連載・コラム

地域の人々の願いを背負い、今日も舞う
―1.馬場の田植踊

 民俗芸能は地域に根ざすものだ。それぞれの土地の歴史や暮らしを背負い、舞い手はともに生きる人々の祈りや願いを、舞いや囃子に込めてきた。今、民俗芸能を担う人々は、活動の中で何を思い、どんなよろこびを感じているのだろう。仙台には「神楽」「田植踊」「鹿踊」「剣舞」の4種、23の民俗芸能がある。その中から、秋保(あきう)「馬場(ばば)の田植踊」と「生出森八幡(おいでもりはちまん)神楽」の稽古場を訪ね、保存会の方々に話を聞いた。

秋保の奥深く、宿駅(しゅくえき)に伝えられてきた古式ゆかしき舞い

 田植踊は、1年の豊作を祈願する民俗芸能だ。あでやかな振袖に身を包み花笠をかぶった10名ほどの早乙女(さおとめ)、道化役や口上役を務める2名の弥十郎(やんじゅうろう)、そして幼い男子が担う2人の鈴振(すずふり)が、田植えにちなむいくつもの演目を踊り進める。中でも太白区秋保地区の田植踊は、ここ数十年、地元の少年少女が中心となって活動を続けてきた。

 秋保の3つの田植踊─「湯元の田植踊」「長袋の田植踊」「馬場の田植踊」は国指定重要無形民俗文化財で、ユネスコ重要無形文化遺産にも登録されている。馬場は3地区のうち最も西にある。夜7時、馬場の駅集会所に着くと明かりが灯り、中では稽古の準備が始まっていた。この日は2日後にひかえた仙台市歴史民俗資料館での「れきみん秋祭り2023」の準備の話し合いから。会長さんら男性陣が集合時間や着付けなどの段取りを説明すると、女性陣から遠慮ない意見が次々と出て小気味よい。

 やがて、稽古が始まった。鈴の音を響かせながら、拍子を取る弥十郎役の男性2人に続き鈴振の男の子2人が飛び跳ねる。『入羽』『一本羽』『鈴田植』と演目が進む中、太鼓や笛のお囃子に合わせ、早乙女役の小中学生くらいの女の子たちが両手に持ったあでやかな扇を華麗に回し、ときおり扇を苗に見立てて田植えの仕草をする。2、3演目ごとに、先輩とおぼしき女性が、「扇はちゃんと正面を見せるようにね」「扇はちゃんと立てて。その方がきれい」とやさしい口ぶりで指導を入れていた。

この日はまず打ち合わせから。役員の方々も舞い手の小さな男の子たちもみんな円座になって話し合いを進める。
弥十郎の男性と鈴振の男の子。なかなかに激しい動きが続き、体力がいる。
弥十郎と鈴振が激しくが飛び跳ねる。弥十郎は男の子が担ってきたが、子どもが少ないことから年配の男性も活躍。
お囃子の方々。太鼓を叩くのは保存会会長の佐藤さん。
お囃子に合わせ、早乙女が扇を苗に見立てて田植えの仕草をする。

馬場の田植踊保存会 会長 佐藤信明さん
「『れきみん秋祭り』のために8日間、練習を重ねます。地域内で一番大きい舞台は、春の『秋保大滝不動尊』のお祭りですね。定期的な練習はいまのところしていないんですよ。
 前の役員に誘われ、私が会長を引き受けたのは13年前でした。高齢化で活動を担う人がいなくなり、1年間休止していた時期だったんです。いま復活させないと消えてしまう、協力してほしいと説得されて。退職したばかりで時間はとれたので、事務局を担い、以前活動していた子どもたちや元役員だった人たちに声をかけて集まってもらい、練習を再開したんです。私自身も、太鼓を習い始めたんですよ。初めてでしたから、映像に撮って一人で練習したりしてね。幸い、今は、子どもたちは幼稚園児から大学生まで入れると10人が活動に参加しています。家族も協力的で積極的に応援してくれますよ」

保存会会長の佐藤信明さん。田植踊にかかわる以前は、地元の愛宕神社の神楽に携わっていた。

地元に育った人たちが活動を盛り立てる

 一度休止していた活動の再開は、地域の人々の相当な熱意と苦労がなければ成し遂げられなかっただろう。早乙女の中には、1人2人、大人も混じっている。指導をしていた女性も含め、かつて自身が舞っていた人たちが指導する立場になって、子どもたちの成長を見守っている。どんな思いで参加しているのだろうか。

馬場の田植踊保存会 会長 佐藤信明さん
「子どもたちをスカウトするために、地域にチラシをまいたこともあったんです。でもやはり出向いて説得しないとね。
 一方で、早乙女の中には定年になって仕事を辞めてから活動に入った人がいるんですよ。ほら、あの人はもともと娘さんが早乙女をやっていたんですが、今度は自分が、と。やはり伝承文化を残したいという思いが強いのでしょうね。子ども時代にやっていた人もいます。太鼓ひとつとっても経験者は叩き方が違う。全身を使って叩いています。私が子どもだった頃は、早乙女は大人もやっていた記憶があるんです。結婚して子どもを持ってからもね。世代でいうと20代、30代の方でしょうか。そのあと、小中学生がメインになりましたが、子どもが少なくなっているので、再び年代の幅が広がっているんです」

太田夢登美さん(早乙女の指導)
「馬場で生まれ育ち、小学校の頃、早乙女をやっていました。本格的にやったのは小学4年生くらいから。馬場も昔はたくさん子どもがいて、一軍と二軍がつくれるほどだったんですよ。低学年のうちはまず見学。そして4、5、6年生が踊り手になる。当時は“見て覚える”という感じで、細かいところまで教えられたわけではないんです。でも、厳しかったですよ。それでも、やめようとは思わなかった。やっぱり好きだったんでしょうね。ちょうど母親の年代の人たちから教わったんですが、みんな、体のこなし方というのか、腰の落とし方やしなやかさが違う。やはり田植えの経験をしているからなのかな、と思いながら見ていました。今は、田植えをやったことがない子もいるし、少しずつ踊りの形なども変化してきていると感じますが、少しでも美しく見えることを重視して教えています」

太田夢登美さん。小学生時代の田植踊の経験を活かし、気づいたところを伝えていく。

 休憩の最中、「褒めことばの人が来たから、再開!」と声がかかった。稽古に遅れてやってきた男性は、踊りに対して褒めことばを申し述べる役割の人だ。朗々とした張りのある声が、稽古場に響きわたった。

太田健弥さん(褒め口上を述べる)
「小さい頃、弥十郎をしていたんですよ。2年前くらいに、会長が叔父ということもあって誘われ、また参加するようになりました。私の役は『褒めことば』です。弥十郎、早乙女、唄、笛、太鼓の人たちを褒め称えるんです。衣装や踊りを。どこの地域もそうでしょうけど、人口が減ってコミュニティがなくなりつつありますよね。そういう中で、民俗芸能があるから地域住民のつながりが維持できているというのはあると思いますね」

太田健弥さん。仕事のあと、稽古場に駆けつけてきた。口上の節回しは、耳で聞いて覚えたという。

8年前に復活した伝統の『元禄歌舞伎踊』

 秋保には3つの田植踊があることは先に述べた。その中で馬場の田植踊の特徴はどこにあるのだろう。

馬場の田植踊保存会 会長 佐藤信明さん
「私たちは10の演目を持っているんですが、特徴的なのは、『ぢぢ田植え』『腰振り』などの他の2つの地区にはない演目があることです。そして、郷土史家の三原良吉(※1)さんが調べ名付けた『元禄歌舞伎踊』という手踊りもあります。長く踊っていなかったんですが、4つの踊りを平成27(2015)年に復元したんですよ」

太田夢登美さん(早乙女の指導)
「『元禄歌舞伎踊』のことを、私たちは手踊りって呼んでたんです。扇を使わない踊りですね。母親世代の人たちが踊っていたんですが、中学時代に、ぜひ残したい、といわれ、何人かで受け継いでいたんですね。でも歌う人がいなくなってずっと踊っていなかったんです。それが数年前、当時の録音テープが見つかり、『まつや』『あげや』『春駒(はるこま)』『石投甚句(いしなげじんく)』の4つの踊りの復元に取り組みました。今も大人だけで練習しているんですよ。中学の頃、教わっていなければ、もう全然伝わらなかったと思います」

(※1)三原良吉(1897~1982)河北新報社で論説委員などを務めるかたわら、郷土史家として活躍した。著書に『郷土史仙台耳ぶくろ』など多数。

子どもたちが、大人の思いをつなぐ

 「残したい」と大人が抱く深い思いは、子どもたちにも伝わっているのだと感じる。「やっていてどう?」と何人かの子どもたちにたずねると、「衣装とか着るのが楽しい」「みんなで合わせて何かする、というのが楽しい」「他の人に見てもらうのがいい」と、口々に答えてくれる。子どもたちが何人も「馬場小は全校児童17人」と話すのが気になった。馬場小学校は令和8年度に閉校し、秋保小学校に統合するという。子どもなりに、あと3年で閉じる学校の行く末を案じているのかもしれない。地域の拠点である小学校がなくなれば、田植踊の活動も影響を受けるだろう。

馬場の田植踊保存会 会長 佐藤信明さん
「どうやって続けていくかを地域で話し合っています。子どもたち以外にも広げる必要があるし、時間的にゆとりのある60代、70代が中心になっていくのかもしれません」

 一方で、中学生の中には、活動の意義をしっかりと受け止め続けていこうと考える子もいるようだ。

尾形羽美佳さん(中学2年生/小学1年生から活動)
太田さくらさん(中学3年生/小学2年生から活動)
「やり始めたときは個別指導みたいな感じで教えてもらい、2ヵ月くらいで全部覚えました。今だったら無理ですねー(笑)。それからずっとやってきたので、体が覚えていると感じます。2人とも、野球や卓球の部活もしてきたので、部活を休んだり大会と重なって出場できなかったりいろいろありました。本番で家族や友だちが見にきてくれて、よかったといってくれるのがうれしいです。人が足りないし、自分たちで支えなければと思います」

早乙女の小中学生たち。練習中はキリッとした表情だが、休憩になるとにぎやかなおしゃべりが始まる。みんな「舞うのは楽しい」と話す。

 「自分たちで支えなければ」。2人がそう話していましたよ、と会長の佐藤さんにつたえると「おお、それはうれしいね」と目を細めた。民俗芸能の保存会はどこも同じように後継者不足で悩む。それでもなお、と一歩踏み出す力になるのは、何といっても地域に暮らす人々のつながりだろう。数百年に及ぶ伝統の踊りには、幾度もの試練の時があったはずだ。1年のブランクを乗り越え、伝統の踊りを復活させた馬場の人たちの底力を期待を持って見続けたい。

掲載:2024年2月13日 取材:2023年10月
取材・原稿/西大立目 祥子 写真/寺尾 佳修