって同様に手を叩く。それを繰り返し、拍手を1周させる。倍速で、3倍速で、5倍速でと課題を難しくさせていく。また、これを応用して同じセリフを感情を込めて回していく。全員で1つの課題を達成させるために共同作業をしながらも、一人一人の微妙な違いを感じながら、その違いを楽しむ力が付いてくる。
一人ずつお手玉を手にし、上に投げてキャッチする。右手から右手へ、右手から左手へ、できるだけ高く投げると様々なバリエーションを個人作業。お手玉と自分の関係性を試していく。
渋谷裕子さん曰く、子どもたちはとても良い子だという印象の反面、「良い子過ぎで壊れることを恐れる傾向が強い?」ということも感じていたとのこと。実施前に考えていたワークを変更し、簡単に失敗ができるお手玉遊びを取り入れたようだ。少しずつ難易度を上げてうまくキャッチできず床に落とすなど、みんなとワイワイしながらも一人でチャレンジし、安心して何度も失敗ができる時間を作りたかったそうだ。
次にその作業を歩きながらする。30人近い人が歩き始めると、どうしてもぶつからないようになどと周りの存在に気が向いていく。自分とお手玉の関係性は継続しつつ、空間の中で自分はどこに存在するのか、他者はどう行動しているのかにも注意せざるをえない。空間認識の力が自然と養われていく。
こんなワークが繰り広げられていた。

<震災の証言を聴く>
大船渡市のある男性の証言をプロの俳優が朗読する。今までワイワイと騒がしく活動していた中学生が静かに、そして真剣に耳を澄ましている。俳優の発する言葉の後ろ側に、確かな輪郭で大船渡市の男性が見えるような気がしてくる。あぁ、これがプロの力なのか。同じ文章を中学生が本を読むように見ても、ここまで伝わらないかもしれない。これが鑑賞の力であり、ナマの芸術である演劇の力なのかもしれない。
<クリエーション、稽古>
演劇チーム6人×2チームとダンスチーム14人に分かれ、3チームそれぞれの作業に入った。演劇チームは、先ほど聞いた震災の証言で感じたことを共有したり、すでに用意された短い台本を読んでどんな情景かを共有したりしながら、演劇作品を作っていた。
ダンスチームは、用意されていた曲に合わせて簡単な振付の練習をしたり、子どもたち自身で振りを考えて組み合わせ、一定のルールを決めて曲に合わせて動いてみたりしていた。
これらは、数日後に予定されている追悼集会の中で中学生自身が出演するパートに向けてのクリエーションや稽古のようだ。
<クリエーションとは?>
ここで使っているクリエーションという言葉は、「創作」とか「実験」という意味で使っている。「創造活動」と言っても良いかもしれない。まだここには無いものを試しながら具現化していく作業である。演劇の台本であったり、ダンスの一定のルールであったり、ある程度きっかけになるものは存在していても、そこから台本で描かれていない情景を作り出したり、一定のルールの中から自然と出てきた動きなどがクリエーションから生まれたものと言えるだろう。このクリエーションの中には、ワークショップ的な方法で行うものもあれば、演出家や振付家などいわゆる「先生」的な人が出演者の動きなどを見ながら作っていく方法もあるだろう。
<稽古>
様々な稽古があると思うが、狭い意味で「発表に向けて行う練習」という意味で使おうと思う。発表するという目的に向かって、振付家や演出家など作品作りの責任を持っている人が、発表したい作品の精度を上げていくために出演者と積み重ねていくものだ。稀なケースとして出演者全員で決定判断などしていくケースもあるかもしれないが、基本的にはスムーズに進行させていくために特定の責任を担った人が決定権を持っていることが多い。なので、教える→教わるという関係性に近い。

<数日後の発表に向けて>
後半の時間は、各グループが数日後に予定されている発表の場に向けて稽古をしていくという時間だった。クリエーションで出てきたものを発表に向けて繰り返し練習する。繰り返していくことで、動きやセリフがどんどんと活きたものになっていっていた。
まだ全部をやれたという感じまではいかなかったが、ある程度の全体像が見えてきたあたりで時間となり終了した。
<全体を振り返って>
短い時間の中で、これだけの様々な要素が詰まっている内容だったために、「誰が」「何を」「どのように伝えるのか」ということを、様々な手法を用いて実験しながら実施しているように感じられた。
この事業は「文化芸術を地域に生かす創造支援事業」の中の「文化芸術と社会の連携推進事業」における「スタートアップ枠」で実施されている。
主に学校との連携において、東日本大震災を経験していない次世代の方々へ震災時の教訓を伝える手法を、文化芸術の特性を活かしてプログラム開発していくスタートだと認識している。
私が個人的に感じたことは、今回の実施(実験)をしっかりと検証し、
- ワークショップでは、震災時の教訓の何をどのような手法を使って伝えたいのか
- 鑑賞では、誰のパフォーマンスをどのように発表するとより伝わるのか
- クリエーションでは、どのような方法が受け継ぐ者の創造力を掻き立てられるのか
- 稽古では、伝える側になる次世代の方々に伝える技術をどうやって習得してもらうのか
ということを整理しながら、「チームあしあとキャラバンができること」「チームあしあとキャラバンだからこそ担えること」を確立していって欲しい。
今回の実施を終えて武道場を出ていく子どもたちの顔は、とても輝いていた。