連載・コラム

先人たちから引き継ぐ木工・漆工・金工の三位一体の技『仙台箪笥』

庄子晃子(東北工業大学名誉教授)

はじめに

 仙台箪笥は、平成27年(2015年)6月18日に経済産業大臣から「伝統的工芸品」の指定を受け、翌年4月25日に認定の日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」の中で、江戸時代の職人技を受け継いでいる伝統工芸と位置づけられています。
 木工・漆工・金工それぞれの職人たちの創意工夫と連携で、江戸末期以来、今日まで地場の工芸品として連綿と続いてきました。仙台箪笥と暮らすことは、古いものであれ新しいものであれ、郷土の文化と共に暮らすことでもあります。ここでは仙台箪笥の歴史を振り返り、その魅力を再確認したいと思います。

仙台箪笥(野呂箪笥)(『仙台市史 特別編3 美術工芸』口絵より引用)

先人たちが残した記録から仙台箪笥の歴史をさぐる

湯目芳雄氏が昭和13年に記した「木地呂塗箪笥」

 湯目芳雄氏は、現(株)湯目家具百貨店先々々代の経営者湯目吉兵衛の弟です。彼が昭和13年に『産業工芸同志会会報』(図①)に寄せた「木地呂塗箪笥(きじろぬりたんす)」を紹介します。木地呂塗箪笥は仙台箪笥のことであり、短文ながら、仙台箪笥の特色や歴史が簡潔に説明されている貴重な論述です。

「仙台の特色ある木地呂塗は、明治十一年本田幸之助(大正十一年七十三歳ニテ没ス)研出木地呂塗りの研究に着手した時より始まり、その徒弟岩井胞衣吉、日地谷正五郎の両人により明治二十三年に完成されたもので、当時木地呂塗以外に、唐木塗、紅木地呂塗、金木地呂塗等の塗装法も考案完成され、今日の基礎を築くに至れり。これらは主として箪笥に用いられ、明治三十五年早くも梅津某により英国に輸出され、木地呂塗の為めに先幸なる光明を与ふるに至れり。輸出される時、小箪笥、野呂箪笥(間口四尺高サ三尺ニ一尺三寸ノ片開戸附シタルモノ)にして、主として紅木地呂塗に塗られ、雲龍、唐獅子、七福神、ボタン花等の模様を鉄に打ち出したる金具を附したるものなり。西暦一九一〇年日英大博覧会ロンドンに開催されるや、常盤善八郎木地呂塗箪笥出品するに及んで、輸出隆盛となり、業者輸出箪笥商なる看板をつらね多忙なる製産をなせり。欧州大戦以来衰微し、今日においては昔時の悌なく、米国等に僅少の輸出されるのみ、然しながら固き塗法は 欅材の杢目(仙台地方ノ和家具ハ主ニ欅材使用ス)と共に、世人の嗜好に適し、其の塗装法も箪笥のみならず茶棚、長火鉢、唐机等に及ぼし、今日に至りては木地呂塗に塗らざる商品無きまでに至れり。」

図① 『産業工芸同志会会報』10号の表紙。 タイトルうしろの「IARI」はIndustrial Arts Research Institute(工芸指導所)の略。(文献4 p86より引用)
湯目の「木地呂塗箪笥」の分析と補足

 湯目氏は、一貫して「木地呂塗箪笥」と表現しています。その意味は、紅色で透明の木地呂漆(きじろうるし)の研ぎ出し技法により仙台箪笥の欅の肌を上品に、かつ木目(もくめ)をきれいに浮かび上がらせることを評価した命名と言えます。
 その木地呂塗は、本田幸之助氏が明治11年(1878年)に研究を開始し、弟子の岩井氏と日地谷氏が研究を引き継ぎ、22年をかけて明治33年(1900年)に完成したことを紹介しています。本田幸之助氏の孫の忠雄氏にお伺いしたところ、本田家は仙台藩お抱えの塗師で、幸之助氏は17代とのこと。江戸時代以来の伝統の上に明治期に仙台箪笥の木地呂塗が新しく誕生し、以後長く仙台・宮城の人々に愛用されていくことになります。
 続いて湯目氏は、明治35年(1902年)に梅津常春氏により英国に小箪笥と野呂箪笥(やろうたんす/間口4尺、高さ3尺、1尺3寸の片開戸つき)が紅木地呂塗で、雲龍、唐獅子、七福神、牡丹などを打ち出した鉄金具を付けて英国に輸出されたことを紹介しています。梅津氏は、士族で指物師の総代(『宮城県一市四郡四民便覧』明治28年)です。
 なお、野呂箪笥は、「野郎箪笥」「爺呂箪笥」とも書き、横長で士型(さむらいがた)に分類されます。上に大抽斗(おおひきだし)、その下の向かって左に中抽斗が三杯、右に小抽斗と片開き戸がついているもので、江戸末明治初期に士型の閂(かんぬき)がついたものが作られ始め、やがて閂が取れて抽斗(ひきだし)型の箪笥の時代に入ります(家具道具室内史学会会長小泉和子「仙台箪笥各部の名称」図②、「仙台箪笥の発展」図③)。

図② 小泉和子「仙台箪笥各部の名称」(文献3 p17より引用)
図③ 小泉和子「仙台箪笥の発展」(文献3 p19より引用)

 梅津氏が輸出した小箪笥と野呂箪笥は、木工・漆工・金工が最も優れた時代のものです。それは「箪笥調査から見た仙台箪笥の歴史」の⑥打出・唐獅子型に相当します。(図④-1、2)。

図④-1(文献6-1 p14、文献6-2より)
図④-2(文献6-1 p14、文献6-2より)

 あわせてここに、明治期・大正期に活躍した名工・菊地松右衛門氏(1842-1930)の仙台箪笥金具(図⑤)と図案(図⑥、⑦)を紹介します。

図⑤ 仙台箪笥金具 菊地松右衛門作(『仙台市史 特別編3 美術工芸』p476より)
図⑥ 仙台箪笥金具図案:雲龍図(文献5 p65より引用)
図⑦ 仙台箪笥金具図案:菊花図(文献5 p68より引用)

 続いて、湯目氏は、明治43年(1910年)日英大博覧会(ロンドン)に常盤善八郎氏が木地呂塗箪笥を出品し、輸出が盛んになり、箪笥を輸出する業者の看板も連なり、生産が多忙であったと記しています。『日英博覧会授賞人名簿』(農商務省日英博覧会事務局、明治43年)を見ると、確かに銅牌の欄に「箪笥 宮城 常盤善八郎」と出ており、また日英同盟大博覧会に於て「仙台箪笥有功銅牌受領」という宣伝を明治45年(1912年)『宮城県商工人名録』に出しています。そして、実は明治39年(1906年)11月7日の河北新報に、英文を伴う「海外輸出、仙台箪笥製造元 常盤善八郎」の宣伝が載っています(図⑧)。英文付きの宣伝は、他の製造者も出しており(安倍清吉/図⑨、田中貞助/図⑩)、輸出が盛んであったことがわかります。

図⑧ (文献4 p92より引用)
図⑨ (文献4 p92より引用)
図⑩ (文献4 p93より引用)

 さらに、仙台商業会議所による「仙台箪笥についての報告その1」(東京商業会議所編『保護政策調査資料第2集』明治37年(1904年)11月)があって、そこには、「〇仙台箪笥」「品質 外側ハ欅、杉材ヲ用ヒ木地呂塗ニシテ鉄製金具ヲ装着シ堅牢ニシテ外観美麗ナリ」「用途 衣服其他ヲ蔵入シ装飾品ニ兼用セラル」「産額 目下一ヶ月百五十個 価格 二千八百五十円内外但内地向ヲ除ク」「輸出額 産額ノ三分ノ二ハ在留外人ノ需要ニ供シ他三分ノ一ハ海外ニ輸出ス」「輸出先国別 独逸、北米、英国」(以下略)と記されています。一か月に150棹製造し、その3分の2は在留外国人の需要に応じるため、3分の1は輸出向けでドイツ、アメリカ、イギリスに輸出すると記されています。
 日本に住む外国人たちが仙台箪笥(すなわち木地呂塗箪笥)を評価し使ってくれていた事実を知り、嬉しく思います。評価を得たからこそ輸出も可能になったと言えるでしょう。梅津常春氏の明治35年(1902年)の輸出も、そのおかげで実現したのでしょうし、輸出箪笥商の看板が連なる状況も生まれたのだと思います。
 さて湯目氏は、「第一次世界大戦以来、木地呂塗箪笥の輸出は衰微し米国などに少々輸出されるのみとなったものの、欅材の木目と木地呂塗は箪笥のみならず仙台地方の和家具にとって必要欠くべからざるものになった」と締めくくっています。

鏡台が付いた仙台箪笥

 明治43年(1910年)に群馬県主催一府十四県連合共進会に、湯目林平氏が「鏡台付箪笥」を出品しました。湯目家にドイツ人が「鏡付きの箪笥を作って欲しい」と絵に描いて頼みに来たそうです。縦長の、新しい仙台箪笥の誕生です(図⑪)。

図⑪ (文献3 p12より引用)
松本朝之助氏の著作『日本箪笥の製作仕上げ法』に書かれている仙台箪笥

 明治時代の記述はここでは省略し、大正・昭和時代についての言及を取り上げたいと思います。
 松本朝之助氏(1878-1954)の昭和9年(1934年)の著作『日本箪笥の製作仕上げ法』(中央工学会)に書かれている仙台箪笥は、このように紹介されています。

「一番売れたのは何と云っても大正七八年頃独逸軍人の捕虜が当市(仙台市)に来て居た時で其後に本国に送る者が多く、又中には営業にすべく素地と金具を別々に送られた向きもあった。」
「大正十年に東北を一巡した時に仙台の商品陳列場に多数の出品があった。其時には四尺間口の三つ重ねのものもあって中には見事な品もあった。販路を尋ねると高級品は外国人が国への土産に買い求められるとのこと」
大正14年(1925年)に仙台市立工業学校で箪笥製作の講習会を行った際に、当業者から仙台地方の「農家の御嫁入には在来の形式のものも相当に使用されたが、市内には軍人、官吏等の方が多いので、是等の人々は東京式を希望」と聞いたという。
昭和に入ると、「同業者の話しに依ると欅の箪笥は四尺間口三つ重で此の地方の嫁入道具として需要多いが主に並物が用ひられ上等品の売行が少なくなりつつある」と聞いたという。

 以上、松本氏の大正期・昭和初期の記述を引用しましたが、大正期も外国人の仙台箪笥への評価が高く、また、大正期も昭和初期も、仙台箪笥が嫁入道具であったこと、その典型として、在来の士型のもの、東京の影響を受けた二つ重ね大正型、三つ重ね昭和型とがあったということです。(図③参照)

先人たちが残した記録から仙台箪笥をさぐる――まとめ

 木工・漆工・金工の職人たちの個々の研究心と連携が堅牢で造形美に溢れた仙台箪笥を産み出しました。それを、日本人も外国人も生活者として気持ちよく使いこなし、その高い評価によって明治期・大正期と輸出もされ、来日外国人の提案から鏡台付きの仙台箪笥も誕生しました。さらに、大正期・昭和期と東京の桐箪笥の影響を受けながらも、仙台箪笥の伝統は嫁入道具、生活道具として生き続け、今日に至ります。生活の仙台らしさ、宮城らしさを演出してくれています。

生活の中の仙台箪笥

 ここで、筆者が出会った仙台箪笥を紹介します。
 1つめは、婿入りで使われていた仙台箪笥です。押入れの下段に仕込むつもりで間口3尺の仙台箪笥をお持ちになったのだがうまくいかず、部屋の畳の上に置いてありました。それはそれで、そのやや小振りな仙台箪笥が座敷の空間を豊かにしていました。
 2つめは、間口6尺の横長の仙台箪笥を部屋の中心の奥に置き、屏風で囲み、客間(ある時は居間)として使用している事例がありました。(図⑫)

図⑫ 客間に置かれた仙台箪笥 I氏邸 仙台市(文献4 p66より引用)

 3つめとして、仕込み箪笥を3種紹介したいと思います。いずれも部屋の壁面に押入れや仕込んだ仙台箪笥を並べていました。こうすることによって、地震にも寒さにも強い空間となります。図⑬、図⑭は上に神棚、仕込み箪笥の脇に仏壇が設けられ、図⑭は洋服箪笥も用意されています。図⑬と図⑭の神棚、仏壇の前の畳の空間は居間であり、神様とご先祖様とともに暮らす家族団欒の場であります。重厚な仙台箪笥が、その空間の基盤となり、空間全体を引き締めていました。

図⑬ 仕込み箪笥 O氏邸 塩竈市(文献4 p86より引用)
図⑭ 仕込み箪笥 M氏邸 仙台市(『仙台市史 特別編3 美術工芸』p475より引用)

 図⑮は、納戸に仕込んだ仙台箪笥2種が整理しやすい配置になっています。向かって左の空間には、掃除道具や火鉢などを入れていました。

図⑮ 納戸に仕込んだ仙台箪笥 A氏邸 塩竈市(文献4 p106より引用)

 4つめは、上京して街を歩いているときに見かけたものです。とある履物屋さんの店内に、士型(さむらいがた)の仙台箪笥を見かけました。仙台箪笥はそこで、商品を魅力的に輝かせる役割を果たしていました。
 また、テレビのトーク番組のインテリアとして、背後のセットに小型の仙台箪笥が置かれているのを見かけ、程よい存在感を放っていました。
 5つめとして、実は私も、士型の仙台箪笥を2棹所有しています。ひとつは小の字鶴の打出金具が付いた閂型で6畳間に置き、もうひとつは唐草と牡丹の打出金具が付いた抽斗型で廊下に置いています。前者は間口109cm・高さ87cm・奥行52cm、後者は間口120cm・高さ90cm・奥行60cmで後者は湯目氏の言う野呂箪笥(間口四尺高サ三尺ニ一尺三寸ノ片開戸附シタルモノ)と同じ寸法です。これらは、収納に役立つばかりでなく、木工・漆工・金工によるひとつの芸術作品の如くそこに在り、またその天板には花を飾ったり、冊子を置いたりと楽しむことができます。

おわりに

 仙台箪笥は、図③「仙台箪笥の発展」で見たように、江戸末明治初期に士型の箪笥として誕生し、今日まで仙台箪笥の典型として作り続けられて活用されてきました。
 その一方で、利用者の要望に応えて、士型を基礎とした様々な仙台箪笥も誕生しています。それは、木工・漆工・金工の職人たちが利用者の要望に応えて連携しながら作り続けてきたからこそと言えるでしょう。
 仙台箪笥と暮らすことは、代々受け継がれた古いものであれ新しいものであれ、郷土の文化と共に暮らすことだと思います。その意味を改めて噛みしめ、これからも大切に受け継がれていくことを願います。

(参考資料)
1.小泉和子『仙台箪笥(湯目家具百貨店)』仙台箪笥保存会 1971年(1983年)
2.小泉和子『箪笥(たんす)――ものと人間の文化史46』法政大学出版局1982年
3.仙台写真工房文化事業部編『仙台箪笥所在調査報告書』 宮城県地域文化遺産復興プロジェクト委員会 2016年
4.庄子晃子・長谷部嘉勝・湯目俊彦『仙台箪笥と輸出―地元に残る資料から戦前の動向を探る』(『家具道具室内史第九号(特集「輸出家具・室内装飾品」)』家具道具室内史学) 2017年
5.庄子晃子「仙台箪笥の輸出を巡る物語」『海を渡ったニツポンの家具―豪華絢爛仰天手仕事』LIXIL BOOKLET, 2018年
6-1.『仙台箪笥教本』家具道具室内史学会長小泉和子監修、平成29年度伝統的工芸品産業支援補助事業、2018年
6-2.仙台箪笥歴史工芸館ウェブサイト(仙台箪笥の歴史)
7.『飾り金具の輝き―仙台箪笥金具職人 八重樫栄吉』 笹氣出版 2009年
8.熊野洞(編)『仙台箪笥の姿図』
9.『原点回帰』 仙台箪笥を伝承する会 2007年
10.庄子晃子「門間箪笥店の昭和3年」『仙臺文化』第3号p8〜9 2006年

掲載:2024年12月16日

庄子 晃子 しょうじ・あきこ
東北工業大学名誉教授・博士(学術)。1943年北九州市生まれ。東京・茨城を経て小学4年生より仙台市に在住。68年東北大学大学院修士課程美術史学専攻を修了。78年ハイデルベルク大学美術史研究所に留学。99年博士(学術)学位取得(千葉大学)、同年国井喜太郎産業工芸賞受賞。同年日本デザイン学会賞受賞。
2012年まで東北工業大学教授・同大学院教授。12年日本基礎造形学会功労賞受賞。13年宮城県教育委員長を委嘱される。16年近代仙台研究会会長(23年より顧問)。

著書
『仙台市史 特別編3美術工芸』共著 仙台市 1994年
『ブルーノ・タウトの工芸』(共著・LIXIL出版) 2013年