連載・コラム

演劇・仙台・30年
ROLLING STONES GATHER NO MOSS
転がる石は苔むさず
丹野久美子(劇団I.Q150)×石川裕人(TheatreGroup“OCT/PASS”)

『季刊 まちりょく』特集記事アーカイブ

『季刊 まちりょく』vol.1掲載記事(2010年9月15日発行)※掲載情報は発行当時のものです。

丹野久美子(劇団I.Q150)×石川裕人(Theatre Group“OCT/PASS”)

 仙台の文化史を語る上で、このふたりを欠かすことはできません。80年代から現在に至るまで、彼らは〈演劇〉という鮮烈な彩りをこのまちの風景に与え続けてきました。恋愛から茶の間まで、微妙な人間関係を丁寧に描き出す丹野さん。政治から宮沢賢治まで、自在なファンタジー世界を展開する石川さん。作風はちがえども、ともに地域の演劇シーンをリードし、全国的にも注目される存在です。
 この夏、丹野さんは劇団創立31年目を迎え、石川さんは劇作通算100本目となりました。仙台が誇るべき稀有な「才能たち」は30年来の交流を経て、今回初めての対談となったのです。

聞き手・本文構成/伊藤み弥(演出者) 写真/佐々木隆二


START ME UP — それぞれの「あのころ」

*石川さんは劇作がいよいよ100本。前人未到の域に入りつつありますね。

石川 いえいえ、前人未到じゃないですよ。数えてみたら、いつの間にか100本になっていただけです。

*I.Qも30周年を越えましたね。

丹野 はい、7月1日が劇団のお誕生日だったのでもう31周年ですね。いつの間にかなっちゃうのねえ(笑)。実は30周年の少し前に気弱になって「もうだめかもしれない」と石川さんに電話をしたんです。そしたら、「もうちょっとやったら?」と言われて、おかげさまで30年を越えられました。

*おふたりはライバルだったのですか?

石川 実は彼女も私もある劇団がきっかけで上京したことがあって、それが「東京キッドブラザーズ」(※1)なんです。時期は違うけど、私は公演のお手伝いをしていて、彼女は女優志望だった。

丹野 えっ!知らなかった!私、仙台でのオーディションをたまたま受けたら合格しちゃって、でも演出の東由多加さんがお酒臭くて怖かったのね。私、高校卒業したてだったから(笑)。それで仙台に帰って、I.Qを作ったんです。

石川 うち(十月劇場)はその1年後に旗揚げして、時期が近いこともあったから、お互いに意識しあってやってきた。他から「ライバルでしょ?」と言われると、そうでもないのに「そうです」なんて言って(笑)。でも、劇団員も含め、仲良くやってきたよね。

丹野 私はその頃、よその芝居を観に行くことはほとんどなかったのですが、十月劇場だけは別で、よく遊びに行ってました。

石川 I.Qは先鋭的なことをやっていて、観客動員数がすごかった。でも客には媚びず、「中途半端なことはやらない」という潔い感じがあった。それが東京で認められた要因だと思うし、私も一目置いていた。テーマも私が書かないようなものをやっていたね。私は男女の恋愛とかは不得意分野だから。

丹野 私は逆にそれしか書かなかった(笑)。今でもそうですけど、自分の興味ある分野とか知っていることしか書けなかったんです。でも、石川さんは社会派なのに、時々「社会派なんてどうでもいい」ってわけのわからない芝居をやる時があって、私はそれが大好きなの。役者が本当に楽しそうなんだもの。今も面白い役者がたくさんいるよね。

*そもそもなぜ演劇を選んだのですか?

丹野 小さい頃、私は人前で話せなくて友達もいないような子だったんですが、小学校の担任の先生がなぜか私を学芸会に出したんです。宮沢賢治の『貝の火』のホモイという役でした。「くみちゃん、ちゃんとしゃべれたね」と褒められて、「これしかない」と思ったんです。演劇が何かなんてわからないまま続いて、たまたま仲間に出会って高校卒業後に劇団を始めました。当時、劇団はいくつかあったけど、「大人」がやっているイメージが強くて、ならば「自分たちの言語(ことば)で、自分たちがやれることをやろう」と。でもまさかこんなに長く続くなんてねえ。だから、私の場合は選択したのではなく、外界とつながれるたったひとつのツールだったのかなと思います。

石川 そういう見方をすると、演劇とは非常に大事なものだね。私は逆で、小学生の頃から芸事が好きで、歌とかコントとか人前で何かをするのが好きだった。学芸会では主役を4回もやって、「これは楽しい」と味を占めた。4年生の時に授業で書いたシナリオを先生に褒められて「ゆうちゃんは将来シナリオライターになったら?」って言われたの。母親に「シナリオライターって何?」と聞いたら「火をつけるものだ」なんて言われて(笑)。私も幼少期に、現在のきっかけが点火されていたという気がします。

丹野 似ていますね、私も3・4年生の頃だったし、その先生との出会いがなかったらおそらく演劇はやっていないと思います。

石川 私の場合は、高校へ行ったら演劇部に入ろうと思っていて、実際入ってみたらまったく面白くない。いわゆる新劇全盛の頃だったから。そんな時に唐十郎(からじゅうろう)(※2)の芝居と出会って、「ああこういうことやっていいんだ!」と思った。「なんでもあり」だったからね。で、次の日に退部届け出して、自分で脚本を書き出した。その初めての戯曲が高校2年生の時。唐さんを見なかったら、芝居をやっていない可能性もあるかな。

*もし演劇をやっていなかったら、何をやっていると思いますか?

丹野 小学生のときの文集を見ると「お嫁さんになりたい、良いお母さんになりたい、バレリーナになりたい、でもダメ」ってネガティヴなこと書いていました(笑)。
石川 芝居をやってなかったら…もう想像ができないね。女の人は「お嫁さん」ってあるけど、男の場合は「旦那さん」ってないからねえ(笑)。


TIME IS ON MY SIDE —演劇から見える「いま」

*劇団を長く続けていらっしゃいますが、その良さとは何でしょう。

石川 創造するときに阿吽(あうん)の呼吸でやれるのが一番良いことだと思う。新人も3年もすれば相手が何をしたいのか、自分が何を求められているのかが自然とわかってくる。ヒエラルキーでも家父長制でもなく、あっさりした家族のような関係の中で安心して居られること、いろいろなことがやりやすいことが劇団の良さだと思う。

丹野 昔は稽古場で1年のうち350日ぐらい公演して、残りの日はバンド演奏やって、本当に休日なんてなかった。1つの作品を100回公演とかやっていたのね。家族より一緒にいる時間が長いから、気を遣わないし、余計な言葉が要らない。創る時に本気で喧嘩もするけど、「この人たちのためなら!」と普通以上にがんばれる。いざという時の火事場の馬鹿力みたいな団結力はある。でも、大変と言えば大変ですよ。私も泣くし、わめくし(笑)。

石川 ここ数年、東京でも仙台でも劇団は崩壊気味ではある。しかし、やはり劇団の芝居は呼吸が全然違うし、「これは強いな」とエネルギーを感じることがよくある。ジャズの演奏みたいに、好き勝手にやっているようで、それがある瞬間にひと塊(かたま)りになって爆発する、こっちが身震いするようなことがあるんですよ。

丹野 ありますね。一緒に過ごしている時間の堆積が、ある瞬間に炸裂する。「劇団なんてムダだ」と誰かに言われたことがあるけど、でもそのムダなところがないと、面白いものは創れないと私は思っています。ムダだらけに命かけますね。

石川 そのことを劇団員全員が大事だと思えるかどうかですね。やはり「同じ釜の飯を食う」のは大切で、うちの劇団では、われわれの用語で言う「飲み稽古」も必ずやっている。それでストレスを発散する。

丹野 すばらしい!(笑)

*良い役者とはどんな人だと思いますか?

丹野 何をやっても伸びやかで自由で、どんな場にも馴染(なじ)めて、遊べる人。

石川 こっちの言ったことにすぐさま対応できる人。頭も感性も良くてからだも利くのが理想だけど、とにかく頭の固い人はダメだね。凝り固まってない人がいい。

丹野 ダメ出しするとフリーズする人もいるし、落ち込んで帰っちゃう人もいるの。柔軟な人が面白いよね。

石川 テクニックがなくても滑舌(かつぜつ)が悪くてもいい。だけど、めげない人。「おまえ下手だ」と言われても全然へこたれない人がいい。それと、からだも丈夫な人ね。

丹野 以前、うまく話せない人たちの劇団に関わった時に、一生懸命話さないと言葉というものは伝わらないんだと感じて、泣きました。あんなふうに懸命にやらない役者が多いから腹が立つ。それと、役者はそこに居ることがリアルでないといけないものです。どんな設定であっても、その中にリアルに、生の人間として存在しないといけない。「間違いなくいまここに居る」感じがないと。

*演劇をやれば人は柔軟になれるでしょうか? 近年は、特に教育の現場で演劇が期待されていますね。

石川 欧米のように学校に演劇の教育を取り入れて、コミュニケーション能力を高めようということをいま国がやろうとしている。コミュニケーションをどう整えて巧(うま)く機能させるかということに演劇が期待されている。でもその前に、社会のシステム自体や学校の在り方を改革していかないとだめじゃないかな。

丹野 時々、小学校でワークショップをしますが、大人が「さあ遊びなさい」とお膳立てをして、「よく遊んだね」と大人が喜んでいることに疑問を感じます。隣の子と手をつなぐこととか追いかけっことか、授業で教えないとだめなのかしら?それから、私は「隣の子と手をつなぎたくない」こともいいと思うの。お互い理由があるのだろうから。自分が上手に話せない子供だったので、人と同じことができない、やりたくない子供たちに興味が湧きます。逆に、先生の中にコミュニケーションの問題がある人も多い気がしますね。

石川 そうかもね。

丹野 最近はからだの感覚や距離感が鈍い人が多くて、「知り合いはこの距離だな」「これ以上近づくと恋人みたい」というパーソナル・スペースがわかってないみたい。

石川 例えばワークショップで、「親しい人と親しくない人の距離感はどうちがうか」と実際に役者が動いてやってみせるとわかりやすいよね。次に参加者が自分でやってみて「なるほど」と感じて、さらに実生活の中で「私とあの人との距離感はどうだったか」「どんな距離感を持とうとしているのか」なんてことを考えるきっかけになることはあるかもしれない。

丹野 話しながら歩いてきて机にぶつかる人もいるから驚きますよ。それから、全般的に若い人はお行儀が良すぎて「引いている」感じがします。赤ちゃんの頃は何も考えず抱きついて来たのに、大人になるとそれができなくなるのね。

石川 直接的なコミュニケーション、からだとからだがふれあうこと自体が疎(うと)まれ、子供は親にも拒まれている。携帯電話のせいだけじゃなく、実際に会って話をすることがどんどん減っている。でも、演劇はアナログ。必ずその場へ行って、出会わないことには成立しない。アナログだからこそ人間本来の持っているコミュニケーション、例えばハグすればどうなる、殴ればどうなるということが如実に表れて見える。これは映画にも音楽にもできないことだと思う。

丹野 今は人と人のあいだに機械が必ず入り込んで、実際会わなくても関係はつながっている錯覚があるんでしょうね。うちの劇団では、舞台で殴った「フリ」はしない。必要なら実際に殴るし、キスもする。だから私は、人を殺す話は絶対書けない。

*そんな若者に比べ、お年寄りはいかがですか?シニア劇団(※3)を旗揚げしましたね。

石川 これがうまいんだよ。声は出るし、からだは動くし。下は60歳から上は78歳かな。面白いことにコミュニケーション不全の人はいないんですよ。

丹野 そう!私たちより年上の人の方がかえって自由ですよね。そのあたりの感覚がわかっている。からだも老化はしているけど、若い人たちとは明らかにちがって歪(ゆが)んではいない。長く生きている人って居るだけでカッコいいでしょう?例えば78歳の人は78年分ごはんを食べていて、辛いことも嬉しいこともいっぱいあったから、もうそこにしっかりと「人生」があるし、それが顕れてくる。変に演じようとかしなくていいんです。もうそのままで素敵。


NOT FADE AWAY —そして、「これから」

*演劇の場にも今の日本の一端が確実に現れていますね。「演劇は社会の鏡」とも言いますが、その点はいかがお考えですか?

石川 公演して見せること自体、すでに社会的な行為だし、その基本スタンスは変えずにいたい。あとはシニア劇団のように、演劇の範疇に収まりきらないところで芝居をつくりたいですね。若者だけじゃなく、幅広い世代をひっくるめてやれるといいね。

丹野 それ、賛成!私はあまのじゃくなところがあって、もうはっきり時代に逆行しようと思っています。自分が愛しいと思う「昭和」にこだわって、かあちゃんもじいちゃんもばあちゃんも町内会のみんなも一緒に元気だった時代のことをやりたいです。子供から大人まで「みんながんばってるじゃん!」って肯定したい。演劇で社会と関わるとすれば、生きているだけでありがたいとか、素晴らしいとか、人間のジタバタ、必死感をやりたいです。演劇の最先端とは違いますが、ここ数年のいろいろな出会いがつながってそう思うようになりました。

*長年にわたる創作のエネルギーはどこからくるのですか?

石川 いやあ、毎回大変な思いをして書いていますが、他にこれといった趣味がないんだよね。読書しても映画見ても音楽聞いてもニュース見ても、すべてが劇作に向かっている。眠っている時間以外は無意識にネタを仕入れているんだねきっと。

丹野 私もそう。趣味らしい趣味がないし、たまに休むとヒマのつぶし方がわからない。空っぽになれるのは農作業と釣りの時ぐらいかな。私の場合、タイトルを決めて、役名を決めて、人の顔が浮かんで来ないと何も書けないから、それを決めるまでが大変です。

石川 良いタイトルができると「あ、これは行けそうだ」と思う。タイトルなしで書くと、逆にタイトルで悩むし、あまり筆も進まないね。

丹野 似てますね。私もタイトルがないと動けない。私は自分が書いている段階では作品という意識はなくて、あくまで生の役者がしゃべって、体温と息が通ってから初めて作品になると思っている。私の戯曲は役者のためのお膳立てみたいなものだから、「読み物」としてはどうかなあ。書いたものを見て欲しいからと役者を使って演劇をするわけではないです。

石川 そう、「発表会」ではないよね。私は「100本も書いた」とも「100本しか書いていない」とも言えますが、自分が本当に納得したものはほとんどないんです。「こういうものを観たいんだ!」という欲求だけでここまで続いている気がする。

丹野 作品はお客様に渡してしまうものだし、思い出は残るけど満足ということはなくて、いつも「ちがうやり方があったのではないか」という思いが沸々(ふつふつ)とありますね。

石川 うん、満足したらやめるだろうし、満足なんてたぶんしないだろうし。年とってパソコンが打てなくなるかもしれないけど(笑)。でも、唐さんより先にやめるわけにはいかないなあ。

丹野 うん、そうだね。

*では最後に、演劇を見たことがない人へ「おすすめの1本」を。

丹野 最近感動したのは『ウィンドミル・ベイビー』(※4)。アボリジニの戯曲を大方斐沙子(おおかたひさこ)さんが演じた一人芝居です。もう最初から泣きっぱなしでした。戯曲も良いし、彼女がすごくチャーミングで、もう抱きしめたかった!

石川 井上ひさしさんの『組曲虐殺』(※5)が素晴らしかった。井上さんが演劇人に向けた「後を頼んだぞ」というメッセージが濃厚に感じられ、重い真実と明るい笑いが共存する井上作品ならではのエッセンスがここにもある。本人もこれが書けて満足したらしいね。

丹野 実は、いま私が一番読みたい作家が「井上ひさし」なんです。亡くなってからというのが口惜(くや)しいけど、本当に素敵な作品がたくさんあるから、もう一回井上さんのことを知りたいと思っています。

(2010.7.20 せんだい演劇工房10-BOXにて)


※1 東京キッドブラザーズ
寺山修司らとともに「天井桟敷」を結成した劇作家・演出家の東由多加が、1968年に旗揚げした劇団。オリジナルミュージカルを上演し、俳優の柴田恭兵や作家の柳美里が在籍した。2000年、東の死去により解散。

※2 唐十郎
1940年〜 俳優・劇作家・演出家 1963年、劇団「シチュエーションの会」(翌年「状況劇場」に改称)を旗揚げし、新宿でテント公演を行うなどアングラ演劇の代表格として知られた。88年、「状況劇場」を解散し、劇団「唐組」を結成。小説家として芥川賞を受賞し、大学でも教鞭をとるなど多方面で活躍。

※3 シニア劇団
高齢者の生きがいづくりや介護予防を目的に、仙台市が2010年6月に立ち上げた劇団。オーディションで選ばれた60歳以上の男女約30名が参加し、11年1月の公演に向け、石川氏の指導のもとワークショップや講座で演劇の基礎を学んだり、稽古を行っている。

※4 『ウィンドミル・ベイビー』
デービッド・ミルロイ作、和田喜夫演出。オーストラリアのアボリジニの老女を主人公にした一人芝居。日本では2008年、演劇企画集団楽天団により上演。主演の大方斐紗子が動物を含む12役を演じ、演劇専門誌「テアトロ」の「2008舞台ベストワン」に選ばれる。10年5月から6月にかけて、東京・福島・仙台で再演された。

※5 『組曲虐殺』
井上ひさし作、栗山民也演出。特高による拷問の末、虐殺されたプロレタリア作家・小林多喜二の半生を、井上が得意とするユーモアと音楽で綴る評伝劇。2009年に主演・井上芳雄で初演された。10年4月に死去した井上ひさしの「遺作」となる。


石川 裕人 (いしかわゆうじん)

劇作家・演出家
TheatreGroup(シアターグループ)“OCT/PASS(オクトパス)”主宰
1953年山形県東根市生まれ。高校時代から演劇に関わり、81年、「十月劇場」を旗揚げ。95年、「十月劇場」を発展的解消して「TheatreGroup“OCT/PASS”」を結成。シリアスな社会劇からスラップスティックコメディ、児童劇など幅広い作風が持ち味で、今年7月から8月にかけて劇作100本達成記念公演となる『ノーチラス』を上演。戯曲賞や児童詩の選考委員、演劇ワークショップの講師も務めるほか、今年、仙台市が高齢者の生きがいづくりや介護予防を目的に立ち上げたシニア劇団の指導も行う。91年度宮城県芸術選奨新人賞受賞、96年度宮城県芸術選奨受賞。
http://www.oct-pass.com/

丹野 久美子(たんのくみこ)

劇作家・演出家・女優
劇団I.Q150(アイキューイチゴーマル)代表
1960年仙台市生まれ。79年、劇団I.Q150を旗揚げ。以来、作・演出・女優として活動。男と女、仲間、家族など、人間のあいだのさまざまな局面を独自の視点で描く芝居に定評がある。2007年から塩竃市の市民参加ミュージカルの作・演出を手がけるほか、文学作品の朗読などでも活動。09年に劇団結成30周年を迎え、10年6月まで1年間にわたる記念企画を行った。90年度宮城県芸術選奨新人賞受賞、97年度宮城県芸術選奨受賞。
http://www.iq150.info/

聞き手・本文構成
伊藤 み弥(いとうみや)

演出者
これまでに、杜の都の演劇祭、ライブ文学館などさまざまな舞台を演出。また、せんだい演劇工房10-BOXのニュースレター「ハコカラ通信」の初代編集長を務めたほか、映画上映、コンテンポラリーダンスの企画などにも携わる。最近では、樋渡宏嗣俳優活動25周年記念企画『十二人の怒れる男』(9/1〜5、白鳥ホール)の演出を手がけた。

コラム—劇都仙台

仙台は、全国でも有数の演劇がさかんな都市と言われます。それぞれの個性をもつ劇団と演劇人たち、観客、行政がともに手をとりあって、「劇都」の文化をつくりあげてきました。

1950年代
「劇研銅鑼」と「仙台現代劇協会」〈56年「仙台民衆劇場」と改称〉の二大劇団時代小劇団、学生劇団、職場演劇(労働組合の文化活動)による公演活動

1960年代
新しい劇団が次々に旗揚げ

1980年代
全国的な「小劇場ブーム」、若者の観客が増える

1990年代
90年、青年文化センター開館。地元の劇団中心に公演を公募する〔仙台演劇祭〕始まる。劇団同士のつながりが生まれる。
90年代初め、劇団数は約20団体
95年、〔演劇プロデュース公演〕開始
99年、〔演劇ワークショップ〕開始(〜2001年)
90年代後半には劇団数が80団体を超え、ピークを迎える

2000年代
01年、〔仙台劇のまち戯曲賞〕設置。(08年まで4回にわたり公募、大賞作品をプロデュース公演)
02年、せんだい演劇工房10-BOX開設
08年、〔杜の都の演劇祭〕始まる。
10年、仙台市が「劇都仙台」の取り組みなどにより、09年度文化庁長官賞・文化芸術創造都市部門を受賞。

現在、市内で活動する劇団は約40団体

※〔 〕は仙台市市民文化事業団、仙台市主催
参考資料:仙台市シティセールス誌「仙台NEW」第3号特集「劇都仙台DramaCity」、資料「劇都に至る」作成/八巻寿文(せんだい演劇工房10-BOX)

『季刊 まちりょく』は、(公財)仙台市市民文化事業団が2010~2021年に発行していた情報誌です。市民の方が自主的に企画・実施する文化イベント情報や、仙台の文化芸術に関する特集記事などを掲載してきました。『季刊 まちりょく』のバックナンバーは、財団ウェブサイトの下記URLからご覧いただけます。
https://ssbj.jp/publication/machiryoku/