連載・コラム

仙台コレクション
-記録の記憶をたどる

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.13掲載記事(2013年12月13日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

仙台コレクション-記録の記憶をたどる

2000年から仙台の街を撮り続けてきた「仙台コレクション」の写真家たちが、自身の「この1枚」と、その現在の風景を撮影。身近な風景の変化をコレクションしてみました。

宮城野区榴岡5丁目

13年前、プロジェクトを始めるに至った1枚。今回同じ場所という確証がつかめず、近くの榴岡天満宮の神主さんに同行してもらった。街は新陳代謝を繰り返す運動体であり、変化は避けられない。2枚の写真の差異は、「今」はすでに「過去」でもあるという事実を突きつけられ圧倒される。

撮影者:伊藤トオル(いとう・とおる)
1963年多賀城市生まれ。1995年初の写真集「KUMANO」出版。1997年「写真新世紀展」にて優秀賞(森山大道選)、翌年年間特別賞受賞。2000年宮城県芸術選奨新人賞受賞。

若林区土樋

かつて暮らした河原町界隈。懐かしい気分でまんじゅう屋に向かうと、当時の姿のままと期待していた景色は小さな駐車場に変わっていた。私は「時の流れ」について思いを馳せ、12年前に何気ないこの風景にレンズを向けたことにほんの少し安堵した。

撮影者:小滝 誠(こたき・まこと)
1976年栃木県生まれ。大学の写真部でモノクロプリントの魅力に引き込まれ、写真業界に進む。卒業アルバム制作会社勤務。

青葉区水の森3丁目

擁壁を覆い尽くすように草木が繁り、その前のバス停留所には待合所が新設されている。豪雨で崩れた崖に擁壁が完成した直後に撮ったのが8年前、変わったのは植物が繁殖した自然の営みと、利便性を求める人間の営みだった。

撮影者:佐々木隆二(ささき・りゅうじ)
1940年気仙沼市生まれ。写真歴50年。写真集『風の又三郎』出版、『宮城庶民伝』(NHK出版・共著)、河北新報夕刊に「きょうはバス日和」連載。

宮城野区宮城野3丁目

昔から交通量が多く、渋滞の起きやすい場所。新しく道路を作る途中の骨組みの段階で、まさに今しか撮れないとシャッターを切った。

撮影者:松谷 亘(まつたに・わたる)
1968年生まれ。有限会社アイエムスタジオを経て、ビースタジオ有限会社入社。2000年より仙台コレクション参加。

太白区郡山4丁目

理容室の左隣にあった小さな雑居ビル。数年前にスナックがなくなり、残った焼鳥屋にもある時、「閉店」の張り紙が張られ、あっという間にビルは取り壊されてしまった。取り壊された日付は覚えていない。

撮影者:安倍玲子(あんばい・れいこ)
1954年北海道札幌市生まれ。2003年より仙台コレクションに参加。2006年一番町エビアン画廊にて個展「My Sweet Jellyfish」、 同11月富士フォトサロン仙台にて個展「海月 浪漫」開催。

泉区七北田

毎夜賑う呑み屋がある場所。 10年の想いを抱いてまたここへ来た。店は替わり人々も代わる。あのときの店はまだあるだろうか。久し振りだが、変わらぬ佇まいに思わず「やあ、元気だったんだね」と声を掛けた。

撮影者:片倉英一(かたくら・えいいち)
1954年若柳町(現、栗原市若柳)生まれ。中学時代に夜空の星月を撮影するため写真機を手に入れたのをきっかけに写歴を重ねている。

宮城野区原町5丁目

以前住んでいた近所を撮影した1枚。毎日見ていた風景を数年ぶりに辿ってみると、街の新陳代謝という急激な変化にとまどいつつ、プロジェクトの意義を再確認した。

撮影者:斉藤 寿(さいとう・ことぶき)
1973年生まれ。仙台市若林区在住。会社員をしながらアマチュアで仙台コレクションに参加。

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淡々と記録する中に現れる写真の美しさ

仙台コレクションに並ぶ写真は、風景をありのままに写した街の記録。
プロの写真家として、表現をあえて制限するこの活動を始めた経緯を代表の伊藤トオルさんに伺いました。

伊藤トオル(いとう・とおる) 仙台コレクション代表

 きっかけになったのは、20数年前に何気なく撮った1枚の写真(表紙)。その佇(たたず)まいや街路樹の雰囲気に惹かれて写真に収めていたんです。それから1、2年経って、ふと通り掛かったら、もう店がなくなっていた。「こうやって景色は消えていくんだ」と喪失感を感じたんです。写真はジャーナリスティックであったり、アートだったりといろいろな特性がありますが、そのとき「記録」という写真の力を強く感じました。写真に写っているものが現実にはもうない。それは、すごく「写真的」なことだと。

 私が尊敬する写真家の1人に、ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)という人がいます。20世紀初めのパリの街並みや建築物などを淡々と撮っていて、自分が写真を撮るのは自己表現などではなく、画家が絵を描く資料用だと言っている。でも彼の写真は美しいんです。写真家のちっぽけな個性とか表現ではないそこにある風景を切り取った写真になぜ感動するのか。

 そのころ私は写真を撮り始めて15年目くらいで写真の本質とは何かを考えた時期でした。90年代後半、女性写真家の感性や個性がもてはやされ、でも一方で写真は機械が撮るものであり、「物事のディテールを切り取っているだけ」と言う人もいた。写真に現れるのは撮る側の思いではなく、見る人が自分を投影して見ているものともいわれます。自分が写真を撮る意味や、表現について悩んだとき、アジェはいつも自分の中にいました。アジェのようなスタンスで街を切り取っていく作業の中で、写真の持つ力や面白さ、美しさが立ち現われていくんじゃないか。そしてこれは1人よりグループでやったほうが、無個性で反表現的であるということが分かりやすくなるのではないか。そんな思いで始めたんです。

伊藤トオル(いとう・とおる)

1963年多賀城市生まれ。1995年初の写真集「KUMANO」出版。1997年「写真新世紀展」にて優秀賞(森山大道選)、翌年年間特別賞受賞。2000年宮城県芸術選奨新人賞受賞。

仙台コレクションとは
1万枚を目指して、仙台の街の風景を写真として記録し続けるプロジェクト。2000年秋に発足。現在メンバーは8人。写真のプロだけでなく、会社員や、アマチュアカメラマン界の大御所など、さまざまな写真家がかかわっている。

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特集・仙台コレクション 座談会
「街を記録する」人々、仙台コレクションを語る

 1万枚の仙台の風景を集めることを目指し、2000年秋に6人の写真家たちでスタートした仙台コレクション。東日本大震災後には「街を記録する」というその活動に注目が集まりました。今回は、現メンバー8人のうち、4人のメンバーにお集まりいただき、創設から13年を経た現在の状況やこれまでの活動を振り返っていただきました。

〈お話しいただいた方々〉
 伊藤トオルさん
 小滝 誠さん
 片倉 英一さん
 佐々木隆二さん

◎見たものを見たままに写すルール

――仙台コレクション(以下仙コレ)の撮影のルールとは?

伊藤:背景をぼかしたり、高い建物を下からあおるように撮るといったテクニックは使わず、標準のレンズで、できるだけ絞って(手前も奥もピントを合わせて)、垂直なものは垂直に撮るというのがルールです。

佐々木:イメージ写真ではなく、見たものを見たままに、ですね。感情的なものを表現しないようにしています。どこを撮るかという制限だけがないんです。

伊藤:申し合わせてはいないけど、雪が降っているときなど特別な天候のときとか、人は写していないことが多いですね。どこか情緒的になってしまうので、仙コレには合わないと思うのでしょう。最初のうちは、ミーティングで「これ、アートすぎるよね」という理由でファイルからはずして、角が立つことも(笑)。そこは写真をやっている人間同士、真剣に見て議論しましたから。

小滝:創設当時からのメンバーですが、始めたばかりのころは、ルールに沿って撮影することが窮屈に感じました。個性を出さないとはどういうことをいうのか。とりあえず、エリアを決めて片っ端から撮ってみましたが、やはり並んでいる建物の全部は撮っていない。それは何故だろうと考えますよね。3年くらいは修行僧みたいな感じでした。

佐々木:カメラを向けた時点ですでに選択しているわけですよ。ここがいいと思った時点で自分の好みが出るし、どう切り取るかというのもあります。

伊藤トオル(いとう・とおる) 仙台コレクション代表

◎無個性に撮り続けるために

伊藤:理想は、ぶらっと街に出てぱっと撮ること。でも今日は撮ると決めないとなかなか撮れない。何も考えないで撮るのは無理なのかもしれないけど、あえてルールとして無個性になろうということです。それに挑戦するために、場所だけは決めるけど、とにかく歩きながら選ばないようにして撮っていますね。一度撮りに行ったら、その街の商店街の端から端まで撮るなど、工夫しました。

片倉:私も「今日はここに行くぞ」と、場所と時間を区切って撮影しますが、そのときは機械の目を持とうと思いながらやっています。短い時間で集中しないと、エネルギーが切れる。気分を変えるために、仙コレ用の写真とは別なカメラで撮ってみることもありますよ。

佐々木:いい風景に出合ったら、私も自分用に分けて撮りますね。その景色はそのとき撮らないと撮れないですから。

小滝:カメラを持つ人間としてはそういう思いはありますね。

伊藤:僕はそこまで器用じゃなくて・・。今日は仙コレと決めて、切り替えないでやっています。

――撮影場所は自由なんですね。

伊藤:誰がどの場所を撮るのかという打ち合わせはほとんどしないですね。最初のころは月に1度集まって、写真の場所を確認し合ったり、まだ写真のないエリアを情報として提示したりしていました。

佐々木:みんなで集まって、撮影会のように手分けしてエリアを撮ることもありました。

小滝:自分で場所を選ぶときに、例えば仙台駅東口あたりの再開発が始まったころは、やはり「もうすぐなくなってしまう」という思いで選んで撮影していました。そこに価値があるかは分からないのですが。

片倉:街並みの中でも、もうこの店や家の建物はなくなってしまうだろうと、そんな思いでレンズを向ける、写真に残しておこうという思いはあります。

佐々木:私の場合は郊外にあるわらぶき屋根の農家や炭焼き小屋なんかが好みで、どうしても多くなります。あと自分の家の近所とかね。

小滝:(写真集を眺めて)自分にとってどの写真も価値は同じですが、眺めているとその場所の雰囲気、匂いなんかを思い出します。好きな場所でいえば、若林区の二十人町、河原町。でもそれは自分が昔住んでいたことがあって、その土地に愛着があるからかもしれません。撮っているときは排除しようとしているけど、今写真を見るとそういう思いになります。

片倉:撮影したときの天気などは不思議と蘇(よみがえ)ってきますね。自分の撮った中に好きな写真が結構ありますが、自分の1枚を選ぶとしたら太白区長町や若林区古城の界隈からかな。

小滝 誠(こたき・まこと)
1976年栃木県生まれ。大学の写真部でモノクロプリントの魅力に引き込まれ、写真業界に進む。卒業アルバム制作会社勤務。

――個性を消して記録のための写真を撮り続けることで、普段に生きたことは?

佐々木:日常の風景の中で気が付かなかったところに目を向けられるようになりました。車でなら通り過ぎてしまうところを自分の足で歩きながら見るわけですから、ものを見る速度が変わりました。

片倉:普段とはものの見方が違うので、いつもは通り過ぎていたものが見えてくるということはありますね。

小滝:今になって思うのは、仕事でも仙コレの手法がベースになっていたのではということ。まず建物や風景と正対することから始めるので、仕事のいろいろな場面でも被写体と落ち着いて向き合えるようになりました。あと、プライベートで撮るものなど、表現することが面白くなりました。

◎写真展でストレスを解消?!

――13年の活動のうち、写真展は17回開催しています。

伊藤:写真のテクニックを持っている人ばかりなのに、見せ場がないので辛いだろうと思って(笑)、ストレスをためないように、写真展をすることは最初から企画していました。最初は撮りためたものでしたが、「階段」「坂」「店」などテーマに決めて開催しています。「せんだいスケッチ集団」(代表・柴田治さん)と共催して、描かれている場所と同じ写真を展示したり。

小滝:写真展を見に来てくれた人の反応が良かったのは夜景のシリーズのとき。仙コレでも夜景は初めてで、光と影のある日中しか撮ってきてなかったので自分たちにとっても新鮮でした。

伊藤:実は写真集Vol.2の表紙にもなっている文化横丁の写真は、たまたま写真展に来てくれた人が「自分の店が写っている!」と喜んで写真集を買ってくれました。

小滝:実は写真を撮るときに家主に断わっていないんです。それでも見に来てくれたとき、自分の家や近所が写っていると喜んでくれたりしますね。でも、どういう状況で撮ったとか、写真の意図やテーマを聞かれて、「分からない」と答えると大抵驚かれます。

片倉:誰が撮ったかも分からなかったりしてますからね(笑)。

佐々木隆二(ささき・りゅうじ)
1940年気仙沼市生まれ。写真歴50年。写真集『風の又三郎』出版、『宮城庶民伝』(NHK出版・共著)、河北新報夕刊に「きょうはバス日和」連載。

◎変化して気が付く喪失感と価値

――震災を経て、仙コレの取り組みが注目されました。

伊藤:東日本大震災後に、多くの人から仙コレの取り組みは大事なことだ、貴重な写真になったなどと言われるようになりました。沿岸部の写真はあまりなかったので、私の中では津波の被害の大きかった大震災とあまり結びついている気がしなかったのですが、街なかの人にも喪失感があって、見る側の意識が変わったのかもしれないですね。私は特に今回の震災があって仙コレの価値が変わったという意識はないんです。

佐々木:変化して初めて、なくなった景色や記録の価値に気が付くこともあります。撮った自分も後になって撮っていて良かったと思うこともたくさんあります。

小滝:そうですね、私たちが撮るスタンスや出て来る写真の価値は変わっていないんですが、見る人がそう評価してくれるならそれはそれで有難いことだなと思います。確かに震災前は「徐々に」変わっていた風景が、震災後は変化のスピードがかなり速いですし、それも広いエリアで起こっているということが影響しているのかもしれませんね。

片倉英一(かたくら・えいいち)
1954年若柳町(現、栗原市若柳)生まれ。中学時代に夜空の星月を撮影するため写真機を手に入れたのをきっかけに写歴を重ねている。

◎時間を経た集合体としての美

――目標の1万枚まではあとどれくらいですか?

伊藤:今は6500枚ほどファイルしています。当初の目標は10年で1万枚までということでした。残り3500枚、8人のメンバーで本気で目指せばすぐ到達します(笑)。でも今は、無理してやることもないと思っています。

佐々木:流れに任せたいですね。街も変わっていくけど、自分も年を取って目に入ってくる風景も変わってくる。その変化も面白いと思います。

小滝:10年前と今年撮った写真は違いますし、仙コレの中にも時間の流れがあるというのがいいんですよね。1万点に達したとき、例えばそれは、20年間の仙台を象徴するものになればいいですね。そうなったときに、カメラマンの個性や表現テクニックはどうでもいいことになってくる。

佐々木:ルールを決めてきっちり写すというのはそういうことですね。写真って拡大していけば粒子なんですが、この1枚1枚も粒子となって、俯瞰すると仙台という街が見えてくるという・・・。

伊藤:無個性であるといいながら、あきらかに自分の個性が分かるのもあり、それは無意識でもあり意識的でもある。でもそれは100年くらいのスパンで見てみれば、関係なくなってくると思うんです。仙コレは実は100年後を考えているんです。100年経てば、今あるものの大抵はなくなっています。それが写真には残っていて、見る人が「仙台ってきれいな街だったんだな」と思ってくれればいいなというのが目的。

 記録写真を撮り続けたフランスの写真家・アジェの残した写真の中にある1911年のパリを、今見て「素敵だ」と思うのと同じように、「淡々と撮っているだけなのに、なぜきれいなのだろう」と思われたいですね。言ってみれば、仙台コレクションというのは、集合体としての美しさを求めているのかもしれません。記録としての価値は後からついてくるものだと思います。

 たぶん目標の1万枚になった後も活動を続けていくと思います。でもとりあえず、当初の目標に達成したら大きく写真展をしたいですね。

(執筆・構成:関口幸希子)


〈お知らせ〉

東北―風土・人・くらし展『TOHOKU-Trough the Eyes of Japanese Photographers』で、海外を巡回
 東北にゆかりのある個性的な写真家10人(団体)の作品を展示している「東北―風土・人・くらし」展に仙台コレクションの作品も出展しています。国際交流基金が実施している海外巡回展のひとつで、2012年3月より5年間掛けて150国で開催される予定です。

仙台コレクションvol.18 写真展 開催決定
 来年6月になりますが、仙台コレクションの写真展の開催が決定しました(テーマは未定)。お楽しみに。
日時:2014年6月17日(火)~22日(日)
場所:SARP(仙台アーティストランプレイス)
〒980-0012 仙台市青葉区錦町1-12-7 門脇ビル1F
TEL&FAX 022-222-0654
11:00 – 19:00(月曜定休)


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『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/