連載・コラム

仙台の箪笥との出会い
―「暮らしに生きる仙台の箪笥」特集をはじめるにあたって―

大谷美紀(フリーランスライター・編集者/宮城県民芸協会 副会長)

持ち主が祖母から受け継いだ仙台箪笥。作られて105年以上たつという。50年ほど前に塗り直し、大切に使われている。

家族の歴史と共に100年以上

 ケヤキのおおらかな木目が透けて見える木地呂塗(きじろぬり)で仕上げられた「仙台箪笥」は、年数がたつと漆が透き通り、ケヤキの質感がより感じられるようになってきます。家々で異なる風合いに育ち、その家族だけのものになってくるのです。
 初めて私が仙台箪笥を見たのは、30年ほど前。西日本から仙台に移り住んで間もない頃、とある飲食店でのことでした。定禅寺通のケヤキ並木を眺める店には、カウンターの後ろに洋酒のボトルが並んだ荘重な箪笥がありました。洋酒とジャズと仙台箪笥。異なる文化が調和した、心地よい空間をつくり出していました。
 仙台箪笥をぐっと身近に感じるようになったのは、それから何年もたってから。日常の道具に美を見出す「民藝(みんげい)」に惹かれ、宮城県民芸協会に所属した頃です。仙台で生まれ育った親世代の会員の方が、控えめに語っていらっしゃるのを聞きました。「結婚するとき、親から何が欲しいかと問われ、嫁入り道具は何もいらないから祖母が使っていた仙台箪笥が欲しいと言って、その箪笥をもらった」と。現在ほど金具が華やかではなかったようです。箪笥の風合いや、しつらえられた空間を、見てみたいという思いに駆られましたが、言い出すことができませんでした。そのときから、長く使い込まれた箪笥が気になり始めていました。

長く大切に、直して使う文化

 この土地には、仙台藩を築いた伊達政宗の時代から、進取の気風に富み、新しいものを果敢に取り入れてきた文化があります。一方で、東日本大震災の後、老舗箪笥店には仙台箪笥の直しが多く持ち込まれたと聞きました。江戸期の箪笥を塗り直した方から、写真を見せていただいたこともあります。修理して長く大切に使い続ける意識が、根付いているのです。
 これまで私が出会った仙台箪笥を手掛ける指物((さしもの)、漆塗り、金具の職人の方々は「100年持つ箪笥」として自負心を持ち、「100年先に恥ずかしくない仕事を」という気概をもって仕事をされています。
 丈夫に作ること、長く使い続けること。土地にしっかりと息づいてきた文化を、私たちはどれほど見過ごしてきたことでしょう。
 この特集では、室内意匠と生活道具の歴史がご専門で、仙台箪笥の調査研究にあたられた東北工業大学名誉教授の庄子晃子先生にご寄稿をお願いしています。また、仙台箪笥を長年使用されているお宅への訪問や、塗師(ぬし)である長谷部漆工12代目の長谷部嘉勝さんに直して使い続けることについてお話を伺います。朝に夕に仙台箪笥を眺めて暮らす日々についても、この特集の中で紹介できればと思います。

もう一つの、仙台の箪笥

 今回の特集を、「仙台の箪笥」としたのには理由があります。この地には、仙台箪笥とは別に、もう一つ箪笥があるからです。その名は「政岡棚」といいます。初めて政岡棚のことを教えてくださったのは、東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館の元参与、濱田淑子さんでした。
 螺鈿(らでん)細工が施された華やかな政岡棚は、第二次世界大戦前、仙台の店で陳列棚として使用されていたのだとか。「型絵染(かたえぞめ)」で知られる芹沢銈介が、政岡棚を身近に置き、東北の古人形などを飾っていたとのこと。濱田さんご自身も、求めた政岡棚を食器棚として使用されています。知る人が少ない、もう一つの箪笥についても、濱田さんからご寄稿いただきます。
 生活様式の変化に伴い、大型の箪笥の需要は少なくなっていますが、近年、その土地の素材や作り手に思いを寄せ、暮らしを見直す意識が高まっています。「仙台の箪笥」を通して、私たちの住むまちが受け継いできた文化を再認識する機会になればと願っています。

掲載:2024年7月29日