連載・コラム

2015年12月6日開業予定!
地下鉄東西線沿線の“物語”を訪ねて

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.20掲載記事(2015年9月15日発行)
※掲載情報は発行当時のものです。掲載施設の現在の状況については、各施設のウェブサイト等でご確認ください。

 いま、“まち歩き”が静かなブームを呼んでいます。その土地の歴史をたどったり、美しい風景や自然を訪ねたり、はたまた美味しいものを探したり・・・・・・。いろいろなテーマのもとにまちを巡って歩くのは楽しいものですよね。

 今回、本誌がご提案するのは、12月開業予定の地下鉄東西線沿線のまち歩き。それも、ちょっと抽象的かもしれませんが、“物語”を訪ねる散策です。東西線沿線には、何気ないけれど心が動かされる物語を湛えた場所がいくつもあります。そんな物語に触れながらいつもの風景を眺めてみると、何か新たな発見があるはず。その発見こそ、まち歩きの醍醐味ではないでしょうか? ということで、さっそくまちに出かけてみましょう!

地下鉄東西線
“物語”のあるスポット Pick up!!

青文字:地下鉄東西線の駅名 オレンジ文字:紹介している施設・スポット

最寄駅 大町西公園駅
仙台市立立町小学校 校歌資料室
詩人・土井晩翠作詞の校歌がつなぐ

 「荒城の月」で知られる仙台出身の詩人・土井晩翠は、生涯で200を超える学校の校歌を作詞したと言われています。その晩翠の母校でもある立町小学校では、2002年、晩翠が作詞した校歌に関する資料を収集しようと全国に呼びかけたところ、校歌の楽譜やカセットテープなど数多くの資料が寄せられました。それらの資料を展示公開しているのが、2003年に校舎内に設けられた「校歌資料室」です。

 「資料を寄贈してくださった方は、皆さん晩翠先生の歌詞に熱い思いを持っていらっしゃるんです」と話してくれたのは佐々木靖教頭先生。2年に1回、「土井晩翠先生が作詞した校歌をいっしょに歌いましょうの会」も開催され、昨年は仙台市内や東北地方はもとより、高知県から参加したグループもあったとのこと。晩翠作詞の校歌が結びつけた人々の縁を感じます。

 資料室は、土・日・祝日・学校行事による振替休日以外はどなたでも見学可能です。見学希望の際は、1階の職員室に声をかけてくださいね。

資料室のガラスケースには楽譜やカセットテープなどの資料が展示されています。

最寄駅 宮城野通駅
藤村広場
文豪・島崎藤村の“夜明けの地”

 仙台駅東口にある「藤村広場」は、『破戒』『夜明け前』などの名作で知られる作家・島崎藤村が、1896(明治29)年から翌年にかけての7か月あまりを過ごした下宿「三浦屋」の跡地です。当時、藤村は東北学院の教師を務めていました。

 実は仙台に来る前の藤村は、失恋や友人の自死などで傷心の日々を送っていました。そんな折に東京から仙台に移り、自然の美しさや人々のあたたかさに触れ、次第に心が癒されていきます。その心境の変化は、まるで「一生の夜明け」が来たようだったと自ら語っています。その“夜明け”によって藤村はこの地で多くの詩を書き、評価を得ていきました。

 その後藤村は上京し、作家として活躍することになりますが、藤村文学の出発点は仙台のまさにこの場所であったと言えるのではないでしょうか。

当時、下宿「三浦屋」には荒浜の海の音が聞こえてきたと言われています。
藤村広場には「日本近代詩発祥の地」の記念碑や、仙台城址から移設された詩碑が置かれています。

最寄駅 連坊駅
連坊小路
一高生・井上ひさし@“恋慕小路”

 江戸時代、この道の東にある陸奥国分寺の僧坊に因んで「連坊」と称されるようになったという連坊小路。もうひとつ、舟丁界隈にあった花街に通じる道であったことから「恋慕小路」と呼ばれたという説もあるとか。

 このあたりは仙台一高に学んだ作家、故・井上ひさしゆかりの地。小説『青葉繁れる』には当時の高校生の青春が描かれていますが、実際にもあったのです、井上青年の“恋慕”のエピソードが。憧れの相手は、東京から疎開して宮城二女高に通っていた若尾文子さん。日本を代表する大女優の、あの若尾さんです。

 「若尾さんは(中略)二女高の夜間部で、昼間は一高の裏門近くのミルクホールで働いておられました。このミルクホール、サッカー部の連中が占拠して、常に若尾さんのまわりをガードしていたので、1年生なんか顔も見られない。その年に若尾さんは女優として映画デビューされたんです。(中略)俺たちのアイドルが日本のアイドルになったと、若尾さんがスクリーンに映るたびに映画館で一高生の拍手が起こったものです」(※)と井上さんは語っています。

 ※仙台文学館『仙台、言葉の幸。せんだい現代文学案内』2008年

 一高生たちの“恋慕”の続きは映画館に舞台を移したようですが、この地には、のちの作家と女優の若き日の足跡が確かに刻まれています。

一高校庭での井上ひさし
(撮影:佐々木隆二)
現在の連坊小路。江戸時代は足軽の屋敷が建ち並び、「仙台八小路」のひとつに数えられました。

最寄駅 薬師堂駅
陸奥国分寺 薬師堂
歌枕のおもかげを宿す、文人ゆかりの寺

 奈良時代、聖武天皇の命によって日本各地に建立された国分寺のうち、最北に位置していたのが陸奥国分寺です。ここ「木ノ下」一帯は、平安時代から和歌に詠まれた「歌枕」でした。江戸時代、この地を訪れた松尾芭蕉は、紀行文『おくのほそ道』に、「日影も漏らぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。昔もかく露深ければこそ、『みさぶらひみかさ(※)』とは詠みたれ。薬師堂・天神の御社など拝みて、その日は暮れぬ」と記しています。

 ※みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(『古今和歌集』東歌)

 鬱蒼とした木々の枝から雨のように露が滴ってくる、という場面には今ではなかなか出合えませんが、薬師堂の緑陰に一歩入ってしばし過ごせば、どことなく時間が止まったような感覚になってくるから不思議です。これが古くから人々の詩心を刺激してきた場所のオーラでしょうか。その力が、人々を歌枕追体験の旅に誘うのかもしれませんね。

江戸時代初期に伊達政宗公が再建した薬師堂(国指定重要文化財)。毎月8日がご本尊・薬師如来のご縁日にちなみ境内では「お薬師さんの手づくり市」が開かれます。
境内の「準胝観音堂」の傍にある芭蕉の句碑「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」。

最寄駅 六丁の目駅
六丁の目太子堂
地域の歴史と人々の信仰を今につたえる

 六丁の目のコミュニティセンターの一角にある「六丁の目太子堂」。「ここには聖徳太子と弘法大師をおまつりしているんですよ。地域の人たちの守り神です」と、町内会長の加藤正敏さんが教えてくれました。

 「六丁の目は昔、水の質が悪い土地でした。あるとき弘法大師がこの近くに来て『水を飲ませてほしい』と言われましたが、その身なりがあまりにもみすぼらしかったので、人々はお水を差し上げなかった。すると弘法大師は現在のバイパスの辺りで、持っていた杖で地面を突いた。そうしたら水が湧き出し、弘法大師はその水を飲んだ、という伝説が残っています」と加藤さん。それ以来、六丁の目は水が豊かになり、人々は弘法大師をおまつりするようになったのだと言います。

 以前行われた発掘調査では平安時代の建物跡が発見されたそうで、この地には昔から脈々と営まれてきた暮らしがあったことがわかります。そのなかで人々は太子様やお大師様に祈りを捧げてきました。まちの様子は変わっても、人の心は昔も今もそんなに変わらないのではないか、ということに気づかされる地域の物語がそこにあります。

太子堂の外観。周囲には多くの石碑や塔が集められています。
お堂の内部には、「南無阿弥陀仏」の六文字が裏返しで刻まれた石碑も安置されています。

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“この人の物語”を訪ねる
~地下鉄東西線沿線人物誌~ 大町西公園駅編

 その世界で名をなした人のなかには、伝記や小説にもなるくらい魅力的な生涯を送った方々も多いですが、実は地下鉄東西線沿線にもいるのです、“物語のある生き方”をした人びとが!そのなかから、大町西公園界隈にゆかりのある2人の物語を訪ねてみます。

相馬 黒光(そうま こっこう)
実業家・随筆家

 1901(明治34)年にパン屋として開業した東京の「新宿中村屋」。“インドカリー”で知られるこの老舗を創業したのは、長野出身の相馬愛蔵と仙台出身の黒光夫妻です。

 芸術と文化を愛し、随筆も残した妻の黒光(1875~1955)は、西公園にほど近い「木町末無(きまちすえなし)」(現在の青葉区立町あたり)に生まれました。

 幼い頃から向上心が強く「アンビシャス・ガール」と呼ばれた黒光は、キリスト教の影響を受け、当時の女性としては珍しく、宮城女学校を経て横浜のフェリス女学校、東京の明治女学校に学びます。文学に傾倒しその道を志しますが、やがて挫折し、知人に紹介された相馬愛蔵と結婚。愛蔵の故郷である長野県の穂高に移り、農家の嫁となります。その嫁入り道具がオルガンと一枚の油絵だったといいますから驚きです。

左から3人目が黒光。左端ラス・ビハリ・ボース、左から4人目はインドの詩人タゴール。その右隣が相馬愛蔵。(写真提供:株式会社中村屋) 

 そんな黒光は農村生活に馴染めず、数年で愛蔵とともに上京、本郷にパン屋「中村屋」を創業します。商売経験ゼロながら2人は熱心に働き、1907(明治40)年には新宿に支店を開業。その店がやがて新宿中村屋の本店となっていくのです。

 黒光が才能を発揮したのは商売だけではありません。文化芸術への関心が深かった黒光は、若い芸術家たちを支援し、彫刻家の荻原碌山(おぎはらろくざん)、画家の中村彝(つね)らのグループは「中村屋サロン」と呼ばれました。また外国人活動家と交流をもち、日本に亡命したインドの独立運動家、ラス・ビハリ・ボースを自宅に匿ったりもしました。ボースはのちに愛蔵・黒光夫妻の長女と結婚し、中村屋にインドカリーを伝えることになるのです。

 黒光はそのドラマチックとしか言いようのない半生を回想録(『黙移(もくい)』『広瀬川の畔』など)に記しています。少女時代の思い出話には生家近くの西公園や広瀬川の風景もあざやかに描写され、明治初期の一帯の様子や人々の暮らしを垣間見ることができます。

 明治のはじめに「アンビシャス・ガール」をはぐくんだ景色を想像しながらまち歩きをしてみるのもおもしろそうです。

現在、黒光ゆかりの場所は残念ながら残っていません。唯一、「木町末無」の地名が町内会名として使われ、当時の名残りをとどめています。

東 勇作(あずま ゆうさく)
バレエダンサー

 2014年10月、西公園の一角に一体のブロンズ像が建てられました。「牧神の午後」を踊る、仙台出身のバレエダンサー・東勇作(1910~1971)の姿をうつしたものです。

 東勇作は1910(明治43)年、仙台市大町の大工の家に生まれ、立町小学校、旧制仙台二中に学びました。西公園周辺は、東が幼少期を過ごしたゆかりの地でもあります。

西公園に建つ「牧神の午後」の像(作:村田勝四郎)

 少年時代にバレエの舞台を見て魅了された東は、18歳の頃上京し、エリアナ・パブロワ(ロシア出身のバレリーナ。横浜・鎌倉でバレエスクールを開き、日本にバレエを根付かせた人物)に師事、ダンサーとして多くの舞台に出演します。

 1941(昭和16)年には「東勇作バレエ団」を設立し、公演を行うほか、振付や後進の指導にも力を入れました。門下からは、松尾明美、松山樹子、薄井憲二ら、著名なバレエダンサーが輩出しています。晩年には、日本におけるバレエの先駆者としての功績が評価され、日本バレエ協会名誉会員に推挙されたほか、没後に勲四等瑞宝章が贈られました。

 バレエが習い事として広く普及した現在とは異なり、当時の日本ではレッスンも舞台公演も手探りの状態でした。そのなかで東は、ピカソなど多くの芸術家に影響を与えたロシアの革新的なバレエ団「バレエ・リュス」に強い関心を抱き、海外から資料を取り寄せて作品を上演するなど、新しい試みにも挑戦していきました。

「牧神の午後」を踊る東勇作(東勇作同門会編『牧神―或いは東勇作―』より転載)。姪の東博子さんによれば、「牧神の午後」は東の十八番だったそうです。

 生前、バレエ生活40年を振り返った手記で、「仙台の大工の子供に生まれた私が、当時、日本でだれもやっていなかったバレエを始めたのも、考えてみれば不思議なめぐりあわせかもしれない」と語った東。バレエを志した頃、年の離れた一番上の兄に広瀬川の河原に連れ出され、何度も殴られてその決心を試されたという逸話も残っています。

 明治の終わり、仙台の大町に生まれ育った少年がバレエに出合い、その道を究めるまでには様々な物語があったことでしょう。西公園の牧神像は、そんな物語を静かに語っているかのようです。

取材協力/東博子氏


NEWS!!
「仙台フォトコンテスト2015~地下鉄東西線*沿線風景」作品募集中!!

 地下鉄東西線沿線の地域資源(場所・人・モノ・現象など)の魅力を捉えた写真作品を募集しています。寄せられた作品は審査の上、2016年2月にメディアテークにて展示を行います。
■応募締切/2015年12月13日(日)必着
■賞/金賞1点(賞金3万円)、銀賞1点(賞金2万円)、銅賞1点(賞金1万円)ほか
■審査員/飯沢耕太郎(写真評論家)、三上満良(宮城県美術館副館長)


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まだまだあります!
地下鉄東西線 沿線のおすすめスポット

最寄駅 八木山動物公園駅
仙台市八木山動物公園

 今年で開園50周年を迎える、仙台市民のレジャースポット代表格。この場所が印象的に登場するのが、仙台在住の作家・伊坂幸太郎さんの小説『アヒルと鴨のコインロッカー』(2003年、東京創元社刊)です。同作は映画にもなり(2007年公開)、実際にここでロケが行われました。小説・映画の舞台としての動物公園を訪ねてみるのも一興では?

〒982-0801 仙台市太白区八木山本町1-43
TEL 022-229-0631
開館時間/3月1日から10月31日まで 9:00~16:45
(入園は16:00まで)
11月1日から2月末日まで 9:00~16:00
(入園は15:00まで)
入館料(個人)/大人400円、小・中学生100円
休館日/毎週月曜日(祝・休日にあたる場合はその翌日)、年末年始

最寄駅 青葉山駅
東北大学総合学術博物館(理学部自然史標本館) 

 東北大学が所蔵する学術資料標本や発明品などの、いわば「大学のお宝」を保管・研究し、また一般に研究成果を公開するための機関です。理学部自然史標本館での常設展では、化石・岩石・鉱物・鉱石標本などが展示されています。

〒980-8578 仙台市青葉区荒巻字青葉6-3
TEL 022-795-6767
開館時間/10:00~16:00
入館料(個人)/大人150円、小・中学生80円
(どこでもパスポートが利用できます)
休館日/毎週月曜日(祝・休日にあたる場合はその翌日)、
年末年始、お盆期間中(その他臨時休館あり)

最寄駅 川内駅または国際センター駅
三太郎の小径(こみち)

 東北大学川内キャンパス(川内萩ホール付近)から仙台市博物館にかけての散歩道。夏目漱石の門下生であり東北帝国大学の教授を務めた哲学者・阿部次郎(1883~1959)の代表作『三太郎の日記』にちなんで名付けられました。忙しい日々のいろいろを忘れてリセットしたいときに訪れたい場所です。

最寄駅 青葉通一番町駅
晩翠草堂(ばんすいそうどう)

 詩人・土井晩翠(1871~1952)が晩年を過ごした旧居。室内には晩翠の詩集やゆかりの品が展示され、郷土ゆかりの文学者の生涯と業績をしのぶことができます。

〒980-0804 仙台市青葉区大町1-2-2
TEL 022-224-3548
開館時間/9:00~17:00
入館無料
休館日/毎週月曜日(祝・休日にあたる場合はその翌日)、年末年始

最寄駅 青葉通一番町駅
東北工業大学一番町ロビー

 東北工業大学が地域と一体となり文化・産業の発達および優れた人材の育成に努めるため開設した施設。企画展示や講演会、シンポジウム、公開講座など、市民が気軽に参加できる催しを定期的に開催しています。

〒980-0811 仙台市青葉区一番町1-3-1 TMビル
TEL 022-723-0538
開館時間/10:00~19:00(展示最終日は18:00まで)
休館日/毎週木曜日、その他臨時休館あり

最寄駅 宮城野通駅
新寺小路緑道

 藩政時代からの寺町だった新寺界隈。仙台の歴史と文化を伝えるこの地区の「新寺小路緑道」は、新寺二丁目蓮池公園と新寺五丁目公園を結ぶ640mの緑道です。毎月28日には「新寺こみち市」が開催され、東北の農海産物や食品、手づくりの雑貨など多彩なお店が並びます。

最寄駅 宮城野通駅
東北福祉大学 仙台駅東口キャンパス内ギャラリー

 東北福祉大学仙台駅東口キャンパスの1階に設けられたギャラリー。同大学の「芹沢銈介(せりざわけいすけ)美術工芸館」(青葉区国見1-8-1)が所蔵する、染色家・芹沢銈介(人間国宝)の作品の一部が展示されています。豊かな造形と鮮やかな色彩が印象的な芹沢作品。その世界に気軽に触れることができるスポットです。
(※今後、キャンパス内の工事により展示が変更になる場合があります。)

〒983-8511 仙台市宮城野区榴岡2-5-26
開館時間/9:00~17:00
入館無料
休館日/展示入れ替え日以外は無休

注記)最新情報は東北福祉大学国見キャンパス(TEL:022-717-3318)までお問合せください

最寄駅 卸町駅
せんだい演劇工房10-BOX、能-BOX

10-BOX
能-BOX

 演劇が盛んで「劇都」とも呼ばれる仙台を象徴する施設。全部で10の部屋があることから「10-BOX」と名付けられました。演劇の練習や作業のほか、公演にも利用されています。また、10-BOXの別館「能-BOX」は、倉庫の中に能舞台が移設された珍しい建物で、能楽をはじめとする伝統芸能の上演やお稽古などが開催されています。催しものは「劇都仙台」のホームページ(http://www.gekito.jp/)でチェックしてみてください!

せんだい演劇工房10-BOX
〒984-0015 仙台市若林区卸町2-12-9
能-BOX
〒984-0015 仙台市若林区卸町2-15-6
TEL 022-782-7510(10-BOX、能-BOX共通)

最寄駅 荒井駅
荒井駅舎内「沿岸部メモリアル拠点施設(仮称)」

 東西線開業後、東日本大震災の被害や復興の記録、地域の魅力等を紹介する展示のほか、震災の記憶を伝える方々の活動拠点としての機能などが段階的に整備されます。沿岸部地域を実際に探訪するプログラムの提供も実施予定。

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『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/