沿岸部でアートが動きだす
川俣正 みんなの橋プロジェクト

『季刊まちりょく』vol.36掲載記事(2019年9月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

 東日本大震災により大きな被害を受けた仙台市沿岸部。2016年7月にリサーチでこの地域を訪れたアーティストの川俣正さんは、宮城野区岡田の新浜地区の住民から「橋が津波で流されて運河を渡れなくなった」という話を聞き、橋の機能を持った作品「みんなの橋」を構想しました。

 それから丸3年。プロジェクトは、同地域で活動する人々との交流を通じて、また、刻々と変化する沿岸部の状況に呼応しながら、歩みを進めてきました。

 今回の特集では、その輪郭を見せつつあるプロジェクトの現在を紹介します。

©Tadashi Kawamata

「みんなの橋プロジェクト」のあゆみ

 「橋をつくる」という構想から始まったプロジェクトですが、実際に橋をつくるまでには一定の時間がかかります。実現に向けて粘り強くリサーチや交渉を進めながら、同時にさまざまなアクティビティを地域で展開していくことで、「橋」をつくる機運をつくっていこうという川俣さんのアイデアをもとに、2017年の岡田児童館などでのワークショップ実施を皮切りとして、2018年に「みんなの船」の制作、今年は「みんなの木道」の制作と、活動を続けてきました。

 新浜から貞山運河、そして海へ。取り組みはこれからも続いていきます。

2016年

2016年7月 仙台市沿岸部のリサーチ
2016年10月 橋の機能を持った作品を構想

2017年

2017年8月 「みんなの橋」模型制作ワークショップ
2017年8月 貞山運河で橋のスケールを測量

2018年

2018年7〜8月 「みんなの船」滞在制作
2018年8月 「みんなの船」進水式

2019年

2019年7月 「みんなの木道」滞在制作
2019年7月 「みんなの木道」公開

写真:伊藤トオル(2017年)、嵯峨倫寛(2018年)、渡邊博一(2019年)

ポイント1
アーティスト 川俣正さん

 1953年北海道三笠市出身。1982年第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ、1987年ドクメンタ8など大規模な国際現代美術展への出品を重ねてきた、海外でもっともよく知られている日本人アーティストの一人。横浜トリエンナーレ総合ディレクター、東京藝術大学大学院教授、パリ国立高等芸術学院教授などを経て、現在もパリを拠点に活動しています。

 既存の美術表現の枠組みを超えて、建築や都市計画、歴史や地域コミュニティといった異なる分野と積極的に関わり、長期的なプロジェクトをダイナミックに展開するスタイルは、アートシーンに大きな影響を与え続けてきました。

ポイント2
貞山運河と東日本大震災

 阿武隈川から旧北上川まで総延長約49kmにわたる、日本一の運河群のなかのひとつ、貞山運河。江戸時代から開削が始まり、長い年月を経て独自の景観や文化が育まれてきました。

 東日本大震災では、堤防や護岸が著しく破損するとともに、隣接する集落の一部では移転を余儀なくされるなど、甚大な被害を受けました。それでも、この大切な歴史遺産を守り、かつての豊かな自然環境と美しい景観、そして人々の賑わいを取り戻そうと、地域住民と、この地域に関心を寄せる人とが連携しながら、さまざまな活動を展開しています。

ポイント3
常に「進行中」のアートプロジェクト

 せんだいメディアテークの「アートノード*」の一つとして始動した川俣正さんによる「仙台インプログレス」。「イン プログレス(in progress)」は「進行中」の意。このプロジェクトの第一弾「みんなの橋プロジェクト」も、「動きながら考え、考えながら動く」を繰り返してきました。シナリオを予め準備するのではなく、人々がさまざまなアイデアを寄せ合い、時には制作にも参加しながらひとつの活動に集約していく、そのプロセスを重視する姿勢がこのプロジェクトの軸にあるのです。

*「せんだい・アート・ノード・プロジェクト」の略称。せんだいメディアテークが2016年から始めた「アーティストのユニークな視点と仕事」と、「地域の人材、資源、課題」をつなぐ取り組み。(https://artnode.smt.jp/

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「貞山運河の渡し舟と新浜フットパス」に参加しました!

 新浜町内会が2017年から企画・実施している「渡し舟と新浜フットパス」。2019年7月27日(土)開催の回は、「仙台インプログレス」とのタイアップで、出来上がったばかりの「みんなの木道」を通って海まで行きました。当日は天候にも恵まれ、こどもから大人まで、総勢40名を超える参加者が、川俣正さんとともに、作品、そして貞山運河の歴史と自然をじっくりと味わいました。

(主催:新浜町内会 協力:貞山運河倶楽部、NPO法人水・環境ネット東北、東北学院大学平吹ゼミ・菊池ゼミ、せんだいメディアテーク)

「みんなの船」で貞山運河を渡って向こう岸へ。
海に向かって伸びる全長120mの「みんなの木道」。
木道の終点、八大龍王碑を囲んで一息。
地元の方が長らく大切にしてきた碑について説明する東北学院大学菊池ゼミの石澤夏巳さん。
高さ7mの海岸堤防を越えると、広大な砂浜と海。「実は、海岸まで来たのは震災後初めてなんです」と感慨深く語ってくれる地元の方も。
散策後は、Eボート体験。
写真:渡邊博一
昼食の後、「みんなの家」で意見交換。

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プロジェクトを通じて出会った方の声

遠藤源一郎さん(新浜町内会 庶務)

 新浜では、震災直後から町内会が中心となって復興まちづくりの議論を活発に行ってきました。専門家をアドバイザーに招いて、「新浜地区復興まちづくり基本計画」(2013年)、「新浜の‘浜’を活かすニュービーチプラン」(2016年)などを策定し、現在まで、さまざまな支援や助成をいただきながら、新浜女子会や復興秋まつりを立ち上げ、まち歩き清掃などの活動を行ってきました。

 当初、町内会としてはまずは生活の安全確保を大切に、という思いで活動してきましたが、2015年貞山運河研究所と開催したミニフォーラム「海岸公園と貞山運河の利活用」で海や運河のすばらしさを再認識し、東北学院大学などの専門家に協力いただき「新浜の自然と歴史の学習会」を開催し、ふるさとのよさを学んできました。それらをもとにして、2017年から貞山運河研究所と共催でフットパスやフォーラムを開催するなど、仙台で「海に一番近い集落」としての賑わいづくりに向けて活動を広げてきました。「現地再建を自分たちで推し進めたのだから、それをより充実したものにしていきたい」、だからこそ「支援の声があれば前向きに受ける」という町内会長をはじめとするみなさんの揺るがない信念があって、ここまでやってくることができたと考えています。

 外から来てくださる方にはいつも新しい視点をいただいていますが、特に川俣さんには、常識を超えたところからダイナミックにアドバイスや解決策を示していただいています。今回も、最初は「木道?」と正直思いましたが、実際に歩いてみると、とても魅力的に感じました。私自身、今まで芸術にはあまり縁がありませんでしたが、だからこそ今、その魅力や可能性を感じているところです。

 仙台市内の貞山運河沿いには、7つの浜があって、昔は水路や陸路でつながっていましたし、親戚関係の交流も広くあります。ですから、「新浜がよければ」というのではなくて、今後は貞山運河沿いの再生に取り組みつつ、浜が連携していければと考えています。

伊東豊雄さんをはじめとする建築家が、被災地でつくった集会所「みんなの家」の第1号。2017年4月新浜に移設された。
「みんなの橋プロジェクト」のきっかけとなったかつての新浜の橋。(撮影:遠藤源一郎、2013年)
町内会で運営する「渡し舟とフットパス」。

平吹喜彦さん(東北学院大学教養学部地域構想学科 教授、南蒲生/砂浜海岸エコトーンモニタリングネットワーク)

 景観生態学が専門で、近年は里山・里地を対象に、長い時間をかけて成り立ってきた自然と、そこに暮らす人々の知恵や工夫について研究しています。私が新浜地区を最初に訪れたのは2011年6月でした。震災直後は、変わり果てた沿岸域に立ち入ってよいものか迷いもありましたが、津波で何もかもさらわれてしまったと思われていた海辺に植物が残っているようすを見て、自然の再生のようすを記録することが私の使命だと思い、以来通い続けています。

 砂浜、砂丘、運河、そして湿地と、多様な生態系を有するこの里浜で調査を継続させていただくには、地元の方の了解が必要だと考え始めていた矢先、2014年に海岸堤防の話があり、相談にうかがったのが新浜町内会のみなさんとの初めての出会いでした。町内会の力添え、そして行政の理解と工夫があって、自然環境に配慮した復興工事が実現することになりました。新浜のように、蘇りつつある自然のなかに防災のインフラをはめ込んでいくという新しい発想、知恵が、いま問われているのではないかと思います。

 新浜には、貞山運河や海辺で遊ぶなかで自然の恵みや怖さを学んだ体験や、貞山運河沿いにクロマツを植栽して災害から集落を守るとともに、ときには伐採して生活の糧にした記憶など、臨機応変に自然とわたりあってきた歴史が今なお息づいています。こういった生活に根ざした知恵を私自身も学びながら、地域の宝物であるこの自然の価値を新浜のみなさんと共有し、発信することで、復興まちづくりに関わっていきたいと考えています。

 私は、自ら再生を続けている海辺をより多くの人に見ていただいて、本物の自然ならではの力強さを感じてほしいと願ってきたので、川俣さんの「人々を海にいざなう」という言葉に心を動かされました。新浜の復興まちづくりでは、必ず「みんなの・・・」という形容詞が用いられます。「みんなの」には、お互いを思いやりながら、自分のこととして前に向かう、といった意味があります。辛いことがあった海辺・里浜だからこそ、こういった活動がつながって大きなムーブメントになっていくといいですね。

今年5月、貞山運河の護岸を埋め尽くすほどに再生したハマエンドウ。
新浜町内会主催の「自然や里浜の暮らしを学び合うフットパス」。
現在も各地の専門家が集まり、生態系の回復状況調査を行っている。
写真提供:平吹喜彦

上原啓五さん(貞山運河倶楽部 代表、となりの畑 代表)

 私が貞山運河について考えるようになったのは、実は、東日本大震災後です。震災復興への関わり方を模索していたとき、宮城県の地図を広げて考えてみると、甚大な被害を受けたと思われたのが貞山運河でした。実際に見に行ったらやはりとてもひどい状態で、この運河はなんとかしなければならない、しかも、どうせやるならただ直すだけではなくて、活用する方法があるのではないかと考えました。以来貞山運河研究所のメンバーと情報交換と議論を重ね、また新浜町内会の方と一緒に活動するなど、さまざまなことに取り組んできました。今年の6月からは新たに「貞山運河倶楽部」として活動を始めました。「倶楽部」という名前だったら誰でも気軽に参加しやすくなるでしょうし、貞山運河に興味のある人や他の団体とも連携しながら、貞山運河の認知度を上げていきたいと考えています。

 貞山運河は、歴史的土木遺産であり、震災遺構です。国内外を問わず「貞山運河を見てみたい」と言ってもらえるような場所にしていきたいです。川俣さんは世界中にファンがいますから、ここに作品があると、人がたくさん集まってくれるのではないかと期待します。もちろん、アイデアはほかにもいろいろあります。伊達政宗も活用したという舟運による物流を改めて見直したいですし、海岸堤防についても、今後は活用も考えたいですね。海岸堤防にあがると、天気の良い日は牡鹿半島から蔵王連峰までずっと見渡すことができてとても気持ちがいいんです。堤防まで木道をつくればみんなに見てもらえますし、またスケートボードで遊べるようにすることもできるのではないかと考えています。そして浜では花火やビーチバレー大会、コンサートなど、楽しいことを企画すれば、人がたくさん集まる場所になっていくと思います。

 今年からは、貞山運河倶楽部の活動とは別に、「みんなの家」の隣の土地を仲間5人で借りて、「となりの畑」と呼んで活動しています。今はまだ畑仕事が中心ですが、みんなで集まって楽しめる場所にしたいと今からいろいろと考えています。

貞山運河研究所と新浜町内会で制作した「貞山運河往来絵図」と「貞山運河通信」
「となりの畑」。上原さん手づくりの看板が目印。
「となりの畑」に設置された「みんなの船」。

髙橋史弥さん(東北大学大学院工学研究科 都市・建築学専攻 修士課程1年)

 このプロジェクトに参加して2年目になりますが、建築の分野にいる私にとっても、アートから学ぶことは多いです。東日本大震災の被災地域で活動する今回のプロジェクトは、ある意味川俣さんにとっても特別なものではないかと思います。そのなかで、川俣さんは「僕らはよそ者だ。外から来て新しい新浜をつくるんだ」といったことを言っていました。復旧・復興というと以前の暮らしの状態に「戻す」ことをまず発想・計画しがちですが、川俣さんは「つくる」と言われたんですね。もちろん、忘れないこと、悲劇を繰り返さないことは大切ですが、それだけでは前に進まないということを川俣さんと作業を共にするなかで、私自身も強く意識するようになりました。こういった視点は、東北で建築を学ぶ学生として震災にどのように関われるかと悩んでいた僕にとって、大きな道筋となったと感じています。

 また、ただ作品を作って美術館に展示するのではなくて、長い時間をかけて、人を巻き込みながらプロジェクトを動かす、といったスタイルもアートになるということも僕にとっては大きな気づきでした。川俣さんの新浜のプロジェクトでは、フランスや韓国、そして日本各地から集まったスタッフで作業を行います。言葉も背景も違う人と作業を共にすることに最初はとても緊張しましたが、いざ始まってみるとコミュニケーションがとてもスムースで驚きました。各々が自分で考えて、役回りをうまく分担しながら作業を進めていく、そんな自由な雰囲気があってとても楽しかったです。また、地域の方も畑で採れた野菜を差し入れてくださるなど、本当に親切にしてくださいました。川俣さんの作品でありながら、いろんな人の思いや手が入っているのが、すごく面白いですね。

 プロジェクトを通じて、たくさんの出会いで世界が広がりましたし、いずれ、社会にアートがもっと必要になってくるのではないかとも考えるようになりました。社会に出た後もこの経験を活かしていきたいですし、何らかのかたちで川俣さんのプロジェクト、そして仙台に関わり続けていきたいと思っています。

川俣さんやプロジェクトのスタッフとともに木道制作作業に励む。
元・ボート部の経験を活かして「みんなの船」の船頭としても大活躍。
食事も大切なコミュニケーション。
(写真提供:髙橋史弥)

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「みんなの橋プロジェクト」を語る

 今年の滞在の最終日にあたる2019年7月28日(日)には、せんだいメディアテークで活動報告と参加者との意見交換を行いました。貞山運河全体を見渡した船溜まりの整備や、かさ上げ道路と海岸堤防の高さを超えて、海と町を両方見渡せる物見台など、大胆なアイデアが飛び出したミーティング。ここでは、会場や同日行われたインタビューでの川俣さんの言葉をご紹介します。

滞在制作を振り返って

 ただ交流するだけではなくて、とにかく「モノ」をつくろうと考えて活動してきましたが、船、木道、とつくる度に達成感がありました。今年つくった木道は、対岸でものをつくっていくための第一歩として、まず「風景のなかに一本の線をひいた」というイメージです。実際に歩いた方の反応も良くて、「歩いてみて気持ちがよかった」「続けてほしい」といった声が聞かれました。今回は、「八大龍王碑」まででしたが、なんとかもう一つの「愛林碑」まで木道をつくりたいです。こういった一つひとつの活動は、いわば「点」を置いていく作業です。この先2年間くらいは、ゲストなども招きながらこのような活動を続けていきたいと思っています。

 新浜町内会のみなさんにとって、最初の1、2年は、僕やスタッフたちは「よそ者」だったかもしれませんが、特にこの1年は、僕自身のこと、またアートについてもいろいろと勉強してくださっていて、プロジェクトについてもそれぞれ主体的に考え始めてくれている、そういった感触があります。それはとても大きなことですね。

貞山運河の可能性

 最初は、新浜、荒浜、井土浜といった区切りでとらえていましたが、そうではなくて、沿岸部は貞山運河が中心にあって、それぞれの地域がつながっているのだと考えるようになりました。ただ、地域によってアクティビティや条件は異なります。例えば、今回あらためて訪れた荒浜は、行政による整備が進んでいる一方、個人でオルタナティブに活動している人たちもいることに興味をもちました。これは新浜がコミュニティで動いているのと対照的です。荒浜では、地域の動きと一定の距離感を持ちながら、僕たちも勝手にどんどんやってみたら共振が生まれるのではないかという期待もあります。

写真:渡邊博一

 貞山運河はやっぱりきれいだし、歴史遺産でもあるし、使わない手はないです。震災ということはあるけれども、活用することでまた町と海がつながっていく。船で行き来するとか、活用する人がもっと増えてくれば、船溜まりを整備しようとか、行政レベルの大きな動きも出てくるのではないかと思います。そういった意味では、地域のみなさんが取り組んでいる「渡し舟とフットパス」などの活動は重要ですね。

川俣さんの考える「アート」

 アーティストとして、期待されているものをつくるのではなくて、「こんなものがアート?」というものをつくり続けていくのがアーティストではないかと考えています。そうでないと、逆に「アート」を規定してしまうことになる。特に僕の場合は、「使えるもの」をつくっているからアーティスティックには見えないかもしれないけれど、つくっているのは大工さんではなくてアーティストだし、つくり方も仕上げ方も違う。そこが大切なのだと思います。

 僕のプロジェクトは、ある種のインフラづくりだと思っているので、地域のみなさんに使ってもらうことでどんどん違うものに変化していきます。ですから、プロジェクトにしても「終わり」についてはあまり考えていません。僕がつくって、その後みんなが使いこなしていく、そんな感じになってくれればいいなと考えています。

作品紹介

©Tadashi Kawamata

 「やることさえ決まればできるんですよ」と語る川俣さん。最近手がけた大規模な作品をひとつご紹介します。

le Belvédére de l’Hermitage
(フランス、ナント/2019年)

構想から4年間をかけ、今年7月に完成したばかりの最新作。ロワール川を臨む地上20メートルほどの高さの崖から、空に飛び出したような「見晴らし台」。川俣さんのプランをナント市職員で構成された専門家らが忠実に制作しました。

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