冷え込み厳しい1月中旬、地下鉄台原駅に集合し、雪残る台原森林公園へ。毎朝ジョギングをしているという一周3キロの遊歩道をスタート。ジョギングのきっかけを伺ってみると、ある復興コンサート撮影時に脚立の上でフラッときたことだったそう。カメラマンは体力勝負なのに、これではダメだと思い、それ以来どんな悪天候時も毎朝5時半にやってきてはジョギングを続けているとのこと。この「まちを語る」の取材時、カメラをはじめ重い機材を持ちながらも誰よりも軽やかなのは、日々の積み重ねによるものだと納得。
お兄さまの影響で写真の世界へ入ったという隆二さん。「兄貴がどんぶりに現像液を入れて35ミリフィルムの密着をやっていた。それを真似して押し入れでやってみたら、小さな紙に粒子がだんだん濃くなってきて絵が現れたんです。すごい衝撃でしたね。中学校2年生の時。それ以来です」。気仙沼で暮らしていた隆二少年。カメラはまだ買えませんでしたが、写真雑誌を購読しては、コンテスト入賞者が住む仙台にあこがれていたといいます。20代で仙台に出てからは二科会で活躍。各地を飛び回って撮影を続けています。
森林公園で出会う人たちに密かにあだ名をつけている隆二さん。「まさこさま」「博士」「ソース」「寅さん」・・・遊び心満載のあだ名からは、想像力の豊かさと、何よりその人たちへの親愛の情が感じられて、隆二さんの人柄がにじみでています。
この台原森林公園はご家族で訪れたなじみ深い場所。40年ほど前、毎年家族5人でやって来て、ナラ、クヌギ、カエデ、ホウの葉などの落ち葉を拾い集めて「落ち葉の絵本」を制作。手作りの「ファミリーしんぶん」も発行する仲の良いご家族で、伴侶の「美那」さんとは昨年金婚式を迎えました。結婚式は仙台市役所前の噴水広場での「人前式」。許可が必要だろうと市役所に申請したらマスコミに漏れ、当時の島野武市長がお祝いに駆けつけ、民放のリポーターだった女優の篠ひろ子さんがお祝いの歌をプレゼントしてくださったそう。とてもユニークな経験の持ち主です。
年末には臼と杵で餅つきをしてご近所にお振舞し、元旦には臼に若水を迎えて雑煮をつくる。正月のお飾りも手づくりとのこと。何ごとにも手間をかけるのは「どこかで便利すぎることをセーブしている」から。そして「すべてにおいて面白がっているんですね」。
「あの樹は〈桂〉。葉が散って雨が降って水分を含むと、翌朝は新茶の香りがするんですよ。本当にいい香りです。気仙沼の実家では母が段々畑の土手から摘んだ葉で1年分のお茶を作っていた。その香りにつながります」。台原森林公園は「自分を振り返る場所」だと隆二さん。その地に足の着いた歩みを、とてもうらやましく感じた一日でした。
掲載:2018年3月20日
- 佐々木 隆二 ささき・りゅうじ
- 1940年、宮城県気仙沼生まれ。写真家。1969年二科展に初出品。1991年に二科展会員となり、その後審査員もつとめ、秋山庄太郎、林忠彦、白川義員らと交流。東北と宮沢賢治にこだわって撮影活動を続け、各地で写真展を開催するほか、「仙台文学館ニュース」「季刊まちりょく」の写真を担当。また「復興コンサート」「せんくら」などの撮影をボランティアで行っている。2003年に宮城県教育文化功労賞を、2012年に地域文化功労者文部科学大臣表彰受賞。みやぎ秀作美術展選考委員などをつとめる。現在宮城県芸術選奨推薦者。著書に『宮城庶民伝』(共著/NHK出版)、『写真集・風の又三郎』(書森舎)などがある。