連載・コラム

せんだい3.11メモリアル交流館
Sendai 3/11Memorial Community Center

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.25掲載記事(2016年12月15日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

 2016年2月、仙台市地下鉄東西線荒井駅舎内に全館オープンした「せんだい3.11メモリアル交流館」(1階部分は2015年12月にプレオープン)。2016年4月から、仙台市市民文化事業団が運営を行っています。

 メモリアル交流館は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の記憶と経験、そして津波の被害を受けた仙台市東部沿岸地域の郷土史や生活文化を、展示やイベントを通して伝えていく施設です。それだけにとどまらず、震災をともに考え、語り合い、表現する場でもあり、また、「交流館」という名前が示している通り、人々が集い、交流をひろげる場となることを願ってさまざまな活動を展開しています。

 今回の特集では、メモリアル交流館の施設をご案内するとともに、開館以来の取り組みをご紹介します。

カラー写真(一部を除く)/渡邊博一

「せんだい3.11メモリアル交流館」について

1階 交流スペース

 メモリアル交流館は、地下鉄東西線荒井駅の改札を出て、右手に進んだ突き当たりにあります。ロゴマークが入ったドアを入ると、そこがメモリアル交流館の1階「交流スペース」です。

 メモリアル交流館がある荒井地区を含む仙台市東部沿岸地域は、東日本大震災の津波により大きな被害を受けました。1階では、その東部沿岸地域の地理や特徴などについて、立体地図やスライド、関連図書を通して紹介しています。また、このスペースを利用して、震災や地域について考えるイベントなどが開催されることもあります。

入口近くにはメダカが泳ぐ水槽が置かれています。このメダカたちは、震災前に若林区井土地区で宮城教育大学が研究目的で採集していたために助かりました。現在、メダカを繁殖させ、ふるさとに帰すことを目的に八木山動物公園が中心となって里親を募集しており、メモリアル交流館も里親として飼育に参加しています。

 駅の中にあるということもあって、この施設を目的に来館する方だけでなく、地下鉄やバスを待つ方や、同じ建物内にある保育園の子どもたちが立ち寄るなど、さまざまな人が行き交う場となっています。

目を引くのが、壁一面に掲げられた立体地図です。仙台平野の地形と東日本大震災における津波浸水域を表したもので、地理的な関係や距離などが分かります。
東日本大震災についての図書、冊子などが自由に閲覧できるコーナー。仙台市東部沿岸地域に関する資料もあります。

2階 展示室

 階段を上がった2階は展示室になっています。

 常設展と企画展の2つの展示スペースがあり、常設展では東日本大震災の被害の状況と、その後の復旧・復興の歩みを紹介しています。

展示室の前の廊下には、仙台市在住のイラストレーター・佐藤ジュンコさんが描いた「仙台沿岸イラストマップ」が掲示されています。その場所にまつわる思い出を付せんに書き込んで貼ることができるようになっています。
常設展示室に置かれた、津波被害を受けた若林区荒浜地区の震災前の様子を表した復元模型。海と家々、田んぼ、松林などが再現され、住民の皆さんによる思い出も書き込まれています。かつての町並みや人々の暮らしをイメージしてもらう手がかりともなっています。
東日本大震災における被災の様子、その後の復旧・復興を写真やデータで伝えている常設展。被災した方々の証言も織り込まれています。

 一方、奥の企画展スペースでは、津波被害を受けた東部沿岸地域の震災前の暮らし、地元に根付いている生活文化などをテーマに据えた展示を展開しています。今後は、仙台市市民文化事業団が担う“文化芸術”の視点を通して震災を考える展示なども行っていく予定です。

常設展の奥にある企画展。撮影時は「沿岸部の空想マップ-新たな魅力づくり 現在進行中-」を開催中(2017年1月9日まで)。国の防災集団移転促進事業により仙台市が買い取った土地(集団移転跡地)の利活用について、市が広く募集したアイディアを紹介するとともに、そのアイディアをもとにアーティストの江種鹿乃子(えぐさかのこ)さんが描いた『空想のまち』を展示しています。

屋上庭園

 屋上は開放的な庭園となっています。東西南北を見渡すことができるこのスペースにはベンチも配置され、お天気の良い日はひと休みに最適な場所です。2016年の夏は花壇のラベンダーがきれいな花を咲かせ、来館者の目を楽しませていました。

屋上庭園からは、開発が進む荒井駅周辺、遠くは市街地を望むことができます。

 また、秋には夜間開放して集まった人たちでお月見を楽しむなど、多彩な交流イベントが行われています。

10月13日(九月十三夜)の夜、屋上で開催されたお月見の様子。(提供:メモリアル交流館)

「せんだい3.11メモリアル交流館」のご案内

〒984-0032 仙台市若林区荒井字沓形85-4
仙台市地下鉄東西線荒井駅舎内
TEL 022-390-9022
Eメール office@sendai311-memorial.jp
入館料/無料
開館時間/10:00~17:00
休館日/毎週月曜日(祝・休日の場合はその翌日)、
祝・休日の翌日(土・日・祝・休日を除く)、
年末年始(12月29日~1月4日)、臨時休館日
【アクセス】
仙台駅から 地下鉄東西線荒井駅行きで13分
※車でお越しの方は、荒井駅前第2駐車場(有料)をご利用ください。
※バイク・自転車でお越しの方は、荒井駅駐輪場(有料)をご利用ください。

ホームページ https://sendai311-memorial.jp/
フェイスブックページ https://www.facebook.com/sendai311memorial/


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「せんだい3.11メモリアル交流館」の取り組み

 メモリアル交流館は2016年2月の全館開館以来、さまざまな事業を実施してきました。

 それらの大きな柱は「展示(常設展・企画展)」と「交流事業」です。そのなかではどのようなことを行っているのか、そしてそこにはどのような思いがあるのか、現場の職員がお伝えします。

 また、メモリアル交流館の取り組みにはそれぞれの分野で活躍する多くの方々が関わってくださっています。メモリアル交流館に欠かせない存在である皆さんの声をご紹介します。

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「伝える」~常設展・企画展

震災復興の過程の中で|田澤 紘子(せんだい3.11メモリアル交流館)

 せんだい3.11メモリアル交流館には、大きく分けて二つの目的があります。一つは、仙台市初の震災メモリアル施設として、東日本大震災の経験や記憶を後世に伝えること。そしてもう一つは、仙台東部エリアの豊かな地域資源を積極的に発信し、それらを踏まえた上で地域再生への力を形成していく場として機能することです。2階の展示室内の「常設展」と「企画展」では、こうした目的を踏まえた展示を行っています。

 メモリアル交流館は2015年12月の地下鉄東西線の開業に合わせてプレオープンし、2016年2月に全館開館しました。その後、私は4月からこちらに勤務することになりました。そして、さまざまな方たちが来館してくださっている様子を目の当たりにしてきました。

 例えば、同じ「仙台市民」でも、東部エリアにお住まいだった方と、泉区にお住まいだった方では、震災当時の状況は「一緒」とは言い難い面があります。ただ、当時の大変な混乱の中でお互いの状況を知ることが許されなかったこともあり、常設展において時系列で掲示してある「その時の仙台の様子」をじっくりご覧いただくにつれ、「自分とは違う大変さがあったんだ」ということで改めて当時を振り返る機会になっていただいているように思います。

 また、遠方から来館された方々は震災後の光景しかご覧になっていない場合がほとんどです。そういった方々には、展示をとおして震災で被害を受けた地域の困難さだけではなく、地域固有の歴史や生活文化についても伝えるようにしています。「目の前に広がるのは被災地ではなく、暮らしがあった場所なのだ」と認識していただくだけで、今後の復興や地域を見つめる眼差しも変わっていくように思っています。

 メモリアル交流館にいると、まさに震災復興の過程を肌で感じる場面が多々あります。所在地である荒井駅のまわりには新しい建物が次々と建ち、来館される皆様が語られることもさまざまです。メモリアル交流館のスタッフとして、「震災からの時間の中で、今ここで起きていること・感じていること」をしっかりと受け止め、展示やプログラムをとおして伝えていきたいと思っています。

メモリアル交流館とわたし
舞台美術家 大沢 佐智子さん

演劇・オペラ・バレエ・ミュージカルなどの舞台美術(おもに装置)のデザインを手がけている大沢佐智子さん。震災後、アートを通じて復興に寄与することを目指し宮城の演劇関係者が中心となって立ち上げた「Art Revival Connection TOHOKU(通称:アルクト)」への参加をきっかけに、継続的に仙台へ足を運んできました。メモリアル交流館では、企画展「夏の手ざわり 秋の音」(2016年7月~10月に開催)の展示空間デザインを大沢さんに依頼。震災という大きな出来事を「知りたい」「伝えたい」と思い続けてきた大沢さんは、今回の展示空間をどのようにつくりあげたのでしょうか。

 今回の展示で具体的に再現するのは、仙台東部エリアの住民の皆さんが話してくださった「かつての暮らし」や「まちの思い出」といった「物語」でした。メモリアル交流館の皆さんとは、展示では、その言葉で綴られた「物語」を本を読むのとも違う、空間にしっかりと溶け込んだ形で展開できるといいな、とか、「物語」をリアルな体験として持ち帰れる、身体性を伴った展示空間が欲しいね、という話になりました。また、東部エリアの生活に密接した「いぐね」(風雪から屋敷を守るため、また食料・建材・燃料として利用するために植えられた屋敷林。仙台平野の水田地帯に浮島のように見える。)を知り、今回の展示はこの「いぐね」をモチーフに展開したらおもしろそうだなと考えました。

 実際の展示では、「いぐね」に囲まれた展示台の上に、住民の皆さんの「物語」が点在する「緑の浮島展示空間」をつくりました。導入部分でも、どこかのお宅の「いぐね」の脇を通り、ちょっと中を覗き込むような仕掛けをして。住民の皆さんのひとつひとつの「物語」には、手にとって触れていただける、飛び出す絵本のような小さな空間を再現しました。その作業は、「物語」を第三者(舞台の場合は観客)に伝えるための空間づくりという点で、舞台のそれに似ていました。聞書きされた言葉を平面から立体(飛び出す絵本風)に立ち上げることで、そこに小さな空間が生まれ、空気が流れます。展示に足を運んでくださった方に、もしその空気感を体感していただけたのなら嬉しい限りです。

 初めてメモリアル交流館を訪ねたとき、職員の方から、ここは「沿岸部の経験・記憶を後世に伝えていく」「かつての現場がもっていた魅力を伝えていく・届けていく」場として動き始めます、という話をうかがいました。その話は今の私にとても響いています。古来、演劇が持ち合わせている役割のひとつがまさにこの行為と重なりますので。舞台芸術に関わる者として、自分のスキルや経験が役に立つ機会があれば、今後もメモリアル交流館に積極的に関わらせていただきたいと思っています。

メモリアル交流館とわたし
アーティスト 江種 鹿乃子(えぐさかのこ)さん

2016年11月8日から2017年1月9日まで開催している企画展「沿岸部の空想マップー新たな魅力づくり現在進行中-」で、仙台市が公募した集団移転跡地利活用のアイディアをもとに横4メートルを超える作品『空想のまち』を描いた江種鹿乃子さん。仙台市内でイラストレーション、グラフィック制作の仕事をしています。今回の作品制作では、まず交流館の職員と沿岸部を見て回ったうえで、市民が応募したアイディアの結果を分類して求められている施設・活動を把握し、そこに沿岸部の住民の皆さんからの昔の暮らしに関するヒアリング内容を重ね、具体的に描く内容を考えていったそうです。

 沿岸部の皆さんのヒアリングを読むと、「松林が誇り」といった表現が多く見られます。それは過去の生活の中では風や砂を防ぐだけではなく、葉は大切な燃料となり、その下に生える茸(きのこ)を楽しみに暮らしてきたという、松林との「関わり」の多さがポジティブなイメージに繋がっているのだと思います。『空想のまち』の制作にあたり、この地域の未来図の中に、人々と地域の新しく多様な関わりをつくり、誇れるイメージにつなげていくにはどうしたらいいのだろうと考えました。

 この『空想のまち』の登場人物は全員動物です。ユーモラスな動作や表情が足を止めて見ていただくきっかけになればとの思いからです。私が描いたのはフィクションで、いわゆる「未来のまち」です。これまで未来に関する絵というと、科学技術の進歩により人間の生活がより便利になっていくさまが描かれることが多かったですが、震災を経て、私たちが未来へ望むものやその価値観も少し変わってきたように思います。その一つとして、地域に伝わる人々の暮らしや文化の継承、新旧が混在・調和した奥深い魅力の創出があると思います。そこで『空想のまち』では、過去の生活に関するヒアリングデータから特徴的な地域の生活を描いたり、吹き出しで動物にしゃべってもらい紹介するようにしました。その他にもアイディアとヒアリングデータから、皆さんの意識が農やエネルギー、文化やアート、遊びの創造といった「生産」に向いているように感じました。そこから、生産と消費の場が近く、手に負えるスケール感の中で、工夫したり協力し合ったりできるという未来の姿が見えてきました。

 最初、この施設はあくまでも「交流館」と言われたときはあまりピンときていなかったかもしれません。作品の制作を進める中で、今何が必要なのかと考えたとき、その地域を離れなくてはならない住民にとって一番大切なものを代わって残そう、伝えようとするこの場所は一つの拠り所なんだと思うようになりました。私の表現を通してメモリアル交流館の思いがより多くの方々に伝わり、住民の方には、どこかにふるさとのようなものを作品から感じ取ってもらえたなら本当に嬉しいです。

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「かかわる、ひろげる」~地域資源を生かした交流事業

楽しみつつ、伝えていく|田澤 紘子(せんだい3.11メモリアル交流館)

 メモリアル交流館では、2016年の7月から10月にかけて、企画展・せんだい3.11メモリアル交流館を囲む風土展「夏の手ざわり 秋の音」を開催しました。

 東日本大震災の津波被害により、仙台東部エリアは甚大な被害を受けました。そこに住んでいた方々のお話に耳を傾けるうちに分かってきたのは、暮らしていた場所の唯一無二の地域資源の存在でした。そうした、「暮らしてきたからこそ紡ぐことができた生活文化」を住民の言葉をもとに記録したのが「RE:プロジェクト」(2011~2015年度実施)の取り組みです。今回の展示では、その「RE:プロジェクト」を含めこれまでの取材で語られた言葉を再構成し、改めて仙台東部エリアに刻まれてきた暮らしの姿を共有する場を設けました。

 この企画展の関連プログラムとして、地域の皆さんと一緒に体を動かしながら、地域に刻まれてきた暮らしの知恵と技を学ぶためのさまざまなイベントも用意しました。

 「食べられる生き物を探しに行くツアー」では、地元の方々から「昔は貴重なタンパク源だった」と聞いたザリガニ、ドジョウ、イナゴを自分たちで作った道具を使って捕まえました。参加した子どもたちは夢中になって生き物を捕まえるだけでなく、「ザリガニって本当に食べられるの?」「どうやって?」と、昔の子どもたちが当たり前にしていたことにも興味津々でした。

食べられる生き物を探しに行くツアー

 また、「盆ござ編み講座」では、お盆に飾る盆棚に敷く「盆ござ」をマコモ(イネ科)を使って編む方法を地元の女性たちに教えていただきました。マコモは、かつては至るところに生息していたそうですが、震災の復旧工事が進むにつれ、用水路がどんどんコンクリート化され、マコモの採取そのものが難しくなっていることに気づきました。

盆ござ編み講座

 夜間に特別開館して実施したお月見「まめげっつぁん(豆名月/八月十五夜)」「いもげっつぁん(芋名月/九月十三夜)」では、「まめげっつぁん」「いもげっつぁん」という呼び方を「初めて聞いた」という声から「懐かしいわぁ」という声までさまざまで、生活文化を題材に世代や地域を越えて交流する機会をつくることができました。

10月に実施した「いもげっつぁん」(お月見)

 こうしたイベントをとおして仙台東部エリアならではの生活文化を共有していくことは、その固有性を楽しみつつ、地域のことを含めて「伝承」していくことにもつながるのではないかと可能性を感じています。体験を通して自らが「伝承者」としての入り口に立つことで、「失われたこと」「これから失われるかもしれないこと」の大きさにもはっとする瞬間があるはずです。大震災をきっかけに捉え直すべき地域資源をもっと可視化し、震災を経験したまちで生きる私たちのこれからの暮らしを考えるきっかけにしていきたいと考えています。

東部エリアを取材したフリーペーパー『RE:プロジェクト通信』
「RE:プロジェクト」記録展

メモリアル交流館とわたし
三本塚町内会会長 小野 吉信さん

東日本大震災の津波被害を受けた若林区三本塚地区は、震災前は稲作農家中心の104軒の集落でした。震災から6年近く経ち、約7割の住民が戻って生活しています。企画展「夏の手ざわり 秋の音」の関連イベントとして行った「盆ござ編み」では、三本塚地区の皆さんが講師となって編み方を教え、また、ずんだもちづくりでは地区のお母さんたちが腕をふるうなど、町内会ぐるみでのご協力をいただきました。

 三本塚に限りませんが、昔からの農村地帯では農作業も冠婚葬祭も何でも共同でやるなど、助け合いの精神がありました。灯篭流しや盆踊りなどの行事も、上の世代の人たちが子どもに教えることを繰り返してやってきました。だから、どこの子どもの顔も分かったしね。そのような繋がりや、昔の生活の良さを、震災から立ち直るきっかけとしてメモリアル交流館でどんどん取り上げてもらって、以前三本塚に住んでいた皆さんにも思い出してもらい、ここに戻ってきて生活できるような環境になればいいと思います。

 三本塚からだと荒井駅までのアクセスがあまり良くないのが難点。もっと身近になれば、メモリアル交流館といろいろなことを一緒にできると思います。あと、メモリアル交流館には休むところがないから、カフェなんかがあるといい。いろんな地区が持ち回りでお漬物とかおにぎり、旬のものを出したりすれば、あそこに行けば地元ならではのものが食べられるというふうになるでしょう。そうすれば農家の人が出荷してスタッフにもなれる。展示でも昔の道具なんかを並べたり、イベントも仕掛けて多くの人が“行くきっかけ”を作ってあげるといいなと思います。

盆ござ編み講座では三本塚の皆さんが講師を務めました。

メモリアル交流館とわたし
荒浜再生を願う会 貴田(きだ) 喜一さん

「荒浜再生を願う会」は、津波被害を受けた若林区荒浜地区で受け継がれてきた“自然と向き合った豊かな暮らし”を、ふるさと荒浜の地で次代につなぐことを目標として活動しています。2016年9月と10月にメモリアル交流館の屋上で開催した「まめげっつぁん」「いもげっつぁん」のお月見では、会の皆さんに、事前準備から当日の実施まで一連のご協力をいただきました。

 私たちのふるさと「荒浜」地域は、震災後に居住ができなくなりましたが、ここの集落のコミュニティの絆はものすごく強いんです。それが全部バラバラにされると困るということで、「荒浜再生を願う会」の活動が始まりました。

 メモリアル交流館で開催した「まめげっつぁん」「いもげっつぁん」は、地元ではその呼び名も含めて当たり前のことですが、職員の田澤さんが関心をもってくれてイベントにすることができました。また、メモリアル交流館を会場にして荒浜の地域資源や今後について考える「荒浜アカデミア」という勉強会をやったこともあります。

 地下鉄東西線開業のときは絶対乗ってやらないと思ったけど、その後の忘年会シーズンに東西線を使ってみたら便利だね(笑)。メモリアル交流館も利便性がいいから、あそこから荒浜までの人の流れができるといい。大事なものはこの荒浜の地で守っていきつつ、また、メモリアル交流館でも何かやっていけるといいなと思っています。

10月に開催した「いもげっつぁん」では、「荒浜再生を願う会」の皆さんに地元ならではのお供え物の準備や、おふるまいのご協力をいただきました。

メモリアル交流館とわたし
六・七郷堀サポーターズ 早坂 博さん

若林区を流れる六郷堀・七郷堀の歴史や環境・景観、暮らしとの関わりなどを調べ、堀の役割・魅力を広く伝える活動をしている「六・七郷堀サポーターズ」。企画展「夏の手ざわり 秋の音」の関連イベントとして実施した「食べられる生き物を探しに行くツアー」(8月はザリガニ・9月はドジョウ・10月はイナゴ)では、事前の準備からご協力をいただきました。

 メモリアル交流館では地域に根差した事業をするということで、以前からご縁のあった職員の田澤さんから「どんなことをしたらいいか」と相談されたときに、「昔はこのへんでドジョウとかザリガニを食べたから、今の人たちにそれを教えるのはおもしろいんじゃないか」と言ったのがきっかけで、このイベントをすることになりました。

 実際やってみたら、ちゃんと生き物が捕まえられるのかプレッシャーでした(笑)。3ヵ月にわたってザリガニ、ドジョウ、イナゴを取り上げましたが、ドジョウのときは事前に何回かドウ(ドジョウを獲る道具)を仕掛けて、時間帯やドウの大きさを工夫するなど試行錯誤を繰り返しました。

 あと、「食べられる生き物」だから、食べないと意味がない。獲ったやつをその場で調理して食べるのが一番いいのですが、ドジョウは泥を吐かせないといけないので、事前に獲ったものを母に唐揚げにしてもらって参加者みんなで食べました。子どもたちはキャーキャー言いながらも食べていましたよ。

 自分は堀のあるところで育ちましたが、今の子どもたちにも、魚を獲ったり遊んだりする空間があるといいなと思います。そんな願いもあり、メモリアル交流館とは堀に関わる企画や、今回の「食べられる生き物を探しに行くツアー」を形を変えて継続するなどしていきたいですね。

「食べられる生き物を探しに行くツアー」の様子

メモリアル交流館とわたし
七郷語り継ぎボランティア「未来へ―郷浜(さとはま)」の皆さん

震災前に七郷地区に住んでいた方々が集まり、2015年12月に設立されたボランティア会。メンバーは10人。毎月数回、依頼のあった団体に震災の記憶を語り継ぐ活動を行っています。メモリアル交流館でも「地域の方の話を聞きたい」という要望があった際に「未来へ―郷浜」のメンバーの方に依頼し、震災当時の話をしていただいています。

 現在、メモリアル交流館とその他の場所(おもに荒浜)での活動は半々ぐらいです。「荒浜」というと来る方も緊張してしまうようですが、メモリアル交流館ができたおかげで、お互いに身構えずに話をすることができるし、私たちの活動の場が広がりました。

 メモリアル交流館では、写真や地図があるから土地勘のない人にも説明がしやすいです。県外の方などは、荒浜の更地の現場に行っても震災や津波の実感はあまりないと思うのですが、メモリアル交流館にある復元模型を見ながら話をすると伝わりやすいし、説得力があると思います。

 メモリアル交流館は、私たちボランティアが常に気軽に行けるような雰囲気になるともっといいなと思います。ボランティア専用駐車場とか、腰かけてほっとできるお茶スペースなんかがあればいいですよね。

荒浜の復元模型

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「かかわる、ひろげる」~芸術(アート)の手法を生かした交流事業

「からだ」から、かえりみる|飯川 晃(せんだい3.11メモリアル交流館)

 今、私たち「せんだい3.11メモリアル交流館」は、被災した仙台東部エリアにある仙台市の施設として、地域の方々と、外からいらっしゃる方々と交流しながら、「芸術」という道具を手に取って、これからの暮らしを一緒に考えたいと思っています。

 芸術というのは、日々の生活を便利にしてくれる道具ではありません。そして、何か差し迫った問題を解決してくれるものでもありません。答えの無いものです。では何ができるのか。それは「問い」を立てることです。力のある芸術は、優れた問いを立てるものです。

 たとえば現代演劇のルーツの一つは古代ギリシアの市民劇と言われますが、全住民が参加し、全員の共通認識としての社会課題に、各々が向き合うための政治的装置でした。ヨーロッパでは、地域によって程度の違いはあるようですが、現在も演劇が社会課題を考えるためのツールとして機能しているそうです。

 アインシュタインは「問い」が大切だと言いました。翻って現代の日本では、課題を解決するための「答え」がとても重要視されています。そうした商品やサービスが身の周りにあふれています。しかし、東日本大震災があって、その便利な生活は一旦ストップしました。その時、我々が瞬間的に頼りにしたのは自らの力と、身近にいる人の力、そして昔から受け継がれてきた生活の知恵や技術、すなわち生活文化でした。

 2017年2月から始まる企画展では、特に舞台芸術で作品をつくる手法を用います。まずはワークショップを行い、それをもとに作品を制作し、展示で発表する予定です。そこで今回は、その作業の心強いパートナーとして演出家・ダンサーの西海石(さいかいし)みかささんをお招きすることができました。

舞台やダンスの作品をつくる上で実際に行われていることを応用した「コミュニケーションワークショップ」の様子。

 西海石さんは「からだ」の視点から、震災直後より現在まで、障がいを持つ人や子どもといった、社会的立場の弱い人と向き合う活動をして来られました。また、アフリカや中米などでの生活経験も豊かで、そこで培われた知見と経験が、様々なレベルの違いを乗り越えて交流しようとする我々の試みに、必要な推進力を与えてくれると確信しています。

 まだ、どのような作品がつくられるかは実は白紙です。ですが、たとえ言葉が通じない赤ん坊や海外の人でも、老若男女を問わず誰もが関りを持てる「からだ」を通して、震災で大きな被害を受けたこの土地の「これまで」にまなざしを向け、「これから」を問う作品を一緒につくります。

メモリアル交流館とわたし
ダンサー・演出家 西海石(さいかいし) みかささん

教員時代に障がい者の自発的な動きを引き出すダンスワークショップを体験し、以来ダンスを通して言葉を超えた創作活動の可能性を模索してきた西海石みかささん。2008年、年齢や障がいの有無を問わず、多様な人が芸術に触れ、交流することを目的としたワークショップ・舞台公演を行う団体「すんぷちょ」(2014年にNPO法人化)を設立(現在は代表を退任し、フリー)。震災後は、「災害時に障がい者、高齢者、子ども(親子)などが孤立しない安心できる地域のつながりを芸術を用いて作り出す」ことを目指し活動してきました。

 震災後、何かお役に立てることがあればと思っていろいろなところでダンスのワークショップなどを行ってきましたが、今回、メモリアル交流館から声をかけていただき、言葉は変かもしれませんが「光栄です」と思いました。

 私自身は行ったり来たりする「モバイル」だけど、このメモリアル交流館はずっとここにあるわけです。今回、ワークショップや作品づくりに参加してくださる地域の方が、ここの建物が安全で、自分を受け入れてくれる場所なんだという感覚を持ってもらえるようにしたいと思っています。そして何かあったとき、「メモリアル交流館の人に聞いてみよう」とか「あそこの人が分かってくれる」と思ってもらえるようになればいいですよね。

 ここ(メモリアル交流館)が安全で安心できる場所だと思っていただいた先に、じわじわと交流が出てくればいいんじゃないかと。いい名前ですよね、「交流館」って。

西海石さんを進行役にして行われたコミュニケーションワークショップ。演劇やダンスの作品をつくる上で実際に行われている作業を応用したもので、初めての方同士でもすぐに仲良くなれるゲームや、誰かの動きを真似するゲームなどが織り込まれています。

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メモリアル交流館で思うこと、考えること

八巻 寿文(せんだい3.11メモリアル交流館 館長)

 地下鉄東西線の西端にある八木山動物公園駅の「てっぺん広場」から、東端の荒井車両基地が見えます。ガーッとジェットコースターのように下りて、東部道路にドンとぶつかったところに荒井駅があり、駅の左側(北)は仙台平野の原風景であり象徴の田んぼ。右側(南)はこれから開発が進む近未来。その中間に「せんだい3.11メモリアル交流館」があるように見えて来ます。

 来館者や現地の方々と接する中で最近、感じることがあります。「復興」という言葉は、行政や組織が主に使っており、現地の方々は「再生」と語っているように思えます。この微妙な差異について考えることは、この施設の運営を任されるまでありませんでした。

 思うに、復興とは「震災発生」がスタートラインであり、そこからゴールを定めて計画を立てた工程表を時々刻々と進める事業です。時の流れは、時計の針のコチコチという、一定の刻みの連続です。

 一方、再生とは「震災以前」の暮らしや日常がスタートラインであり、ゴールは一定ではなく、時の流れは刻まれないで、朝焼けや夕暮れ、お月様の満ち欠け、風向きや雲の様子など、グラデーションのように変化しながら、移ろい流れているようです。「再生」の中に「復興」が含まれているのではないでしょうか。

 この辺りをよく観察すると、津波で見えなくなった草花や虫や鳥たちが戻って来ています。復興の土木工事には抵抗せず、土盛りでつぶされてもなお、田んぼや側溝などから自然の息吹を感じます。街なかでは感じ難い東部沿岸部のキーワードは「蘇生力」です。

 同様に心の蘇生も始まっているかもしれない。そうだとしたら、心を流れる時間を大切にしなければならないし、その根底で眠るように潜んでいるのは「感動」の原型かも知れません。

 信じられないような被災体験から6年近い月日が流れ、メモリアル交流館も開館から1年を迎えようとしています。館としての成熟はこれからですが、スタッフ一同、訪れる皆さんに心を重ねて対応してまいります。

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『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/