連載・コラム

「残す・伝える」ミュージアムのしごと

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.7掲載記事(2012年6月15日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

 博物館や美術館などの「ミュージアム」では、常設展のほかにさまざまな企画展や特別展を開催しています。多くの人々がミュージアムと関わるのは、そういった展示を見に行くときであり、展示はミュージアムの活動の大きな柱となっています。しかし、ミュージアムの仕事は展示だけではありません。展示以前に、「人間とその環境に関する物質資料を収集・保存・調査研究」(ICOM(国際博物館会議)の定義より)する仕事が実は重要なのです。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北各地のミュージアムや文化財にも大きな被害をもたらしました。被災した文化財や資料を救出し保全する「文化財レスキュー」の取り組みが、全国から集まった専門家の手によって継続的に展開されています。また、震災の記録や人々の記憶を後世に伝えることの大切さが叫ばれるなか、ミュージアムの現場においても、貴重な文化遺産を未来に残し、伝えていくという仕事の重要性が再認識されています。そういう意味においては、震災後、ミュージアムのあり方自体やそこで働く職員たちの意識が変わってきているとも言えるでしょう。

 わたしたちはこれから、そのように変化するミュージアムの現場に注目していきたいと思います。まずは第1弾として、仙台市歴史民俗資料館・地底の森ミュージアム・仙台文学館というそれぞれの個性をもつ3館を取り上げ、どのように「残す・伝える」仕事(資料の保存・活用、次世代への継承)をしているか、またその仕事への職員の思いなどを取材しました。

2万年前の森と人の営みを「残す・伝える」
地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)

打ち放しコンクリートで楕円形をしたユニークな外観。外に広がる「氷河期の森」は、遺跡から発見された樹木をもとに旧石器時代の植生を再現しており、さまざまな植物を観察することができます。

 仙台市の南、太白区長町南に建つ地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)は1996(平成8)年11月に開館しました。

 このミュージアムの最大の特徴は、外のエントランスから階段を降りて入場する「地下展示室」です。展示室といっても、ガラスケースに展示物が陳列されているというような一般的な風景ではありません。ここは、2万年前の旧石器時代の遺跡(富沢遺跡)を、発見された現地でそのままの状態で保存し、広く一般に公開しているという、世界でも類を見ない展示室なのです。900㎡の楕円形の展示室いちめんに遺跡が広がる光景はかなりの迫力です。

 しかしなぜ、このように遺跡そのものを現地に残し、公開しているのでしょうか?

 その問いに答えてくれるのが、地底の森ミュージアムの学芸室長、太田昭夫さんです。

 太田さんは長年この場所の発掘調査に携わってきた富沢遺跡のエキスパート。遺跡の発見から保存の経緯、保存にまつわる試行錯誤の数々、そして未来に向けてのお話をおうかがいしました。

遺跡のまわりをぐるっと歩きながら遺跡を観覧できる展示室。10分ごとにスクリーンに旧石器時代の復元映像が映し出され、当時の様子をイメージすることができます。
〈お話〉地底の森ミュージアム 学芸室長 太田昭夫さん

●「世界でここだけ」の遺跡発見と保存方法

 富沢地区一帯に広がる遺跡の発掘調査が開始されたのは1982(昭和57)年のこと。その後、1988(昭和63)年の第30次調査において、2万年前(旧石器時代)の森林跡と当時の人間がたき火をしたと推定される跡が発見されました。旧石器時代の自然環境と人間の生活跡がセットで見つかったのは、世界的にも前例が少ない貴重な発見でした。そのとき発掘を担当していた現・学芸室長の太田昭夫さんは、当時のことを「保存状態が非常に良く、2万年前の様子がリアルに伝わってくる遺跡でした。土の中から出てきたときは感動しましたね」と振り返ります。

 この発見が、旧石器時代の人類と環境を考える上できわめて重要な成果であることから、仙台市は当時この場所に予定していた学校校舎の建設を他の土地に移し、遺跡の保存と活用を決断しました。そこで遺跡を現地で保存し公開する施設として設置されたのが、地底の森ミュージアムだったのです。

 遺跡の発見からミュージアムの開館までに要した期間は約8年。その間、この貴重な遺跡を現地でどうやって保存・公開していくかという技術面での検討と実験が重ねられました。

地底の森ミュージアムの地下展示室を案内する太田昭夫さん
樹木根は発掘当時は黒色を帯び、観覧者がすぐに樹木だとわかりづらい状態だったため、黒色を脱色し木肌の地色を復元する処理も行われた。

●保存していくための努力

 この遺跡がきわめて良好な状態で発見されたのは、一帯に湧き出る豊富な地下水と粘土によって遺跡面が密封されていたからです。しかし実はその地下水が、遺跡保存にあたってクリアしなければならない大きな課題でした。そのままにしておくと地下水がどんどん遺跡内に浸み出てきてしまうため、ミュージアムの建物の基礎を地下20mの地点まで構築し、地下水を遮断するようにしました。また、出土した樹木と土壌をカビや乾燥などから守るための保存処理も必要でしたが、従来、一般的だったポリエチレングリコールという薬剤による処理はこの遺跡には合わないことが判明。「失敗は絶対に許されないので、実験に実験を重ねた」(太田さん談)結果、水分をうまく取り込みつつ、かつ水分を抑える働きをもつケイ素化合物(ポリシロキサン)による新しい方法が開発され、実行に移されました。保存処理が完了したのは開館の3か月前でした。

 しかし開館後、時間の経過とともに遺跡面に白い結晶(硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム)が発生したり、亀裂が入るなどの新たな課題も出てきています。保存だけが目的の密閉された施設ではないため、外部から入りこむ物質の影響もあり、どうすれば遺跡を良好に保つことができるか、館のスタッフや関係者はつねに知恵をしぼっています。

地下展示室は一年を通して室温20℃前後、湿度70〜80%前後に保たれている。そのため館内各所に結露が生じ、エレベーター内にも除湿器が。
地下展示室にできるだけ外気が入らないように2つの扉が設置されている(左)。また、入館者が展示室に足を踏み入れる前に靴底のごみを取り、外界の物質ができるだけ持ち込まれないようにする工夫も(右)。

●世界のモデルとなる

 このように遺跡を現地で保存しつつ公開する使命を果たすためには、試行錯誤を重ねなければなりません。しかしそれでも、現地保存・公開にこだわる意味とは?

 「遺跡の保存が決まったとき、発見時のままの状態で現地で見てもらうという方法をとることは、この遺跡に関わる誰しもが思ったことです。私たちが味わった感動を市民の方々にも味わってほしい、という強い思いがありました。発掘されたそのままの状態は、作りものではない“本物”です。それが臨場感や感動を呼び起こすのです」と太田さんは語ります。

 また、「地底の森ミュージアムは世界初の試みをした施設なので、保存公開していくうえで予想だにしなかった課題が出てきたときに、答えになるような前例がないのです。そのたびに自分たちで解決していかざるを得ません。でもその経験は、今後世界で同じような遺跡保存のケースが現れたときに生かすことができるのではないでしょうか」とも。

 人間がたどってきた歴史は今を生きる人間のよりどころでもある、と太田さん。2万年前の遺跡が、現代人に語りかけ、教えてくれることはたくさんあります。そのために遺跡を未来へ残していくことは私たちの役目でもあります。


地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)

〒982-0012仙台市太白区長町南4-3-1 TEL022-246-9153 FAX022-246-9158
〈アクセス〉地下鉄長町南駅(西2番出口)から西へ徒歩5分


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人々が生きてきた証(あかし)を「残す・伝える」
仙台市歴史民俗資料館

仙台市歴史民俗資料館の建物は現存する宮城県内最古の洋風木造建築物。二階建て寄棟造瓦葺(よせむねづくりかわらぶき)、漆喰(しっくい)塗りの外観が明治の雰囲気を伝えています。展示室では「農村のくらし」、「町場のくらし」、また建物にちなんだ「旧四連隊コーナー」が見学できます。

 仙台の桜の名所・榴岡(つつじがおか)公園。木々の緑に映える白壁が美しい仙台市歴史民俗資料館(通称「れきみん」)は、1979(昭和54)年11月に開館しました。「れきみん」の建物はもともと明治初期に建築された旧日本陸軍の兵舎。1970年代に取り壊す計画が出たものの、市民からの働きかけもあって保存され、資料館として活用されることになりました。

 建物自体が歴史的資料である「れきみん」が収集・保存しているものは、おもに仙台市内を中心とした明治以降の庶民の生活資料です。その種類は農具や生活用品、家電製品、衣類、写真など多岐にわたります。展示室には、年配の方々には懐かしく子どもたちには物珍しい道具が並んでいて、楽しく見学することができますが、「れきみん」の役割はそれだけではありません。

 扱うのに手がふるえるような貴重なお宝ではなく、人々の暮らしに密着した道具を収集・保存していくこと。そこには、どういった意味があるのでしょうか? その問いを、「れきみん」の学芸員、畑井洋樹さんに投げかけてみました。

さまざまな資料を収蔵している収蔵庫。所蔵する資料の点数が増えるにしたがって、ここだけでは収蔵しきれなくなり、館の外にも収蔵庫を設け保存しています。
〈お話〉仙台市歴史民俗資料館 学芸員 畑井洋樹さん

●暮らしの道具は壊れたら捨てられてしまう

 仙台市歴史民俗資料館(以下、「れきみん」)は1979(昭和54)年に開館して今年で34年目を迎えました。収集した資料は2012年3月末現在で73,746点(台帳に記載された数。その他整理中のものもある)にのぼります。実際に収蔵庫を拝見すると、人間が暮らしの中で使用してきたありとあらゆる道具や、地域の歴史を物語るさまざまな資料が所蔵されていることがわかります。

 その資料の大半は仙台市内外のお宅から寄贈されたものです。「れきみん」では寄贈の申し出を受けるとまず職員が調査に赴き、資料を見るだけでなく、その家の方にこの道具はいつ頃どんなふうに使っていたのか、家ではその道具を何と呼んでいたか、当時この近辺はどんな様子だったか、また、例えば家電製品だったら当時いくらぐらいで買ったか、などの聞き取り調査をします。モノそのものだけでなく、それにまつわる人々の暮らしがどのようなものだったのかが重要になってくるのです。資料の中でも、「地域の特色が出ていたり、資料に記年があったりして使用年代がはっきりわかるものは貴重」(畑井さん談)ということです。

 「れきみん」の資料は身近な生活用品ですが、そのような道具は壊れたら捨ててしまう場合が多いので、実は、意識して残すようにしないと残っていかない性質のものなのです。

収蔵庫を案内する学芸員の畑井洋樹さん
「れきみん」に収蔵されている資料の台帳。資料についての情報が1点ずつ細かく記載されている。この台帳の冊数が30年の歩みを物語る。

●東日本大震災後の資料収集活動

 2011年度は、東日本大震災で自宅や蔵に被害を受けた市民の方々から、「家財道具を整理していたらこういうものが出てきた」という連絡が多数あり、実際に震災から約1か月後の4月初旬から収集活動を行い、年度末までに合計24件約650点の資料の寄贈を受けました。その中には、宮城野区の津波被災地からレスキュー(救出)してきた近世から近代にかけての文書類もありました。

 また、市史編さん室や県内の歴史資料の保存活動を行うNPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」と共同で、あるいは「れきみん」単独でも数回にわたり被災地での調査を実施し、資料・文化財の被災状況の把握に努めています。

 「震災の後片付けでは、古い道具や墨書きの書類、昔の写真などは家の方でも詳しいことがわからないまま処分され、資料となるべきものが失われることも多々あります。早い段階で現地に調査に出かけることに加えて、普段から古いモノには地域の歴史や暮らしを物語るものがあるということを皆さんに伝えるような地道な活動が重要になってきます」と畑井さんは語ります。

寄贈を受けた資料はいったんバックヤードに保管され、清掃・整理・分類される。畑井さんが手にしているものは、震災後に寄贈を受けた「地租改正時の土地測量に使用された杭」。一見何の変哲もない杭だが、最初見たときにピンときて、後で調べたら「やはりあれだ」と確証を得、受領に至ったというもの。
資料の整理作業を行う部屋。歴史学・民俗学の専門知識をもつ学芸員3人が整理を担当している。

●身近な道具を残していく大切さ

 身近なものほど残すためには努力が必要だというのは、矛盾をはらんだことですが、努力を払って残す価値はどのようなところにあるのでしょうか。

 その問いに、「道具は、人間が何を考えて生きてきたのかを表すものです。震災後に電力不足が叫ばれた際、電気がない時代の人々はどうやって暑さをしのいでいたかが話題となり、昔の知恵(すだれを掛けたり、打ち水をしたりなど)が見直されました。昔のことを知っていれば、この先どうあるべきか、どうすべきかを考えることができます。そのきっかけを与えてくれるのが、昔の道具であったり、歴史を伝える資料だと思うのです」という答えが畑井さんから返ってきました。

 震災の後、「れきみん」では一般家庭に普及しはじめた頃のクーラーを収蔵しました。それも、何十年後、あるいはもっと先の未来に残していくことを視野に入れて収集したものだそうです。身近な道具こそが人間にとって大切なことを教えてくれるものであり、それを丹念に集め保存していく仕事の使命を痛感しました。


仙台市歴史民俗資料館

〒983-0842仙台市宮城野区五輪1-3-7(榴岡公園内) TEL022-295-3956 FAX022-257-6401
〈アクセス〉JR仙石線榴ヶ岡駅から徒歩5分、JR仙台駅から徒歩20分


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作品誕生の原点を「残す・伝える」
仙台文学館

池の上にかかる橋のような建物の仙台文学館。正面玄関は2階にあり、3階が展示室になっています。敷地の奥は台原森林公園につながっており、見学の後は散策を楽しむこともできます。

 四季折々の自然が楽しめる台原森林公園に隣接し、幹線道路沿いとは思えない豊かな環境に恵まれた仙台文学館。

 1999(平成11)年3月に開館したこのミュージアムは、博物館と図書館がドッキングしたような独自の機能をもっています。扱うテーマは明治以降の仙台ゆかりの文学作品や作家の生涯。収蔵品としては書籍や雑誌、作家直筆の原稿用紙など、いわゆる紙資料が中心です。

 紙資料となると、歴史系の博物館や美術館の収蔵品と違い、平面的で小さく展示が難しいものも多く、また「文学」というジャンルの特殊性もあり、資料の収集・保存・公開にあたっても、他のミュージアムとは少し異なる方法がとられています。

 最近では、電子書籍が話題となったり、また作家の方々も原稿用紙に万年筆というような執筆スタイルではなくなってきています。将来、ひょっとしたら文学館から紙の資料がなくなる!?という可能性も考えられなくはないこの時代に、文学館で紙資料を扱うということはどういうことか、学芸員の渡部(わたなべ)直子さんに聞きました。

3階にある書庫(写真左)と収蔵庫(写真右)。書庫には壁面につくりつけの書架と電動書架があり、書籍・雑誌類を配架しています。それ以外の資料は、書庫の奥にある収蔵庫に保管しています。
〈お話〉仙台文学館 学芸員 渡部直子さん

●文学館の「資料」

 現在、仙台文学館には10万点を超える資料が収蔵されています。それらには書籍・雑誌のほか、文学者たちの直筆資料(原稿・構想メモ・書簡など)や万年筆・眼鏡(めがね)といった愛用品も含まれます。そういった資料を、学芸員の渡部直子さんは「デリケートなもの」と言います。

 「デリケートなもの」というのは、まずは紙資料の扱いの難しさを意味します。明治から昭和にかけての書籍類には経年劣化が著しい「酸性紙」が使用されていること、インクで書かれた直筆資料の文字は展示の際の照明によって薄れてしまうこと、紙の保存には温度や湿度が大きく影響することなどです。そのため、仙台文学館では、展示の際に紫外線をカットした照明を使用したり、展示室や書庫・収蔵庫の湿度も適度な数値(55%前後)で一定するように努めているそうです。

 もうひとつの「デリケートなもの」の意味は、書簡や日記、作品の構想メモなど、世に出すことを想定していない性格の資料もあるということです。「そういった資料は創作の過程などが垣間見えるので、読者の側からすると非常に興味がわくもの。しかし作り手側からすると見られることを意図していないものなので、そこを結び付けていくのはとても難しいですね」と渡部さん。近代から現代という新しい時代を扱っているため、その内容の扱いには細やかな配慮が必要になってきます。そこが歴史系のミュージアムとは異なる部分です。

書庫を案内する学芸員の渡部直子さん。

●保存と公開のせめぎあい

 展示の際は実物資料を出すのが最も効果的ですが、資料の状態(破損が激しい、インクが薄れてきているなど)によってはどうしても展示が困難という場合があります。そんなときは「レプリカ」(複製)の出番です。

 仙台文学館では、自館所蔵の資料で出番の多いものや、他館で所蔵している資料のうち、仙台とのゆかりが深く自館でも所蔵しておきたい資料などのレプリカを作成しています。

 実際にレプリカ資料を見せてもらいました。初代館長・井上ひさしと太宰治の直筆資料のレプリカは、紙の質感や破れ、インクの染みや濃淡など、細部まで見事に再現されています。このような精巧なレプリカを展示することで、実物の資料を劣化から守っていくことができるのです。

 資料を保存していく活動と資料を活用し公開していく活動は矛盾をはらんでいます。「いつもそれのせめぎあい」という渡部さんの言葉が印象的でした。

初代館長・井上ひさしが、小説『青葉繁れる』を執筆する際に作成したプロット(構成)のレプリカ。原資料も仙台文学館で所蔵しているが、同作が仙台を舞台にした作品であり、井上ひさしと仙台の縁の深さを象徴することから、展示の出番が多い資料のひとつ。そこで劣化を防ぐためにレプリカを作成した。
こちらもレプリカ。太宰治が、仙台に留学していた中国の文豪・魯迅をモデルに描いた小説『惜別』の創作メモ(原資料は個人蔵)。紙のほつれや綴じ穴も精巧に再現されている。

●デジタルの時代にあって

 最近では、作家の執筆スタイルは手書きではなくパソコンで原稿を書いて電子メールで入稿する流れが増えてきていたり、また読書シーンにも電子書籍が普及してきたりといったように、文学をめぐる世界もアナログからデジタルに変わってきています。

 そんな時代に、あえて紙資料を収集・保存し、公開していく意味とは?

 「書かれている内容を伝えるだけであればデジタルでもいいとは思いますが、直筆の資料にある“生の感じ”には負けます。直筆の資料には、字の特徴や創作の過程といった作家の息づかいが表れています。作品の原点であるそれらは、世の中にひとつしかないもの。そういう“本物”と間近に接するときは心がときめきますし、この仕事の喜びでもあります」と渡部さん。

直筆資料はこのような専用の保存袋や箱で保存されている。

 デジタル化している世の中だからこそ、そういった心を動かされるような資料を収集・保存し、展示・活用して多くの方々に伝える意味はいっそう重くなっていくのではないでしょうか。時代の流れで手書きの原稿が消えてしまっても、文学館での「伝え方は必ずある」という渡部さん。資料に「人(作家)の思い」が込められている限り、その“本物”は見る人に何かを訴えかけるのだと思いました。


仙台文学館

〒981-0902仙台市青葉区北根2-7-1 TEL022-271-3020 FAX022-271-3044
〈アクセス〉仙台市営バス・宮城交通バス「北根2丁目・文学館前」バス停下車徒歩5分


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『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/