まちを語る

その33 土方 正志(有限会社荒蝦夷代表)

その33 土方 正志(有限会社荒蝦夷代表)

土樋~片平~一番町
仙台ゆかりの文化人が、街を歩きながらその地にまつわるエピソードを紹介する「まちを語る」シリーズ。今回は、仙台の出版社〈荒蝦夷(あらえみし)〉代表の土方正志(ひじかたまさし)さん。母校の東北学院大学から、青春時代の思い出の場所をめぐりました。
『季刊 まちりょく』vol.33掲載記事(2018年12月20日発行)※掲載情報は発行当時のものです。
創建当初の姿を留めるラーハウザー記念東北学院礼拝堂のステンドグラス。「昔はこのステンドグラスの見学ツアーがあって、観光バスが連なって来ていた」。
▲創建当初の姿を留めるラーハウザー記念東北学院礼拝堂のステンドグラス。「昔はこのステンドグラスの見学ツアーがあって、観光バスが連なって来ていた」。
 今回の主役・土方さんは北海道のご出身。東北学院大学に進学した理由を伺ってみると、北海道の青年にとって、人生初の関門が大学入試。「津軽海峡」を越えるか否かの決断を迫られるのだそう。当時、札幌で地方試験を開催していたのが、京都の龍谷大学や東北学院大学で、高校生の土方少年は「ショッパイ河(津軽海峡)」を越えるんだ!と東北学院大学に進学することに。しかし東北学院大学が宮城県の仙台市にあることを認識したのは合格後だったと笑います。
編集者仲間、東北大学出版会の小林直之(こばやしなおゆき)さん(左)と。2010年、仙台の老舗書店・金港堂100周年記念で一緒にトークイベントを開催。以来、震災時も苦労を分かち合い、仙台の出版文化を支えてきた大切な同志の一人。
▲編集者仲間、東北大学出版会の小林直之(こばやしなおゆき)さん(左)と。2010年、仙台の老舗書店・金港堂100周年記念で一緒にトークイベントを開催。以来、震災時も苦労を分かち合い、仙台の出版文化を支えてきた大切な同志の一人。
 「あの頃は泉キャンパスができる前で、キャンパスはここ土樋に通いました。芋の子を洗うように学生がいて、満員電車状態だった」と土方さん。国の有形文化財に登録された礼拝堂*1の地下には当時食堂がありましたが、学生が入りきらなかったそう。「五橋の角の〈ベニー〉や〈シルビア〉、荒町の〈ぴーぷる〉に食べに行きました」。今のようにコンビニもなく、周辺の喫茶店や定食屋が賑わい、雀荘の窓から「メンバーが一人足りないから誰か~」と声がかかることもあったと、取材にご一緒くださった学校法人東北学院の広報部長・内海睦夫(うつみむつお)さんと当時の思い出話に花が咲きます。
*1 ラーハウザー記念東北学院礼拝堂は、1932年に土樋キャンパスに献堂され、2014年に国の登録有形文化財に登録されました。
 サークルは「映画同好会」で、メンバーは十数人。東京からフィルムを借りて、大学のホールで「自主上映」を行っていました。好評だったのはモノクロ版の「ゴジラ(第一作)」で、朝から晩まで満員御礼。大きな声では言えませんが、儲けは「長町のスナックを借り切って、ぱあっと(笑)」。授業が終わると、土樋から一番町を抜け、アルバイト先の国分町の喫茶店へ自転車でまっしぐら。そんな忙しい学生時代を過ごした後、土方さんは東京へ。日本エディタースクールで学び、フリーのライター・編集者として歩み始めます。週刊誌に執筆し、自著『ユージン・スミス楽園へのあゆみ』(産経児童出版文化賞)、『てつびん物語阪神・淡路大震災ある被災者の記録』(奥野安彦と共著)などを出版。また編集者として写真家・長倉洋海さんや砂守勝巳さんらの写真集を手がけ、それらが土門拳賞などの賞を受賞すると、その評判が伝わり仕事の依頼が増えていったそう。
「映画同好会」の先輩つながりで、他の大学の仲間と、キャンパス教養マガジン『リハーサル』編集部に出入りしていたことも。「編集室は古いビルの2階。一人しか通れない狭い階段で、踊り場にビクターのスピーカーがついていて、迷路みたいなところだった」。
▲「映画同好会」の先輩つながりで、他の大学の仲間と、キャンパス教養マガジン『リハーサル』編集部に出入りしていたことも。「編集室は古いビルの2階。一人しか通れない狭い階段で、踊り場にビクターのスピーカーがついていて、迷路みたいなところだった」。
 活躍中の土方さんが仙台に戻ってきたのは2000年。フリー時代に知り合った民俗学者・赤坂憲雄さんが提唱した「東北学」を手伝うためでした。東北の文化や歴史、生活などをフィールドワークを通して掘り起こすうちに、「なんだ仙台って、良い所だったんだ」と気づき、2005年に有限会社荒蝦夷を立ち上げます。以来、地元の出版社としてこの地にどっしりと根を張っています。
一番町で唯一残る古本屋の昭文堂書店で店主の齋藤鄭(さいとうあつし)さん(左)と。大正から昭和にかけての探偵小説が好きだという土方さん。「長年探していた本をここで見つけたことがあって、この〈稀覯本(きこうぼん)〉コーナーは危険なんです。今日は我慢がまん。銀行に寄ってからまた来ます(笑)」。
▲一番町で唯一残る古本屋の昭文堂書店で店主の齋藤鄭(さいとうあつし)さん(左)と。大正から昭和にかけての探偵小説が好きだという土方さん。「長年探していた本をここで見つけたことがあって、この〈稀覯本(きこうぼん)〉コーナーは危険なんです。今日は我慢がまん。銀行に寄ってからまた来ます(笑)」。
 「仙台に来る時に、東京の同業者には〈都落ち〉と言われたけど、直木賞作家の熊谷達也さんやベストセラー作家の伊坂幸太郎さんと、デビュー直後から付き合うことができた。またほかにも親しく付き合ってきた作家の黒木あるじさんや郷内心瞳(ごうないしんどう)さんの作品が若者に大人気で、映画・ドラマ化されたりして。編集者冥利に尽きます」と顔をほころばせます。
大学時代から変わらない金港堂本店。今でも大切に持っているのが『SWITCH』。「ヒットする前のブルース・スプリングスティーンを取り上げた渋い特集。あの頃はまだメジャーではなく知る人ぞ知る雑誌で、仙台ではここでしか買えなかった」。
▲大学時代から変わらない金港堂本店。今でも大切に持っているのが『SWITCH』。「ヒットする前のブルース・スプリングスティーンを取り上げた渋い特集。あの頃はまだメジャーではなく知る人ぞ知る雑誌で、仙台ではここでしか買えなかった」。
 東日本大震災の直後には、地元の出版社として何ができるかと、地元出版界の仲間たちと話し合い、ブックフェアやトークイベントを開催。そして震災から6年目の2017年、実行委員会を立ち上げ、温めていた「仙台短編文学賞」*2を設立しました。作品一つひとつから「震災の経験を自分の中でどう解釈し、心の中に落ち着けようとしているかが見えてくる」と話す土方さん。その語り口に、これからもこの地で生まれる「ことば」を大切に育てていくという静かな決意がのぞいて見えました。
*2 仙台・宮城・東北の地から次の世代の文学が生まれることを願って設立された文学賞。ジャンル不問。日本語で書かれた自作未発表の小説に限り、仙台・宮城・東北となんらかの関連がある作品が対象。震災10年となる2021年まで開催。
詳細はhttps://sendaitanpenbungak.wixsite.com/award
自著最新刊は25年振りの復刊となる全国即身仏紀行の増補決定版。「基本やっていることは今も同じ。現場に行って、取材をして、お酒を飲んでゴロゴロして(笑)」。お寺の方々は代替わりしていましたが、土方さんを覚えていて大歓迎してくれたそう。
『新編 日本のミイラ仏をたずねて』
土方正志著 2018年、天夢人刊
▲自著最新刊は25年振りの復刊となる全国即身仏紀行の増補決定版。「基本やっていることは今も同じ。現場に行って、取材をして、お酒を飲んでゴロゴロして(笑)」。お寺の方々は代替わりしていましたが、土方さんを覚えていて大歓迎してくれたそう。 『新編 日本のミイラ仏をたずねて』 土方正志著 2018年、天夢人刊

掲載:2018年12月20日

写真/佐々⽊隆⼆

土方 正志 ひじかた・まさし
1962年、北海道ニセコ町生まれ。東北学院大学卒業。有限会社荒蝦夷代表。作家・エッセイスト。フリーライター・編集者を経て2000年から『別冊東北学』の編集を担当。2005年、有限会社荒蝦夷を設立し、雑誌『仙台学』『震災学』や「叢書東北の声」シリーズを刊行。同社は2012年、梓会出版文化賞の新聞社学芸文化賞を受賞。著書に『ユージン・スミス楽園へのあゆみ』(偕成社)、『てつびん物語阪神・淡路大震災ある被災者の記録』(偕成社)、『ケンタウロス、走る!車いすレーサーたちのシドニー・パラリンピック』(文藝春秋)、『震災編集者—東北の小さな出版社〈荒蝦夷〉の5年間』(河出書房新社)など。読売新聞読書委員会委員。